私の「活動日記」です!
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(2005年5月分)
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5月31日 (火曜日)
名大関・貴ノ花の余りにも早すぎる55歳の死。
きのう、名大関と言われた「貴ノ花」が亡くなりました。早すぎる55歳の人生でした。栃錦と
共に一時代を築いた兄の横綱若乃花(初代)と共に青森県弘前市の出身ですが、私が生まれた所か
らそんなに離れていない「地元の力士」でした。私は「若貴兄弟」は余り好きではありませんが、
彼らの父親の「大関・貴ノ花」と叔父さんの「横綱・若乃花」は大好きでした。子どもの頃、巡業
で私たちの地区に来た時に見に行きましたが、「土俵の鬼」と言われた若乃花が一門の力士を相手
にして延々と続ける稽古が余りに激しかったので、見物に来ていた周りの人が悲鳴を上げて、「も
う止めてくれ!」とか「死んでしまうぞ!」と叫んでいたのを思い出します。
若乃花も貴ノ花も体重が軽く、体力的には恵まれていませんでしたが、名だたる「花籠部屋の荒
稽古」で鍛えられ、若乃花は横綱に、そして貴ノ花は大関になったのでした。貴ノ花は、兄の若乃
花と同じように、華があり、それでいて土俵の土の匂いがするような風格のある力士でした。これ
から相撲界でいろいろ果たすべき事があっただろうに、惜しんでも惜しみきれない早すぎる55歳
の死です。
新宿総支部機関紙 「こんにちは社会党です」 を作成・印刷。
新社会党新宿総支部の機関紙「こんにちは社会党です」を作成し、都本部にある高速印刷機で印
刷しました。二ヶ月に一度、四谷地区全域に配付しているものです。印刷作業は順調に進みました
が、途中でインク切れになってしまい、あいにく在庫がなかったので、残念ながら中断になってし
まいました。印刷を今日中に終え、あとは二つ折りの作業に入る予定でしたが、計画が狂ってしま
いました。
● 5月30日 (月曜日)
情報は「必ず漏れる」「必ず悪用される」 という認識が必要。
この社会には様々な情報が溢れています。役所が持っている膨大な情報は徹底的に開示しなけれ
ばなりませんが、一方、個人の情報保護は逆に確実に保護することが必要です。
私は、情報は「必ずもれる」「必ず悪用される」という認識が必要だと思っています。それが明
日か、一年後か10年後か20年後かは分かりませんが、情報とはそもそもそんな性格のものです。
きのう、政府が進めている「住民基本台帳ネットワークシステム」(住基ネット)のプライバシ
ー保護に関して、金沢地裁が画期的な判決を下しました。住基ネットからの離脱を認めるというも
のです。
このシステムは、全国民に11桁の番号を付け、氏名、性別、住所、生年月日の四情報を国の関連
機関が一括して管理しているもので、自分の意志に反して私自身もこのシステムの中に組み入れら
れており、関連法上は私が自分の意志で離脱することは認められていません。
しかし、その離脱を金沢地裁は認めたものです。
住基ネットは、実に危険なシステムです。導入時の今は四つの情報だけしか入っていませんが、
ほぼ無制限といってもいいくらいの情報を入れることができる容量があります。自分の家族の事は
もちろん、個人の所得や税金、通院や病歴、学歴、職歴、結婚歴、離婚歴など、何でも入れること
が可能なのです。こういう大事な情報を信用できない国の機関が一括して管理するというのですか
ら、全く危険極まりないハナシです。
きのうの判決でも「国民は丸裸になる」ということが言われました。その通りだと思います。丸
裸は嫌だから「憲法上、離脱する権利がある」というのです。
今後、高裁や最高裁で争われると思いますが、いずれにしても国民が懸念していることを吸い上
げてくれた画期的な判決です。
今まで通り、この問題をこれからも区議会の中でも取り上げていきたいと思っています。
● 5月29日 (日曜日)
新社会党・第10回全国大会、護憲の闘いを党活動の重点に。
昨日の午後一時から今日午後三時まで、墨田リバーサイドホールで新社会党第10回定期全国大
