私 の 活 動 日 記
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      (2005年3月分)


●  3月 31日  (木曜日) 

       今日を限りに退職する人、長い間、お疲れ様でした。

  今日は年度末です。新宿区役所でも、今日を限りに長い勤務生活に終止符を打って退職する人が
随分おります。管理職に就いている人に対しては、先に開かれた「予算特別委員会」の一番最後の
討論の際に、感謝とお別れの言葉を言いましたが、大半の職員には、挨拶をし、お別れをする機会
がありません。従って、この場を借りて、長い間のご労苦とご指導をいただいたことに対して、心
からの感謝とお礼を申し上げます。

  退職した後の人生設計もそれぞれです。
  ある管理職の方は、退職を機に、自分が本来考えていた生きかたを模索するために、専門の学校
に通って精神的な鍛錬をするということです。
  これからも働き続ける人、ちっと一休みする人、趣味の道に進む人、新たに勉強を始める人 〜
 などなど、様々な人生模様ですが、いずれの道を選んだ人に対しても、
「ボン・ボァヤージュ」
―― よき「航海」を祈ります。


●  3月 29日  (火曜日) 

     新宿区シルバー人材センターの定期総会に出席しました。

 
 新宿区シルバー人材センターの定期総会が開かれました。招待されていたので、出席しました。
会場の牛込箪笥区民センターは450人定員ですが、若々しいシルバー世代で、ほぼ満員でした。
  新宿のシルバー人材センターは1984年4月に設立され、20年の歴史や実績を誇っています。
現在、センターの会員は約1700人だそうです。大世帯です。前年度の事業収入は6億4千2百
万円、今年度は6億7千9百万円を目標にしているとのことです。長い歴史があるとはいえ、大変
な実績です。信頼されている証のようなものです。
  大会の議案書によると今年度は、「会員の増強」「就業機会の拡大」「安全就業の促進」を目指
し、特に、会員の運営参加による自主的活動、能力開発・研修、市場調査などに力点を置くという
ことです。
  最近出席したさまざまな大会の中では、今日の総会はなんだか一番活気のある集まりのような気
がしました。


●  3月 28日  (月曜日) 

       新宿社会福祉協議会の評議員会が開催されました。

  午後1時半から「新宿区社会福祉協議会」の評議員会が開かれました。社会福祉協議会は、
どこの自治体でも地域福祉の担い手としてますます重要な役割をになっていますが、その割
には、知名度が低く、まだ住民になじみのある組織にはなってない面があります。
  新宿区の社協も、さまざまな問題を・課題を抱えながらも与えられた役割を果たすために、
種々の試みを行っています。私は、何度も、評議員をやらさせていただいていますが、いつ
も職員の皆さんを激励しながら、自分としての問題意識を提起してきました。社協にとって
は、役員や職員の人的な資質をより高めることこそ最も重要なことですが、その他には、会
員の拡大や財政面の健全化・自立が主要な課題だと思っています。
  今日もそのような立場で何回か発言をしました。

  新宿社協で長く常任理事として事務局長を勤めた区職員の鷲見部長が3月末をもって定年
で退職することになっています。今日は、鷲見部長から退任の挨拶がありました。大変有能
ですが、実に温厚な人で誰からも好かれていました。長い間お疲れ様でした。

  区議会選出の評議員も、もうすぐ入れ替わることになっています。私も今期はこれを最後
に後任の議員と交替することになっています。


●  3月 27日  (日曜日) 

           新 「五所川原市」 の新たなスタートを祝して。

  あす3月28日、津軽平野にあるちょっと大きな「五所川原市」と太宰治が生まれた「金
木町」と中世の日本海交易で栄えた十三湖がある「市浦村」の三市町村は、合併して新しい
「五所川原市」になります。明日開かれる祝賀式典にあわせて祝電を打ちました。

 
『津軽の大地に燦然と花開く新「五所川原市」の希望に満ちた船出を祝します』

  しかし、この平成の合併で、私の出身地はこれからは「五所川原市」になるのかと思うと
なんだかとても奇異な感じがします。私は何時までも出身地は「津軽半島の市浦村」「十三
湖がある田舎」「中世に栄華を極め十三湊」でいたかったのに〜。


