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         (2006年7月分)


● 7月 31日 (月曜日)

         朝と夕方に 「四ッ谷駅」 と 「丸正本店前」 で区政報告。

  朝8時からJR四ッ谷駅で、また、夕方4時から四谷三丁目の丸正本店前でそれぞれ一時間ほど
宣伝活動をしました。今日は好天に恵まれましたが、気温は極端に高いということではなかったの
で、案外楽でした。今日は、議会の会議はなかったので、日中は『週刊・新社会』の配達や集金を
しました。集金は半分ぐらいしか出来ませんでした。


● 7月 30日 (日曜日)
      西東京大会の決勝戦をテレビ観戦。早実が劇的な勝利。


  午後一時から娘と一緒にテレビで高校野球西東京大会の決勝戦を観戦しました。早稲田実業と日
大三校の対決ですが、この両校が決勝戦を争うのは71年ぶりだそうです。まれに見る好試合でし
た。延長戦になりましたが、四時間近い熱戦の末、11回サヨナラで早実が劇的な勝利を収め、甲
子園の出場を決めました。この三年間は日大三校が連続して甲子園に行っていましたが、早実には、
甲子園でも大いに活躍して欲しいと思っています。

  今日の午前中は料金受取人払いの封筒作りや「励ます会・ニュース」の配付をしました。午後は
ポスターを貼るつもりでしたが、高校野球が長引いたので予定が全く狂ってしまいました。


● 7月 27日・28日 (木・金曜日)

           新社会党の全国自治体議員会議に出席しました。

  大阪市で開かれた新社会党の全国自治体議員団の総会と研修会に出席しました。全国で先進的な
活動をしている何人かの地方議員の話を聞くことが出来ました。また、ホームンページの作り方、
活用方法についても実に参考になる取り組みを教えてもらいました。全くのシロウトの私がすぐに
先進的な実践を受け止めて応用できるかというとなかなか至難な事ですが、活用するに当たっての
心構えのようなものはそれなりに会得する事が出来ました。

  終了後は、久し振りに京都の「三十三間堂」に寄って2時間近くかけてゆっくりと仏像を見て回
りました。「三十三間堂」は恐らく20回ぐらい行っていると思いますが、こんなにゆっくりした
のは初めてです。また、近くの「智積院」を訪ね、国宝に指定されている長谷川等伯一門の壁画や
名園の誉れが高い庭園を見てまわりました。「智積院」も随分行っていますが、今回は観光客が数
人しかいなかったので、実に優雅なひと時でした。


● 7月 26日 (水曜日)

       「 あなたは 憲法を変えなければ 困る事がありますか? 」

  最近、沖縄県憲法普及協議会から『わたしの憲法手帳』という本が版を改めて出版されました。
新書版で読みやすい本です。夕飯の後、さっと通読しましたが、本の中の一文に「あなたは憲法を
変えなければ何が困りますか」という問いかけがありました。なるほどと思いました。改憲論議が
盛んになり、改憲論にたつ人が増えていると言われていますが、このような論者は、いまの憲法を
変えなけばれ何がどうして困るというのでしょうか。私は、今のままの憲法で困る事は何もありま
せんし、逆に変えられると、私自身が自分の子どもや次世代の人に残したいと思っている「最も大
事な財産」を失うということで実に困るのです。

  改憲論に立つ人は、今のままの憲法で何が悪いのでしょうか。九条があるためにこれが桎梏にな
って自由に自衛隊を海外に派兵をし、戦争する事が出来ない、ということでしょうが、私には過去
の歴史から何も学ばないこんな戦争ごっこ的な発想に多数の国民が同調するなどという事はとても
ありえない事だ、と思われてならないのです。

 
 今朝は、久し振りに好天気になったので、四谷三丁目駅では一時間ほど「駅頭宣伝」を行いまし
た。10時からは、総務区民委員会で新宿区が廃校になった小学校舎をそっくり貸している芸術団
体の「芸能花伝舎」を視察し、活動内容などについて説明を受けました。夕方は、代々木の皮膚科
に行って先日行ったアレルギー検査の結果を聞きました。時々、両目の部分が腫れるあがるので調
べてもらっていますが、スギ花粉以外にもさまざまなアレルギーがあると言われました。また、抵
抗力が減退しているので、規則正しい食事や睡眠が不可欠という事でした。

