私 の 活 動 日 記
―――――――――――――――――――――――――――――――
(2005年4月分)
● 4月 28 日 (木曜日)
区議会の控え室で書類や手紙の整理をしました。
今日は珍しく会議などはなかったので、少々遅めに区議会に行き、溜まっていた書類の整理や手
紙類の整理をしました。毎日のように様々な印刷物が区役所の各部署から届けられるので、あっと
いう間に机の上はいっぱいになってしまいます。それらにいちいち目を通すのも大変時間がかかる
ことです。
尼崎の列車脱線事故の犠牲者は、ついに100人を超えました。犠牲になった方々は、年代の若
い人が多いということです。自家用車で出かける予定だったのに、列車のほうが安全だからと言っ
てこの電車に乗った人もいたということです。全く一瞬の出来事で落命したことの無念を思うと、
テレビの映像も正視できなくなります。
● 4月 27 日 (水曜日)
何故、郵便局は「民営化」されなければならないのか。
自民党の中で郵政民営化の議論が大詰めを迎えているということです。郵便局が民営化されるこ
とによって、私たちの生活がどのような好ましい影響を受けることになるのか、私はよく解りませ
ん。しかし、銀行やゼネコンなどの大企業にとっては利潤追求の機会が拡大する最も好ましい選択
であることはよくわかることです。
「国民不在の郵政民営化劇」にはいい加減イヤになります。
尼崎の列車脱線事故は、報道のたびに驚くほど死者の数が増え、実に100人を超すかもしれな
いということです。テレビで関係者の姿を見るのも気がひける思いがします。
本当に悲惨な事故ですが、事故が発生した最大の原因として、一秒単位で管理されている運転手
の労働実態にあることも次第に明らかになってきました。このような職場の実態は再発防止のため
にも徹底的に究明されるべきだと思います。
今日は10時過ぎから正午前まで、区役所を尋ねてきた知人と地域社会のあり方などについて話
し合いました。町会を含めて、地域の組織は次第に近代化されてきているけれども、まだ民主主義
とは程遠い昔の残滓が払拭されていないということを、知人はさまざまな例を引いて指摘してまし
た。私も同感な部分が随分あり、大変参考になりました。
私は、地域をおさめる「自治組織」を創ることがこれからの自治体の大きな課題だと思っていま
すが、知人が指摘する地域の実態を聞いていると、それは容易に成し遂げられる課題ではないよう
にも思われてきます。
● 4月 26 日 (火曜日)
皆さんから
「区政に対するハガキ」 をいただいています。
朝の10時から「議会改革を進める小委員会」が開かれました。この小委員会はこれまで2年弱
の間に30回にわたって開催され、様々な課題について検討してきましたが、全会一致を原則とし
ているので、なかなか簡単には結論を導きだすという具合にはなりませんでした。しかし、相当の
成果を挙げることが出来たと思っています。今日で任期切れになりますが、議会としては引き続き
何らかの形で議会改革の検討会がもたれる事になっています。
今日は、予算委員会と決算委員会の運営に関して、質問時間を制限することの是非について議論
が戦わされました。予算委員会も決算委員会も限りある日時の中で開かれる会議ですので、全体的
な時間の調整は必要だと思いますが、細かく時間の振り分けをして、その時間の中でしか質問が出
来ないというやり方については、私は反対です。
私は、自治体の議会は時間で質問を縛るという事ではなく、出来るだけ自由に質疑をするのが望
ましいと考えています。共産党も私と同じような考えですが、自民党や公明党や民主党などは時間
制限を主張しています。議論は平行線で結論は持ち越しになりました。
この他に、議員から選ぶ監査委員の選出の方法や本会議場の傍聴席である議員が代表質問や一般
質問の原稿を配布することの是非などについても議論が行われました。
私が二ヶ月に一回発行し、四谷地区の全域に配付している「こんにちは社会党です」の4月号に
は、返信用のハガキを挟んで区政についての様々な要望や意見を書いていただいていますが、随分、
返事をいただいています。中にはふざけたようなハガキもありますが、大半は誠実に自分の意見や
考えを書いています。まだ、返信を受け取っている最中なので、そのうち一段落したらきちんと整
