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九月九日憶山東兄弟
独在異郷為異客
毎逢佳節倍思親
遥知兄弟登高所
遍挿茱萸少一人
《九月九日、山東の兄弟を憶う》
独り異郷に在りて 異客と為り、
佳節に逢う毎に 倍す親を思う。
遙かに知る 兄弟の高き処に登り、
遍く茱萸を插して 一人を少くを。
九九重陽を詠んだ唐の王維の詩。
一人異国で異邦人となっている。
めでたいお節句のたびにいよいよ増す父募る母兄弟へのなつかしさ。
今日重陽の節句に、故郷の兄弟たちが高い所へ登り、その折に、皆そろって赤い茱萸(しゅゆ)を挿している中に、私だけがいない情景をはるかに想像している…。
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中国の農暦9月9日は重陽節(chong yang jie)です。ちなみに今年は10月16日。
中国の古典「易経」では、奇数を陽の数字、偶数を陰の数字としてとらえています。中でも【9】は1,3,5,7,9のいわゆる陽数のうち一番大きな数字。しかも九(jiu)と永久を表わす久(jiu)は、谐音(同じ音)。 9月9日は、その陽の数字が重なることから「重陽」「重九」と呼ばれるようになりました。
この祭日は中国古代の戦国時代(紀元前475年~紀元前221年)には、すでに風習として定着していたようで、さらに漢朝(紀元前206年―紀元220年)からはさらに盛んになりました。
空が高く澄みわたり、すがすがしい季節です。人々は連れだって山登りをしたり、菊の花を愛でたり、重陽の蒸し菓子を食べたり、茱萸(しゅゆ)≒グミの種類の植物 を着けるなどで無事を祈る節句です。
最近では、敬老の日の意味も含んでいるようです。中国各地でお年寄りを見舞うさまざまな行事が行われています。
重陽節は、古来より「邪を避ける」日でした
重陽節の起源は下記の故事が元になっているという説が有力です。
後漢の時代、河南省汝南に桓景という男が住んでいたそうです。桓景は道士の費長房に師事していました。ある時、師匠の費長房が「9月9日、お前の故郷に災難が襲い掛かるだろう」と予言しました。
それを聞いた桓景は急いで帰郷し、家族を連れて、師匠に言われた通りに、茱萸(グミの一種)の袋を腕に結び、山へ登って菊花酒を飲みました。それから家へ戻ってみると、犬や牛、羊など飼っていた動物は皆死んでいます。
桓景がこの話を師匠にしたところ、「動物たちが家族の代わりに災いを受けてくれた」のだと言われました。
この話が広まって、9月9日には茱萸を腕に結んだり、登山をしたり、菊花酒を飲む風習が生まれたとされています。現在の中国では、重陽節はレクリエーションをする日と位置づけも少し変わってきました。
そして、重陽節は敬老の日
古来から重陽節に飲まれてきた菊花酒ですが、この菊は漢方薬でもあり、長寿を意味する植物でもあります。この菊花酒を飲む風習と菊の持つ意味に関連づけて、重陽節を老人を敬う日、敬老の日と最近ではとらえるようになりました。菊花酒や菊花茶を飲み、菊の花を観賞しながら長寿を願います。
ここ数年、中国も日本同様、高齢化社会に属するようになりました。経済が発展し、社会が進歩するにつれて、重陽節を「老人節」、または「敬老節」として重視するようになりました。
重陽糕(chong yang gao)という蒸し菓子を食べます
重陽節には、「糕(gao)」と呼ぶお餅のような蒸し菓子を食べる習慣があります。
中国語で「糕(gao)」と、高いいう意味の「高(gao)」は発音が同じです。そこから、この「糕(gao)」と呼ぶお餅には、向上や繁栄の意味が含まれているといわれています。
さて「花糕」とも呼ばれるこの菓子、 漢の時代にはすでにモチキビで餅にし「餌」と呼び、祖先や神様を祭る時に食していたようです。
それが晋代になると、「餌を食べて厄を除ける」だけでなく、「餌」を「糕(gao)」という名に呼び変えて、「高(gao)」と発音が同じことから、「歩歩高昇(bubu gao sheng)=しだいに昇進する」という意味に準えて、幸せを祈願するようになりました。さらに、街なかや平原に暮らしている人々には山や寺院、楼閣のような登るべき高所が見当たりません。こういう人たちはこの重陽糕を食べて「高みに登った」ことに代わりにしたようです。
一般に人々が蒸して作る重陽糕は、表面に棗、栗、干しぶどうなどを敷きつめられていています。まだ子供のない新婚の家では、自分で作るのはもちろん、親戚や友人も重陽糕を贈ったりします。重陽糕の表面に鏤められた棗(zao)や栗(栗子 li zi)の発音を借りて、「早立子(zao li zi)=早く子供が生まれますように」と祈る意味を含んでいるのだそうです。一人っ子政策やら、子供を早く!やら、女性にとっては「大きなお世話!」のような気もしないではありませんけど…。
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