幕末・明治維新略史

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米国福祉政策の変転(2013.5.22)

――米国に留学した経済学者が推奨する福祉政策――



<アメリカのウイレンスキー=ルボー『産業社会と社会福祉』(1958年)では、「残余的社会福祉(レジデュアルな福祉)」は、家族や市場が順当に機能していないときには拡大するが、家族や市場が順当に機能しているときには縮小し、背景に引き下がるものとされる。「制度的社会福祉(インスティテューショナルな福祉)」は、家族や市場の状態によらず社会にとってなくてはならない活動として制度化されたものである。そして、社会福祉は「残余的福祉」から「制度的福祉」に発展していくとされている。おそらくニュー・ディール改革によって、それまでの「残余的福祉」が恒常的な「制度的福祉」となり、戦後も引き継がれている、という認識であろう。ところが戦後、米国保守主義は反ニュー・ディールを唱え、「制度的福祉」を批判するようになった。その発想に沿って社会福祉を制限する社会福祉改革は民主党クリントン政権が実行した。だから、レーガン政権やクリントン政権以降の時代に留学した人たちは、経済学、社会福祉を問わずに反ニュー・ディール、自立・自助優先の政策思想の影響を受けたと思われる>


●共和党ニクソン政権(1969~1974年)

 ニクソンは1969年の演説で「ワークフェア」という言葉を普及させた。(ワークフェアでは、幾つかの条件を満たさないと受給できなくする。その条件とは、たとえば訓練、リハビリ、就業体験などによって受給者の就業見通しにつながるような活動をしていることや、無償労働やわずかな報酬の仕事などのコミュニティ貢献をしていることである。このようなプログラムは、オーストラリア(相互義務)やカナダや英国で普及している。オランダのワークフェアは「仕事第一」として知られ、米国のウィスコンシン州の事業を真似たものである。ワークフェアのタイプとして、福祉受給をやめさせ就業させるものと、福祉受給と同時に訓練や教育で人的資本を向上させるもの、という二つがある。"Workfare" WIKIPEDIA)


●民主党ケネディ政権(1961年から1963年)

 国内政策を「ニュー・フロンティア政策」と総称した。教育への連邦政府支出、高齢者医療保険、政府による景気対策、人種差別法案の撤廃など提案。

 アイゼンハワー政権末期から始まった不況への対策として、失業手当の13週間延長、失業者の子供への補助金、早期退職を奨励するための年金増額、最低賃金の向上、スラム再開発のための政府融資などの法案を通過させた。しかし財源不足のため、公共事業などへの投資の縮小をもたらし、不況を後押しし、政府の債務を増加させた。

 1935年に社会保障法で成立していた「要扶養児童扶助 (ADC)」が、1962年に改名された「要扶養児童家族扶助 (AFDC)」ができた。これがのちに「福祉が家族を解体した」と批判されるようになる。



●民主党ジョンソン政権(1963~1969年)

 「偉大なる社会」計画、「貧困との闘い」は、アメリカの福祉国家化を一段と進めるもの。「偉大な社会」計画は、黒人公民権、「貧困絶滅戦争」=「貧困との戦い」(WAR ON POVERTY)、教育改革の3本の柱からなった。経済、社会、文化、科学などさまざまの分野で偉大な社会をつくり上げようというもので、主な施策は次の通り。貧乏追放計画、年収3000ドル以下の低収入家族の収入を引上げる。失業青年を訓練する。失業者、貧困農民に補助金を出す。アパラチア、ミネソタ、ミシガンなどの窮乏地帯を振興する。経済繁栄維持政策として物価安定、輸出振興、農業政策拡充、所得税減税、公共支出増加などの景気対策を行う。機会の平等化政策として老人の医療保障、黒人差別禁止、移民制限撤廃、貧困家庭子弟の教育補助など。生活の質的向上策として保健施設拡充、新しい都市計画、交通・運輸機関の整備、犯罪防止、自然美保護、生活の科学振興などであった。しかし、ベトナム戦争が激化するにつれて、福祉計画に向けられるべき予算は押えられて、黒人の暴動も激しくなり、偉大な社会の影は薄くなっていった。

 1964年「フードスタンプ制度」という貧困者に対する食券による食料補助制度などが導入された(低所得者向けに行われている食料費補助対策。公的扶助の1つで現在の名称は「補助的栄養支援プログラム」(SNAP)。

1965年「メディケイド」や「メディケア」(メディケイドは、連邦政府の援助を受けて各州政府が管轄しており、受給の対象となる経済上の基準や受けられるサービスなどは州によって異なる。当初、母子家庭を救済する目的で創設されたが、現在では失業者や高齢者、障害者なども受給の対象になっている。メディケイドの受給資格があるのは、市民権取得者または永住権(グリーンカード)保持者だが、永住権保持者は取得から5年以上経っている必要がある。メディケアは高齢者や障害者を対象)。


●民主党カーター政権(1977~1981年)

 後期にFRB議長に就任したボルカーが「マネタリストの金融政策」の採用を決めた。高金利と深刻なリセッションになり、多大な犠牲を払ってインフレ抑制に成功。その成果は、レーガン政権で出た。

