幕末・明治維新略史

HOME > 岡村重夫講演福祉国家批判

岡村重夫講演2福祉国家批判
(紹介)
岡村講演その2

岡村重夫「処遇原則の発展と福祉的人間」(1981年度懇話会,『福祉と方法』花園大学,NO.4-5)

(前略)
ここで処遇原則という場合,処遇とは何かというようなことは詮索しないことにして,一応,通常われわれが,対象者をどのように取り扱っていくかについて,その福祉的援助の目標や機能というような意味で,処遇原則という言葉を使うことにします。そういう処遇原則が,今日までどのように発展してきたかということと,それらの処遇原則がもっている人間像というようなことを少し考えてみたいということで,こういう題を選んだわけであります。
(A)劣等処遇の原則――生理的存在者としての人間
 ご承知のように,日本の社会福祉が近代化しましたのは,昭和4年の救護法以来であろうと思います。それまでは,福祉はどこまでも民間の自発的な活動であるとされ,国は単にそれをバックアップする位の程度でやってきたと思いますが,昭和4年の救護法で,はっきりと義務的な救護,すなわち国が貧困者の救済をすることが義務であるというようなことが明記されました。
この救護法は,ご承知のように,それ以前の恤救規則に較べますと,確かにいろいろ法律上の整備をしておりますけれども,そのモデルは,1834年の英国の改正救貧法でありますから,明らかに処遇原則からいうと,「劣等処遇の原則」をとってきたということは,疑いのないことだと思います。
「劣等処遇の原則」というのは,ご存じのように,貧困者に与える処遇は最下層の労働者の生活水準をうわまわってはならないというものでありまして,救護法はこの原則をやはり採用しておるわけです。具体的に言います,と例えば,対象者として「65才以上の老衰者」というのがありますが,それは老衰者であって老齢者ではないわけです。あるいは,「13才以下の幼者」とか「精神又は身体の障害により労務を行なうに支障のあるもの」というようなことになっていまして,非常に対象者を限定しています。つまり,救護法では労働能力をもっている者は,救済しない。いくら貧困でも働く力のあるものは,救済しない。だから,老人を救済するのではなくて,救済するのは老衰者でなければならない。
こういうふうに,対象者を非常にきびしく労働能力がないものに制限した理由については,いろいろ説がありまして,例えば富国強兵政策であるとか,資本の原始蓄積のためであるとか,いろいろなことをいう経済学者もいます。私はあまり知りませんので,そういう点は,しばらくおくといたしまして,ともかくも議会の答弁など見ておりますと,労働能力のある者を救済すると,誰もが働かずに救護法の援助を求めてくるだろうという考えがあるんですね。そういうことで,日本の議会では開設以来,救貧法案というようなことがでるたびに否決されてきたのです。社会事業は怠けものを作る,堕民を養成するという言い方が当時からあって,救済をすると働かなくなる,こういう伝統的理解があったわけで,このことがやはり,はっきりと救護法に現われておるわけです。
その劣等処遇という原則を確立することによって,救済者をなるべく少なくするということがそのひとつのねらいになっていました。扶助の種類をみましても,4つの扶助,生活扶助,医療扶助,出産扶助,生業扶助が決められていましたのに,実際の運営では,生活扶助と医療扶助しか,使われていない。ほかの出産扶助,生業扶助は,ほとんど使われていないわけです。現在の生活保護法には扶助の種類が7つありますが,それに対して救護法は,2つにきびしく制限されている。例えば,教育扶助なんて認めない。子供が学校へ行くようなことは認めない。それに,生活扶助の金額も当時の一般勤労者の所帯の家計と比較してみますと,だいたいその50%~40%位の非常に低い生活扶助を与えておるにすぎません。そうするのが劣等処遇の原則からいくと当然のことなんですね。
そういう劣等処遇の原則のもとでは,どういう人間像が考えられていたかといいますと,それは生理的生存者としての人間にすぎない。つまり,社会の片隅で細々と露命をつなぐような,そういう生理的生存者,そういう人間像を目指した処遇であったというふうに思うわけであります。扶養を受けるような家族とか親族というような関係がなく,しかも労働市場から排除されていることが,救護の要件としてとりあげられているわけですから,とうてい彼らは,正常な社会的人間ではないわけで,生理的生存を辛うじて維持するに過ぎないような人間像が想定されていたんではないかと思うわけです。

