幕末・明治維新略史

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馬場啓之助『福祉社会の日本的形態』昭和55(pp.54-)
「複合社会は多元的社会と同じものではない。
 多元的社会はその中に職域を含んでおり、それぞれの職域が追求する目標を異にしていても、いずれも手段的活動に出ることを肯定しておれば、いずれの目標もその間に『一つの倫理』があって『方向としての統一』が成立しているはずである。
 産業社会は多元的社会の典型的なものであり、方向の統一を作り出しているのは、業績主義の倫理にほかならない。この倫理は社会的行動を規制する『ゲームのルール』をもっている。それは機会の平等が保障されておれば、公正な競争の結果生じた不平等はこれを容認し、社会に責任を転嫁するようなことはしてはならないと説いている。しかしながら、生涯を通じての競争においてその結果としての不平等が家庭の中に持ち込まれて世代を超えて累積していけば、階級分化が生じ、そこに、マルクスの主張するように、機会の不平等が起こることになりかねない。機会の平等は結果の不平等を介して機会の不平等に転化していきがちである。結果の不平等になにほどかの調整を加えなければ、機会の平等は保障されない。さればといって、結果の不平等をすべて認めないとあっては、競争をやる意味が失われ、業績主義の倫理はそもそもその成立の根拠を失ってしまう。そこに、業績主義の倫理にとって基本的なディレンマがあるといえよう。その倫理の成立の前提となる機会の平等がその遂行の過程で機会の不平等に転化し、その前提を否定するような事態をつくりだしていくおそれがあるからである。このディレンマに対処する手掛かりを与えたものが産業民主主義の運動にほかならない。この運動はウェッブ夫妻のナショナル・ミニマムの主張を生み出した。
 このナショナル・ミニマムの主張を単に個人所得の最低限を示すだけでなく、福祉施設の利用可能性など文化への参加可能性をも含めて、社会学的幅をもたせて、これをソーシャル・ミニマムの主張と呼ぶことにしたい。
 この線まで拡充していって、これを国民のすべてに保障することにする。そうすれば、結果としての不平等が機会の不平等に転化するのを阻止できるのではないかと思われる。これによって『ゲームのルール』が、(イ)機会の平等、(ロ)公正な競争、(ハ)ソーシャル・ミニマムの保障、となれば、競争の結果生じる不平等は『適正な差異(relevant difference )』として受容される道が開かれよう。この『ゲームのルール』のうち(イ)と(ロ)のルールは業績主義の倫理にもともと含まれていたものであるが、(ハ)のルールは連帯主義の倫理に根差したものである。『ゲームのルール』は『二つの倫理』のうえにたった複合的な性格をもってくる。これは二つの倫理の妥協が生み出したものといえよう。」
馬場啓之助は、「福祉社会は業績主義と連帯主義という二つの社会倫理の相互補完の関係にたって形成された複合社会である」(馬場啓之助『福祉社会の日本的形態』東洋経済新報社、1980年、p.73)とのべた。

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