理し、何らかの方法で発表したいと思っています。
区政に臨む私の重要な指針になります。
● 4月 25 日 (月曜日)
衆議院補欠選挙、何を選択する選挙だったのか。
きのう投票が行われた二つの衆議院統一補欠選挙では、自民党候補が民主党候補を振り切って議
席を確保しました。この選挙は政策的にはあまり違いのない自民党と民主党の戦いですが、それで
も自民党候補が勝ったことで、自民党は「郵政民営化」に弾みがついたと言うし、また、民主党の
方は、岡田党首ではこれから選挙が闘えないという責任論が早くも浮上しているということです。
しかし、今一番重要な政治課題である「憲法改正の是非」については、両党の主張にほとんど違
いがない保守政党どおしの争いですから、どっちが勝っても負けても、国政に与える影響は特別大
きなものがあるわけではないし、緊迫感もあるようには思われません。
きのうの日曜日、自治体の選挙も各地で行われました。私の友人が立候補した都下の瑞穂町会議
員補欠選挙では、一議席を争う選挙でしたが、友人が圧勝しました。うれしい限りです。また、3
月末に合併した私のふるさとの青森県五所川原市では、市長選挙が行われ、予想通り現職市長が順
当に勝利しました。
今朝、尼崎で列車脱線事故が発生、夜12時前の今のテレビでは、56人の死者が確認されてい
るという事です。私が小さかった頃は、国鉄の大事故は随分各所で次々と起こっていましたが、最
近ではこのような列車の人身事故はほとんど起こっていません。それだけに、テレビを見ていても
痛ましい気になってきます。
夜、新社会党新宿総支部の執行委員会に出席。5月は、党の新宿総支部、東京都本部、中央本部
の定期大会が毎土曜日・日曜日に相次いで開催されます。忙しい月になります。
● 4月 23 日 (土曜日)
重度知的障害者グムープホームの開所式に出席。
社会福祉法人の「新宿区障害者福祉協会」は、新宿区百人町に重度の知的障害者グムープホーム
を建設していましたが、この程完成し、今日、落成式が行われました。施設の定数は6人ですが、
すでに入居者は決まっているそうです。前に私と同じ大京町に住んでいた人の子どもも今度この施
設に入ることになったということで、今日、久し振りにお会いしましたが、随分喜んでいました。
この施設建設に当たっては、地元の一部の人が「障害者施設はこの町にふさわしくない」という
事で反対し、区議会にも陳情書を提出していましたが、議会は全会一致で不採択にし、施設建設を
側面から支援していました。
言うまでもなく、健常者も障害者も一緒に地域で生活することが「当たり前の社会」です。この
ような施設が、これからも新宿区内のあちこちの町に次々と建設されていく事を願っています。
夕方から、近所に「こんにちは社会党です」を配付しました。昨日から特に花粉の量が多くなっ
たような気がしていますが、チラシを配っている間も涙が止まらないので往生しました。
● 4月22日 (金曜日)
東清掃委員長の 「退職を祝う会」 に参加しました。
午後5時半から麹町の「スクワール四谷」で東京清掃新宿東支部委員長の「伊藤茂治さんを送る
会」が開かれたので、私たち夫婦も参加しました。伊藤さんとは、随分前からの懇意にしてもらっ
ていますが、このたびめでたく定年退職ということになりました。
「送る会」は、奥さんや二人の娘さんも出席しましたが、伊藤さんの後輩の若い人たちが実行委
員会を作って主催したという事で、全然形式にとらわれない手作りの暖かい雰囲気に包まれたもの
でした。常に働く者の立場にたって行動してきた伊藤さんの人柄が良く出ていた「送る会」でした。
私も楽しいひとときを過ごすことが出来ました。
● 4月 21 日 (木曜日)
西多摩・瑞穂町の町議会議員選挙の応援に行きました。
東京の西多摩郡瑞穂町で19日から町長選挙と町議会議員補欠選挙が行われています。
町議会の補欠選挙には私の友人の近藤ひろしさんが立候補しているので、今日は朝から応援に出
かけました。夕方までほとんど私がマイクを握って、大学の後輩でもある近藤候補へのご支援をお
願いしました。
補選の定数は一人ですが、立候補者はたったの二人です。もう一人の候補者の評判を聞くと、近
藤ひろし候補の勝利は固いという確信を持つことができました。
● 4月 20 日 (水曜日)
