生、桂      

平 林 

 昨年(二〇一四年)十一月十六日、秋深まる中、城山中学三年O組の古希を祝うクラス会の席で、水野善允さんのご提案で、「文集作成」の話題となりました。
   さて、私は何を書こうかなと考えました。そして、次の二つのお手紙を、皆様にも読んでいただけたらと思っています。
岡辺先生が亡くなり、奥様の桂子様にお便りをしました。
   『故岡部貞一先生
   クラス会でお目にかかるのを楽しみにしておりました。願いがかなわず残念です。私どもも六十三、六十四才で、先生と一緒にお写真を撮ったら、同じ位の顔つきになってきました。
 昭和三十四年、伊勢湾台風後十月末に、東京より転校し、短期間の受験勉強、先生のご指導で、幸いにも希望の菊里高校に入学出来ました。
   その後、先生は向陽高校に移られました。
   大人になって、何かのイベントで、菊里高校の体育館でばったりとお目にかかれました。お声をかけていただいたことをなつかしく思い出します。又、クラス会では、名電高のイチロー選手の学生時代の勉強に取り組むエピソードを聞かせていただきました。
   先生のお目にかかることはもう出来ません。寂しいです。
      ご冥福をお祈り申し上げます。     平林康子』
    
    図1.作品1(左上は拡大図)
  この手紙を読んで下さった桂子様から、返信とご自身が作られた手作りのお品をいただきました。ご紹介します。
  『前略

   故岡部の訃報の知らせと共にお手紙を頂き、ありがとうございました。その後手続きやら雑用に追われてお手紙も書くことが出来ず、先日のクラス会にお招きいただきましてありがとうございました。同期会のような気分で仲間になったようでした。これも皆様のこの上もない気持ちで感謝しております。
 テレビで伊勢湾台風のことを言っていますが、その時に私の家の隣が畠で、そちらに片面が倒れて大変でした。その時に学校に連絡が入ったのだと思いますが、クラス中の人が手伝いに来てくださいましてうれしかったです。私も娘が三十三年に生まれてまだ一才でしたので子供に手がかかり、皆様に接待することすらできず申し訳なく思っておりました。
   
  
  図2.作品2(左下は拡大図)
主人のモットーとして急がず休まずでデンデン虫が書いてある文集が出てきたのでそれを基本に私も以前より刺繍をやっておりましたので、これは松坂屋の展示会の売品用のものですのでたいした作品ではありませんが使って下さいませ。
                                                かしこ
  
   〒四六六―〇八五二
     昭和区萩原町一―二十一 岡辺桂子
     平成二十一年(二〇〇九年)七月十日の消印 
  手紙と作品は今でも大事に、私の手元にあります。その桂子様も亡くなられました。
   私たちも七十才を過ぎ、先月(二月)には、私にも国民健康保険高齢受給者証が送られてきました。
   これまでのお付き合いを大切にして、又、お目にかかれますよう願っています。 
ごきげんよう

平成二十七年(二〇一五年)三月六日
              平林康子