  明日とあさっては大阪市で「新社会党全国自治体議員団総会」と「自治問題研修会」が行われる
のでそちらに参加します。


● 7月 25日 (火曜日)

            近所の寺の墓地を巡って墓の写真を撮ってきました。

  私のホームページの「四谷散歩」に『四谷の寺に眠る名士たち』という一節を設け、近所の寺に
葬られている名士たちを紹介していますが、文章だけで味気ないので、今日午後の3時過ぎから寺
を回って墓の写真を撮ってきました。服部半蔵・岡崎信康の西念寺、山縣大弐の全勝寺、高松喜六
・塙保己一の愛染院、首切り朝衛門の勝興寺、恋川春町の成覚寺、源清麿の宗福寺、榊原健吉の西
応寺など手早く回ってきました。勝興寺では、たまたま住職とお会いをし、前に行った時には見つ
けることが出来なかった
映画監督の島津保次郎の墓と初めて会うことが出来ました。
  まだ途中ですが、写真の一部は「四谷散歩」に掲載していますので、ご覧下さい。


● 7月 23日 (日曜日)

         今朝の朝日新聞の川柳  「神主の沙汰次第にて神になり」

  今日の朝日新聞の川柳に「神主の沙汰次第にて神となり」というのがありました。先日、昭和天
皇が靖国神社にA級戦犯が神として合祀されていることに不快感を示したという側近のメモが発表
されました。天皇はある時点から靖国神社に参拝をしていませんが、その理由は、A級戦犯の合祀
が原因である事はこれで明らかになりました。今朝のテレビでは、高名な評論家が「昭和天皇の意
思が明確になった以上、小泉首相はそれに抗して参拝は出来ない」という主旨の発言をしていまし
た。
  昭和天皇がA級戦犯の合祀を参拝を止めたことは全く妥当な判断です。小泉首相やその前
の何人かの首相や毎年集団で参拝している何々大臣たちに比べて、遥かに正常です。しかし、昭和
天皇ガこのような判断や対応をしたからといって「天皇の戦争責任」が免罪されるわけではない事
はこれまた当然のことです。
  今朝の新聞にはこのような川柳もありました。「責任は取らず不快という不思議」。

  一方、昭和天皇の意思を論拠に参拝の是非を論じる高名な評論家のような考え方も全く間違って
います。首相や政府関係者の公式な参拝は、天皇の言葉を待つまでもなく、憲法上、間違っている
のです。この評論家は、「天皇の気持ちにそむいて小泉首相は〜」と言っていますが、昭和天皇の
意思がこれまで産経新聞などで報じられてきたようにA級戦犯合祀が直接の原因ではないとするな
らば、首相の靖国神社参拝は妥当だということになってしまいます。しかし、そのようなことはあ
りえないことです。


  今日、午前中はマンションの管理組合の定期総会。午後からは「こんにちは社会党です」の印刷
をしました。8月号です。13000枚の表面が終わりました。裏面は今週のいつか時間のある時
に行う予定です。


● 7月 22日 (土曜日)

             全国で活動している自治体議員と交流をします。

  今月27日と28日に大阪市で新社会党自治体議員団会議の「定期総会」と「研修会」が開かれ
ます。毎年、今の時期に開かれている恒例の集まりですが、来年春には統一自治体選挙が行われま
すから、今の時期、それぞれの議員が全国でどのような活動をしているかという「活動交流」が中
心になるものと思われます。私も自分がこれまで作ってきた幾つかの印刷物を持って参加しますが、
今日午前、その準備をしました。現在、新社会党は残念ながら国会議員がいませんが、県会議員や
市会議員などの地方議員は西日本を中心に沢山います。その中には、実にユニークな活動をしてい
る人もいます。そのような議員と交流するのは大変参考になります。

  午後3時過ぎから四谷地区の北側を通っている都営地下鉄新宿線の「曙橋駅」で宣伝活動をしま
した。住民税が大幅に負担増になったことや景気対策として実施されてきた定率減税が景気回復を
理由に縮小・廃止になったこと、しかし、同じく景気対策として実施された所得税の最高税率は減
率されたままである事などを話しました。学生らしい若い人が熱心に聴いていて、演説が終わった
後、いろいろと意見交換をしました。


● 7月 20日 (木曜日)

