幕末・明治維新略史

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S.&B.ウェッブ 『髙野岩三郎監訳 産業民主制論(1897)』法政大学出版局、第3編第3章

(ホ)国民的最低限

 「一産業の内にあって、何等の共通規則も存在しない場合には、諸会社間の競争は、既に観察したように、その全産業を退化せしむるような手段を採らしむるに至るものである。しかるにその産業を通じてある共通なる最低標準を強行するときは、ただにその退化を停止するばかりではなく、あらゆる点において産業上の能率を高むるの助けとなるのである。一社会にあってもまた、無規則の場合には、産業間の競争はある諸産業において国民全体に有害なる雇用条件の発生または持続を惹起せしむる傾きがある。そこでその救済策は、この共通規則の考えを産業から全社会に拡大し、国民的最低限を規定して以て絶対的にいかなる産業も公共の福祉に反する条件のもとには経営するを許さざることにあるのである。これは誠に、今日あらゆる産業国において用いらるる工場立法の政策である。しかしこの、いかなる雇主でもその最も窮迫せる職工をそれ以下に陥れるを許さないという最低条件を規定するところの政策は、なほ不完全に行はるるに過ぎない。工場立法は、普通、僅かに衛生条件とある特種のものに限って労働時間とに適用さるるに止どまる。・・・『苦汗業』の問題に当面せんと欲するならば、・・・その国が産業経営上許容しうる最低条件を規定し、しかもただに衛生及び安全の一定の予防設備と最長労働時間とに止どまらず、更に週給の最低額をもまた包含するものとしなければならないであろう。」(pp.937-938)

 「産業的寄生の最顕著なる形態の1つは児童労働の雇用である。・・・国民的最低限の政策-労働者をして生産者並びに市民としての実力を有する状態に維持せしむることと相入れないような一切の雇用条件の禁止-は、幼少年者の場合にあっては、ただに日々の生活と小遣銭との要求ばかりでなく、代々健康にして実力のある成年を絶えず準備することを保証するような養育条件の要求を意味するものである。」

 成年の場合、寄生のとる形態は、「上院の証言を借りれば『辛うじて生存を維持するに足る賃金と、労働者の生活を絶え間無き、そしてこのうえなく困難で不愉快な苦労の期間となす労働時間と、使用さるる労働者の健康には有害で公衆には危険な衛生状態』」(p.943)

 衛生上の国民的最低限の政策は、既に英国の法律の中に具体化せられているように見られるであろう。(p.944) 余暇と休息とに関する国民的最低限のためには、繊維職工に関する工場法の規定が、特別な規定を備えつつ、あらゆる筋肉労働者に適用されねばならない。(p.946)

 賃金の国民的最低限の提議-いかなる雇主もそれ以下では労働者を雇い入れることを許されない、一定の一週所得額の制定-は未だ有力者からなされていない。労働者も雇主も賃金が法律により決定されるのを恐れるからであろう。「国民的最低限の目的は産業上の寄生の弊害に対して社会を保護することにあるので、男子または婦人のそれぞれに対する最低賃金は、国民の風俗習慣に従って、体質の低下を避けるに生理学上必要とせらるる衣食住の費用に関する実際的研究によって決定せられるであろう。従ってかくのごとき最低限は低いものであろうし、またその設定は無規制職業の不熟練職工によっては賜物として歓迎されるであろうが、それは決してかの綿工や炭鉱夫やによって作られた『生活賃金』の概念と一致するものではないであろう。」(pp.946-)

(ト)共通規則の方策の有する経済的特質の摘要

 社会全体の最高の能率を獲得する第1要件は、生存競争を統制して以ていかなる部門の人もそれが為に寄生あるいは退化の状態に陥ることなからしむるようにすることである。・・・産業的ピラミッドに堅実なる基礎を作り上げ、それより以下には、いかに圧迫が大であっても、いかなる部門の賃金所得者もおしさげらるることのないようにするのは、非常に重要なことである。かくのごとく共通規則の方策を産業から全国民にまで拡大すること-衛生や安全、余暇や賃金に関する国民的最低限の条件を広く強行し、それより以下の条件ではいかなる産業も経営さるるを許さないということ-は、その国の産業にとって、共通規則の採用が各特殊の産業に対して及ぼしたのと同様の経済的効果を有するものであるとなすことができる。・・・その社会が最下層の階級をして生産者並びに市民として十分にしてかつ持続的なる能率を維持せしめるに必要欠くべからざるものと決定した最低限よりも以下の条件ではいかなる雇主も仕事を提供するを許されず、いかなる職工もそれを受け入れるるを許さるべきでないということである。・・・

 自身の労務を引き上げて出来るだけ高い程度の専門的長所を有するものとなし、僅かに国民的最低限を得るに止どまっている非専門的な不熟練な労働から自身を出来るだけ分化せしめることにある。・・・

 共通規則を支持することが圧迫を雇主の頭脳に加え、為に彼らをしてその産業の技術的改善をなすの余儀なきに至らしむる限り、・・・組織賃金所得者は、自己の状態を改善せんと努めながら、偶偶彼ら自身と同様その社会の他の階級の資源をも確かに増加することとなるであろう。」(pp.967-971)

●その後、幅広いナショナル・ミニマムの意味になった

 やがて、20世紀はじめにはS.ウェッブがナショナル・ミニマムの保障ということについて、最低賃金を含む雇用条件、余暇とレクリエーション、衛生的環境と医療サービス、教育などの保障とした。また、B.ウエッブは貧困者の生存権保障を主張した。ウェッブ夫妻『大英社会主義社会の構成』(1920年)ではナショナル・ミニマムとして生存と余暇・住宅及び公衆衛生・教育・環境などを挙げて、その提供は国と地方自治体の機能としている。
 このように、ウェッブ夫妻ではナショナル・ミニマムは幅広い意味で扱われていた。