●  3月 26日  (土曜日) 

         新宿区政に対する 「アンケート」 を実施します。

  2月下旬からずっと議会の代表質問や予算委員会の総括質問、常任委員会などの対応や協
議などに追われていて、ほとんど休みがなかったので、やらなければならないことが山積み
になっています。今日は少し時間があると思っていましたが、一昨日にやり残した「こんに
ちは社会党です」の印刷をしたり、それに挟み込むアンケート用の「料金受取人払いのハガ
キ」づくりをしていたら、結局一日が過ぎてしまいました。

  今度4月号の機関紙に挟み込む「アンケート用のハガキ」は、新宿区政や区役所に対して
住民の皆さんが日頃感じている事を自由にお書きいただくものです。私自身に対する要望や
注文でも構いません。四谷地区に全戸配付しますが、そのうちに郵便受けに入ると思います
ので、是非、お気軽にお書きの上、ご投函ください。切手は不用です。


●  3月 25日  (金曜日) 

     小学校の卒業式など、さまざまな会合がもたれました。

  きのう、定例会が終わったので、それを待っていたかのように様々な会議がもたれました。
一日の乗降客が150万人、駅周辺の通行人が300万人と言われる新宿駅の西口と東口に
「東西自由通路」の建設を促進させるようとする会議もその一つでした。区役所内の大会議
室で開かれたので、私も久し振りに参加しました。
  その後、区議会の透明性や情報公開を推進するための打ち合わせがあり、各党のメンバー
が意見交換を合意したものについては早速実施することにしました

  午前中は近所の四谷第六小学校の卒業式に参加しました。卒業生は36人。半数は区立の
四谷中学校へ進学しますが、後の半数は、ほとんどが私立中学校への進学です。義務教育で
こんな状態ですから驚きます。

 
 今日、新宿区役所では幹部職員の「人事発表」がありました。昇進した人、しなかった人、
希望の職場にいった人、いけなかった人、などなど、民間会社と同じように悲喜こもごもの
人間模様が繰り広げられたのだと思います。しかし、人員整理などでクビになるとか、下請
け会社に出向になるとかがない分、民間に比べると地方公務員は、まだ、恵まれているとい
うことにはなります。


●  3月 24日  (木曜日)

     新宿区議会最終日、本会議場で予算案の討論をしました。

  今日は新宿区議会第一回定例会の最終日です。2月22日に開催されて以来、一ヶ月余の
会期でした。今日は、来年度の予算案の採決が本会議場で行われましたが、私は、本会議場
で予算案に対する「討論」に立ち、区民参加のシステム作りや透明性の高めるための施策、
自治基本条例制定の必要性などをあげ、区政の基本的な枠組みを作る方針や理念で考え方や
対応に違いがあるとして、反対しました。

  夜八時過ぎから、新社会党新宿総支部機関紙「こんにちは社会党です」の印刷をしました。
印刷部数が多いので10時過ぎまでかかりました。


●  3月 23日  (水曜日) 

      三つの課題で「東京西部連絡会」の集会が開かれました。

  今日の夜6時半から、信濃町駅近くの東医健保会館で「憲法・教育基本法改悪反対!国鉄
闘争勝利を目指す西部連絡会」の結成総会が開かれました。いわゆるナショナルセンターの
枠を超えた集まりですが、雨が降っていたにもかかわらず、多くの人が集まって活気のある
集会でした。憲法や教育基本法の改悪を阻止するためには、このような組織が全国各地に作
られなければなりませんが、この西部連絡会がそのサキガケの役割を果たす事になれば更に
大きな意義があると感じました。

  今日は雨天の為に花粉の飛散状況も「非常に多い」ではなく、単に「多い」ということで、
どちらかというとしのぎやすい状態ですが、私は、鼻が詰まるとか涙が止まらないとかで、
いよいよ持って我慢が出来なくなりました。午前中、医者に行って今までよりも強い薬をも
らいましたが、担当の医者も私とほとんど同様の症状なので、実にスムーズに意思疎通が出
来ました。同類相憐れむという事ですが、あっちにもこっちにも一挙に驚く勢いで「同類」
が増えたような気がします。