会が開かれました。全国から参集した代議員が、各地の運動を報告し、特に、護憲の闘いをどう構
築するかなどについて、率直な意見交換をしました。
この大会には、韓国で躍進が著しい「韓国民主労働党」の幹部が招待されました。大会第一日目
が終了した昨日の六時から、女性史研究家の鈴木裕子さんも参加して「日韓の平和運動をどう進め
るか」というテーマで、シンポジュームも開かれました。会場からは次々と質問も出され、活気に
満ちた会合になりました。
今回の大会では役員を改選しましたが、新委員長に栗原君子さん(元参議院議員)、新書記長に
は横堀正一さん(現副書記長)を選出しました。その他の執行委員、中央委員などは大半が留任し
ました。私は引き続き「自治体委員長」を務めることになりました。
大会終了後、浅草のレストランで新社会党の新役員と韓国民主労働党代表が約20人ほど出席し、
懇談会が開かれました。今後の両党の交流について意見交換をしました。
● 5月27日 (金曜日)
四谷区民センターで 「憲法九条」 を守るつどい。
全国の多くの地域で「憲法を変えさせてはならない」「九条を守ろう」という集まりがもたれて
います。まだまだ護憲の盛り上がりは充分ではありませんが、地域・職場・学園のいたるところに
に「憲法擁護」のうねりを巻き起こしていかなければなりません。そうしなければ「私たちの最大
の財産」を守るきることは出来ません。
今日は夜六時半から、四谷区民ホールで「憲法九条を生活の基盤に!」という集いが持たれ、憲
法学者の奥平康弘さんや前沖縄県知事の大田昌秀さんが講演をしました。
大田さんは、自分が悲惨な沖縄戦を闘った体験や知事時代の活動について語り、「米軍の基地だ
らけの沖縄は憲法とは最も遠い場所に置かれてきたが、しかし、沖縄県民はどこの県民よりも最も
憲法を大切に思っている」と述べていました。僅か5%ぐらいの面積しかない沖縄に日本の軍事基
地の7割以上が集中している実態を背景にした、実に感動的な話でした。
明日から新社会党第10回定期全国大会が開かれます。
新宿区議会の第二回定例会がもうすぐ始まります。今日の午前、区議会の議会運営委員会が開か
れ、6月9日から区議会を開催することを決めました。
午後の三時からは八丁堀の党本部で中央執行委員会が開かれました。新社会党は28日と29日
の両日、都内で「第10回定期全国大会」を開きますが、執行委員会で最終の準備や必要な調整を
しました。新社会党は小さな政党ですが、どの政党よりも強い決意で護憲の運動を進めて行きます。
全国の党員を代表する代議員でその意志を固めあう大会です。
● 5月26日 (木曜日)
とんでもない! 小泉首相の靖国神社の参拝。
靖国神社には東条英機など日本の侵略戦争の責任者が祀られています。アジアの2000万人の
人たちに甚大な被害を与え、日本の300万人の人たちの命を奪ったその張本人たちがうやうやし
く奉られているのです。このような人たちが祀られている靖国神社を一国の総理大臣が公式に参拝
するというのは、どういう意味を持つかということは、いちいち言うまでもない事です。
被害者として中国や韓国が小泉首相の靖国神社参拝に対して認めがたいと主張をするのは、国際
的な常識からして当たり前のことです。
靖国神社のような歴史を持つ宗教団体の施設に総理大臣が参拝する意味合いは自明です。当たり
前の事ですが、靖国参拝は絶対にやめるべきです。戦争を賛美する神社の性格からしても総理大臣
として公式に参拝すべき施設ではありません。
小泉首相は、何か意気に感じて参拝を強行しようとしていますが、事の本質を勘違いしているの
ではないでしょうか。反対者を「抵抗勢力」として際立たせ、それに自分を対峙させるパフォーマ
ンスを行う「田舎芝居」はいい加減に止めて欲しいものです。実に稚拙です。こんな男が、日本を
国連の常任理事国に、と主張していること自体奇異な感じがします。
ドイツの戦後処理と比較すると、日本の未熟な対応には恥ずかしくなります。程度が低すぎるの
です。全てはこんな政府を選んでいる国民の責任ですが、日本人ももう少し歴史を直視し、日本の