四谷飲食業組合が定期総会、再度、顧問に選出されました。
今日午後2時から、東京大飯店で「四谷飲食業組合」の定期総会が開催されました。
区長の代理として渡辺新宿保健所長が出席、議会からは山添区議会議長や田中福祉健康委員長も
来賓として参加しました。総会は予定通りスムーズに終了し、役員改選では現職が全員が留任しま
した。私も、小澤元区議会議長と共に引き続き顧問として留任しました。
● 4月 19 日 (火曜日)
「議会は区長の付属機関」 ならば話は別ですが〜。
今日は「地方分権特別委員会」と「議会改革を進める小委員会」が相次いで開かれました。
小委員会では、今度、活動を再開する区長の付属機関の「基本構想審議会」に議会として参加す
るかどうかが議論になりました。
私は、執行機関と議決機関の本来的な役割分担を考えるならば、区長が作る付属機関には議会は
参加すべきではなく、議会としては「特別委員会」をつくるなどによって、独自に対応すべきだと
主張しました。しかし、驚いたことに、公明党・共産党・自民党・民主党などの各党の委員もその
他の委員も、みんな私の主張は正論であると認めながら、「しかし」、重要な課題だからとか、発
言の場を確保するとかの理由で、こぞって、「参加すべきだ」という態度でした。従って、「意見
の一致は見られなかった」から、従来どおり、区長設置の付属機関に議会も委員を送り込むという
不本意な結論になりました。
地方自治が更に成熟していかなければならないこの時代に、議会と首長の本来的な立場の違いを
横において、何時までも区長が設置する付属機関に参加するなどというのは、議決機関の採るべき
選択としては、私には実に奇妙に思われてなりません。ただ、区長側としては、これまで通り、議
会が自分の作った審議会に参加したほうが何かと対応しやすいという事だろうと思いますが、それ
に議会側が乗ってしまったというならば、新宿の議会も随分なめられたものです。
ただし、もともと「議会は区長の付属機関である」というようなものであるならば、私の主張の
方が間違っていると思いますけれども、ねぇ〜。
● 4月 18 日 (月曜日)
夕方帰宅しました。花粉が峠を越したようですが〜。
暫く家を留守にしていました。前々から訪ねたいところがあって、昨年、長い勤務生活を退職し
た連れ合いと、珍しく慣れない「旅」をしていました。
花粉の飛散がほとんどないところに行っていましたが、症状が深刻な私としては大助かりでした。
今日、久し振りに電車に乗って帰ってきましたが、マスクをしている人はほとんどいませんでした。
東京でもスギ花粉のピークは過ぎたのかなあと思いましたが、しかし、まだまだ「非常に多い」が
暫くは続くようで悩ましい限りかぎりです。
早速、留守の間の留守電の点検や手紙類の整理をしました。
夜は、八丁堀の党中央本部で会議があったので出席しました。東京の西多摩郡瑞穂町で急遽、町
議会の補欠選挙が行われることになりました。明日が告示で24日が投票日ですが、友人が立候補
するになりました。今夜はその対応などについて協議しました。
● 4月 10 日 (日曜日)
今日からしばらく留守にします。学校やアルバイトがない時は、子どもが
一応責任を持って「留守番」をすることになっています。
何か用事があった場合には、いつでもご連絡いただきたいと思っていますが、
留守番がいない時には、どうかお名前を「留守電」に入れておいて下さい。帰
り次第、早急に対応します。
● 4月 9 日 (土曜日)
新宿御苑で 「民団新宿支部」 の桜を見る会に出席。
いま、新宿御苑は桜の花が満開です。今日は、小泉首相主催の「桜を見る会」が朝早くから開か
れ、招待客で賑わったようですが、随分早めに終わったようで、10時過ぎにはいつものように一
般公開されたということです。
今日の昼前から韓国の人たちでつくっている民団新宿支部恒例の「観桜会」の招待を受けていた
ので、久し振りに新宿御苑に入りましたが、今日は、広大な新宿御苑も、文字通り、桜見物の人の
波で埋め尽くされている感じがしました。
各種の桜の花も競い合うように咲いていて、さすがに桜の名所と言われているだけあって、実に
見事なものでした。
民団の桜の花見はそこそこで失礼し、明日からしばらく出かけて家を留守にするので、その間の
対応をしました。この期間に行われる入学式や組合の大会などに祝電をうったり、各種の郵便物の