●  3月19日 (土) 〜 21日(月) 

         合併で地図から消えるふるさとに行ってきます

  ふるさとの青森県北津軽郡市浦村に帰ってきます。
  市浦村は、3月28日に五所川原市、金木町と合併し、新しい「五所川原市」の市域に入ります。
市浦村は、もうすぐ地図から消えてなくなりますが、惜別の思いを込めた「閉村式」が3月20日
に市浦村で挙行されます。私は、その式典に出席するために帰郷します。まだ、ふるさとは大雪で
すっぽりと覆われているようですが、久し振りに村にいる同級生たちと会うのを楽し
みにしていま
す。

●  3月 18日  (金曜日) 

       四谷中学校の「第四回卒業式」に出席しました。

  今日は、新宿区立中学校10校の卒業式が一斉に行われました。私は、四谷中学校の式典に参加
しました。今年の卒業生は107名でしたが、それぞれの進路は公立高校の普通科が37人、公立

校の専門学科が18人、私立学校の普通科が47人、私立学校の専門科3人ということでした。
  四谷中学校卒業式は、シナリオ通りに粛々として進み、2時間ほどで終了しました。何にも問題
はなかったけれども、何となく味気ない式典でした。もっと、子どもたち中心の元気がいい、それ
でいてい感動的な式典というものは出来ないものなのでしょうか。


  午後1時半から区議会の「地方分権行政改革特別委員会」が開かれました。今日は私は、地方財
政計画の三位一体改革について質疑しました。


  3月 17日  (木曜日) 

     一斉に区議会の各委員会開催、大勢の傍聴者が来ました。

 
 今日は、二日目の常任委員会開催日です。各委員会とも区民のみなさんから提出されている「陳
情」や「請願」を審査したということもあって多数の区民が傍聴のために区議会にきていました。
特に、区内のほぼ全域で建物の高さ制限をすることに反対をする陳情や交通バリアフリー問題を審
査した「環境建設委員会」には、特に多数の傍聴者が押し寄せました。私の近所の人たちも建物の
高さ制限の問題で陳情書を出していたこともあり、10人ぐらい傍聴していました。交通バリアフ
リー問題では、車椅子の方々も6人ほど来ていました。
  私も、所属の「福祉健康委員会」が随分早く終わったので、その後はずっと「環境建設委員会」
の審査状況を見守っていました。


  今日は彼岸の入りです。夜のニュースで青森市の墓参りの状況が報じられていましたが、なんと
スコップで2メーター以上の積雪を取り除いて墓碑を探し出していました。
  私は19日からふるさとである津軽半島の市浦村の「閉村式」に参加しますが、途中から車で行
かなければならないので、あんなに積雪があるのでは無事にたどり着けるかどうか心配になってき
ました。



●  3月 16日  (水曜日) 

     いよいよ花粉の大襲来。一日中、「気分すぐれず」の状態。

  春らしい気候になるに従って、いよいよ「スギ花粉」が飛び交う状態になってきました。
  私は、毎朝、家から区役所まで自転車で通っていますが、今日はそれとなく数えていたら、10
0人以上もの人がマスクをしていました。半月位前はせいぜい10人程度だったのに、ここ4、5
日でマスク姿が10倍ぐらいになったような気がします。
  今年は花粉が例年の20倍とか30倍とかいわれていたので大分前から薬を飲んで、予防してい
たつもりですが、とにかくひどい状態です。効果がありません。最も、前々から予防していたから
この程度で済んでいるという事になるのかも知れませんが〜。


  今日は、朝から区議会の「福祉健康委員会」が開かれました。議案の審議をしました。区長部局
のほうからさまざまな事業の報告案件もあり、また、4時から共産党区議団が出していた「議員提
出議案」の審査もあったので、夕方の5時半ごろまでかかりました。


●  3月 15日  (火曜日) 