過去に対して責任を持つ国民にならなければならないと思います。
最近、ヒトラーの自殺によりナチスが敗北して60周年になる記念集会で、ドイツのケーラー大
統領はこう発言しています。示唆に富む発言です。
「青年には過去の戦争の責任はない。しかし、戦争の実態を知り、その事実を伝えていく責任は
ある。ドイツの青年はその事を自覚している。」
今日は、午前中、区議会の「総務区民委員会」、午後は、来客の対応と意見書の作成、夜は、四
谷商店連会の定期総会・懇親会に出席、というスケジュールでした。
● 5月24日 (火曜日)
新宿区議会の 「平和祈念」 のイベントにご参加ください。
今日は朝から四つ常任委員会が開かれ、新宿区のそれぞの部課からどのような仕事をしているか
について、各委員会の新しい委員に対する説明が行われました。「事務事業説明」といいます。
先日の臨時区議会で、それぞれの議員の新しい委員会所属が決まりました。私は「総務区民委員
会」「地方分権行政改革委員会」「議会運営委員会」の三つの委員会に所属する事になりました。
それぞれの委員会の理事にも選任されましたが、いずれも重要な委員会ですので、充分にその任務
を果たしたいと思っています。
事務事業説明は24、25、26日の三日間にわたって実施されます。
新宿区議会は、6月9日午後一時から区議会の本会議場を利用して「平和祈念のイベント」を行
います。沖縄から、対馬丸の撃沈で奇跡的に一命を取り留めた上原清さんに来ていただいて「対馬
丸の悲劇」を話してもらいます。また、早稲田大学交響楽団アンサンブルにカタロニア民謡の「鳥
の歌」等を演奏したもらいます。いま、私たち議員が座っている本会議場の椅子に座って平和記念
行事に参加していただく区民を募集していますが、今日現在、まだ、満員にはなっていないという
事です。私たちが座っている議場の椅子はたいしたものではありませんが、普段、本会議場には入
れません。折角の機会ですので、是非、ご参加をいただき、議場の雰囲気も味わっていただきたい
と思っています。ご都合のつく方は、私にでも(3341-3074)、区議会事務局にでも(5273-3534)お問
い合わせください。
● 5月23日 (月曜日)
「あたらしい憲法のはなし」 の勉強会をしました。
「あたらしい憲法のはなし」という本があります。これは1947年8月に当時の文部省が中学
校一年生の準教科書として作り、使用したものです。新しい憲法が公布施行されて直後のことでし
た。この本は、1952年春まで使用されました。
私は、この本が大好きです。中学校向けの本ですから簡単に読むことが出来ます。今日、「学習
会」を開き、何人かの人たちと改めて読み合わせをし、意見交換をしました。
この本の一部を紹介します。こんなことかが書かれています。
「 〜 そこで今度の憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをき
めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争するためのものはいっさい持たないと
いうことです。これを「戦力の放棄」と言います。「放棄」とは「すててしまう」ということです。
しかし、みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より
さきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国とあらそいごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、
自分のいいぶんをとおそうとしないということです。なぜなら、いくさをしかけてもけっきょく、
自分の国をほろぼすようなはめになるからです。〜〜 」
本当に正しい指摘だと思います。日本の憲法は、ごく普通に読むとこのような解釈になるのです。
この本にはこのようなことが53ページにわたって分かりやすく書かれています。今では想像もつ
きませんが、この本は文部省が発行したものです。当時の文部省は憲法を正しく分析し、理解し
