幕末・明治維新略史

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福祉レジーム(2010.2.2)
 
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(1)エスピン-アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界 比較福祉国家の理論と動態』ミネルヴァ書房、2001年

pp.28-30

福祉国家レジーム

我々は福祉国家の階層化の状況や社会権のあり方についてそのバリエーションを国際比較していく。その際に我々は、国家、市場そして家族が多様に組み合わさって独自の仕組みを形成していることを発見するであろう。我々が発見する福祉国家の多様性は、したがってある単一の基準に沿ってそのポジションが.位置づけられるものではなく、レジームの類型によってクラスター化できるものである。

★(自由主義的レジーム)

そのうちの一つのクラスターにおいて、我々は自由主義的な福祉国家を見出す。自由主義的福祉国家において見られるのは、ミーンズテスト付きの.扶助、最低限の普遍主義的な(*所得の大小に関係なくニーズの有無に応じて給付されるサービス 引用者注)所得移転あるいは最低限の社会保険プランである。給付が主な対象とするのは、低所得で、通常は労働者階級の、国家の福祉に依存的な層である。(中略)

国家が最低限水準の保障のみを行うことを受けて自ずと市場の活動領域が広がる場合もあれば、より積極的に私的な福祉制度の補助金を出す場合もある。

その結果、こうしたタイプのレジームは、脱商品化効果(*労働者が賃金を得られなくなったときに、社会的な援助や給付を得て生活していける度合い 引用者注)が最小限のものとなり、一連の社会権は実質的に抑制され、その実現する階層化秩序はといえば、国家福祉の受給者たちの間では平等であるが低水準の福祉が、それに対して多数の通常の市民の間では市場における能力に応じた福祉がおこなわれ、両者の間には階級政治的な二重構造ができ上っている。このモデルに属する典型としては、アメリカ、カナダ、オーストラリアが挙げられる。

★(コーポラティズム的レジーム)

第二のレジーム類型は、オーストリア、フランス、ドイツ、イタリアなどのクラスターである。これらの国では、コーポラディズム的、国家主義的な歴史的遺制が存在したが、それがポスト工業社会的な階級構造に適応するように改善された。このような保守主義的あるいは強度に「コーポラティズム的」な福祉国家においては自由主義を信奉し市場の効率性や商品化に対して執着するという態度はあまり見られず、社会権を広く保障していくことに関しては、強い抵抗はなかった。顕著な特質は、職業的格差が維持されている、という点であった。諸権利は、したがって階級や職業的'地位に付随するものであった。(中略)

コーポラディズム的なレジームは、他方では教会の強い影響の下で作り出される場合もしばしばで、したがって伝統的な家族制度の維持のために大きな努力を払った。社会保険制度は、通常、未就労の主婦を給付対象に含めず、それに代えて母性を支援する家族手当を給付した。デイケアや同様の家族サービスが結果的にあまり発達しなかったのは、家族制度を維持するという意図が働いたからである。(中略)

★(社会民主主義的レジーム)

第三の、そして明らかに最も数の少ないレジーム・クラスターは、普遍主義の原理と社会権の脱商品化が新中間階級にまでその効果を及ぼしているような国からなっている。我々はこのクラスターを「社会民主主義」レジームと呼ぶことができよう。なぜなら、こうした国々では明らかに社会民主主義が社会改革を主導する勢力であるからである。社会民主主義勢力は、国家と市場、あるいは労働者階級と中間階級の間で二重構造がうみだされることを容認しない。社会民主主義勢力は、他の国々で追及された最低限のニードを基準とした平等ではなく、最も高い水準での平等を推し進めるような福祉国家を実現しようとする。第一に、サービスや給付の水準は新中間階級の高い欲求水準とも釣り合うだけのものに高められる。そして第二に、労働者にも、より裕福な階層が享受するのと同様の水準の権利に浴することを保障することによって、平等が高められる。(北欧諸国 スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマーク)




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(2)レジーム・タイプの特徴

(埋橋「福祉国家 福祉財政の国際比較」斉藤慎ほか編『福祉財政論』有斐閣)



★自由主義レジーム(代表国:アメリカ,カナダ,オーストラリア)

A.制度

・社会保障制度に占める選別主義的(*低所得の人を選び出して給付するサービス 引用者注)制度の割合が高い。

・社会保険制度のウェイトは低い。

・自由主義的な勤労倫理が強い。

・給付水準はつつましく,受給資格は厳格であり,福祉の受給には強いスティグマ感を伴う。

B.帰結・特徴

・社会保障給付は低所得層に重点的に提供される。

・脱商品化の程度は低い。

・国の生活保障は最低水準の保障にとどまり,国家は市場を通じての私的福祉システムを支援・育成する。

・社会的デュアリズム(二重構造〉が進展している。



★保守主義レジーム(代表国:オーストリア,フランス,ドイツ,イタリア)