(B)回復的処遇の原則――隔離的処遇

こういうことで,戦前の日本の社会事業はすすめられてきたわけでありますが,昭和20年の敗戦を契機として,救護法は廃止され,新しい段階に入っていきます。一言で言えば,「劣等処遇の原則」をやめて,「回復的処遇の原則」を採用したと言えます。つまり劣等処遇の原則では,最低限の生存を保つだけの扶助を与えていくのに対して,この「回復的処遇の原則」とは,個人が貧困におちいった直接の原因をとりのぞくように処遇する原則を言うのであります。
例えば,身体障害のために働くことができないで貧困になっているような人に対して,劣等処遇の原則では,最低の生活費を与えるだけで,その身体障害そのものに対して手をくわえない。それに対して,回復的処遇の原則では,その貧困におちいった原因が身体的な障害でありますから,その人に,更生医療や職業訓練をして,そして就職させていく。そういうように貧困になった原因に向って働きかけていくのが,回復的処遇の原則であります。この回復的処遇の原則を採用したところに,戦後日本の社会福祉の特色があると思います。このことが,もっともはっきりとあらわれておりますのが,身体障害者福祉法第一条です。そこには,本法の目的は身体障害者の更生を援助するにある,とかいてあります。つまり単に身体障害者に対して,最低生活を保障していくのではなくて,更生させていくんだということを非常に強調しているわけで,この思想がだんだんと一般に認められまして,社会復帰という言葉がひろく使われるようになったわけです。例えば,生活保護法でも第一条に,最低限度の生活を保障すると同時に,合わせて自立の助長をするんだと書いてあります。その「自立の助長」というのは,更生,つまり社会復帰を非常に強調した当時の思想の現われだといえます。小山進次郎さんは『生活保護法の解釈と運用』という本のなかで,生活保護法は,自立の助長を謳うことによって,単なる社会保障ではなく,社会福祉の1つの制度になったのだというように書いてあります。つまり,社会保障ではなく社会福祉と言うのは,社会復帰を目的にするからだという考え方がありました。
そして,精神薄弱者福祉法の場合も同じでありまして,自立の助長,あるいは社会復帰とか更生を援助するんだということが非常に強調されています。この回復的処遇の原則は,施設の分類にもつながっていきます。救護法の劣等処遇の原則では,貧困者であろうと病人であろうと,また,老人であろうと,皆,貧乏だという点においては共通だからというので施設に混合収容していました。しかし,回復的処遇の原則では,貧困におちいった原因そのものに手をうちますから,その原因に従って対象者を分類し,また,施設の種類もみな分けていくというような分類保護の形式がとらわれていくわけです。
社会復帰とか更生ということの内容は,つまり正常な社会人ないしは職業人として,独立の生活を営むことを目的としている。もっと端的に言えば,産業社会'へ復帰していくことが更生なのです。実際,身体障害者福祉法ができて間もなく,私,田舎のある身体障害者更生援護施設へ見学にいったことがありますが,そこで働いておられる人は,皆,軽度の身体障害者ばかりなんですね。民生部長が案内してくれましたので聞きましたところ,この更生援護施設は,対象者の更生を目的にするんだから,更生の見込みのない人はいれないんだという説明なんです。私も身体障害者福祉の原則を一応,勉強していったんですけれども,そこまでは気がつかなかった。なるほど,法第1条には「更生を援助する」と書いてあります。だから,更生の見込みがない人は入れないんだというふうになってくるんですね。僕は,これが更生とか社会復帰を強調するこの回復的処遇の原則の非常に大きな盲点ではないだろうかと,当時感じたわけです。
これは,生活保護法の自立の助長でも同じことでありまして,産業社会に復帰することを援助する,こういう考え方なんですね。こういう社会福祉を私は保護的社会福祉と呼んでいます。つまり,その目的は,産業社会からの脱落者を一時保護して産業社会に復帰させることなんです。ですから,その人間像というものは,いわば経済の手段としての人間,産業経済の能率によって評価される人間であろうというふうに考えられるわけです。逆に言いますと,産業社会に復帰できない人間,あるいは,それから脱落するような人間は,正常な人間ではないんだ,異常な存在なんだ,そういう異常な人間だからこそ,一般の人には不必要な特別な保護を与えていくんだということになります。そうなると社会福祉の世界というのは,一般の人々とは関係のない脱落者の世界だということになって,一般の社会と隔離したところに施設を作って,そこに収容して,いわゆる更生を援助するわけなんです。従って,回復的処遇の原則は,その反面において隔離的処遇の原則でもあったと言えると思います。
この隔離的処遇は,一般の人々を社会福祉から引き離すのみならず,それがすすみますと社会福祉への嫌悪感を生み出しさえします。社会福祉は,一般の人々の相手にするものではなくて,一般社会からの脱落者に対する対策なんだ,だからそういうものの世話になることは,自らがそういう脱落者であることを認めることになりますから,「私は死んでも民生の世話にはなりません」という人々が多くなります。年金はもらうけれども,保護はイヤですという人がたくさんいるのですね。保護をうけることで,貧民のスティグマ,つまり「貧民の刻印」を押されることになるわけで,一般の人々はこのことを非常にきらっているのです。
このように回復的処遇の原則というのは,劣等処遇の原則とくらべて確かに,合理性をもっていたということは言えますけれど,反面において隔離的処遇をし,社会福祉を,一般社会と関係のない特殊な世界の仕事にしてしまったとも言えます。そして,自分が劣等者であることを認めなければ保護をうけられないという形で,国民に,この保護的社会福祉に対する嫌悪感を植えつけてきた。そこで私は,この保護事業は2つの方向に発展していくと考えています。ひとつは,隔離的処遇に対する批判です。人間の生活が段々社会化されてきて,問題が個人的に解決できない社会情勢になってきますと,そういう生活上の困難を特別な人だけのものと見て,選別的な処遇をするんではなくて,一般国民が皆,平等に権利として,生活困難を援助してもらいたいという,そういう要求がだんだんとおこってくる。そのように国民を平等に援助するという処遇を,私は「普遍的処遇」と呼んでおります。また,「社会福祉」は全国民を対象とする生活関連施策の全体であるという考えが生まれてくることになります。これが,福祉国家の考え方に,つながっていくと思うのです。