ていて、まともな官庁だったのです。
● 5月22日 (日曜日)
「合併礼賛」のふるさとの新聞が送られてきました。
さまざまな団体の総会開催の時期です。午後一時から「新宿区手をつなぐ親の会」の定期総会が
障害者センターで開かれ、夜六時からは、大京町町会定期総会が町会事務所で開かれました。
また、四谷少年野球春季大会の閉会式や党の憲法学習会も開かれたので、一日中、あっちへ行っ
たりこっちへ行ったりしました。
友人から、出身地の村が合併し、新しい名前に生まれ変わりましたが、それを報じた二種類の地
元の新聞が送られてきました。私が生まれたのは、青森県北津軽郡市浦村というところですが、合
併で五所川原市に併合されたので、市浦村は地図の上からは消えてなくなってしまいました。新聞
は、合併を祝する記事で満載ですが、合併礼賛の記事を読めば読むほど、改めてさびしい感じにな
ってきます。
● 5月21日 (土曜日)
「社会保障と年金の学習会」 に参加しました。
午前中は、5月28日と29日の両日、都内で開催する「新社会党第10回定期全国大会」の
打ち合わせをしました。午後は、四谷の都本部事務所で神戸大学の二宮厚美教授が書いた「構造
改革下の社会保障と年金の基本問題」という難しいタイトルの論文を使い、何人かで学習会をし、
最近のそれぞれの活動の交流をしました。
夕食の後、高島哲哉や石山久男などが共同で執筆した『とめよう!戦争への教育』(教育基本法
「改正」と教科書問題) を読みました。
● 5月20日 (金曜日)
歴史の事実に目をつむる「つくる会」が
編集した中学校教科書の採択を止めさせよう!
「新しい歴史をつくる会」という団体があります。この「つくる会」が編集し、扶桑社が出版
している教科書は、中国・朝鮮などアジア諸国に対する先の侵略戦争を捏造し、これを美化する
というとんでもない内容です。
例えば、当時の日本軍国主義者たちが中国に攻めいった「侵略」を、単に「進出」と表現して
るなどで、このようなことは随所にあります。南京大虐殺、731細菌部隊、強制連行、「慰安
婦」、東南アジアでの労務者の強制連行、創氏改名など朝鮮・台湾での同化政策、天皇忠誠心の
強要など、アジア諸国への加害の事実にはほとんど触れなれていないというとんでもない「歴史
教科書」です。中国や韓国で問題視されるのは当たり前です。
しかし、不当にもこんなものが文部省の検定はパスしているのです。
今年は、来年度から中学校で使う教科書をどこの教科書会社のものにするかを選定する年に当
たりますが、全国的に「つくる会」が編集した捏造教科書を学校で使わせようとする大きな動き
があります。自民党の安倍副幹事長などは、その旗振り役を務めています。
どこの会社の教科書を使うかは、それぞれの自治体の教育委員会が決定します。新宿では8月
の初旬頃に新宿区教育委員会が決めます。
このような状況の中で、今日、「つくる会の教科書のここが問題・新宿学習会」という集まり
が高田馬場で開かれました。私はこの問題には大いに関心を持っており、3月の区議会の予算委
員会でも教科書検定について新宿区教育委員会の見解を質しましたが、今日の集会にも参加し、
いろいろと勉強してきました。
「つくる会」の捏造教科書を中学校に使わせようとする動きは、憲法や教育基本法改悪と一体
となったものです。「国家による人殺しを合法化するためには、学校教育で子どもたちに繰り返
し国家への忠誠心を叩き込まなければならない」といわれています。日本の少年たちを再び「軍
国少年」につくりあげてあげていくその最も大きな道具として、歴史の事実に目をつむる捏造教
科書を活用するということです。
絶対にこのような教科書を新宿区の中学校で使わせてはなりません。よもや新宿区の教育委員
会が「つくる会」の教科書のを採択を決めるとは考えませんが、皆さんと一緒になって、きちん
と監視し、新宿区で正当な教科書採択が行われるように必要な取り組みをしたい思っています。
● 5月19日 (木曜日)
臨時区議会開会、議長など議会人事が変わりました。
今日、新宿区議会の臨時区議会が開催され、議長、副議長、監査委員、常任委員会委員、議会