     今日は区議会の予備日、頼まれていた仕事をしました。

  10日間にわたって連日開かれた予算特別委員会は昨日終了しました。明日からは常任委員会や
常設の地方分権特別委員会などが開かれますが、今日は予備日です。私も久し振りにゆっくり起き、
頼まれていた色々な仕事や事務処理などをしました。

  私のふるさとの市浦村は、合併で3月28日をもって閉村になりますが、20日に市浦村で行わ
れる「閉村式」に出席するために、私も何年かぶりにふるさとに帰ります。飛行機は欠航の危険性
があるのでJRで帰りますが、今日、その切符を買うのに随分時間がかかりました。挙句の果てに、
希望する時間帯の切符が買えなかったのでがっかりしました。

  夕方、知り合いから電話があり、今年の秋に私たちが開く予定の「バザー」に品物をいっぱ出し
ていただきました。大学の先輩ですがいつも協力してくれます。有り難い限りです。


●  3月 14日  (月曜日) 

    10日間の予算委員会終了、議案には全て反対しました。

  今日は、予算委員会の最終日です。「締めくくり質疑」「討論」「採決」が順次行われました。
私は今日の「締めくくり質疑」で職員の年齢構成が偏っている傾向にあるから計画的な採用が必要
である事や、来年度から中学校で使用する教科書の採択を公正盛大に行うこと、韓国のソウル市中
心区との友好都市提携を進めること、それに夏目漱石終焉の地に「漱石山房」を復元することなど
について質疑しました。10日間に及んだ予算委員会は、夜の六時半頃にようやく終了しました。
  討論の後、採決が行われましたが、私は提案された四本の予算関係議案には、第一号議案から第
四号議案まで全て反対しました。

  予算委員会終了後、大分遅れて新社会党新宿総支部の執行委員会に出席しました。新宿総支部は
もうすぐ第10回目の定期大会を開催しますが、そのための話し合いをしました。今日はそれぞれ
都合があり、出席者も少なかったので、充分な議論が出来なかったような気がしましたが、終わっ
てから会食した場所では議論百出でした。


●  3月 13日  (日曜日) 

   「四谷青少年管弦楽団」が盛大に第五回定期演奏会を開催。

  私の出身地の「関東ふるさと市浦会」の役員会が渋谷で開かれたので出席しました。久し振りで
す。市浦村は今月末で五所川原市、金木町と合併し、新しい「五所川原市」になるので、もうすぐ、
地図から消えます。3月20日に「閉村式」が市浦村で開かれますが、都合のつく人は参加しよう
という事で、今日はその具体的な打ち合わせをしました。私も19日から21日までの予定で久し
振りにふるさとに帰るつもりです。村には何人もの同級生がいますが、一緒に語り合いたいと思っ
ています。楽しみです。

 
 市浦会の役員会を中途で失礼し、三時過ぎから四谷区民センターで開かれた「四谷青少年管弦楽
団」の第五回演奏会に出席しました。四谷第四小学校を中心にした子どもたちの管弦楽団ですが、
なかなかたいしたものです。とても小学生中心の楽団とは思えない出来で、とにかくすばらしい演
奏会でした。夜は、JALシティホテルで発足五周年の記念祝賀会が開かれましたが、みんなで「
四谷青少年管弦楽団」のこれまでの活動を讃えました。今後の楽

団の前進を、大いに期待しています。


●  3月 12日  (土曜日) 

      東清掃の「退職者を送る会」が盛大に開かれました。

  新宿東清掃事務所の労働組合が、神楽坂のエミールで「退職者を送る会」を開いたので出席しま
した。三月末をもって8人がめでたく定年になります。東清掃事務所は、100人前後の職場です
が、大半の人が参加していた上に、歌とか踊りが次々と飛び出して、とても賑やかでした。
  健康に恵まれ、早期退職を強制されることもなく、最後まで勤め上げられるということはすばら
しいの一言に尽きます。退職された8人は、全員が再雇用になり、五年間は引き続き清掃の仕事に
従事します。そんなこともあって、実にさわやかな集まりでした