<http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292594.html池田信夫 ケインズ派とシカゴ派の論争は、理論的にも実証的にも70年代にほぼ決着し、80年代にはシカゴ派よりもさらに過激な「新しい古典派」が学問的には主流になった。ところが東大では、宇沢氏が「合理的期待一派は水際で阻止する」と公言して、そういう研究者を東大に帰さなかったため、日本ではケインズ派がながく生き残り、90年代には巨額の「景気対策」が行われた。現実の政治でも、80年代にはサッチャー首相やレーガン大統領がフリードマンの理論を政策として実行したが、日本ではその理論さえ知られなかった>。



●共和党レーガン政権(1981~1989年)

 主要な政策は、「30%の所得税減税」「規制緩和」「福祉政策の地方への委譲による分権化」「自由経済ゾーンの設置」「人工中絶禁止の憲法修正」「男女同権憲法修正の阻止」「北米貿易圏の実現」などで、ニュー・ディール体制から決別。

 <伝統主義者の完全な自由放任とは違い>本当に政府の保護を必要とする者に対して政府は手を差し伸べるべき、という発想であった。しかし1930年以降の福祉プログラムは過剰で、家族の生活を崩壊させ、労働倫理を空洞化し、人々の自尊心を傷つけてきた。貧困は公正な経済システムを構築することで解消できる、と主張。

 レーガノミックスには、市場機能をゆがめるとして組合運動に反対すること、インフレ抑制のためには通貨供給量を管理すること、失業保険給付は労働者の市場復帰を阻害するので縮小すること、労働市場の流動化を進めること、などがある。リバタリアンやサプライサイドの経済学が主張する規制緩和も実施。

 1988年家族援助法(FSA)。労働可能な母親は,最低、パートタイムで働くことによって自分の子どもを育てる責任があるというものである。3歳以上の子を持つ労働可能な全ての成人は,雇用機会と基礎訓練プログラムに登録し,週20時間以上の教育・職業訓練・職探し・雇用上訓練に参加することを要求される。またFSAは,同居していない子どもへの養育料を払わない親に対して養育費を強制的に取り立てる児童養育強制履行制度を施行したのだった。税金や失業保険から養育費を天引きすることが実施されている。



●民主党クリントン政権(1993~2001年)

 大統領選挙への出馬表明のなかで、中産階級が被っている不当な重荷――負担は重いのに受けている利益は少ない――に対して連邦政府が全く目を向けていないという現状認識から議論を始め、政府と国民との間で新たな責任の分担の「新しい誓約」にふれた。

 現在の福祉制度が依存の体質を植え付け、一つの生活様式になっている現状を改めるため、福祉が二年間だけ教育・訓練・保育の手助けをするのに止める。二年後、彼等は可能な限り、公的・私的部門で職場を得て労働し、依存体質から脱却できるようにすべきだという見解である。従って、福祉もまた労働のためのものとなる。この議論は保守・中道として常識的なものであるが、りベラルと一線を画す。この保守・リベラル双方に向けられた批判は、金持ちも貧しい者もそれぞれにタダ乗り、タダ飯は許されず、然るべき責任を全うしなければならないという議論。金持ちは税金をより多く負担することによってその責任を果たし、貧しい者は独り立ちすることによって責任を果たさなければならない。

 公的投資によるインフラの整備、民間投資に対する投資税額控除、富裕層への増税、生涯教育、医療保険制度改革、中産階級への減税など、は成長のための構造的課題のための総合的戦略である。民主党の綱領にあるように、「高賃金・高技能を伴い、成長する自由な経済こそ、アメリカの持ち得る最も重要な家族政策であり、都市政策であり、労働政策であり、マイノリティ政策であり、外交政策」に他ならない。



 1996年福祉改革法(クリントンは1992年の大統領選挙のキャンペーンの時に,「我々にお馴染みの社会福祉を終わらせよう」と,福祉改革を進めることを公約していた)。

