私の「活動日記」です!
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(2006年4月分)
● 4月29日 (土曜日)
国立近代美術館で 「藤田嗣治展」 を鑑賞しました。
今日から連休がスタートです。例年の事ですが、5月1日のメーデーや3日の憲法記念日の集会に
参加する以外は、特別な予定はありませんが、今日は、時間を決めた予定や約束もなかったので、急
遽、前々から行きたいと思っていた「藤田嗣治展」に出かけました。
竹橋にある会場の国立東京近代美術館には、10時半ごろ到着しましたが、既に大変な込みようで
した。中に入って、人ごみの頭の上からの名作の数々を駆け足で鑑賞しました。ついでに、この美術
館の「常設展」の方にも寄って見ました。重要文化財になっている『エロシェンコ像』など絵画や彫
刻がいっぱい展示されていました。こちらは閑散としていたので、ゆっくり鑑賞できました。
午後からは、家で名簿を整理し、夕方からは事務所で区政報告ポスターの作成をしました。
会場の入口で記念写真。 背後の作品は、名作の一つの 「カフェにて」。
● 4月28日 (金曜日)
7月7日に 「護憲共同候補擁立」 のシンポジューム開催。
教育基本法が改悪法案が、ついに国会に提出されました。いよいよ、改憲も射程距離の中に入って
きたという感じがします。来年7月の参議院選挙が一つの正念場になりますが、今夜、一ツ橋の日本
教育会館で護憲共同候補擁立に向けての話し合いが行われました。これに先立って、中心的なメンバ
ーによる記者会見が行われ、7月7日に大規模なシンポジュームを行って、一挙に世論の喚起を図る
ことも明らかにしました。来年の参議院選挙では、ひとりでも多くの護憲派議員を国会におくりたい
ものです。
● 4月26日 (水曜日)
新聞の集金で、田舎のタケノコなどをいただきました。
今年は去年に比べて花粉の量は格段に少なかったために、随分楽でしたが、私は、どういうわけか
日曜日から月曜日にかけて、目の辺りが赤く腫れ上がってしまいました。花粉の影響かどうか分かり
ませんが、症状はまさしく花粉症そのものです。昨日あたりからようやく、腫れぼったい状態はおさ
まってきましたが、会う人ごとにどうしたのかと言われています。そういうことで、外で演説をする
のは、ちょっと気が引けていましたが、しかし、昨日に引き続き、今朝も意を決して一時間ほど四谷
三丁目駅で区政報告やら、国会の最近の状況などについて私たちの考え方などを訴えました。
駅頭で話をしている間は、全然、何んの症状も生じませんが、終わった後は、何故か、涙やらクシ
ャミやらが次々と出てきます。不思議です。
建築偽装事件で今朝、8人が逮捕されました。新宿区内にも、姉歯設計事務所が設計し、イーホー
ムズが確認を出し、シノケンが建設した耐震偽装のマンションが早稲田に建てられましたが、その後
どうなっているか建築課長に問い合わせをしたら、現在、解体中だということでした。
今日は午後からずっと『週刊・新社会』の集金をしました。ある知り合いのところに集金に行った
ら、ちょうど田舎からタケノコやフキが送られてきたというので、それを大分いただいてきました。
こんな事があると、なんだかほんのりとした気分になってきます。
● 4月25日 (火曜日)
四谷三丁目駅で、教育基本法改悪反対などの訴えをしました。
今日はくるくるとめまぐるしく天気が変わりました。昼前後に集中豪雨があったので、3時半から
予定していた四谷三丁目駅での宣伝活動は中止せざるを得ないと思っていましたが、突然からりと晴
れたり、又、雨模様になったりして判断が付かないでいました。しかし、3時過ぎには晴れ模様にな
ったので、予定通り実施しました。景気との関連で新宿区内でも所得の二極化現象が起こっている問
題や教育基本法の改悪法案が提案されようとしていること、憲法改悪ための国民投票法案を巡る問題
などについて訴えました。いつもの事ですが、駅頭で一時間も演説していると知り合いが随分通り過
ぎていきます。久し振りに会う人もいたりして、びっくりしたりします。
夜は、来年7月に行われる参議院選挙の東京選挙区の候補者問題について何人かの人たちと意見交
換をしました。今日は、JR尼崎事故の一周年を記念する集会が日本教育会館で開かれ、そちらに出
席したかったのですが、残念ながら出来ませんでした。
● 4月24日 (月曜日)
新宿御苑のタヌキが、隣接の内藤町に出没。
新宿御苑に隣接した東側には、内藤町の住宅が建ち並んでいます。最近、この住宅地の庭に新宿御
苑に住んでいると思われるタヌキが出没しているそうです。
大分前から下落合の緑豊かな屋敷地にもタヌキが現れ、デレビで放映されたりして話題になりまし
たが、この屋敷は売却され、マンション画家建設される事になったために樹木は次々と伐採され、区
議会でも大問題になっています。
新宿御苑の場合は、国民公園で環境省が管理しているので、樹木が大規模に切られる事はないと思
いますが、ただ、苑内に駐車場が造られた際に、ここにあった大きな空洞部分を持ったある樹木が切
られたために、内藤町の方は、小動物の生態に何がしかの影響があったのではないかと心配していま
した。
今日は、機関紙『週刊・新社会』の配達日ですが、朝から私が配達を担当している100部前後の
新聞を配って歩きました。
午後から、議会の情報公開、個人情報の保護に関わる問題で区民の方と意見交換をしました。
● 4月23日 (日曜日)
現在は、「戦後二番目に長い期間続いている好景気」(?)
