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春節から数えて15日目、最初の満月の日が“元宵節(yuan xiao jie)”。



元宵放灯的习惯


元宵放灯的习俗,在唐代发展成为盛况空前的灯市,当时的京城长安已是拥有百万人口的世界最大都市,社会富庶。宋代,元宵灯会无论在规模和灯饰的奇幻精美都胜过唐代,而且活动更为民间化,民族特色更强。以后历代的元宵灯会不断发展,灯节的时间也越来越长。唐代的灯会是"上元前后各一日",宋代又在十六之后加了两日,明代则延长到由初八到十八整整十天。
到了清代,满族入主中原,宫廷不再办灯会,民间的灯会却仍然壮观。日期缩短为五天,一直延续到今天。

(元宵節に街中を飾り提灯で飾る風習は唐代から盛況になったようです。当時の中心、長安はすでに100万の人口を誇る豊かな世界的大都市でもあったので、それは華やかなものだったと推測できます。そして宋代にはさらに唐代に勝る規模と精巧な飾りは言うまでもなく、庶民、民間各地に広まりそれぞれの民族性地域性を深めていきます。飾り提灯をともす期間も、唐代には元宵節前後1日だったものが、宋代にはさらに2日延長され、明代になると正月8日から18日までの10日間に延長されました。さすがに清朝になると宮廷では祭りを執り行うことはなくなりましたが、民間ではなお壮観な提灯を飾っていました。ただ期間は5日間に短縮され、その習慣が今日まで続いています。)
元宵節(yuan xiao jie)”は、春節から数えて15日目の最初の満月の日で、旧暦のお正月の締めくくりの日。今年2011年は2月17日に当たります。
元宵節は、道教の三元信仰(1月15日上元、7月15日中元、10月15日下元とする)と、灯籠を掲げて仏を祭る仏教の習俗が一緒になったもので灯籠節とか上元節とも呼ばれています。夜には各地で灯籠祭を催され、色とりどりの華やかな灯籠が通りに飾られます。この祭り、2000年近い歴史と伝統があります。

華やかな灯篭(提灯)の由来は?
元宵節に色とりどりの艶やかな提灯をともす風習の由来には、いくつかの伝説があります。
その一つが天帝を提灯の灯かりと爆竹で欺く話
大昔、迷って人間界に降りて来た天の神鳥が何も知らない猟師に撃たれて死んでしまいます。これを知った天帝は激怒し、天の兵士を地上に遣わし火を放ち、人間や家畜すべてを焼き打ちにしました。この日がちょうど正月15日。でも、これを見ていた心優しい天帝の娘は罪なき民百姓が殺されることを哀れみ、父には内緒でこっそり人間界に降りて来て人間に事情を知らせます。話を聞いた民の長老が一計を案じます。「これからは正月14日、15日、16日の3日間は家々の戸口に提灯を明々と灯して爆竹を鳴らし花火を焚こうじゃないか。こうすれば天帝は、人間はみんな焼け死んでしまったと思うに違いない。」果たして計画はみごと成功、以来これを記念して正月15日に提灯を飾るようになりました。
もう一つは、前漢の文帝が逆臣の反乱を治めた日を祝うという説。前漢の高祖劉邦の死後、外戚呂氏の反乱を平定した1月15日を記念して、城内の家々に色鮮やかな提灯を飾って民衆とともに平和な日々を祝ったことに由来するという説もあります。

元宵節には“汤圆(tang yuan)”を食べます。
元宵節には、汤圆(tang yuan)という餡の入った丸い白玉団子をスープにして食べる風習があります。「汤圆(tang yuan)」は一家団欒を意味する「团圆(tuan yuan)」と発音が似ていることから縁起ものとして食べます。
また元宵節を、この団子スープにちなんで「汤圆節(tang yuan jie)」と呼ぶ人もいますが、これは清朝のラストエンペラーを廃し中華民国初代総統となった袁世凱が、「元宵(yuan xiao)」と「袁消(yuan xiao)」=袁世凱が消える、の発音が同じことを嫌い、「汤圆節」と呼び方を改めるよう命令したことから来ているともいわれています。
とにもかくにも元宵節の夜に、米粉で作った白玉の団子をいただいて「正月」は終わりです。実はこの汤圆も、スープに入ったもの、油で揚げたもの、炒めたものとさまざまなんですよ。中に入れる餡も甘い餡もあれば、地域によっては肉餡もありと、家庭ごとにさまざまです。呼び方も北方では「元宵」と呼んでいます。。