運営委員会委員などの改選が行われました。
議長には小畑通夫(公明)、副議長には宮坂俊文(自民)、監査委員には榎秀隆(無所属)の
各氏が新しく選出されました。常任委員会の委員も変わり、私は新しく「総務区民委員会」に所
属することになりました。また、二年ぶりに「議会運営委員会」にも復帰しました。
特別委員会の所属はこれまでと同じで「地方分権・行政改革推進特別委員会」です。
新宿区議会の人事の任期は、申し合わせで「2年」ということにしています。従って、今日決
まった人事が二年後の任期満了まで続くことなります。
● 5月18日 (水曜日)
朝日新聞全国版に「漱石山房復元へ」の記事が掲載。
今日の朝日新聞朝刊の全国版に「漱石山房復元へ」という記事が掲載されていました。
夏目漱石は、現在の新宿区喜久町で生まれ、新宿区早稲田南町でなくなりました。終焉の地と
なった早稲田南町の漱石山房には、芥川龍之介などの門人・知人が集まり、まさに当時の文壇の
象徴のような場所であった言われています。
この近代日本文学の財産とも言える漱石山房の復元は、私が区議会議員に当選した当初から、
30年以上も区議会で言い続けてきたことで、私は「漱石山房の復元は、漱石を生んだ自治体の
使命であり、義務である」と常に主張してきました。
従って、今日、新聞にこのような記事が報道されるのは、私にとって実に嬉しいことです。
しかし、この記事のタイトルは少々誇大なところがあります。実際は、漱石公園を三年計画で
改修する際に、漱石山房のうちの一部を復元させるというものです。私の願いとしては、現在、
漱石公園の隣にある区営住宅を隣接地に移転をし、完全なカタチで漱石山房を復元させるべきだ
と考えており、三月の予算委員会の際にも改めて区長にこのよう主張をしたところです。ただ、
現在のところは、区営住宅を移転させるのは難しいという判断から、今回のように公園の改修に
あわせて漱石山房の一部復元を追求するという事になったものです。
私は、一歩前進だと思っています。長い間の主張がちょっとでも実って良かったと思っていま
すが、もちろんこれで充分ということではありません。これを契機に完全復元を目指していかな
ければならないと思っています。
●
5月17日 (火曜日)
議会改革小委員会、30回の議論を経て「報告書」を提出。
新宿区議会は、改革を図って区民に分かりやすい議会をつくるために「議会改革を進める小委
員会」を作り、約一年余りの間に30回にわたって改革の議論をしてきました。私もこの小委員
会の委員を務めましたが、今日、これまでの成果を「地方分権特別委員会」に報告し、次の本会
議で確認することになりました。
改革項目は膨大な数にのぼりますが、例えば、会議の際に支払われていた費用弁償の金額を、
従来の5000円から23区では最も安い2500円にするとか、本議会での質疑を活性化する
ために、時間の目安を設け、「代表質問」と「一般質問」に分け、今までよりも多くの議員が質
問が出来るようにするなど、数十項目にわたって改善しました。
私が強く主張をしていた議員から選出される監査委員は区長の議案提出権を犯さないように、
区長に任せるべきだとか、区長が作っている付属機関の委員に議員が参加するのは止めるべきだ
とかという課題については、各党の主張が一致しないために今後の検討にゆだねられ、私自身は
幾つかの課題で不満はありますが、しかし、議会改革を進めるという点では、相当の成果を上げ
ることが出来たと思います。
これからも一層正すべきところは大胆に正して、区民から信頼される新宿区議会にしていく必
要があります。議会では、今後も適切な機関を設けて改革論議を進めていくことにしています。
今日は、夕方、一時間ほど地下鉄・四谷三丁目駅で演説をしました。
随分沢山の知り合いが通って手を振っていただくなどの激励を受けました。
● 5月16日 (月曜日)
チラシを作成して配ったり、週刊新社会の配達をしました。
今日は、区議会や党組織関係の会議や集まりはないので、皆さんから頼まれていたことの打ち