朝9時半から東京土建新宿支部の第51回定期大会が新宿区西新宿の産業会館で開かれました。案
内をいただいていたので出席し、お祝いの挨拶をしました。挨拶では「景気」の問題について触れま
した。政府の報道によると、いま続いている「好景気」は、52ヶ月目に入っており、戦後二番目に
長い期間、良好な状態を維持しているのだそうです。私たちには、全然その様な実感がなく、「一体、
何処の国のハナシか」と言いたいくらいですが、統計上は、要するに「好景気」らしいのです。
今日の新聞によると、全国の「家計の金融資産調査」では、貯蓄がゼロの世帯は、22.8%にも
のぼるそうです。これが「戦後二番目に長い期間続いている好景気」の実態です。好景気の恩恵に浴
しているのは、超大企業か年収が数千万円、数億万円のごく限られた高額所得者だけなのです。
東京土建に結集して仕事をしている人たちも、現状では、好景気とは全く縁遠い状態のようです。
午後から、内藤町の「街づくり協議会」の定期総会に出席しました。内藤町の地区計画は「保全型
」と言われているものですが、これは都内でもまったく珍しい住民の取り組みによる成果です。開発
型の地区計画はあっちにもこっちにもありますが、自分たちの権利を大幅に制限した「地区計画」は
都内でもごく数例しかなく、新宿区内では内藤町だけです。
総会は短時間で終わりましたが、地区計画の本質的に関わる意見も出され参考になりました。
● 4月22日 (土曜日)
有事法制に関する 「国民保護計画」 について学習会。
昨日の夜遅く帰宅。家を完全に留守にしたので、「留守電」に伝言がいっぱい入っていました。
今日は、10時から八丁堀の新社会党中央本部で選挙対策会議が行われました。選挙は、国会議員
選挙の場合、供託金を支払うのだけでも候補者一人当たり600万円もかかります。わが党は、いわ
ゆる「政党助成金」を受け取っていないので、いつも財政的には大変厳しい状態に置かれています。
ポスターやその他の印刷物を作る際にも先立つカネをどうするかが大問題になります。小政党の悲哀
のようなものですが、クヨクヨしてもしょうがありませんから、この悲哀を痩せ我慢をしながらしみ
じみと味わっています。
午後は、「四谷・九条の会」の学習会に出席しました。「国民保護計画」に関するものですが、講
師を務めた若手の弁護士の説明・解説が実に平易でよく理解できました。新宿区も今年度、有事の際
に区民を保護するという大義名分で「保護計画」を作ることになっています。恐らく荒唐無稽な計画
になる筈です。私は、今年の予算委員会で「こんな計画は茶番劇だ」と批判しましたが、今日の解説
を聞いて益々その思いを強くしました。
(この問題については、「私の主張」の欄に批判記事を掲載してありますのでご覧ください。)
● 4月18日 (火曜日)
「助役」 や 「収入役」 の名前がそのうちになくなります。
大体どこの自治体にも、市町村長がいて、その下に助役、収入役がいます。しかし、これが変わり
ます。現在、地方自治法の改正案が国会に提出されていますが、これが可決されると、一定の経過期
間をおいて、助役は、副市長とか、副町長、副村長になります。また、収入役はいなくなります。
今日午前、区議会の地方分権委員会が開かれましたが、このようなことを決めた地方制度調査会の
答申や地方自治法改正案について質疑をしました。監査委員についても改正されます。また、議会に
付いても、権限を拡大する方向で幾つかの改正が行われる事になっています。
午後からは、「第二次議会改革を進める小委員会」が開かれました。新宿区議会は、議会改革とい
うことでは、各方面から注目されるような業績を残していますが、改革には終わりがありません。
この小委員会には、私からも新たに「区議会モニター制度の創設」「文書質問の制度化」「議会に
おける議決事項の拡大」等の提案をしていますが、一層改革を進め、全国の議会が私たちの新宿区議
会に学ぶと言うような状況を作れればいいなあと思っています。
今日、昼ごはんは伊勢丹からちょっと路地を入ったお馴染みの定食屋さんで取りました。久し振り