(C)普遍的処遇の原――福祉国家

 福祉国家は,ご承知のように一般の国民の貧困問題だけではなくて,病気の問題にしましても,あるいは職業,住宅等の問題にしましても,全ての国民を平等に対象にしていくという考え方です。
 日本でも,昭和20年以降,保護事業の伝統が約10年ばかり続いたあと,昭和34~5年になりまして,やはり国民皆年金というかけ声がおこってまいります。昭和34年に国民年金法も成立するわけでございますが,そういう普遍的処遇を望む声がおこってきた原因は,回復的処遇の原則,すなわち保護事業のもつ隔離的な性格からきたんではないかと理解をするんです。
 全国民を平等に処遇する生活関連施策というものを,仮に私は,普遍的処遇という言葉でおきかえていますが,その普遍的処遇の原則を中心に考えられた福祉国家体制が,段々と世界的に普遍化してくる。日本では,34年国民年金法がそういうことの発端に該当すると思います。
 普遍的処遇の原則では,保護事業の原則とはまったく反対に,国民の平均的な要求とか生活条件に基づいて,全国民に対して平均的サービスを機会均等に提供するということがひとつ。それからもうひとつは,平均的サービスによって生活要求を充足できない特殊の生活条件をもっている個人に対しては,特別なサービスを提供する,そういう処遇原則であります。
 つまり,一般的サービスと特殊的サービスの2本立でもって国民をつつみこんでいこうというわけで,保護事業は一般的サービスを欠いたままで,特殊的サービスだけを強調してきたのに対して,福祉国家の場合には,前提条件として一般的サービスというものを行ない,それにいわば付属的,補充的に特殊的サービスを追加していく,こういう考え方なのです。
 福祉国家体制は,簡単に言いますと,国民の生活問題に関連するいろんな施策が,全国民に機会均等に利用できるように整備されていくわけですけれども,同時に,そのサービスは社会保障,医療,住宅,職業,教育といったように,非常に専門的に分化していかざるをえません。
 対象者は,国民全般ですから非常に膨大な数になります。例えば日本で言いますと,年金法の対象は5千万人をこすでしょう。社会保障の対象者は非常に膨大な対象者を対象としますので,当然,サービス機構は専門的に分化すると同時に巨大化していく。
 つまり,この福祉国家における社会福祉は,専門的分化,組織の巨大化,それからサービスの規格化,機械的事務化というような傾向を避けることはできなくなります。そうしてすべてがコンピューター化していくわけです。
 そのため,日本の現在の社会保険の機構をみましてもそうですが,そこでは,個々人の事情が,ほとんど問題にされない。これは余談ですが,私も,最近学校をやめまして,年金生活することになったんですね。2月に年金の申請をしたところが,これがいつまでたっても来ないんですよ。聞くと,「いや,あんたのだったら来月のコンピューターにかけますから」と言うんです。機械まちなんですね。人間の生活よりもコンピューターの方が大事なんです。それでこっちの方も,「ああ,そうですか」と言ってしまう。だれもがそう言われればそうかと納得するように,われわれは今,訓練されているわけですね。
 機械が故障しましたと言われると,ああ,仕方ありませんな,というわけですね。
 これは非常におもしろい福祉国家の現象だと思ってみておりますが,機械化し,組織化し,官僚化し,事務化していく。
 そこで個々の人間は,どうなっていくのでしょうか。個人はいわば部品で,例えば社会保険からみればぼくは人間じゃなくて,年金を受ける一人の老人,何年つとめて,いくら掛け金しとる人間かというだけなんですね。他のことは,別に考える必要はないわけです。
 こうなると人間生活の全体像というものから,ますます遊離してしまいます。普遍的サービスにおいては,医療であろうと住宅であろうと職業であろうと,生活の一部分にのみ視野を限局して生活を保障していくという形になる傾向をさけることができません。
 このような官僚化や専門化は,少数者に対する特殊的サービスにおいても同じで,それもやはり専門的に分化されているのです。
 この普遍的処遇の原則では,一般国民からは隔離された保護事業とはちがって,だれもが,サービスの対象となるんですね。すべての生活上の問題を社会的な施策によって解決する。また,各人はみな社会的存在として平等に権利をもっているんだという認識は1つあると思うんですね。
 しかし,その反面,福祉国家が,いわゆる生活関連施策の主導者であって,国民はそのサービスの客体,あるいは受益者,あるいは消費者でしかありません。
 国民は,全くサービスの消費者なんですね。親方日の丸ってわけです。なんでも国がやってくれる。悪ければ,国に文句をいえばいい。われわれは消費者なんだ,受益者なんだ,それが権利なんだというわけなんですね。
 このようにみてきますと,福祉国家で言われる普遍的処遇の原則のもとでは,サービスをうける権利は,全国民平等に確立したといえますが,他方において,その人間は,専門化された制度によって分断され,部品化された消費者である。
 従って,そういう部品化され分断化された人間,さらに制度に支配された受動的な個人,そういう人間像が,この福祉国家において現われてくるんではないかと思うのです。ですから,そこにはわれわれが生活の主体者であるという考えはでてこないでしょうし,また生活に対して責任を負う存在としての人間はでてこない。単なる受益のための受益者,消費のための消費者ということになってくる。これが福祉国家に想定される人間像であると,私は理解しております。

