●誰かが誰かより辛いなんてウソだ。誰だって同じくらい辛いんだ。
生きることが辛くないヤツがいたらお目にかかってみたいよ。
●裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけだ。
私自身が人を信じることと、相手が私を裏切ることは、なんの関係もないハズだ。
●自分が一番可哀想だって思うのは、
自分が一番幸せだって思うことと同じくらいに気持ちいいことなのかもしれない。
●根拠のない自信は驕り(おごり)というのだ。
●自分を哀れんで泣いているのじゃぁ死んだ子に失礼だよ。
●人間て不幸の競争をしてしまうわね。
●人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、
ただその人の心のありようが幸せだからなのです。
苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが真に人を幸せにするのです。
●生きるということは、嬉しいこと半分、辛いこと半分のものなのですよ。
●言葉が通じるからといって、互いの考えていることが分かるというものでもないのです。
なまじ言葉が通じれば、分かりあえない時、一層虚しい。
必要なのは相手の意を汲む努力をすること、こうだと決めてかからずに、
相手を受け入れてあげることなのです。
●結局のところ、その人物の為人(ひととなり)でございますよ。
その者がいかに振る舞い、生きているかにかかっているのです。
常にそれを問われている。必ず誰かが見ているのですから。
●自身の行為が自身への処遇を決める。周囲が報いてくれるかどうかは、本人次第です。
●最初から誘惑を感じない人が道を守っていられるのは当然のことで、
立派でもなんでもないのです。
罪に誘惑を感じる人が、罪を断固として遠ざけていられる、
そのことの方が何十倍も立派なことなのです
●責めるのは容易い。非難することは誰にでもできることです。
でも、ただ責めるだけで正しい道を教えてあげられないのなら、それは何も生まない。
●自己の不明、不足を自覚せず、己の不遇をたやすく他のせいにして、
弾劾する者に信を置くことはできかねる。
●なんの努力もなしに与えられたものは、実はその値打ち分のことを、あんたに要求しているもんだ。
●責任を果たさずに手に入るものなんか、ねぇんだ。
あったとしたら、それは間違ってる。間違ったことを盾にとっても、誰も認めちゃくれねぇんだ。
●よく「そんなつもりじゃなかった」とか「そんな大事だと思わなかった」と私たちは言うけど、
罪の重さを知らずにいること自体、それがひとつの罪なのではないでしょうか。
罪の重さを分からないで罪を犯すことは、二重の罪悪なのかもしれません。
●『まず自分がシッカリ立てないと、人を助けることもできないんだな』
『そうでもないぜ。人を助けることで自分が立てるってこともあるからさ』
●絶対に平気だってことはない。辛いことに慣れる人間なんて、
やっぱりいないと思うから平気なはずなんてないよ。
辛く感じないんじゃない。辛い気分を乗り越える方法を知っているだけのことだと思う。
●『五十歩百歩という言葉を知っているか?』
『似たようでも、五十歩の差は確実にあるって意味だろ。』
●嫌だ嫌だって駄々をこねて逃げ出す人間を許すことはね、
そういう仕事をきちんと果たしている人に対する侮辱なの。
●お前は自分を醜いを言う。浅ましいと言う。
自分で言うんなら、そうなんだろうさ。
だがな、相手がお前を選んだ以上、その相手にはお前の醜さや浅ましさが必要なんだ。
●守るものがなければ必死になれぬのだとしたら、それは危険なことに思われる。
●過去を捨てても過去は追ってくる。
●馬鹿なことをやって、それが自分の損になるだけだと
わかっていても、人は敢えて罪に踏み込むことがある。
●人は愚かだ。苦しければなお愚かになる。
自分が愚かな人間だということを忘れぬことだ。それが自分の中の鬼を自覚する心だ。
●まだ何もかも与えられて
イチからやり直せるだけのものがある。だから迷いがあるんだね。
●何も知らなかった。知ろうとしなきゃ
わからんこともある。何年生きてきたんだお前は
●誰だって全部の人間に良くしてやれるんなら、そうしたいさ。
しかし順番を決めなきゃいけない時もある。
全員を好きだってことは、誰も好きじゃねぇってことだ。 by魔性の子
●人は汚い卑しい生き物だよ。
それは人が背負った宿命で人に生まれた限りそこから逃げられやしない。
エゴのない人間はいない。我欲のない人間は人間じゃねぇんだ。
by魔性の子
●生きることは時々辛い。人はどこかに逃げ込みたいんだ。
それでも人は現実と向き合って、どこかに折り合いをつけていかなきゃならねぇんだ。
by魔性の子 |