 1935年に社会保障法で成立していた「要扶養児童扶助 (ADC)」が、1962年に改名された「要扶養児童家族扶助 (AFDC)」となった。扶養を要する18歳以下の子どもを持つ貧困家庭を対象とする援助プログラムで,連邦政府が州に補助金を交付し,各州がそれぞれ独自の基準によって運営するものだった。各州の基準に基づく現金給付,就職奨励プログラム,就職斡旋サービス,保育を含む。対象家庭の大部分がシングルマザーである。1970年には18歳未満の子どものいる家庭の11%がシングルマザーだったが,1990年には24%に増えた。シングルマザー急増の理由は離婚と未婚の母の増加である。シングルマザーのうち,離婚によるものが38%,未婚によるものが33%。このような理由によるシングルマザーの増加,とくに未婚による増加は,シングルマザーに対する反発を引き起こし、アメリカの家族を「崩壊」させつつある元凶といわれた。そして、このようなシングルマザー増加の一因は,安易に援助を与える社会福祉である、という愚論を引き起こした。社会福祉が貧困の原因であるとするこのような見方は,AFDCの受給を厳しく制限し,急増する社会福祉費用を抑えようという改革に「正当な理由」を与えた。(http://www.sanseiken.or.jp/forum/55-kouza.htm 杉本貴代栄)
 福祉改革法とは「個人責任と就労機会調停法(PRWORA)」である。PRWORAの成立によりAFDCは廃止された。PRWORAとは「TANF貧困家庭への一時扶助」「子どものためのSSI」「児童養育強制履行制度」「市民以外への福祉」「児童保護(養子・里親)」「保育」「子どもの栄養」「フードスタンプ」の8領域と「その他」である。「その他」は,未婚の妊娠を減少させることを目的とする領域である。
 福祉改革の特徴。ア)エンタイトルメント(権限)としての社会福祉に終止符が打たれた。AFDCのもとで連邦から州へ支給される補助金には上限はなかったが,TANFのもとでは連邦の州への補助金は総額に上限を設けた一括補助金(ブロックグラント)とされた。イ)受給者を厳しく制限した。TANFが受給期間を有限にし、就労条件を厳し、受給者の範囲の制限を強化した。SSIの受給資格をアメリカ市民以外の移民等には制限し,障害を持つ子どもの障害の範囲を制限した。移民に関しては,TANFの受給資格も制限した。
 福祉改革法の目的は,労働能力のある成人が福祉に依存することをやめて,就労によって個人と家族の責任を果たさせることにある。「個人責任と就労機会調停法」の名称のように,貧困を個人の責任として追求することを強調している。基本的には,個人と家族の行動を修正することによって貧困を減少させるという考えに立脚している(http://www.sanseiken.or.jp/forum/55-kouza.htm 杉本貴代栄)。


(なお、英国でもブレア政権で福祉国家路線の見直しが始まり、1997年ニュー・ディール・プログラムで福祉システムの改革がおこなわれた。扶助受給者に求職をさせることで雇用増進を図ったが、これはワークフェア・システムに似ていた。また、低所得層の所得税控除も導入した。最近の福祉改革としては2007年福祉法で、雇用、支援手当、拠出による手当、所得比例手当などを導入したWIKIPEDIA。2007年シンガポールでは「ワークフェア助成金」という所得助成ができた(遠藤聡)。)



●共和党H.W.ブッシュ政権(2001~2009年)

 2000年の大統領選挙ではブッシュは大幅な減税、社会保障制度の民営化とメディケア制度の一部民営化を主張した。これに対して民主党ゴアは、『私は再び大きな政府の時代を見たくない』と宣言した。経済問題、教育問題、年金問題、医療保険制度など両候補の間にそれほど大きな主張の差はなかった。政策の違いがはっきり出たのは減税政策で、ブッシュは政策の柱に減税を据えた。

 「2001年経済成長・税救済調整法」で、所得税、相続税減税。アメリカの財政収支を再び巨額の財政赤字へと追いやる転換点になった。

<アフガニスタン紛争 2001年9.11がきっかけ>

 政権発足直後からのレーガン離れ、保守主義離れで保守主義者が離反した。政府から保守主義者やネオコンを次第に排除して行った。

 ブッシュ政権は、保守主義者が嫌う「福祉国家政策」を推し進めた。メディケイド予算の充実、失業保険給付期間の延長。さらに増税で保守主義者と決裂した。

 2002年にブッシュは、政府は「人々が自立し、お互いを助け合うように奨励することはできる」と述べた。信念に基づいて行動する教会やボランティア組織、コミュニティ組織の福祉活動の促進を、政策の中心に位置づけようとした。

 2003年に保守主義者の反対を押し切って、20年間で2兆ドルの資金が必要となるメディケア制度の改革を行なっている。保守主義者は、メディケア制度の改革を批判した。失業保険給付期間を延長した。

<イラク戦争2003年~2010年>

 2004年大統領選挙は勝てそうもなかったので、ブッシュは景気刺激のために大幅減税提案を行い、財政赤字縮小を求める民主党と対決した。

 2004年度予算では「弱者に対する思いやり」と、個人の自己責任と社会の秩序を求める「保守主義」は両立しにくいことを示した。「コチコチの共和党」へと変貌した。職業訓練、公共住宅関連、環境保全、都市開発に対する財政援助を削減し、大きな財政負担となっているメディケアの民間や州政府への委譲を進めることや、貧困層に対するメディケイドは資格審査を厳しくする方針なども提案している。年金の民営化を進める。減税で財政赤字が拡大すれば、ニュー・ディール以降肥大化した福祉予算を削減する、というのが、保守派の戦略なのである。

 2008年、ブッシュ大統領はフードスタンプ制度の受給資格を拡大する農業法案に拒否権を発動したが、下院議会は大統領拒否権を覆す大差で法案を可決した。また不況を背景に2008年度以降も受給対象者は増大する。2012年大統領選挙において、制度の拡大を提唱しているバラク・オバマ陣営と、縮小を主張している共和党側で争点の1つになっていた。



参考文献

中岡勉『アメリカ保守革命』中公新書ラクレ、2004年

佐々木毅『アメリカの保守とリベラル』講談社学術文庫、1993年

http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-16.htmlオバマ政権の対日政策

http://agora-web.jp/archives/1345966.html池田信夫