(D)人間的処遇の原則―─福祉的人間像

 このように,回復的処遇の原則では,経済に奉仕する手段としての人間という人間像の下に,社会復帰が強調され,また福祉国家は"制度に支配される人間"というようなものをつくりだしたのです。
 こういうことに対する不満や批判が,日本では,昭和50年頃からでてきたんではないかと思うんです。例えば,糸賀先生なんかですね,リハビリテーションを強調することに非常に抵抗された。社会復帰の見込みのない重度度の障害者を一体どうするんだ。リハビリテーションばかりが能ではなかろうというわけです。そこに,制度の手段としての人間であるとか,経済の手段としての人間に対する批判としての「人間的処遇」というようなものを求める声が起ってきたと思うんですね。
 保護事業に対するこの批判は,今日の日本の社会福祉が当面している大きな課題です。 現行の法律をみますと,全部これは保護的社会福祉なんですね。社会福社の六法は,回復的処遇の原則にもとづいているわけです。しかし,一方において現場の人たちは,どうもそれに納得できない。もっと人間的な処遇をしなければいけないんじやないのか,と考えられるようになっています。
 そのように法律制度と現場の実際の援助とが乖離しているというところに,非常に大きな課題があるんじゃないかと私はにらんでいます。
 そこでこの課題を一体どういうふうに解決していくかということですね。私は,人間的処遇というようなものを,もう少し内容をつめて考えていく必要があるだろうし,そういうものを実現するにはどのような方法が必要なのかということを考えたいのでありまして,そういうふうな人間像を,私は仮に福祉的人間像と呼んでおるわけなんです。
 アメリカの本なんかには,よく社会福祉とは自己実現を接助するんだと書いてありますけれども,その自己実現の「自己」とは一体何なのかについては,内容があまり書いてない。
 同様にして「人間的処遇」といいましても,その人間とは一体何なのか,その内容が何かということが問題になってくる。それをつめないと,いくら地域福祉とか,最近のように在宅福祉サービスとか言っても,単に保護事業を収容施設から地域社会に延長することになってしまうわけですね。
 回復的処遇の原則を,今度は,地域社会に向って拡充していくということは,結局,保護事業の誤りをもう一度くり返すことになるのじやないかと思っている。だから在宅福祉サービスではいけない。保護事業を拡充するやり方でもだめ,またそれに対立するような形での福祉国家の普遍的サービスでもいけない。それを越えた人間的処遇っていうようなものを実現する新しい社会福祉でなくてはならないだろうと,私は思っております。
 それは,言いかえますと,現行の日本の社会福祉法制から訣別していくことだと思っております。従って,私は,この社会福祉制度を強調する最近の社会福祉論には,非常に飽き足りない。社会福祉の本質は,行為であって制度ではないということを私は言いたいわけです。
 制度みたいなものをいくらつついてみても,社会福祉の本質は出てこない。社会福祉の本質というのは,やはり生活困難者を援助する行為のなかにあるのであって,法律とか制度というものは,その援助の行為のための資源として利用するだけのものなんで,決して,福祉の本質などではないんです。そこまでいかないと,人間的処遇というものを実現していく福祉にならないだろう,と思っております。
 私は,福祉国家そのものをひとつの発展段階として否定するわけではありませんが,そういう福祉国家,つまり普遍的処遇の原則が人間否定,個人否定にならないためには,制度と個人とを媒介するような援助の行為と社会福祉が必要なんではないかと思うわけです。そのように制度と個人とを媒介するような制度こそを,私は「現代の社会福祉」と言っております。
 福祉国家は,先程いいましたように,社会保障とか医療・住宅・教育・職業等々のそういう専門分化的なサービスの体制を整備すればするほど,これを利用する国民個人の生活の本質,つまり専門的に分化することのできない生活全体の調和,そして生活主体者としての自由な創意と対立することとなってきます。その矛盾を解決する社会福祉,それが現代の社会福祉なのです。
 そういうものがないと,制度による個人の支配や専門化による独善が支配的になってしまう。そこで,そのような傾向を排していくために社会福祉を強めていく必要があるであろうというふうに思うわけです。