にニシンの塩焼きを食べました。とても美味しかったです。たまたま、デジタルカメラを持っていた
ので、すぐ近くの「どん底」の看板と「末広亭」の入口を撮って帰りました。
明日から、所用があるので、二泊三日の予定で連れ合い共々田舎に行ってきます。
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● 4月17日 (月曜日)
来年の区議選に向けて、印刷物などの打ち合わせをしました。
ちょうど一年後の来年四月には「統一自治体選挙」が行われます。新宿区議会議員選挙も実施され
ますが、今日は、その準備のために、いつもお願いをしているデザイナーや印刷会社の担当者とポス
ターの作成など印刷物の打ち合わせをしました。私が作る印刷物は、私が相当程度、具体的な部分ま
でレイアウトをして詳細に指示するので、担当者の方は、本当かどうか分かりませんが、「非常にや
り易い」のだそうです。専門家に全て任せれば、もっと垢抜けたいいものが出来るのかも知れません
が、いまだに「私のほうがセンスがいい」と思っているので、なかなかそうはいきません。困ったも
のですが、ただ、私がデザインした作品の評価は決して低くないと、自分では妄信しているのです。
今日の夕方、四谷三丁目の丸正本店前で一時間ほど「区政報告」をしました。全然寒くもなく、そ
れに風もなかったので、それなりに快適に話すことが出来ました。
丸正前で話をしていると、顔見知りの人が次々と通っていきます。若い頃は、恥ずかしくて逃げ出
したい気持ちがしましたが、いつの頃からか、全然その様な羞恥心がなくなってしまいました。考え
てみれば、実に「恐ろしい事です」。
● 4月15日 (土曜日)
チラシ配付、それに 『国家の品格』 『男はつらいよ』 。
午前10時過ぎから3時間ほど自宅に近い大京町一帯に、私が定期的に発行している「こんにちは
社会党です」を1000枚ほど配って歩きました。先週3000枚配付したので、これで私の責任配
付枚数は終了しました。少々風邪気味で体調が悪いので、午後は家で藤原正彦の『国家の品格』を読
んだりして過ごしました。先日、息子が置いていったものすが、随分評判になり、ベストセラーにな
った本です。小学校から英語を教える事が「国際人」になる近道などと思うのは、愚の骨頂。国際感
覚を持った本物の人材を育成したいならば、国語を徹底的に教え込む事が最重要課題〜、などと言う
記述が随所に出てきます。このような考えには共鳴できますが、全く理解が出来ないような独りよが
りの主張も羅列されており、なかなか”面白い本”だと思いました。
夜は、テレビで「男はつらいよ」を見ました。NHKは、BSで寅さんの48作を全て放送するこ
とになっており、既に20作ぐらいは放送済みですが、今夜はファンが選んだ寅さん映画の人気投票
で第一位のになった第一作目の作品の「スペシャル放送」でした。主演の渥美清は、権力を嫌い、地
方のロケでも知事や市長や大臣など政治家には絶対会おうとせず、飲み屋のかみさんなどの水商売の
人たち、ひっそりと暮らす市井の庶民に心を寄せたと言われていますが、そういう点では、渥美さん
自身が寅さん化身のようなものと言っていいのだと思います。実に”面白い映画”でした。
● 4月14日 (金曜日)
後世に残したい 『東北六県の50景』の 出版記念に出席。
『残したいね日本の風景・東北50色』という本が発行され、今日、内幸町の日本記者クラブで出
版記念パーティーがありました。この本は、題名の通り、後世に残したい東北地方の風景を選んだも
のですが、この「東北50景」の中に私のふるさとが選ばれたために、田舎の役所から要請があり、
出席することになったものです。
私の生まれ故郷は、現在は市町村合併で五所川原市になっていますが、一年前までは市浦村と言っ
ていました。しじみが取れる事で有名な十三湖があり、風光明媚なところです。日本海から吹きつけ
る風雪が厳しい事もあり、家の周りには背丈の高い風防(垣根)がつくられていました。これを地元
では「かっちょ」と呼んでいますが、これが50景の一つとして選ばれたのでした。私が子どもの頃
