幕末・明治維新略史

HOME > ロウントリー 貧困線

ロウントリー,ベンジャミン ・シーボーム
 (『長沼弘毅訳 貧乏研究( Poverty - A Study of Town Life)』1901,第2版1922)(“The Human Needs of Labour”,1918,revised 1937. 貧乏線改訂)(『貧困と進歩( Poverty and Progress ,A Second Social Servey of York)』1941)から抜粋

貧困線(貧乏線)

 「まず貧乏生活をしている家庭をわたくしは次の2種類に分類する」

 第1次的貧乏(primary poverty):「その総収入が、単なる肉体的能率(merely physical efficiency)を保持するために必要な最小限度にも足らぬ家庭。」(*いかに賢明かつ注意深く消費されても、肉体的能率そのままの必要を充足するのに不十分)

 第2次的貧乏(secondary poverty):「その総収入が、もしその一部分が他の支出にふりむけられぬ限り、単なる肉体的能率を保持するに足る家庭。」(*収入が飲酒とか賭博とか臨時的なものに消費されない限りは貧困線以上の生活を送りうる)(訳書 pp.95-96)

 

 大人2人子供3人の家庭(いわゆる標準家庭)の肉体的能率を保持するために必要な最低経費(最低必要経費)の算定

 食費(大人2人子供3人で12シリング9ペンス)家賃(4シリング)被服費(2シリング3ペンス)燃料費(1シリング10ペンス)その他(一人当たり2ペンスで10ペンス)合計21シリング8ペンス(救貧法労役場の献立より劣る食糧費。その他に肉体的能率維持に必要な品目のみ積み上げた1週間の費用。)

 ヨオクにて未熟練労働者に支払われる賃金は標準家庭の単なる肉体的能率を保持するのに必要な衣食住を賄うに足らない。(単なる肉体的能率:交通費は使わず徒歩、新聞買わず、教会の寄付せず、おもちゃや菓子も買わず・・・「要するに『何か事があれば、』彼らは食費を切詰めてつじつまを合わせるより他に、全く手段が無いのである。食費を切詰めるということは、肉体的能率を犠牲にするということと同じ意味になることは明白である。これは一種の鉄則である。」)

 1週間に20~21シリングの収入を得ている労働者はヨオクでは比較的少数である。子供が3人あれば少なくとも10年ほどは第1次的貧乏の時代、つまり自分自身および家族の食費を切詰めあるいは栄養不足の時代を避けられない。

 反対論あり(それ以下の収入の労働者がたばこをふかし、酒を飲み、その妻が着物を買い、娯楽に金を使っている。幸福そうであり、格別不満もなくちゃんと労働者として働いている)。これに対してフランスの経済学者バスチア氏は『見えるものと見えざるもの』のなかで反論した。貧乏人が酒やたばこや娯楽につかう金は「見えるもの」である。それが「見えざる」貧乏の結果をもたらす。労働者が十分な食事をとるには妻子が食事を切り詰める。「夫が酒場で酒代を支払っていることはすぐにもわかる。しかしその半面、子供が夕食抜きでベッドにはいることはなかなかわからない。」貧乏人における高い死亡率、発育不足、知能度の低劣などは良く調べないと分かりにくい「見えざる」貧乏の結果である。

 労働者の生涯には困窮と比較的余裕のある(want and comparative plenty)生活の交替によって、5回違った生活様相に直面する。:第1次的貧乏に3回落ち込む(自分のきょうだいたちが幼い時。結婚後、自分の子供達の成長期。子供達がすでに独立結婚し、自分の労働能力が衰えた時。)図式では5~15歳、30~40歳、65歳~。

(訳書 pp.139-166)

 

 ヨーク市調査の第1次的貧乏の直接原因別割合     (%)

               第1回  第2回 第2回 第3回

              1899年 1936年 (新規準) 1950年

 ①主な賃金所得者の死亡   15.6  9.0   7.8   6.4

 ②主な賃金所得者の疾病   (②③)  5.6   4.1  21.3

 ③主な賃金所得者の老齢   5.1  17.9   14.7  68.1

 ④主な賃金所得者の失業    2.3  44.5   28.6  0.0

 ⑤低賃金で常雇い       52.0   9.2   32.8  1.0

 ⑥不規則な就労        2.8    5.9  (⑥⑦)   (⑥⑦)

 ⑦多子(4人以上児童)     22.2  8.0   12.0  3.2

   合計          100.0  100.0  100.0  100.0

  貧困人員/人口       9.9   3.9    17.7   1.7

       (社会保障研究所『社会保障の潮流』p.87 による)

 

 1899年のヨークの人口(75812人) うち貧乏線以上の生活を営む労働者階級(26452人)。そして 第1次的貧乏(7230人)、第2次的貧乏(13072人)、救貧院または慈恵院[アルムス・ハウス]収容者(612人)  計20914人(全人口の27.6%)と判明した(pp.489-)。(*これはチャールス・ブース『ロンドン市民の生活と労働』17巻1889~1903,の大都市ロンドンの人口の3分の1が非常に貧しい、という調査結果と対比される地方都市の貧困状況。)