2.福祉的人間像を求めて―─4つの原理
 この「現代の社会福祉」では,それではどのような処遇原則をかかげ,どのような人間像をもてばよいのか,以下このことを考えてみたいと思います。

社会性の原理

 まず,現代の社会福祉は,これまでの専門分化的制度と違って,個人の生活困難を社会関係の障害としてとらえる点に特徴があります。これを私は"社会性の原理"と名前をつけております。
 現行の福祉六法では,生活困難を社会関係の障害とは見ないわけですね。例えば,精神薄弱者福祉法というと,精神薄弱者という当事者を保護の対象にするだけで,その家族関係とか地域社会関係は問題にしない。それらに対する援助は法律の「福祉の措置」に入ってこないわけですね。
 また,老人福祉法でいえば,老人を福祉の対象者とするだけで,老人のもっている家族とか地域社会関係とかいうものは,老人福祉法の措置の対象にならない。
 現行法にみられる回復的処遇の原則というのは,このように問題の当事者を環境からひき離して保護を加えるわけですね。そこに,社会関係の障害という考え方がないわけです。
 またここで特に申し上げたいと思いますのは,1981年国際障害者年の行動計画が非常にはっきりと,日本の,例えば身体障害者福祉法の考え方のあやまりを指摘している点です。ご承知のように身体障害者福祉法の別表では,両手がなければ1級だ,両足がなければ2級だというように,個人のもつインペアメントに着目して障害の程度を決めるでしょう。ところが,障害というものは,障害者本人だけの問題ではなくて,その人と環境との関係の問題なんですね。環境が変われば,生活障害は変わってくる。身体的障書そのものは同じであっても,生活障害は変わってくることを,国際障害者年の行動計画で非常に詳しくかいておりますけれども,これは今の身体障害者福祉法に対する批判,いいかえれば,回復的処遇の原則に対する批判だと,私は思っております。
 新しい現代の社会福祉では,生活困難ということを社会関係の困難だと考えています。つまり,人間像として言えば"社会関係的存在としての人間"ということを非常に強調しているわけです。
 人間を,社会関係的存在としての生活者として捉える,これが福祉的人間像の1つの特色であろうかと思います。人間の社会生活上の基本的要求を充足するための社会制度と個人との間の社会関係を維持し発展をさせていくための援助こそが求められるべきなのです。
 ただ,ここで社会関係というのは,決して一定不変のものではありません。それは,たえず制度の側の変化と個人の側の変化とによって変化します。そういうなかで,われわれは適切に自分の生活に必要な社会関係を選択しながら生きて行くわけです。従って,われわれの社会は,そういう選択が自由にできるような構造をもつのでなければならないだろう,つまり硬直化した社会では,社会関係の選択が自由に行われないということになろうと思うんですね。