は、本格的な冬の到来の前に「かっちょ」の補強作業が行われました。私も「かっちょ」づくりをよ
く手伝いましたが、この地域の晩秋の風物詩のひとつでした。当時は、ほとんど全ての家の周りには
「かっちょ」がありましたが、現在は、わずかに残っているだけです。確かに、後世に残したい「風
景」だと思います。
「かっちょ」 と呼ばれる風防に囲まれた冬の市浦村の二景。
すぐ目の前が荒海の日本海。海から強風が吹きつけ、降った雪も飛ばされてしまう。
● 4月13日 (木曜日)
古い友人の 「法律相談」 に臨席、回顧談議に花が〜、
生活保護を受けている方から、転居に関係する相談を受けていましたが、ようやく、解決のメドが
付きました。相談者は、現在居住しているアパートから早く転居したいという希望を持っており、そ
の転居費用を生活保護費の中で支出してほしいという要望をしていました。
私も生保の担当者と何度か話してみましたが、このような場合の転居費用は、制度上は原則として
自己負担ということになります。ただ、あと数ヶ月で契約更新になりますので、その際に貸主が更新
しないという事なら、その段階で規定の転居費用は措置できるということです。
本人は、必ずしも納得したわけではありませんが、あと数ケ月で転居できる状態だし、もともと、
本人が転居の理由としてあげている幾つかは、主観的な思い込みのような所もありますから、今日、
貸主、本人、それに私も入って話し合い、契約期限満了で転居をするという事で「決着」になりまし
た。本人にとっては、少々、不満が残る解決だと思いますが、生保という制度上は、いかんともし難
いことだ思います。
私は、毎月2回、弁護士事務所で「無料法律相談」を行っていますが、今夜の相談者のひとりは、
古い友人でした。私が区議に当選したての20代後半から30代にかけて、一緒にさまざまな運動を
した仲ですが、その後、遠くに転居したり、本人が病気になったことなどもあって、時間と共に次第
に疎遠になっていました。先日は長々と電話で話し、今日、久し振りに再開しました。私が全然忘れ
ていたような話もポンポンと飛び出し、また、弁護士もその頃の事情に精通をしている人なので、法
律相談そっちのけで、「回顧談議」に花が咲きました。
● 4月12日 (水曜日)
四谷第三小、四谷第四小跡地の活用方針についての報告。
今日は、新宿区議会の常任委員会の定例開催日です。私は総務区民委員会に所属していますが、さ
まざまな課題ついての報告が区長サイドから行われました。
「新宿区施設活用検討会」というところで、区設施設の有効利用についての検討を進めていました
が、検討会の結論を受けて、新宿区としての活用方針を決めたという事で、その報告もありました。
四谷地区の施設活用関係では、もうすぐ統合になる四谷第三小学校と四谷第四小学校の跡地をどの
利用するかという重要問題があります。
四谷第四小学校は、校庭や校舎の一部を地域住民が使用するという基本方針に基づいて検討が進め
られ、6月には活用方針が提起されることになっています。
また、四谷第三小学校の跡地は、四ッ谷駅に隣接した場所に位置していますが、ここについては、
今後の検討にゆだねるということで、現在は具体的な活用案が示されていません。ここは四谷地域に
おける全体的な施設配置に大きな影響を与えることになりますので、多くの区民の意見を充分に聴い
た上で活用方針案をつくっていくことが重要です。
● 4月10日 (月曜日)
朝、四ッ谷駅で区政報告。学習院初等科の新入生が登校。
来年4月に実施される統一自治体選挙の後、七月には参議院選挙が行われます。この選挙では憲法
改正の是非が問われますが、私たちは「護憲勢力」がそれぞの政党に分かれたままバラバに闘うので
はなく、統一した母体を基盤にして闘うことをめざし、そのために話し合いを進めています。
今日午後、全国比例区の選挙の闘いにも影響を与える東京選挙区の状況について、さまざまな運動
をになっている何人かの人たちと意見交換をし、今後の対応などについて協議しました。憲法、特に
九条を守ろうとする考えの議員をひとりでも多く誕生させ、改憲の動きに何としてもブレーキをかけ
たいものだと思っています。