●  3月 11日  (金曜日) 

     きのうは 「東京都平和の日」、大空襲で30万人余が犠牲に。

  今日は予算委員会は9日目です。今日で「一般会計」と三つの「特別会計」の審議は終わ
りました。あと月曜日の委員会を一日残していますが、この日は締めくくり質疑と賛成・反
対の討論、採決が行われます。今日、私は三位一体改革の自治体に及ぼす影響や新宿区の財
政問題、都区制度改革などについて質疑をしました。委員会終了後、夜の10時ごろまで月
曜日の締めくくり質疑の準備をしました。少々くたびれました。

  昨日は「東京と平和の日」でした。ちょうど60年前のこの日、東京は米軍のB29爆撃
機300機による大空襲を受け、焦土と化しました。この空襲で100万人が焼け出され、
10数万人が犠牲になったと言われています。特に下町は大変な筆舌に言い尽くせない状態
だったということです。その後の空襲では、新宿区(当時は牛込区・四谷区・淀橋区)も区
域の大半が被災し、大被害を受けました。ヒロシマ・ナガサキの犠牲者、朝鮮の犠牲者、中
国の犠牲者、その他のアジア全土の犠牲者〜。何のために、何故、犠牲にならなければなら
なかったのか。当時よく言われた日本の「権益保持」のためか、「国体護持」のためか。そ
んな得体の知れないものの為に、2000万人もの人たちが二度とない命を落としたのだっ
た。そして、その人たちの貴重な遺産として私たちに託された「平和憲法」は、今、歴史か
ら何も学ぼうとしない人たちの「総攻撃」に遭
っているのです。


●  3月 10日  (木曜日) 

        野生のたぬきが住んでいる落合の森を開発から守れ。

  予算委員会は8日目。あと二日を残すだけになりました。今日は、昨日に引き続きと「土
木費」と「教育費」の審議が行われました。
  私は、「環境費」では、下落合四丁目のこんもりとした森がある屋敷の多くの樹木が業者
によって切り倒され、そこにマンションが建設されようとしている計画に対して、新宿区の
対応は、全庁あげてこの貴重なミドリを死守するという決意に満ちたものになっていないと
いうことを、批判をしながら幾つか質問をしました。
  この森には野生の狸が住んでいます。珍しい種類の鳥もいっぱい飛来します。新宿区内に
まだこんなところがあるのです。この森を絶対になくしたくはありません。

  「教育費」では、色々な事を質問したのでここに書ききれませんが、質問を貫いて私が言
いたかったことは、教育委員会は自立した組織として、その考えや姿勢を区民に明確にし、
透明性のある教育行政を創ってもらいたいということと、東京都教育委員会から完全に自立
して独自性を出していただきたいということでした。

  予算委員会が終わったあと、新宿駅などのバリアフリー問題で障害者団体の皆さんと意見
交換しました。また、私が住んでいるすぐ近くにあるマンションの方が新宿区役所に来てい
たので、建て替えの問題で最新の情報を聞かせてもらいました。


●  3月 9日  (水曜日)

          四谷大木戸に 「玉川上水」 の復元をはかろう

  予算委員会も今日は7日目です。「環境費」と「土木費」の審議が行われました。
  いつもどおり朝の10時から始まり、昼の休みを挟んで夕方の5時まで連続して質疑が交
わされました。
  私は、「環境費」では、家庭ごみの有料化の動きに対して反対の意思表明を織りまぜた質
問をし、「土木費」では、四谷大木戸の新宿御苑脇に玉川上水の復元を図る活動を強めるこ
とと渋谷川の清流回復に努めることについて区長の見解をただしました。玉川上水の復元に
ついて区長は、来年は新宿御苑開園100周年に当たるので、実現のために取り組みを強め
たいたいと発言しました。更に、区内に建設される建物の絶対高さを制限するという区役所
の提案に対して、その提案の仕方が余りにも乱暴すぎると批判した上で、充分に説明責任を
果たすように要望しました。
  また、この程、乗降客が一日150万人と言われる新宿駅や高田馬場駅などのバリアフリ
ーを進めるための「新宿区交通バリアフリー基本構想」が出来上がりましたが、これに関わ
った障害者や事業者、学識経験者、公募委員、区役所職員などの努力を高く評価しながら、
基本構想で述べられていることを実施するための諸課題について、私の考えを述べながら質
問をしました。担当部課長の答弁は、大変積極的なものでした。