全体性の原理

 福祉的人間像の第2番めの側面は,私が全体性の原理と名づけておるものです。個人が,社会開係的存在として生きていくためには,多数の社会制度との間に多数の社会関係を持たなくてはならないわけです。
 社会関係は,分業化した各専門の制度の立場から見れば,それぞれバラバラのものですけれども,制度を利用する当人の立場からみますと,相互に切り離すことのできない全体的なものなんですね。
 ですから,この多数の社会関係が,個人の生活において矛盾なく調和していくということが,この福祉的人間像の大きな条件であります。
 ただ,たくさん関係をもっているというだけのものでなくて,それが個人の生活の中に調和しているということ。例えば,医療をうけるために職場をやめなきゃならないというのでは困るわけですね。そうではなくて,むしろ一生懸命に医療に専心することができるように,職業関係や家族関係は調整されていかなくてはならない。そういう意味での調和でありまして,ただ,あちらにもいい,こちらにもいいという八方美人,ニコポン的なものではない。
 一つのものに全力投球できるように,われわれのいろんな多数の関係というものが総合されていなければならない。
 この人間像では,金さえあればあとはいらないというのではなく,基本的要求の全体一一私は7つの要求というのをあげるんですが一一が,全体として充足されなければいけない。
 保護事業でも,貧困に陥った原因を非常にたくさん分類しますが,この保護的社会福祉では,そうした基本的要求の全体を充足させる生活状況が不可能になってから,はじめて保護を与えていました。それに対して現代の社会福祉では,個人がそうした生活状況を維持できるように,その社会関係の調和を援助していくわけですね。それは全体的調和としての人間像を志向するからであります。

主体性の原理

 第3番目は,主体性です。これは生活の主体者としての人間像ということです。自分の生活に対して,自ら責任を負う,それが真実の人間だということです。
 例えば,対象者を収容施設に入れても,職員が問題を解決してやるんじゃなくて,本人が自分の境遇というようなものに対して,よく認識し,そのなかで自ら問題に対決していくというのでなきやならんだろう。例えば,養護施設は親から捨てられた子どもに単に飯を食わせ,そして学校へやってやる,というだけではいけない。
 それだけであれば,社会保障の作用でありまして,福祉としては,その親から捨てられた子どもが,親から捨てられたというその現実を否定しないで,あるいは避けないで,その状況に自ら直面して,そして,その問題とどう取りくんでいけばいいのかというような生活課題といいましょうか,ありのままの自己像というものを認めさせて,それに基づいて問題の自主的解決を援助していくということが,この主体性の援助であります。
 福祉国家のところで言いましたように,個人がもっぱら受益者,消費者,ないしは依存者として,なんでも政府に要求すれば,それでいいんだということではなくて,生活主体者というのは,制度に向って個人を主張する,抵抗する,個人の生活の原理を専門家に見せて,専門家に部分的な人間の見方をあらためさせるように制度を変えていく,またそのように働きかけていく。そういうものでなくては社会福祉の援助にはならない。
 つまり,社会福祉というからには,そういう人間としての主体性を個人や集団が主張するのを動けるという側面がなくてはならないということであります。
 いろんな専門家がおちいる近視眼的弊害をしっかりみつめ,専門的分化になじまない生活の全体性というようなものを専門家に説明していく,そして制度の運営方針を改めさせていくということが,主体性の援助であります。
 私が「主体」というのは,哲学で言うような,そういう難しい観念的なものではなくて,日常的な事実としてですね,個人が自分の生活に対して責任を負うという,そういう非常に平凡な,あるいは自分の生活に自尊心をもつ,そういうきわめて日常的な事実として認識しておるつもりです。
 今日の現在の多くの社会福祉論では,国がサービスの主体者であって,個人は客体であるというふうに思われているんですけれども,そうではなくて,福祉の主体は個人だということを私は言いたいわけです。
 このごろは,医療でも,医療の主体は患者であると言われたりしています。例えば,大阪大の中川米造さんは『医療的認識』という本のなかで,かつて感染上の疾患が医療の中心であった時代には,医者が医療の主体で,患者は客体だった。けれども,今日のように成人病とか慢性的な病気が多くなってくると,医療の主体は患者自身であり,患者自らが病気をなおすのを医者が側面から援助するにすぎないんだと書いておられます。これは現在の社会福祉に該当することです。
 われわれは,問題の当事者が問題を解決するのを助けていく,ということにならざるをえない。こういうのが,福祉的人間像の主体的側面でありますが,これは日本社会の風土の中ではなかなか難しい問題だと思います。というのは,この主体性とか個人というものが,西洋の社会で言われている主体性とか個人と同じであるかどうか。外国の自己とか,自己実現というようなことを翻訳してそのまま日本で通用するかどうか非常に問題だと思うんです。
 これも非常に研究しなきゃならない。例えば,大阪大の浜口恵俊さんという社会心理学の先生が『日本人らしさ』という本のなかで,日本では西洋でいう「自己」ではなくて,「自分」つまり間柄的存在としての個人というふうな概念,考え方があたるんじゃないかと書いておられます。つまり,それはもともと間柄的存在としてある個人が「自分」として自律性をもつと同時に他者と連帯して生活していく,そうした主体であるわけです。そういうことも,われわれの社会福祉の実践の中で発見していかなきゃならない。
 福祉的人間像と一体何か,その主体的側面は何かというようなことを,われわれは実践の中から発見していくわけですけれども,そういう場合に,ただ外国の文献の翻訳だけじゃいけないだろうというふうに考えるわけです。