朝8時JR四ッ谷駅で一時間ほど「駅頭宣伝」をしました。今日は、駅の近くにある学習院初等科
の入学式があるようで、多くの子どもさんが新しい制服に身を包み、両親に連れ添われて登校して行
きました。この子どもたちはいま、どのような気持ちでこれから入る学校に向かっているのかなあ、
などという事を思ったりしながら、演説をしました。
夜は、新社会党新宿総支部の執行委員会と選挙対策会議を開き、当面の活動について意思統一をし
ました。毎年実施している年間の主要な活動の日程についても協議しました。いつものことですが、
9月から10月にかけての土曜、日曜はさまざまな行事が集中することになりました。例年秋に川越
近郊で行っている「いもほり」は、10月15日(日)に実施することを決めました。この日は、長
い歴史を誇る「川越まつり」が行われる日ですが、いもほり終了後は、みんなで伝統のまつり見物を
楽しむ事にしました
● 4月9日 (日曜日)
荒木町で伝統の行事。町内にある二つの神社の祭礼。
数ある新宿区の町々の中でも、神楽坂と並んで華やかな地域としてその名を全国に馳せた荒木町に
は、「津の守弁財天神社」と「金丸稲荷神社」の二つの神社があります。今日は、この二つの神社に
感謝する伝統の祭礼が相次いで行われました。
津の守弁財天のある地域には、昔、池と滝があったと言われており、流れ落ちる滝のふもとで芸者
さんが涼んでいる風景が古い絵などにも残されていますが、いまは、わずかに残る小さな池が、昔日
の面影をとどめています。この池も、数年前には埋め立てられようとしていましたが、私も加わった
保存運動の結果、地主の協力もあって、現在の状態で生き延びることになりました。本当に良かった
と思っています。
今日は、両社に感謝する行事として、餅つき大会や茶会なども町の中心の荒木町公園で行われ、沢
山の子どもや地元の人が参加していました。また、近所のすし屋さんで「直会」もたれました。僅か
に桜も散り残り、また好天にも恵まれました。これも両社のご利益の賜物だったのかも知れません。
荒木町公園での茶会。商店会会長さんが挨拶。 そろいの衣装に身を包んだ3人による餅つき。
● 4月7日 (金曜日)
四谷中学校で入学式。1クラスの生徒数は実に38人。
きのうの小学校に続いて、今日は区立中学校で一斉に入学式が行われました。私は四谷中学校の入
学式に出席しました。新入生は112名で、3クラス編成になります。従って、一クラスは37から
38人ということになります。こんなに生徒の数が多いと、毎日の授業やクラス運営も大変だろうと
思いました。30人学級だともう一クラス増え、人数も28人となって、ちょうどいい規模なのにな
あと思いました。
● 4月6日 (木曜日)
四谷第六小学校と鍼灸専門学校の入学式に出席しました。
今日は新宿区立小学校の入学式です。私はいつものように近くの四谷第六小学校の入学式に出席し
ました。今年の新入生は30人です。卒業生は42人で二クラスでしたが、新一年生は一クラスにな
ってしまいました。年々、子どもの数が少なくなりますが、淋しい気がします。昨日、エッセストの
絵門ゆう子さんがガンとの闘いの末になくなったことが明らかにされましたが、この学校と馴染みが
深かっただけん参加者の話題になりました。
午後は、招待状をいただいていたので、新宿鍼灸柔整専門学校の入学式に出席しました。この学校
は、鍼灸と柔道などスポーツ関連の整骨を医学的な観点から学ぶ学校ですが、新入生150人余の新
入生は、高卒者がそのまま進学したと言うよりは、むしろ社会人と思われる方が目立ちました。3年
間、この学校で学んで施術者としての資格を取るという事です。いま、このような資格を取り、それ
を生かした仕事をする人が随分増えているということでした。
● 4月5日 (水曜日)
花が散る時期に〜。 絵門ゆう子さんが亡くなりました。
東京では、多くの桜の花が散りはじめ、花びらがカゼにひらめいて見えたりしています。今日は朝
から生憎の雨ですが、新宿御苑の前を通ったら何台もの観光バスが駐車場に入るために列を作ってい
ました。折角、御苑の桜を見物するために遠くから出かけてきたのだと思いますが、残念ながらこの