A.制度

・職業別・地位別に社会保険制度が分立している。

・専業主婦はそれ自体として社会保険の被保険者から除外されている。家族手当は既婚女性の専業主婦化を促進する。公的対家族サービスは未発達である。

・私保険およびフリンジ・ベネフィットの役割は小さい。

B.帰結・特徴

・階層間格差の維持に重点が置かれるため,垂直的所得再分配効果は低い。

・市場効率や商品化の機能には自由主義タイプほど依存していない。

・国家の給付は,家族の各種扶養サービス機能・能力が枯渇した場合にのみ提供される。



★社会民主主義レジーム(代表国:スカンジナビア諸国)

A.制度

・各階層が単一の普遍的な社会保険制度に加入している。

・福祉国家施策は,普遍主義と脱商品化という2つの原理にそって編成されている。

B.帰結・特徴

・自由主義タイプのような低所得階層の底上げではなく,より高水準での平等化が推進されている。

・労働者階級と中間階級のデュアリズムは存在せず,肉体労働者もホワイトカラーあるいは公務員と同レベルの給付・サービスを享受している。・

・保守主義タイプと異なって,家族のキャパシティが底をついた場合に国が支援の手をさしのべるのではなく,家族(familyhood)維持のコストを社会化する。

・国家は家族構成員のニーズを充足するための給付・サービスの提供,女性の雇用進出を促進・支援するという重い社会サービス負担を負う。

・福祉と労働が提携している。このレジームでは,(福祉)国家が完全雇用の保障に本格的に関与する。完全雇用の維持を基調としており,その達成に全面的に依存している。


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(3)新川敏光
2章 新川敏光「福祉レジーム変容の比較と日本の軌跡」(抄)宮島洋ほか編『社会保障と経済1』



脱家族化p.31

(*男性稼得者モデルを想定すると、家族労働という無償労働に携わる女性は有償労働を行う男性への従属を余儀なくされる。そのような女性の状態を改善しようとするもの。家族そのものを否定するものではない。具体的には女性の有償労働を促進することのようだ)



4 福祉レジーム再編をみる眼



1970年代後半から、新自由主義が台頭し、福祉国家は時代遅れとみなされた。その背景には、資本主義システムの変化があった。ブレトンウッズ体制の崩壊があり、1980年代後半になると各国が競って金融自由化に乗り出す。資本の自由な移動のもとでは、資本流出を防ぐため、各国は競って財政赤字を減らし、企業負担を減らすため、「最底辺への競争」が生ずるという悲観論が生まれた。

ピアソンのDismantling the Welfare State(1994)。福祉国家発展の中で社会的多数派を受益者とする年金や国民医療サービスのようなプログラムは支持が強く、少数者のための、たとえば生活保護のようなプログラムは縮減圧力に晒されやすい。

エスピング-アンダーセンは、グローバル化が国内政治の選択の幅を狭めること、高齢化が財政的に大きな圧力であることを認めるが、自由主義、保守主義、社会民主主義によって政策対応は異なると主張した。

●(自由主義)

アメリカでは新自由主義戦略によって、労働の柔軟化を進めている。AFDCからTANFへの移行で、低所得・貧困層が福祉に依存することを困難にし、彼らを低賃金労働力として市場に駆り立てる。結果として、労働市場の二元化はさらに進行し、分断社会化が進む。中間階層の社会保障においても、 1970、80年代企業年金において確定給付型から確定拠出型の401kへの移行が進んだ。これは、実質的に正規雇用者の老後保障を侵食しており、中間層も痛んだ。

イギリスやオセアニアの場合、 1980年代以降、自由主義レジームへの収斂がみられる。1980年代から90年代を通じて、民営化や民間委託、労働市場規制緩和、雇用と福祉との関係強化と受給要件の厳格化、さらには年金の民営化などが進行した。1990年代中葉以降、労働運動の衰退とともに、新自由主義的な福祉国家となった。

●(社会民主主義)

スウェーデンでは、1970年代以降、社会サービスを拡充して雇用を創出してきたが、1980年代、手厚い雇用・賃金保障を行いながら、平価切下げによって競争力維持を試みた。しかし中央銀行の独立性を高め、財政規律を強化することになる。結果として、福祉国家財政は逼迫し、他方では低熟練、労働意欲の低下と高い欠勤率が問題となり、公共部門と民間労組との利害対立が顕在化し、経営者の賃金柔軟化への要求が強まっていく。その結果、1990年代、スウェーデンでは、賃金の柔軟化(中央交渉制度の崩壊)や拠出と給付の関係の強化(年金改革)、失業保険の資格の厳格化、若年者への雇用再訓練などが試みられた。

●(保守主義)