発送をしたり、事務所の整理をしたりしましたが、結局夜遅くまでかかってしまいました。
● 4月 8 日 (金曜日)
「星 弘道近作書展」 を鑑賞、圧倒的な存在感でした。
午後、東京銀座画廊で開かれている「星 弘道 近作書展」を見に行きました。
星弘道さんは、須賀町の日蓮宗・戒行寺の住職で、私は前々から知っていましたが、先日、作品
展のご案内をいただいて初めて書道の大家であることを知りました。
書展の会場に入って、まず、一つ一つの作品群の圧倒的な存在感に驚きました。
住職から説明をしてもらう機会がありましたが、この書展に展示をしているのは、ここ一年ほど
で創り上げた作品ということです。幾つかの大作は、大きすぎるので、会場の中で装丁したという
ことでした。搬出する時もばらすのだそうです。何点かは、展示先が決まっているという事です。
じっくりと鑑賞させていただきましたが、一つ一つの作品の、その一字一字に何か訴えるものが
あるように感じました。
このような作品を後々の世にまで残すことができることを実に羨ましく思いました。
● 4月 7 日 (木曜日)
桜は満開、今日は四谷中学校の入学式に出席しました。
今日は、新宿区立中学校の入学式です。私は四谷中学校の式典に参加しました。新入生は107
人。今年も3クラス編成です。30人学級だと4クラスになるところですが、3クラスだと平均で
35人になりますから、ちょっと多いという感じがしました。早急に30人以下学級の体制にした
いものです。
新入生の中には、外国人を親に持つ生徒も随分いました。新宿区民の10人に一人が外国人です
から、外国人の児童・生徒が多くなるも当たり前ですが、このような状態になればなるほど、何が
何でも「日の丸・君が代」を強制するという東京都教育委員会のやり方が、教育現場の実態にあっ
ていないことを痛感せざるをえません。
午後から八丁堀で開かれた党中央本部の会議に出席、夜は、党都本部の執行委員会に出席しまし
た。当面する憲法擁護の活動や次期の衆議院選挙・参議院選挙などについて話し合いをしましたが、
とにかくわが党にはカネがありません。その工面をどうするか、頭痛のタネです。日本歯科医師会
から1億円も貰ったのに、貰った本人は、そのことを知らないとうそぶくような政党・政治家がい
るというのに、私たちのほうは、数万円を捻出するのに四苦八苦している状態なのです。
● 4月 6日 (水曜日)
区立小学校で入学式、私は四谷第六小学校に出席しました。
今日は、新宿区立小学校の入学式が一斉に行われました。
私は、近くの区立四谷第六小学校の入学式に参列しました。今年の新入生は28人でしたが、男
子は7人、女の子は21人でした。極端なアンバランスです。昨年は、男21人、女8人で全く逆
でした。年によってこんなに違うものかと思いました。
それにしても子供の数は随分少なくなったものです。私がこの小学校のPTAの会長をしていた
のは10年前ですが、全校では今の二倍ぐらいの子供がいました。あっと言う間に半分以下になっ
てしまいました。驚くべき減少数です。
午後から、ポスター張りをしました。あいにく「花粉」の総攻撃にあい、途中で気分が悪くなり、
予定の地域の半分ほどで断念しました。
夜は、地元の建築関係の説明会に出席し、引き続いて新社会党新宿総支部の執行委員会に参加し、
当面の諸活動について協議しました。
● 4月 5日 (火曜日)
手書きのポスター作りをしました。
花粉の飛散が少ない時に張ります。
私は、一年を通してA3版の「手作りポスター」を何種類も街頭に貼っていますが、今日午後、
これから張る予定の新しいポスター作りをしました。今回のポスターの内容は、先日の区議会で決
定した予算に関わるもので、主に2007年4月に開校予定の四谷小学校やそれに併設される「幼
保一元化施設」を紹介したものにしました。案外早く出来上がったので、二三日中に街頭に張る予
定です。できれば「花粉」がなるべく少ない日に張りたいものだと思っています。雨が降っている
日は花粉が少ないので一番いいのですが、ポスター張りには不向きです。
今日午前中は、東京女子医大病院に行って定期健診をしてもらいました。「花粉症」にはホトホ
ト困りきっていますが、その他は、現在のところ健康ということなので安心しました。