          四谷の文化放送、地域に根付いた55年の歴史に幕。

  現在、私の事務所は若葉三丁目にありますが、そんなに遠くない若葉一丁目5番地には文化放送
があり、毎日のように建物の前を通ります。私の元の事務所は若葉二丁目にありましたが、その時
は、直線距離にして30メートルも離れていませんでした。先日の新聞に大きく報道されていまし
たが、文化放送はもうすぐ浜松町に移転します。四谷での放送は24日午後一時までだそうです。
  文化放送の母体はカトリック聖バウロ修道会で、もともとは「カトリック放送局」になる予定で
したが、認可が出なかったために、1951年、「日本文化放送協会」としてスタートしたもので
す。文化放送の建物は、下の写真でも分かるように実に洒落ていますが、本来は修道会の拠点で第
五スタジオは聖堂を兼ねており、副調整室の下は聖歌隊席なのだそうです。6階建てですが、建物
の右後ろの地下には小さな喫茶店があり、私の事務所が若葉二丁目にあった頃は毎日のようにこの
喫茶店に行ったものでした。
  文化放送が移転した後、この由緒ある建物は取り壊されてマンションになるということですが、
惜しい気がします。

  文化放送の写真を撮るためにデジカメを持って家を出たので、区議会に行ったついでに「新宿御
苑百周年」の写真も撮ってきました。

            
                   もうすぐ四谷から浜松町に移転する文化放送。           新宿御苑の入口に大きく掲げられた「御苑百周年の看板」


● 7月 19日 (水曜日)

             「議会報告書」 の一部に新宿御苑の歴史を紹介。

  生憎の大雨。天竜川の堤防が崩壊したというニュースがありました。全国的に雨の被害が出てい
るようです。
  今日は朝と夕方、駅頭宣伝を予定していましたが、雨で残念ながら中止になりました。
  午前中は私の「議会報告書」を作成しました。その中に載せる地域の歴史を訪ねるコーナーでは
「新宿御苑」を取り上げました。この一帯は、徳川家康が江戸に入府し、譜代の内藤清茂にこの土
地を給付して以来の変遷はさまざまな文献で残っていますが、特に明治政府になってからの御苑の
歩みはまさに激動的であり、実に興味深いものがあります。日露戦争の勝利を兼ねて行われた「開
園式」には明治天皇を筆頭に凱旋将軍たちがたくさん出席したと言われています。それ以降、御苑
は皇室の「パレスガーデン」になり、住民にとっては近くて遠い存在になりましたが、戦後は日本
に三つある「国民公園」の一つとして一般にも開放され、今日に至っています。明治39年の「開
園式」を起点として新宿御苑は今年100年周年を迎えていますが、自分が住んでいる地域にこの
ような歴史のある公園があることは何となく誇りに感じます。


● 7月 18日 (火曜日)

         議会に対するメールの陳情を受け付けるべきかどうか?

 今日は10時から「地方分権特別委員会」が開かれ、自治制度に関する東京都と特別区の動きに
ついて調査しました。引き続いて「議会改革を進める小委員会」が開催され、議会に対する陳情を
メールで受付をする事の是非について議論しました。
  いま、全国の自治体で陳情をメールで受け付けている議会はないと思いますが、住民が議会に働
きかけをする手段は出来るだけ多様にすべきであり、私は、一定のルールを作ってメール受付けを
可能にすべきだと思っています。今日の議論の大勢も大体そのような方向でした。しかし、今日は
結論が出なかったので、引き続き議論することになりました。

  昨日、所沢第一病院に入院している小学校時代の同級生の見舞いに行ってきました。関東近辺に
いる同じ同級生の4人が同行しました。2年前には脳梗塞で倒れ、相当重病でした。ちょうど一年
前に見舞いに行った時には、呼びかけても、手を握ってもたいした反応を示しませんでした。今回
も覚悟していきましたが、名前を呼ぶと目を開くし、会話の都度、「分かるか」と聞くと確かにク
ビをまげて分かると答えていました。びっくりするほどでした。
  ちょうど弟が来ていましたが、彼によると看護婦さんに付き添われて車椅子で病院内を散歩する
ほどになっているのだそうです。実にうれしい事でした。ただ、書くことも話す事も出来ません。
自分の意思を伝える事が出来ませんから、恐らく忸怩たる思いでいるのだと思いますが、この一年
間の回復は驚くほどですので、今度会うのが楽しみです。