保守主義モデルの場合、失業率、とりわけ若年層のそれが深刻化した。これは、正規雇用者の賃金・労働条件が手厚く保護されており、それが経済成長の鈍化によって労働市場の硬直性として現れたためである。当初、この問題を男性稼得者モデルを維持しつつ、解決しようとした。その方策が早期退職制度の活用であり(ドイツが代表例)、女性の労働市場からの退出促進である(フランスに顕著)。しかしどちらの方策も、労働市場の硬直性を抜本的に是正しなかった。

保守主義モデルの是正がもっとも劇的に進行したのが、オランダ。1980年代後半まで女性の労働市場参加率が40%以下であったが、1990年代に入ると急速に上昇し、今日では70%近い。1982年ワッセナ合意以後、時短による賃金抑制、ワークシェアリングを進めて生産性向上と失業率抑制に成功したが、その鍵は正規と非正規雇用の垣根を低くし(女性の75%はパートタイム雇用)、1.5モデル(夫婦2人で1.5人分の所得)を開発し、それに対応した形で、職域ごとに分立した社会保障制度の抜本的改革を行ったことにある。

●(脱商品化抑制)

異なる福祉レジームに共通の方向性を見出すことができる。ひとつは脱商品化抑制である。年金への権利意識の強い保守主義諸国、ドイツやフランスでも公的年金支出抑制、拠出と給付の関係強化、個人年金活用の動きがみられる。スウェーデンにおける年金改革は、普遍主義年金を廃止し、報酬比例年金に一本化し、個人勘定(ただし公的年金の一部)を設けるものであり、市民権としての年金は姿を消した。アメリカやカナダ、さらにイギリスでは、私的年金の活用、リスクの個人化が、いっそう進んでいる。

拠出と給付関係の強化は、労働と福祉との関係強化を反映する。ここで目指されているのは、商品化や再商品化である。アメリカ流のワークフェアからオランダのフレクシキュリティ、スウェーデン流アクティヴェイションまでさまざまな戦略がみられるが、福祉が労働によって得られる資格であるという価値観の再注入が共通に確認される。そこにおける各国の違いは、雇用可能性を高めるため、教育再訓練にどの程度社会的投資を行うかにある。安価な周辺的労働力を生み出す政策や、より生産性の高い労働力を生み出そうとするプログラムまで、多様な再教育がみられるが、それは社会的統合をどのように再構築するか、社会的排除をどのレベルで克服するのかという問題と密接にかかわっている。

●(脱家族化)

保守主義諸国では、脱商品化抑制圧力に加え、脱家族化圧力への対応に迫られている。政府の児童給付や育児支援、介護支援政策の展開によって、現在では保守主義諸国における女性の労働力化は自由主義諸国と変わらないレベルに達している。



5 日本型福祉レジームの変遷



●(戦後から公的介護保険まで)

日本型の福祉レジームは家族主義モデル(*脱商品化が低く、脱家族化が低い)である。職域別に分立する社会保険制度をもつが、給付水準や資格は保守主義のように寛大ではなく、社会支出の対GDP比もアメリカと並んで低い。したがって、所得保障においても、私的福祉(特に企業福祉)の役割が、アメリカ同様に大きい。アメリカとの共通性は、公的福祉における脱商品化の低さである。もともと小さな政府をもち、社会保障支出が小さいため、それを補う形で私的福祉が発達している。しかし、わが国の企業福祉には、家族主義の色彩が強い。

戦後、1950年代から60年代初頭にかけて形成されたわが国の企業主義は、企業を労使の運命共同体、擬似家族として捉え、企業福祉も企業への忠誠を強めるために活用されてきた。ケアは、保守主義以上に脱家族化が低く、社会サービスは未発達であった。

経済のキャッチアップに次いで、福祉国家としてのキャッチアップが課題となった。1960年代後半佐藤内閣における経済社会発展計画(1967年)、新経済社会発展計画(1970年)。

1970年代中葉に転換した。福祉国家を否定するものとして日本型福祉社会が構想され、「適正規模の政府」を実現する理念として活用されるようになった。戦後日本の家族主義モデルは偶発的に生まれたが、日本型福祉社会論のなかで自覚的に選び直された。日本型福祉社会論において、私的福祉の中核は企業福祉であった。擬似家族としての企業の福祉供給機能を充実させることで、適正規模の公的福祉を維持しよう(抑制しよう)という考えが表明された。

1980年代には、福祉縮減を家族主義の強化によって実現しようとした。1982年の老人医療の有料化、1984年健康保険一部自己負担導入、1985年の年金改正における負担の引上げと給付抑制の方針化など。企業福祉と家族福祉機能への期待が高まる。1982年老人医療の一部自己負担が導入されると、厚生省は、在宅医療(介護)重視の方針を打ち出が、1980年代は、「増税なき財政再建」の時代であり、在宅医療・介護を支える公的支援体制を築くことはできなかった。公的支援のない在宅介護は、家族福祉への過重負担を強いる。

