幕末・明治維新略史

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経済成長と社会連帯の両立(ボワイエ『ニュー・エコノミーの研究』2002、藤原書店、pp.302- 訳者解説)

 北欧モデルについて最初に指摘すべきは、ICT(情報通信技術)革命と経済成長を結びつける仕方がいわゆるアメリカ・モデルつまり「ニュー・エコノミー」モデルと根本的に異なっていることです。本書のなかで繰り返し指摘されているように、基本的にアメリカ・モデルは、労働市場の流動性、株主価値重視の経営、ベンチャー・ビジネスによる新技術・新商品の開発、株式市場での資金調達を土台にしています。それらが一体となってモデルを形成しています。したがって、ICT革命による経済成長といえば、誰もが柔軟な労働市場をイメージするような状況になっています。しかし、労働市場の柔軟性は、ICT革命の前提条件ではまったくないのです。その例が、デンマーク・モデルです。

 デンマークは人口550万人足らずの小国ですが、経済のグローバル化の与件をしっかりと国内経済運営のなかに取り込みつつ、独自のパフォーマンスを発揮しています。つまり、ローテク部門からより高度な産業分野に雇用を移動すべく、企業による解雇は頻繁であるけれども、その一方で解雇された人びとはただちに厳しい市場原理に委ねられるのではなく、地方政府、企業そして中央政府など社会的パートナーが一体となって再就職のための技能研修、職業教育に取り組んでいます。その再教育の間、最長四年まで以前の給与の80%が保障されています。その結果、解雇、失業問題が人びとに与えるショックは制度的に緩和されています。

 また、教育コストは基本的に大学を含めて無償であるため、教育の機会の平等が実現されています。こうした教育の平等、個人の社会参加の平等とICT革命の実現という組み合わせは、アメリカ社会と大きく異なっている北欧モデルの特徴です。

 労働市場の柔軟性と社会保障制度の充実を両立させているのが、デンマーク・モデルの特徴です。フレキシュキュリティとは、柔軟性+社会保障を意味しています。当然このモデルでは社会保障支出が増大する結果、国民の税負担は増大します。いわゆる「高福祉・高負担」の問題ですが、国民は全体として高負担に不満を抱いていません。それは、高負担に見合う高水準の福祉が実現されているからです。とにかく、デンマーク・モデルは、技術革新を受け入れつつ、社会的連帯を維持しています。それが可能な原因として、宗教的、倫理的背景を考えることができます。人間関係がアトム化している現代社会ですが、プロテスタント的な近隣関係にもとづく人間関係は決して喪失されていない。

 また、先の失業→失業手当→再教育のサイクルも最長四年間に限られています。それは、労働組合への加入率が依然として高水準を維持していることによって可能な労資妥協にもとづくいわば、アメとムチの組み合わせになっているわけです。

 こうした特徴をもつデンマーク・モデルですが、いくつかの弱点をもっています。ひとつには、若い人たちには個人主義の傾向が現れていて、高負担に対する疑問が出されるようになっています。これは、若年者への社会給付の充実によって基本的に解決しうる問題ですが、ともかく若者の要求が制度的に十分吸収されていない側面があります。

 より大きな問題は移民問題です。デンマークは他のEU諸国と同様に労働人口の七~八%を移民に依存しています。デンマーク・モデルのなかにこれらの大量の移民の人たちは制度的に統合されていません。それどころか、移民はデンマーク人の雇用を奪っているという極右の議論が高まっています。■