現実性の原則

 最後に申し上げたいのは,現実性的側面です。われわれの生活は,一刻といえども休んだりやめたりできないものです。われわれはどんな条件のなかでも,ともかくも自己をつらぬこうとする。自己を貫徹していこうとする。これが生活者であります。これは生活者
のエネルギーといいましょうか,そういうものであろうと思うんですね。
 しかし,これは何も自分勝手な個人の気ままが許される,そういう意味ではありません。
 私が『総論』の中で社会生活上の基本的要求と書いたものは,なにも個人の勝手な要求という意味ではありません。あれは,心理学でいう「欲求」ではなく,個人のもっている生理的心理的ないわゆる欲求を,さらに社会制度の関連において修正した社会的な概念です。
 つまり,この基本的要求を充足できないということは,個人にとって問題であると同時に社会にとっても問題なんですね。個人にとって生活困難であるのみならす,その社会そのものがつぶれてしまう危険性をもはらんでいるんですね。
 例えば,家庭生活,「家族的安定の要求」というのを私はあげておりますが,それは個人にとって家族というものが,人間として本能的要求を充足していく場として必要だというだけでなく,他方,社会にとって家族がなくなれば,社会は存在できなくなるだろうということなんですね。このとろは,家族なんかいらないとか,子ともは国が養育すればいいんだとか言う偉い女の人がいるらしいですね。
 たしかに一時的にはそうできなくはないでしょう。けれども,そういう国は,3年か5年でつぶれるでしょう。まあ,ロシアの経験でいうと15?6年もするとたいへんな問題になったわけですね。ロシアの1917年の革命で,そういう,面倒な結婚の手続きもいらない,家族もいらない,子どもは社会が養えばいいというようなことを説いたりっぱな本がでました。私も昔,学生時代に読みましたけれども,しかし14?5年もすれば,そういうやり方はまちがいであるということで,それに対する批判がでてきたわけですね。
 人間がすべて,いわば未熟児として生まれてくる以上は,そのために家族というもの,母親の個別的な保護とか愛情というものがぜったいに必要なんですね。つまり,もう1年くらいおなかの中におらなきゃいけないのを,はやすぎて生まれてきますから,もう1年くらい,おなかの中におるときのような暑くもない寒くもない,おなかのへることもない絶対的安定と保護がいるわけなんです。
 おなかの中におるときのような安らぎ,安定感,そういうものを満喫させなきやいけない。そうでないと発達障害がおこってくるということです。その保護の場が,家庭なんですね。家庭でなきゃならない。ということで,「家族的安定の要求」というのは,個人の要求であると同時に,社会の側の要求なんです。
 私のあげる7つの基本的要求というのは,すべてそういう意味のものなんです。われわれは,個人にとっても社会にとっても,必然的な基本的要求を貫ぬこうとするわけですが,この要求をつらぬいていく場合に,社会福祉の援助としては,現実に可能な条件の中で,それを貫徹するように援助してやらなきゃいけない。
 おまえの貧乏は,資本主義社会の必然的な法則だとか,おまえの失業は資本制社会の過剰人口によっておこってくる必然的な失業であってどうにもならないと言うようなことは,それは説明にすぎないのであって,現実の援助にはならない。援助は,そういう欠陥だらけの現実の中でどうして生きていくかを援助しなければならないということなんですね。
 社会福祉は,そういう現実的存在としての人間を援助していくんだということを私は申し上げたいわけです。
 私は福祉的人間像というようなことを想定しましたけれども,それは単なる理想的価値のシンボルというようなものではありませんで,生物的,情動的欲望をもちながらも,他方においては社会的文化的要求をも充足したいという,そういう世俗的存在としての人間であります。同時に,生活者としての個人は,そういう日常的な存在としての自己をありのままに認めなくてはならない,つまりわれわれは,単に観念的なところにとどまるんじゃなくて,自分の置かれている現実をありのままにみとめ,その中で現実的に援助していくところに,現実性側面があろうというふうに思うわけです。