● 7月 16日 (日曜日)

            久し振りに映画鑑賞。『胡同のひまわり』 を見ました。

  最近は、多忙な事もあり映画館や美術館に行ったり、長編の小説を読んだりする機会が少なくな
りました。気持ちに潤いがなくなっているのかも知れないので、今日は何はさておき映画を見よう
ということで、朝、運動を兼ねながら自転車で渋谷の文化村に出かけました。『胡同のひまわり』
という映画です。100人ぐらいの小さな会場は一時間も前から整理券をもらいに来た人たちでい
っぱいでした。失われていく北京の街並み胡同(フートン)を舞台にして、そこに生きる画家親子
の激しい葛藤を軸に文化大革命や毛沢東の死、自由化の波など中国近代史の輪郭を織り交ぜながら
描いたものです。
  主人公の青年は向陽。「太陽に向かう」という意味を持っていますが、胡同の中庭に咲いたひま
わりにちなんで父が名づけた名前だそうです。青年も両親も好演で、実にいい映画でした。


● 7月 15日 (土曜日)

           珍しい電話がありました。「演説を聴きに行きたい」。

 
 私の留守にある人から電話をいただきました。連れ合いが電話に出ましたが、今度、スーパーの
丸正前で演説をするのはいつかという問い合わせだったそうです。「聞きに行きたい」ということ
でした。有り難いことですが、少々、驚きました。駅頭や街頭で一時間程度演説をする時は、その
時間帯でまとまった話をする事もありますが、通行人が対象なので同じ内容を分かりやすく二三度
繰り返す事が多いからです。従って、じっと立ち止まって訴えを聞いてもらうような内容ではあり
ません。電話を掛けてきその人は、今度聞きに来るという事ですから、その際は、まとまった体系
的な話をしなければならないのかなあ、と変な心配をしたりしています。
  最近の演説では、住民税が大幅に増額されたことに触れて、この10数年間の日本の税制改革は
「強者には手厚く減税し、弱者に対しては徹底的に搾り取る制度構築だ」という話をしているので、
電話の主も住民税増税で頭にもきている人ではないかと思います。


  今日も熱暑です。2時過ぎに雷が鳴り、一時的に大雨が降りましたが、幸いすぐにあがったので、
知り合いと車でバザーの品物集めをしました。随分多くの人が、品物を提供してくれるので実に有
り難いことです。


● 7月 14日 (金曜日)

       熱暑の中、後援会ニュースを配付。日に焼けて 「職業病」(?)

 
 先日発行した私の後援会報4500部の「やまびこ会・ニュース」の大半は郵送しますが、近所
の1000部ほどは手配りをします。郵送代を節約するためです。今日、朝から配って歩きました
が、気温が35度以上になったということでちょっと歩くと汗びっしょりになりました。三回着替
えをしまし、600部程配付しましたが、そのうちに頭がボーとなり、熱射病のような状態になっ
たので中止しました。両腕が真っ赤に日焼けしました。下の子どもからは「職業病みたいなものだ
ね」とからかわれました。郵便代を節約するのも容易な事ではありません。


● 7月 12日 (水曜日)

           生まれた時に、カエルの大合唱に迎えられました。

  今日7月12日は私の誕生日です。私は、津軽半島のほぼ突端にある脇元村磯松という日本海に
面した寒村で生まれました。私は6人兄弟の末っ子ですが、母親が身重のカラダで家からは相当遠
い山間の田んぼに稲の発育の状況を見に行き、田んぼを覆っている水の温度を計るためにかがんで
水を手ですくおうとしたその時に生まれたという事です。予定よりは大分早くこの世に出てしまっ
たようです。母は田んぼの脇にあった納屋で親戚の人に介助されて出産したという事です。大変だ
ったと思います。母はその後、「敏行の生まれた田んぼコメが良く獲れた」とよく自慢げに話して
いました。
  私はと言えば、この世に生まれ出たその時にカエルの大合唱に迎えられ、祝福されたことを本当
のことのように今でも実に ”鮮明” に覚えています。その母は、現在ちょうど100歳です。八
戸市に住んでいますがとても元気です。今年も旧盆には母に会うために帰る予定です。