●  3月 8日  (火曜日) 

      予算委員会六日目、ホームレス対策の推進などで質疑

  今日は予算委員会の6日目。「福祉費」と「健康費」の審議をしました。私は、ホームレ
ス対策や高齢者の社会参加システムをどのようにして構築するのかという問題などについて
質疑をしました。現在、東京都と23区は、ホームレスに安価な住宅を提供し、軽易な仕事
をしてもらうなどの救援対策を進めています。新宿中央公園と戸山公園でテント生活を送っ
ている約500人のホームレスのうち、この対策を受け入れたのは約400人ですが、すで
に約9割の人は、役所が準備した23区内のアパートにそれぞれ移り住んでいます。家賃は
月額3000円ということです。新宿区内のアパートには約130人が住み、軽易な仕事を
しています。
  このような施策によって、中央公園や戸山公園の青テントは随分少なくなりました。新宿
区は推進計画を作成し、更に効果的なホームレス対策を進めていくことにしています。

 
 予算委員会終了後、新宿駅のバリアフリー対策に取り組み、全ての駅ホームにエレベータ
ーの設置を実現させるなど大きな実績を上げている人から、新宿区政の交通バリアフリー対
策の課題についてのレクチャーを受けました。実に参考になりました。私は、あすの予算委
員会で新宿駅や他の交通機関のバリアフリー問題について質疑をするつもりです。


●  3月 7日  (月曜日)

    四谷商店会連合会の 「新年名詞交換会」 が開かれました。

  予算委員会の5日目です。今日は、「地域文化費」や「商工費」という項目を中心にした
議論がありました。いずれも私たち区民生活のあらゆる分野に関わる問題です。各委員から
熱心な質疑がありました。私も時間の許す限り、質問に立ちました。特に、監査委員の指摘
に基づいて新宿区の契約事務をより一層透明にするような対応が必要ではないかとに質しま
した。また、個人情報の保護や地域の歴史的な財産の掘り起こし、新しくつくられる地域組
織、四谷小売市場の存続問題などについても私の考えを述べ、質疑を交わしました。
  
 
 夜は、四谷商店会連合会の「新年名詞交換会」が信濃町駅前でのレストランで開かれたの
で出席しました。新年会にしては随分時期遅れの集まりですが、この会は、いつも今の時期
に開かれます。地域の区議会議員を代表して挨拶をするように言われたので、新宿区の商工
行政をちょっと紹介した後、四谷の歴史や文化を大切にし、先人の歴史的な遺産をみんなで
これからのまちづくりに生かしていこうという趣旨のことを申し上げました。


●  3月 6日  (日曜日) 

      昨日と今日は 「予算委員会」 の質問の整理をしました

  今年の新宿区議会の予算委員会も四日目が終了し、もうすぐ中間点を折り返そうとしてい
ます。きのうと今日は昼前に区議会に「出勤」して、予算委員会で行う予定の質問項目の調
査をしました。毎日、区役所の各部署からは、膨大な各種の報告書や資料、印刷物が出され
ています。すぐに机の上がいっぱいになってしまいます。これを読み込んで議会で質問をす
るのは結構大変な作業になります。日常的にできるだけ目を通すようにしていますが、つい
つい見過ごしてしまう資料も沢山です。今日はそんな資料も引っ張り出して見てみました。
  この二日間は、時間が取れたので、それなりに勉強をすることが出来ました。


●  3月 4日  (金曜日) 

     東京は三月では珍しく5センチの雪。青森は178センチ。
 

  今日未明から東京も珍しい三月に入ってからの雪模様になりました。大きな荷物があった
ので、区役所に行くのにタクシーに乗ったら、運転手は金沢出身の人で、雪になるとお客さ
んは随分増えるけれども、雪道になれていない車がのろのろとしか走らないので、かえって
イライラすると話していました。
  今日の都心部の積雪は5センチということですが、昨日、ふるさと青森は178センチの
雪でした。この冬の雪は、何と10メーターにもなったということです。