合わせや調査などを精力的に行いました。霞ヶ丘の団地にも行きましたが、そこでは、団地の中
での集団生活に関係するさまざまな問題について話を聞きました。宗教団体への加入を迫るしつ
こい勧誘や公私混同した対応などにはうんざりしているということでした。
また、5月27日(金)の午後6時半から四谷区民ホールで北澤洋子さんや国弘正雄さんが呼び
かけ人になって開催する「憲法九条を生活の基盤に!」という講演会(憲法学者の奥平康弘さん
と大田昌秀前沖縄知事が講演。会費500円)のチラシを新たに作成して知り合いに配ったり、
党の『週刊・新社会』の配付などもしました。
● 5月15日 (日曜日)
新社会党東京都本部定期大会開催、引き副委員長に。
新社会党東京都本部の「第10回定期大会」が水道橋の全水道会館の大ホールで開催されまし
た。都本部が結成されたのは、1996年4月ですから、党としての活動は、既に10年目に入
っています。小政党ですので大変ですが、私自身は、何事にも大らかな気持ちで対応しています
から、組織の大小は、余り気になりません。一番大事なことは、信念に基づいて誠実に活動でき
るのか、そうではなくて、何かの利害のために、自分の意志とは違うことをしなければならない
かのか、ということです。幸い、私は、常に前者であることを心がけ、それをやり通しているの
で、余計なことに気を使う必要はないのです。
大会では、活発な議論が交わされたましたが、憲法や教育基本法を守るため、また、国鉄闘争
を初めとする労働運動の前進のために、あらためて全力を挙げることを全体で確認しました。更
に、2007年4月に行われる「統一自治体選挙」での勝利ために党の総力を挙げて闘うことを
全体で決定しました。
私は今日の大会で、次回の2007年4月の新宿区議会議員選挙で新社会党の公認候補者とし
て闘うという決定をしました。また、役員改選では引き続き新社会党東京都本部の副委員長に再
任されました。
終了後、大会で使った諸道具や余った資料などを持って四谷の都本部事務所まで引き返し、新
道通りの居酒屋に集まり、10数人で「慰労会」と称して一杯やりました。
● 5月12日 (木曜日)
後援会(やまびこ会)の「産直活動」でほぼ一日中奔走。
私の後援会(「やまびこ会」と言います)では、一年に何回か「産直活動」として物品の販売
をしていますが、今日は一日中、私もその活動にかかわり、朝から夜まで、品物の配達などをし
ました。久し振りに訪ねたところでは、いろいろと話し込んだりして、一般の「商活動」とした
ならば、誠に効率のよくない一日でした。私は、今日は30軒ほど担当しました。
明日と明後日も同様の活動をする予定です。
夜は、昨晩に引き続いて私のホームページの中の「四谷散歩」に、新規の「四谷大木戸」を記
入しました。しかし、リンクの作成がうまくいかず、途中で中止にしました。前に夫婦で教わっ
たのですが、なかなか身に付きません。難しいものですねぇ〜。
● 5月11日 (水曜日)
午前は区議会の福祉健康委員会、午後は丸正前で演説会。
今日は、区議会の常任委員会開催の定例日です。10時から「福祉健康委員会」が開かれまし
た。食中毒事件や高齢者社会参加システム構築協議会など、幾つかの問題について報告がありま
した。
午後は、四谷三丁目の「スーパー丸正本店前」で何人かの人にチラシ配布を手伝ってもらって
演説をしました。花粉症を心配していましたが、今日は症状もなく、実に快適でした。知り合い
の方が随分通り、沢山の人から激励されました。
夜は、食事の後、私のホームページの一番下にある「四谷散歩」の新規項目を作成し、新しく
「二葉南元町保育園」と「学徒出陣の地」を入力しました。是非、ご覧になってください。
● 5月10日 (火曜日)
いまだに涙ポロポロ、久し振りに早朝の駅頭で宣伝活動。
花粉症の症状がひどいので、この間、しばらく駅頭や街頭での宣伝活動を自粛していましたが、
今朝、久し振りに地下鉄・四谷三丁目駅で一時間ほどマイクを握りました。
花粉の飛散状況のほうは、スギ花粉は既におさまったと言われています。私の場合も随分楽に
なりました。しかし、いまだに相当の影響が残っています。「材質が高級になってスギからヒノ