雨と風ではでは桜の風情も半減です。
桜が散るこの時期に、作家の絵門ゆう子さんが亡くなったということです。NHKでアナウンサー
をしていた池田裕子さんです。49歳でした。絵門さんは、これまでも、私が前にPTAの会長をし
たことがある四谷第六小学校に来て、子どもたちに生きることの大切さを語ってくれました。つい一
ヶ月余り前にも四谷第六小学校の研究発表の「いのちの学習」のシンポジュームに出席し、ガンと闘
いながら過ごしてきた自分の体験を語り、「いのちはみんな同じだけ重くて大事です。今日という日
があって良かった、と思えるような日々を過ごして下さい」と小学校の子どもたちや私たち参加者に
訴えたばかりでした。心からご冥福を祈ります。
● 4月4日 (火曜日)
四谷仏教会主催 の 第57回目の 「四谷花まつり」
4月8日はお釈迦様の誕生日です。四谷仏教会(会長=坪井新光顕性寺住職。47寺院で構成)で
はこれを記念して、毎年、「花まつり」を開催していますが、今日、その行事が実施されました。
まず、新宿一丁目の太宗寺から四谷四丁目の笹寺まで、パレード(稚児行列)が行われ、その後、
笹寺の本堂で「潅仏会」が挙行されました。パレードを先導したのは、四谷交通少年団の鼓笛隊です
が、歩きながらずっと演奏し、着飾った稚児さんたちがその後をそろりそろりと行進しました。丁度、
昼休み時だったし、天気も良かったので見物人も多く、結構、賑やかでした(写真左)。
この後、笹寺で「潅仏会」が行われ、今年参加した57人の稚児さんたちが、住職の手ほどきを受
けて小さな釈迦像に向かい、手を合わせ、甘茶をかけて誕生日をお祝いしました(写真右)。
釈迦の誕生を祝福する「花まつり」は、全国各地で行われていますが、四谷地区のように、地域の
47寺院が一緒になってこのような催し物を実施するのは珍しいという事です。四谷仏教会の取り組
みは古く、今年で57回目になります。いまや地域にすっかり溶け込んだ行事になりました。
今日の午前中は、区議会の「第二次議会改革小委員会」が開かれ、請願・陳情文書の取り扱いなど
議会改革で議論しました。私は、議会への住民参加の一方策として請願・陳情に対する対応が議会の
大きな課題の一つだと思っていますが、今日の議論もいい方向で議論が進んでいるように感じました。
夜は、日比谷野外音楽堂で「国鉄闘争の勝利に向けた全国集会」が開催されました。北海道から九
州まで全国から6000人が集まりましたが、熱気に満ちた集会でした。
集会終了後、日比谷・銀座・有楽町・東京駅を経由し、日銀前の常盤橋で解散する街頭デモが行わ
れました。私は、新社会党の宣伝カーで先に解散地点に行き、江原都本部委員長や福田書記長と共に
マイクを握り、激励や共に闘う決意を述べながら、デモ隊の皆さんを迎えました。
デモが終了したのは、結局、9時半頃になりました。
● 4月2日 (日曜日)
「新宿アジア横丁」 で民団と総連の 「野遊会」 開催。
櫻が咲き誇っています。櫻の名所は花見で賑わっていますが、今日、「野遊会」という名前の集ま
りがありました。花見と同じようにみんなで飲食を楽しみましたが、場所は櫻の花とは縁遠い歌舞伎
町・コマ劇場前のビルの屋上です。「新宿アジア横丁」を借り切り、新宿区の民団と総連が共同で開
いた初めての集まりです。
韓国と北朝鮮関係の日本での組織は民団と総連ですが、いわゆる同胞でありながら、新宿区におい
ても、これまでは両組織の会員同士の交流は、ほとんどなかったということです。
今日は、民団からも総連からも沢山の方が参加し、名物の焼肉を食べ、ビールを飲みながら歓談し
ました。途中からは、総連の歌舞団の踊りや歌も披露され、なかなかなごやかな集まりでした。
このような集まりを積み重ねる事によって、民団と総連が一層緊密な関係をつくり、新宿区に住ん
でいる韓国・朝鮮の人たちの一層大きな「拠り所」になることを期待しています。
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( 11月以前の分は、この冒頭に記載してある該当の月をリンクしてご覧ください。)