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秋の収穫後の祭祖节(ji zu jie)。中国の墓参りは、農暦十月初一。



祭祖节烧包袱


“烧包袱”是祭奠祖先的主要形式。所谓“包袱”,亦作“包裹”是指孝属从阳世寄往“阴间”的邮包。

祭祖節では、包袱を焚くことは祖先を祭る上で大切な儀式です。このとき焚く包袱には、あの世に往った祖先の名前を表書きし、裏には送り主の孝行息子の名前を記します。いわば、現世から黄泉の国への小包ですね。)
中国では古くから、ちょうど秋の収穫が終わった頃、農暦10月1日(初一)に、祖先を祭る風習があります。これが“祭祖節(ji zu jie)”。ちょうど日本の“お彼岸”のような行事ですね。江南地方では現在でも、10月1日の祭祖節に新しく墓を建造する風習が残っているそうです。
西暦ではだいたい、11月中旬から下旬にあたるようです。かつて農村中心のコミュニティでは、大変理に適った時期といえます。

ですから祭祖節、農暦の10月1日は、暦の上では冬の初日。これから少しずつに寒さに向かう頃です。
冥土のご先祖様も着物が薄くてはさぞかし寒かろうと、祭祖節では、食べ物、お香、紙銭など一般の供物に加えて、冥衣(ming yi)と呼ばれる紙で作った衣服も欠かせません。墓参りの折には、この冥衣を焚いてご先祖様に捧げます。これを“送寒衣(冬着を届ける)”と呼んでいることから、祭祖節は“
焼衣節(shao yi jie)”とも呼んでいるそうです。

さらに時代を経て“
焼衣節”の風習は変化します。寒衣のかわりに“包袱(bao fu)”という30cmばかりの大きさの熨斗袋状の紙袋を燃やすようになりました。袋の中には紙で作った貨幣が入っています。あの世も現世同様、金さえあれば何でも買えると考えたのでしょうね。


紙の発明者 蔡倫と、祭祖節にまつわる言い伝えがあります。
日本でも、葬送時に棺に紙で造った貨幣を入れる習慣があります。これも、上記中国の祭祖節包袱を燃やす風習に由来しているのかもしれません。

では包袱を燃やす風習はどんな風に始まったのでしょうか
後漢(25年~220年)の時代、樹皮・麻クズ・破れた魚網などの材料を用いて実用に耐える紙を製造して皇帝に献上した宦官蔡倫の兄夫婦にまつわる、以下の面白い伝説があります。

紙を発明製造した蔡倫は、この紙が大ヒットして大儲け。これを見ていた目端の利く兄嫁慧娘は、自分の夫蔡莫にも紙造りをさせました。ところが、蔡莫の製造した紙は質が悪くて、まったく売れません。家中、紙の山。夫婦は悲嘆し途方にくれてしまいました。
と、慧娘は突然、奇案を思いつきました。それは…。

ある夜、慧娘は突然、病に倒れ亡くなってしまいます。実は慧娘の死んだ振りなのですが…。
そんなこととは知らない蔡莫は棺にすがって泣くしかありません。思えば、自分の造った紙が粗悪なばかりに、心労のあまり慧娘を死なせてしまった…。そう思うと、造った紙を棺の前で次々と焚きながら、涙ながらに死んだ女房に誓いました「心配かけて悪かった。こんな粗悪な紙のせいで、お前を病にしてしまった。これからは、ちゃんと弟に紙の製造法を習って、もっと上質の紙を造るからな。こんな紙はみんな灰にしてしまおう。それで、どうかお前の心の苦しみが解けますように。」

ふと、棺の中から何やら音がします。親戚の者が慌てて棺の蓋を開けてみると、何とビックリ 慧娘が生き返って、大きく見得を切り、唄いだしました。
「この世じゃ、金がモノをいう。あの世じゃ、紙で商いができるのよぉ~。亭主が焚いてくれた紙銭を閻魔様に渡したら、地獄往きを免れて、あの世の裏門を開けてもらえたの。亭主の造った紙は、あの世の貨幣だわよぉ~♪」

葬式に集まった親戚たちは、蔡莫の紙を焚くことが良いことだと信じ込んで、こぞって蔡莫から紙を買い求めようとします。慧娘は気前よく彼らに紙をあげました。

この話は一人から10人、10人から100人へ。二日もしないうちに、はるか遠方からも蔡莫の紙を買いに来るようになり、山積みの不良在庫だった紙は、すっからかんになりました(笑)。
「災いが消え去って、《陽》気が戻ったわ。」慧娘がこう言いました。

この日が、ちょうど農暦の10月1日でした。
以降、10月1日には墓参りをして祖先に心を寄せる意を込めて、紙を焚くようになったそうです。