 以上,だいたいの社会福祉の発展を処遇の原則から考えてみまして,それに対応する人間像を考えてくると,いま,日本の社会福祉は非常に基本的な問題を問われていることに気づきます。一体,福祉六法でいいのか,というような問題です。
 これでは,結局,この保護事業のもっている欠陥,あるいは福祉国家のもっている欠陥に段々とのめりこんでしまうのじゃないか,そこでやはり,この社会福祉の中に本来の人間的処遇というようなものを回復していくために努力していくことが,いま私たちの課題になっているんじやないかというふうに思うのです。

ディスカンション

福祉教育のあり方
司会:省略
岡田(学科教員):今日のお話は処遇原則の変遷と人間像ということでした。先生が最後におっしゃったように,日本の社会事業,社会福祉が,いま本当に問われているとすれば,社会福祉学あるいは教育体系におけるカリキュラムも,当然,問われてしかるべきじやないかと思うんです。そのあたりのことで何か少しお話を伺わせて頂きたいと思います。

岡村:カリキュラムということになると,学校の考え方だけでもできませんのでね。昭和23年にできました社会福祉学部の設置基準というのがありましたしね。そういうものに対して,私は若干,批判的だったんです。それでも,やっぱりそれは,取り入れざるを得ないということで,最初の10年位は,割合忠実にやっておりました。けれども,そのうち段々と訂正していきました。
 例えば,方法論の中で,ふつうアメリカなり,当時の日本全体では,方法論Ⅰはケースワーク,Ⅱはグループワーク,Ⅲがコミュユティオーガニゼーションだったんですけれども,私のいた市大では,逆に方法論Ⅰをコミュニティオーガニゼーション,Ⅱグループワーク,Ⅲケースワークという形に変更しました。
 といいますのは,先程言いましたように,問題は,社会関係の問題なんだ,社会関係の欠陥,困難というものが福祉の対象になるんだということで,その社会関係を抜きにして個人だけをまず取り上げるようなケースワークは,これはまあ副次的なものであって,対象者の置かれている地域社会そのものに対して働きかけていくのが,まず第一と考えたわけです。
 この考え方は今でもかわっておりません。むしろこの頃は,ますます強くそう考えております。つまり,今までの社会福祉では,問題の発生している場所である地域社会から対象者を引き離して収容施設に入れて問題の解決をはかるという回復的処遇の原則だったんですね。
 そういうことをしておりますから,施設でもってある程度の,いわゆる治療訓練指導というようなことをしても,もともとの社会関係そのものは,変わっていないのですから,問題は再発しますし,また同じような問題が起こってくる。
 例えば,障害者の問題を取り上げた場合に,障害者が中度であるとか,重度であるとか,軽度であるとかいうことも一応の参考になりますけれども,それだけで処遇方針はたちません。
 むしろ,家族関係,あるいは家族を取り囲む近隣関係,職場関係といったような,もろもろの地域社会関係というものを同時に対象としてとり上げなければ,問題の解決にならんだろう。ということで,私は,コミュユティオーガニぜーションという言葉もあまり好きではありませんけれども,まあ当時は地域社会に働きかけるのは,そういうものでしたから,それを方法論Ⅰとして,ます最初にやるべきだということを強調しました。
 ところが,この教育に効果があったかといわれると,それがまあ,あんまり効果があったとは言えません。例えば,私の学校を卒業した学生の中に,すぐ大阪の精神衛生相談所というところに採用され,保健所に配属されたのがいました。卒業してすぐの6月頃に学校にやって来ました。それで仕事はどうかとたずねますと,「暇でしようがない」というわけですね。月給もらっとるのが申しわけないくらい。毎日,その保健所に出勤して机に座っとるけど,自分の担当している精神衛生相談には,だれもお客さんが来ないというわけですね。それでまあ,本を読んどりますとこう言う。
 それで私は,こう言ってやりました。「そんな教育したつもりはない。就職すれば,まずその地域社会の婦人会であるとか学校であるとか,その保健所のある地域のいろいろな各種団体に顔を出して回れ。『私は今度採用された何も知らん精神神衛生相談員ですけれども』というてあいさつして回れ。そういうあいさつがひととおり終わってから机に座っとれ。それを初めから机に座っとってはダメだ。」そういうことがありまして,大学の教育というものが実際どれだけの効果があるかといわれると,まあ,あんまりないと思うんですが,卒業生に「お前ら,?体4年間おって何を覚えたんだ」と聞いてみるとですね,社会福祉の学生というのは理論的な関心というよりは非常に実践的関心が強い子が多いんです。例えば,調査のように足で歩いた記憶が非常に残っているんですね。(略)