● 4月 4日 (月曜日)
何のために 郵便局を民営化しなければならないのか。
郵政民営化法案の「政府案」が今日決まりました。そもそも、何のために郵便事業を民営化しな
ければならないのか、多くの国民はまともな説明を受けていませんし、従って、特別な関心を持っ
てこの問題の帰趨を見つめているわけではありませんが、今日決まったとされる「政府案」を見て
みると、ますます、問題の所在が不明になってしまいます。もともと小泉首相が考えていた「完全
民営化」とは全然違う内容の「政府案」ですが、当の小泉首相は、表向きは「いい政府案が出来た
でしょう」と自慢しているのだから、この男は「何を言っているのだ」と言いたくなります。
それにしても、小泉首相が日本の舵取りを始めてから相当の年数になりまた。この間、武装した
自衛隊が初めて海外の戦闘地域に出かけたり、「戦争するための準備法律」が次々と作られたりし
て、とんでもないことになってしまいましたが、一方で私たち庶民生活はというと、こちらは確実
に苦しくなっています。医療や年金掛け金は上がり、消費税率引き上げの動きも強まっています。
要するに、小泉首相には国民生活を安定させ、向上させていく能力がないということです。政治
スタイルが今までの首相と違うところがあったから、何か新鮮味を感じたということかも知れませ
ん。そういう幻想を持った人は随分いたのかも知りませんが、幻想は所詮、幻想でしかないという
ことです。
小泉首相に代わるまともな指導者が他にいないのかも知りませんが、もういこんな男には、いい
加減に辞めてもらいたいものです。
今夜は新社会党東京都本部の「定例執行委員会」。5月に第10回目の定期大会を開催するので、
今日は、大会に提案する議案書の討議などをしました。
● 4月 3日 (日曜日)
四谷地域センター角の「コヒガンザクラ」は、いま満開です。
二三日前に、桜の「開花宣言」が予定より何日か遅れたとかいうたわいないことが話題になって
いましたが、今日、区議会で急に仕事をすることができたので、行く途中、四谷地域センターの前
を通ったら、敷地の角に植えられている「コヒガンザクラ」が満開の状態でした。薄いピンク色を
した上品なこの桜は、新宿区と友好都市の関係を結んでいる高遠町からいただいたもので、「門外
不出」といわれている貴重な桜です。沢山の人が鑑賞に来ていました。
柵の外側からしか見ていませんが、新宿御苑も大賑わいの状態でした。きっと、御苑の桜も咲き
始めたのだと思います。そのうち、ゆっくりと桜見物でもしたいものですねぇ〜。
● 4月 2日 (土曜日)
候補者会議や定期大会の議案書づくりなど。
午前中は、自宅で新社会党中央本部や新宿総支部の定期大会の議案書づくりをしました。家族も
全部出かけたので、私はひげもまともにそらず、パジャマのままでパソコンやワープロに向かって
作業をしていたら、突然、四谷中学校の新旧の校長先生が新任・転出の挨拶にこられたのでビック
リしました。みっともない格好での挨拶になりました。
午後からは、党の都本部事務所で行われた「候補者会議」に出席しました。今日は、出席率も良
く、様々な情報交換が出来ました。
● 4月 1日 (金曜日)
第56回目の 「四谷花まつり」 で新宿通りを行進。
恒例の四谷仏教会主催の「四谷花まつり」が正午から行われました。
「花まつり」は釈迦の誕生日を祝って各地で行われているものですが、四谷の場合は歴史が古く、
今年で第56回目になります。本来は、釈迦の誕生日の4月8日がその日に当たりますが、子ども
たちの春休みの関係で、四谷地区では繰り上げて実施されています。
今年は、60人余の綺麗に着飾った「お稚児さん」を中心に、各寺の住職や私たちのような来賓、
鼓笛バンドなどが行列をつくり、服部半蔵の槍を所蔵している西念寺を出発、新宿通りをしゃなり
しゃなりとお洒落に通って四谷四丁目の笹寺まで行進しました。
笹寺では、釈迦の誕生仏にみんなで甘茶をかけてお祝いをしました。
なかなか風情のあるいい行事です。四谷にある各寺のご住職も豪華な僧衣をまとっていましたが、
風格を感じました。また、裏方として支援していた々も随分おりました。
ただ、私自身は「花粉症」のために、行進中も涙と鼻がとまらないで、実にみっともない思いを
しました。「花まつり」に「鼻」ですから洒落にもなりません。