  今日も予算委員会が10時から開かれました。四日目です。夕方の5時まで続きました。
総務費関係の審議です。予算委員会は18人の議員で構成されていますが、今日は、無断欠
席中の麻生議員を除くほとんどの議員がそれぞれの問題意識に基づいて質問をしていました。

 
 午後6時から、久し振りに「同窓」の気の合う仲間が5人ほど集まって一杯やりました。


●  3月 3日  (木曜日) 

               今日は予算委員会の三日目です。
 

  今日は予算委員会の三日目です。今日は、小野きみ子議員(民主)、熊谷すみ子議員(公
明)が「総括質問」をしました。その後、議会費の審議に入り、鈴木(公明)、松が谷(共
産)、秋田(自民)、有馬(公明)、それに私、山田(社会)の五人が発言をしました。
  いま開かれている予算委員会では、例によって麻生議員(無所属)が初日から三日間連続
して欠席しています。いつもの事ですが、恐らく10日間全て欠席するつもりなのでしょう。
議会事務局が何度連絡しても音沙汰なしということです。配達証明つきの召集状を出しても
全くナシノツブテ。何を考えているのか、皆目見当がつきません。議長をはじめ、議会事務
局もホトホト困りきっています。


●  3月 2日  (水曜日) 

        予算委員会、今日は私が 「総括質問」 をしました。
 

  予算委員会の二日目です。今日は、秋田博議員(自民)、漆原順一議員(無所属)、それ
に私が「総括質問」をしました。私は、新宿区基本構想の見直しや新宿区民会議、出張所ご
とに作る予定の地区協議会、特別区制度改革、三位一体改革の区財政への影響などについて、
私の考えを述べ、区長の見解を質しました。予定時間が二時間しかありませんから、基本的
な問題に限っての質問になりました。詳細にわたる質問は、4日目以降にする予定で

  今朝、ふるさとの市浦村に住んでいる同級生から電話がありました。私が3月20日に開
かれる市浦村の「閉村式」に出席することを聞いたということで、是非、自分の家に泊まる
ようにというお誘いでした。実に嬉しいことです。今、市浦村には6、7人の同級生がいる
ので、今度帰った時には、みんなと会ってサケを飲みたいと思っています。
  青森地方はこの冬、大雪に見舞われていますが、今日、青森市では1メートル75センチ
もの雪が降ったということです。


●  3月 1日  (火曜日) 

        予算委員会スタート、これから10日間、連日開会。

  今日は、予算委員会の初日です。これから10日間、連日、朝10時から午後5時まで委
員会が開かれ、質疑が交わされます。今日は、中山区長の挨拶や予算概要の説明の後、共産
党区議団の沢田委員が「総括質問」をしました。

  昨夜は、私のふるさとの「高松市浦村長を励ます会」が浜松町で開かれました。私は、議
会で遅くなったので、赤坂見附の二次会に参加しましたが、その後、市浦村の出身者や村会
議員たちと近くの居酒屋に寄り、積もる話題を色々話し込んでいたら、結局、未明の二時過
ぎにまでなってしまいました。
  津軽地方は、連日、大雪だそうです。今年は、雪国・津軽でも珍しいくらいの大雪に見舞
われています。このために、屋根からの雪下ろしで怪我をしたり、上から落ちてきた雪の下
敷きになり、窒息死した人もいたということです。また、おろした雪の捨て場を巡って近所
がいがみあったりする事もあるそうで、とにかく、雪には慣れている市浦の人たちも今年ば
かりはあまりの雪でホトホト困っているということでした。
  市浦村は、今月28日で五所川原市と合併します。新・五所川原市の市域に入り、市浦村
は地図から消えてしまいます。さびしい限りです。今月の20日には、市浦村で「閉村式」
が行われますが、丁度連休なので、私も出席することにしました。