幕末・明治維新略史

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エルバーフェルト制度小野修三(商学部) 三田評論93.3月号 研究余滴

 

 戦前の方面委員、戦後の民生委員は今日の用語で言うところの公私協働を理論的根拠とする福祉制度の一つであるが、私はその方面委員制度が大正七年(一九一八)わが国で誕生する前後の出来事に興味を抱き、数篇を日吉紀要等に発表してきた。

 これまで私が目にしてきた文献、とりわけ制度何十年史といった類の出版物においては方面委員制度とドイツのエルバーフェルト制度との関連が必ず指摘されるが、実際にエルパーフエルト制度がどんな内実のものであったのかについては多少の言及はあっても、日独間でどんな交渉があったのか、また同制度はドイツで今でも続いているのか等を教えてくれるものは皆無だった。

 エルバーフェルト制度とは1853年にドイツ・ライン地方の、現在はブッパータール市の一部となっているエルバーフェルトにおいて始まった、私人が無給で(名誉職として)区割りされた地区の救済委員として公的な資金(税金)の運用をも任せられて活動する制度であった。

 私はたまたま九二年四月から一年間同じライン地方のボン大学日本学研究所て教える機会に恵まれ、ボンとブッパータールとは鉄道で一時間ほどの距離だったので一度訪れ、もし今でも行われていればその活動の現場を拝見したいと思っていた。

 結論的にはこの制度はブッパータール市で今でも生きていて、私がお自に掛かることのできたプッパータール大学社会学教授G・ダイムリング博士は、この制度の歴史に詳しく、かつ長く実際の活動に携わり、現在五二の地区に分割されている同市の一つの地区の長を務めておられた。

 今日エルバーフェルト制度が存続しているのはこのプッパータールと日本だけだと、日本のこともご存知だったタイムリング教授は、私を地区の会合(本年四月五日午後七時から)に来ないかと誘って下さったが、帰国を延ばすことができず、ご好意を無にしてしまった。

 しかし同教授からは井上友一『自治之開発訓練』(大正元年)のなかのエルバーフェルト制度に関する説明の個所で、井上が「婦人の訪問係」としてあるのを当初委員は男性だけであったこと、また私の質問に答えて同制度の精神はリベラリズムとは正反対のものであったこと、さらに大正時代に日本に移植されたことに関しては同制度の研究者であり、かつその普及に努めたエミール・ミュンスターベルクの影響があったのではないかなどの指摘をいただき、幸せであった。

 とは言え今思えば私はまったくの勉強不足であった。留岡幸助はその明治36年十一月十七日の日記のなかで、「早朝起キ出デ、8時七分ノ汽車ニテDueasseldorf市ヨリエルバーフエルト市ニ往キ、九時二着セシ・…。『エルバーフェルド・システム』ヲ産ミ出セシ、ホン・デル・ハイト氏ノ親戚ヲ…訪へリ」と記しているのを私は帰国後初めて知った。私自身留岡の掌の上をまだ一歩も出ていないのだった。