  朝、四谷三丁目駅で一時間ほど街頭演説をしました。10時からは区議会の総務区民委員会に出
席。四谷第四小学校の跡地活用などについて議論しました。委員会は「基本構想審議会の発足」な
ど8本の報告事項があったので、結局、3時前までかかってしまいました。
  その後、議会運営委員会の理事会と委員会が開かれ、「文書質問」について意見交換しました。
文書質問は、法的には可能とされ、これまで、新宿区議会でも禁止はされていませんが、実施をす
るための規定が整備されていなかったために、現実には出来ませんでした。議会改革小委員会で私
が規定の整備を提案し、各委員の賛成を得て、今日の委員会での議論になったものです。委員会で
は、若干の意見の相違点もありましたが、それぞれ譲り合って委員会としての一定の結論を出しま
した。今日の委員会決定を元にして、今後、区長サイドと調整をして最終的に決定する事になって
います。


 7月 11日 (火曜日) 

           来年4月の選挙に向けて、交流会を開催しました。

  来年4月の区議会議員選挙も次第に迫ってきましたが、今日は各区からこの選挙に立候補する予
定の人たちに新社会党東京都本部事務所に集まってもらって、日常的な運動の実情を出し合い、交
流をしました。全体で8人集まりましたが、ほとんどが新人です。みんな一生懸命活動をしていて、
当選の可能性は充分にあります。私自身も頑張らなければなりませんが、新人が沢山当選するよう
に祈るばかりです。


● 7月 10日 (月曜日) 

            サッカーW杯の後半を観戦、イタリアが熱戦を制す


  朝方の4時にトイレに起きましたが、そのままW杯の決勝戦の後半を観戦しました。既に前半は
1対1で終わっていましたが、両チームは後半戦も攻守相譲らず、また、延長戦でも決着がつかな
かったために結局、PK戦になってしまいました。栄冠はイタリアチームに輝きましたが、実に素
晴らしい試合でした。延長戦後半直後にフランスの大黒柱・ジダンがイタリアのマテラッティに対
する頭突きで一発退場になってしまいました。真相は明らかにされていませんが、相当ひどい暴言
を浴びたようです。暴力行為は論外ですが、悪質な暴言も許されることではありませんから、マテ
ラッツィに対しても同時にペナルティを課してもらいたかったと感じました。

  午前中は区役所で何人から頼まれていた相談事に関して調査をしたり、必要な手続きをし、また、
午後3時過ぎからは新社会党東京都本部事務所で「やまびこ会・ニュース」の封筒詰め作業をしま
した。5、6人が一斉にやりましたが、それでも4時間ほどかかりました。


● 7月 9日 (日曜日) 

          「やまびこ会・ニュース」 を4500部程作成しました。


  今日は朝から夕方まで、ほぼ一日中、「やまびこ会・ニュース」の作成作業をしました。8ペー
ジ建ての印刷物を4500部ほど完成させました。
  明日、知り合いにお願いして封筒に詰めてもらい、近日中に発送する予定です。

  夕方、事務所の近所でポスター張りをしていたら、知らない中年の男性から「たまにはネブタで
も見に青森に帰って息抜きしたほうがいいよ〜」とずいぶん優しく声を掛けられました。実に嬉し
い一言でしたが、ひょっとすると、日頃から余程、セカセカしているように見られていたのかなあ
と思ってついいつい苦笑してしまいました。


● 7月 7日 (金曜日) 

    来年の参議院選挙で「護憲共同候補」の擁立を目指す大集会


  来年の参議院選挙では、護憲勢力がバラバに闘うのではなく、一緒のテーブルについて「共同候
補」を擁立しようという「護憲共同候補の擁立を目指す大集会」が日本教育会館の大ホールで開か
れました。全国各地から有力な人たち約1000人が参加し、熱気溢れるものになりました。
  シンポジュームでは、佐高信、湯川れい子、斉藤貴男などが、「今こそ団結して闘う時」と訴え
ていました。
  明日は、今日の集会を受けて、今後の具体的な対応について協議する事になっています。


● 7月 6日 (木曜日)

         国労闘争団支援の西部地区集会が盛大に開かれました。


  地元の大京町の高齢者団体「大京クラブ」の集まりに参加。挨拶をする機会がありました。20人
ほど出席していましたが、95歳とか88歳とかという高齢なのに、みんな矍鑠(かくしゃく)とし
ていていました。全く驚きます。
  夜、新宿農協会館で「国労闘争団支援集会」がありました。私たちの仲間が開く西部地区の集まり
です。1047名がクビを切られた国労闘争も足掛け20年にわたる長丁場の闘いになりました。何
としても勝利をかち取りたいものです。