1990年代には、福祉見直しの動きは複雑になる。消費税導入とともに高齢者保健福祉推進10力年戦略(ゴールドプラン)が策定され、在宅介護と施設サービスの拡充が謳われ、それは1994年には高齢者保健福祉計画(新ゴールドプラン)へと引き継がれ、1999年その事業が終了すると、さらにゴールドプラン21が策定された。また2000年公的介護保険がスタートした。

●(少子化対策)

高齢化の真の問題は少子化である。1989年の合計特殊出生率が、1966年の丙午(ひのえうま)より低く (1.57ショック)、これを契機に、1990年から、仕事と子育ての両立支援などにむけた対策が検討され始める。1994(平成6)年12月、子育て支援の「エンゼルプラン」が策定され、保育所の量的拡大や低年齢児(0-2歳児)保育、延長保育等の多様な保育サービスの充実、地域子育て支援センターの整備等を図るための「緊急保育対策等5力年事業」などが示された。

1999年12月、「少子化対策推進基本方針」が決定され、この方針に基づき、「新エンゼルプラン」が策定される。これは、保育サービス関係、雇用、母子保健・相談、教育等の事業も加えた総合的な少子化対策を謳っていた。2002年の「少子化対策プラスワン」では、男性の育児への積極的参加を求めている。新エンゼルプランは、2004年には「子ども・子育て応援プラン」へと引き継がれる。

●(女性雇用)

1985年いわゆる「男女雇用機会均等法」が成立し、1999年には努力規定から禁止規定へと強化される。ジェンダー平等の観点が2000年施行された「男女共同参画社会基本法」で出された。同法は 、固定的な性別役割を見直し、女性差別につながる制度や慣習の見直しを含む。

男女共同参画社会の方針に則って、2004年の年金改革では、夫婦間の年金権分割、育児休業中の保険料免除措置が創られた。税制では、男性稼得者モデルに依拠した税制から中立な税制への転換が示唆される。政府税制調査会は2002年6月、配偶者特別控除の廃止を打ち出す。2003年6月の答申では、配偶者控除について片稼ぎを一方的に優遇することを批判した。

●(自由主義的脱家族化)

1990年代の日本は福祉縮減と福祉拡充が混在するケースになる。ここで脱家族化という軸を導入すると、明確かつ論理一貫的に理解できる。

1980年代後半はわが国では既婚女性をパートタイマーという安価な労働力として利用することは常態化しており、高齢者介護を家族(専業主婦)に全面的に委ねるのは無理であった。しかし、アメリカのような安価な介護労働力がなかったので、市場によって家族福祉の機能低下を補うことは不可能であった。そこで、政府が社会サービスを提供して、家族機能の弱体化を補い、脱家族化を促進することが不可避であった。

わが国では政府のイニシアティヴによって安価な介護労働市場が創り出されている。つまり政府介入を通じて、自由主義的脱家族化を促進している。1990年代後半からの労働市場規制緩和(労働法制の見直し、労働者派遣法改正など)は、女性に限らず周辺労働力を拡大し、労働市場の二重構造を拡大するもので、自由主義化政策である。1999年労働基準法改正による女性保護規定(女性の時間外労働および休日労働に関する制限または禁止に関する規定)の撤廃なども、使用者側に女性労働を使いやすくし女性雇用を促進しよう(女性の雇用可能性を高めよう)というもので、自由主義化といえよう。

●(正規雇用の自由主義化)

公的な社会保障の縮減に対して企業福祉が補完するという日本型福祉社会論の想定は、1990年代後半には崩れた。長期不況から企業福祉は縮小している。その中核である企業年金をみても、税制適格年金を廃止する動きが目立ち、2002年には企業年金法の改正が行われ、また厚生年金基金の解散要件緩和や日本版401kの導入など、経営者負担を軽減する動きがあった。これは、1990年代後半の終身雇用や年功制賃金の見直しの延長線上にあった。

雇用の柔軟化は、大半の正規雇用者の生活保障水準を引き下げた。1980年代の労働市場政策は、正規雇用の精鋭化と周辺労働力の拡大というデュアリズムであったが、1990年代後半のデュアリズムの拡大、格差社会化という現象は、非正規と正規雇用の保障を崩すもので、男性稼得者を守る保守主義戦略ではなく、自由主義レジームの方向にむかう戦略であった。



以上、1990年代の日本においては、男性稼得者モデルからの離脱(脱家族化)と、自由主義化(商品化の促進と社会的保護の引き下げ→脱商品化の抑制)が同時平行的に進行した。長期的に、わが国の古い家族主義レジームが生き残る可能性はきわめて低い。他方、自由主義によってわが国の社会的統合が維持されるとも思われない。■