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さらばわが愛~霸王別姫 
★★★★★


京劇の古典「覇王別姫」を演じる2人の役者の愛憎を、50年に及ぶ中国の激動の時代を背景に描いた一編です。香港の女流作家・脚本家、李碧華の小説(1981年のTVドラマ用脚本を改稿したもの)を、いわゆる中国映画第五世代に属する陳凱歌が映画化した陳凱歌監督の代表作。日中戦争や文化大革命を背景に近代中国の50年を、時代に翻弄される京劇役者の小樓張豊毅チャン・フォンイー)や蝶衣張國榮レスリー・チャン)の目を通して描いた大作です。ちなみに「覇王別姫」とは、四面楚歌などの成語で有名な項羽(紀元前232年~紀元前202年。秦末後の楚の武将。天下を劉邦と争い、初めは圧倒的に優勢であったが人心を得ず次第に劣勢となって敗死した。)とその愛妾虞美人を描いた京劇の代表作の一つ。なお、本作品は1993年の第46回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞しています。

ストーリーは
1930年代の中国の北方都市。娼婦の私生児として生まれた小豆子が半ば捨てられるように京劇俳優養成所に預けられるところから始まります。娼婦の子だといじめられる小豆子を陰日なた助けてくれたのは、少し先輩の石頭。いつしか小豆子は石頭に同性愛的な思慕を抱くようになります。やがて成長した2人はそれぞれ程蝶衣(小豆子)と段小樓(石頭)という芸名を名乗るようになり、「覇王別姫」 で共演すると瞬く間にトップスターになります。蝶衣は少年時代と変わらず小樓のことを思っています。養成所時代から自分が女だと思って修練し生きることに慣れてしまった蝶衣は、この頃には舞台と現実男と女の区別がつかないほど京劇の世界にのめり込み、舞台の上でも私生活でも自分が小樓の愛人だと思うようになっていました。一方の小樓はそんなことには無頓着で、娼館通いを続けた挙句に娼婦、菊仙と結婚してしまいます。蝶衣は菊仙に嫉妬し、段小樓との関係がおかしくなっていきます。深く傷ついた蝶衣は同性愛者である京劇界の重鎮、袁四爺の庇護を求め、小樓との共演を拒絶します。
再び時代は変わり、1960年代。中国全土に文化大革命の嵐が吹き荒れ、京劇は堕落の象徴として禁止されて俳優である蝶衣と小樓も世間から虐げられるようになって…。ある時、文革で吊るし上げにあった小樓は子供の頃の義侠心は消え去り怖くなってにあっさり友人を裏切り、蝶衣の同性愛や日本軍との関係をしゃべってしまう…。蝶衣、小樓、菊仙の3人は精神的に極限まで追い詰められ、そして彼らの互いへの愛憎と裏切りの連鎖の果てに大きな悲劇が待ち受けていました…。

京劇「覇王別姫」は、秦の始皇帝の死後、劉邦と覇権を争っていた項羽がついに劉邦軍に取り囲まれ最後の決戦を前に酒を飲みながら愛妾、虞美人との前で詩を歌い、その歌に和して剣を抜いて舞っていた彼女が項羽の足手まといになるのを恐れ自ら首をはねて死ぬというその悲しい結末を演じたものです。
また、この物語を取り巻く時代も日本軍の侵攻から国民党軍の入城、人民解放軍の入城から新中国の成立、さらには文化大革命と大きく激動します。時々の支配階級の京劇に対する価値観の違いによって、2人には次々と危機が訪れる…。

陳凱歌監督はこの作品から、観念的なところを極力抑えエンターテインメント性を随所に取り込むことを試み、観客にわかりやすい映画に構成しています。3時間と長い作品ですが、映像の美しさ、叙情性と申し分なく見る者を飽きさせない。しかしながら陳凱歌監督の作品だけに娯楽性を意識した作品といっても、さすがメッセージ性は全編通して効いています。「日本軍でさえ京劇を保護したというのに、文革はそれを破壊するのか」主人公の叫びが耳に残ります。また、蝶衣の小樓に対する同性愛に菊仙が絡んだ愛憎悲劇物語の形を借りながらも「人間は果たして観念のために死ねるものか」監督の真摯な問い掛けが全編を貫いています。

監督:
脚本:

主演;
    

陳凱歌
李碧華

張國榮
張豊毅
鞏俐 etc.