● 7月 5日 (水曜日) 

        旧知の人は新宿区と友好都市関係に「新・伊那市」の出身


  久し振りに旧知の人と会いました。以前、全逓で役員をしていた大先輩です。現在は、杉並区にす
んでいますが、出身地の人たちで作っている在京団体の会長をしているということでした。ふるさと
は長野県の長谷村だということですが、伊那市・高遠町・長谷村は、この3月に合併し、新しい「伊
那市」として新しくスタートをしました。全くの偶然ですが、新宿区と伊那市は7月2日に「友好都
市提携」をしたばかりですので、言うならば「友好都市関係の出身者」ということになります。戦う
全逓の「闘士」らしからぬ味わいのある方です。

  午後は党中央本部で選挙対策会議。来年の参議院選挙対策を協議しました。
  夜は「平和憲法を生かす新宿の会」の運営委員会。10月までの街頭宣伝・学習会等の計画を決め
ました。


● 7月 4日 (火曜日) 

        
 「予算・決算委員会」 の総括質問時間などについて協議。


  区議会の「第二次議会改革小委員会」で議会の改革を進めていますが、今日の小委員会で予算委員
会、決算委員会の冒頭に行われている「総括質問」と最後の「締めくくり質問」の時間の在り方につ
いて協議しました。これまでも何度か話し合っていますが、もうすぐインターネット中継を実施する
ことになっていますので、結論を出さなければなりません。私たちは、これまで「総括質問」は二時
間、「締めくくり質問」は一時間の枠の中で行っており、私は従来どおりの時間の確保を強く要望し
ましたが、各党が互いに譲り合って協議した結果、私たちの時間は、「総括質問」は一時間、「締め
くくり質問」は30分という事になりました。私自身は大いに不満ですが、人数割りにすると私たち
の持ち時間はそれでも多いほうなのでやむをえない解決でした。

  
今日、わが家では10数年ぶりにテレビを購入しました。この間、見ている間に画面が次第に暗く
なってしまったり、突然音が出なくなったりするテレビとつきあつてきましたが、いよいよもって寿
命が尽きたと言う感じでした。これで、W杯のゴールシーンが突然暗くなってしまうという心配もな
くなりました。ただ、電波の関係かどうか分かりませんが、ビックカメラやさくらやの店頭で見る美
しい画面とは少々違うので残念な気もしています。


● 7月 2日 (日曜日) 
 
          高遠町と合併した新生・伊那市と 「友好都市」 に。


  新宿区は長野県高遠町の旧藩主・内藤家の下屋敷が新宿御苑にあった関係で「友好都市」として交
流を深めてきました。今年3月末に高遠町が伊那市と合併し、新「伊那市」になったことを受けて、
今日午前、新宿文化センターにおいて改めて新宿区と伊那市の「友好都市」の調印式が行われました。
この調印式には、旧内藤藩の17代目あたる内藤頼誼さんも参加し、懇親会で挨拶しました。内藤さ
んは、朝日新聞のニューヨーク総局長を務めていました。退任後、現在は新宿区の教育委員を務めて
いますが、見識の深い方です。

  今日は、午後1時から歌舞伎町の飲み屋に小学校時代の同級生が四人ほど集まって、久し振りに交
流を深め、夜まで歓談しました。来年の8月には、ふるさとの津軽で「クラス会」をしようというこ
とになりました。


●7月1日(土曜日) 

             今年も後半へ。来年の選挙に向けて準備を進めます。


  今日から7月です。来年4月下旬には区議会議員選挙が行われますが、それまで8ヶ月を残すだけ
になりました。選挙を闘うためにはさまざまな準備が必要ですが、皆さんに送付したり、配布したり
する印刷物など、これから勢力的に整えていかなければならないと思っています。

  今日は私の後援会の「やまびこ会」の議会報告書を作りました。8ページ建てですので作成するの
結構時間がかかりますが、受け取った人からは「見ているよ」とか「参考になる〜」などと言われた
りするので、きちんとしたもの作らなければならないと思っています。来週中に印刷をして10日過
ぎには大体4000通程度発送する予定です。


        ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
                          ( 7月以前の分は、この冒頭に記載してある該当の月をリンクしてご覧ください。)