キではないか〜」と冗談で言われたりしますが、今朝も、始めて数分もしないうちに涙がポロポ
ロという状態です。途中で止めるのも癪にさわるので最後までやり通しましたが、知っている人
が近くまで寄ってきて激励してくれたりすると「あんまりみっともない泣き顔をしていてはまず
い」という気持ちになってしまいました。
何時までもこんな状態では困ってしまいますが、今頃また病院に行くのも躊躇します。
ここは、頑張るしかないという気持ちです。
明日の夕方は四谷三丁目の丸正本店前で宣伝活動をする予定です。
● 5月9日 (月曜日)
秋には 「第四回目のバザー」 を開催することにしました。
先週の土曜日に新社会党新宿総支部の第10回定期大会を開催しましたが、今日夜、大会後初
めての総支部執行委員会を開催し、年間の活動計画などについて意見交換をしました。当面の最
大の課題は、憲法を守っていく運動をいかに広範に進めていくということなので、私たちが加盟
している「平和憲法を生かす新宿の会」の活動を一層強化していくために、街頭宣伝などを引き
続き実施していくことにしました。出来る限り、沢山の区民の方々に活動に参加をしていただく
取り組みも進めていくことにしました。
また、今まで何回かにわたってバザーを開催してきましたが、今年も10月末に恒例の「バザ
ー」を開くことを確認しました。バザーを成功させるためには多くの方々に品物を提供していた
だかなくてはならないので、そのための呼びかけも強めることにしました。
● 5月8日 (日曜日)
四谷少年野球大会開会式、障害者団体の定期総会に出席。
今日から四谷地区少年野球大会の春季リーグが始まりました。朝早く「南元町公園グランド」
開かれた開会式に出席し、区議会議員を代表してお祝いの挨拶をしました。長い歴史を誇る大会
で、かつてはグランドから溢れるほどいっぱいのちびっ子選手がいましたが、最近はチーム数も
少なくなり、選手の数も、すぐに数えられる程度に減ってしまいました。少子化の影響と共に、
サッカー人気に押されているという野球独自の事情の反映でもあるような気がします。
引き続き、区立障害者センターで開かれた「新宿区肢体不自由児者父母の会」の定期総会に出
席しました。今日の大会にも90歳を過ぎた相談役の市川千枝子さんが、まったく高齢を感じさ
せないほど元気いっぱいで出席していました。「あなたもますます元気に頑張ってね〜」と激励
されました。
● 5月7日 (土曜日)
新社会党新宿総支部が「第10回定期大会」を開催。
今日午後、私が所属している新社会党・新宿総支部の「第10回定期大会」が区内で開催され
ました。結成大会を開いたのが1996年4月25日ですから、新宿総支部も足掛け10年目の
活動にに入ったということになります。小さな政党でなかなか勢力が拡大するという事にはなり
ませんが、市民団体や労働組合など、それぞれの分野で重要な立場にある強い信念を持った真面
目な党員が集まっているので、実に心強い限りです。
大会は、スムーズに進行し、予定通りの時間に全ての議案を議了し、終了することが出来まし
た。役員の改選では、私が総支部委員長に再任され、前年度に引き続き2年目の任務を担うこと
になりました。また、07年4月に行われる次の新宿区議会議員選挙では、公認候補として闘う
ことも合わせて決定しました。
護憲勢力が弱まっている中で、わが党も厳しい戦いを余儀なくされていますが、ここは信念を
曲げないで、しかし、肩の力は抜きながら、「憲法や教育基本法を守ろう!生かそう!」と声高
に主張し続け、実直に活動をしていくしかありません。
大会終了後、時間の都合がついた30人ぐらいの党員が歌舞伎町の居酒屋に集まり、それぞれ
の職場の状況やお互いの最近の動向などを出し合って「交流」しました。
● 5月6日 (金曜日)
ますます増幅するJR西日本に対するやりきれない怒り。
尼崎のJR脱線事故は、事故が発生した当日に職員がボーリングや二次会、三次会で遊興して
いたことやゴルフや温泉旅行、送別会などをしていたことが次々と明らかになり、市民の怒りを
増幅させています。考えがたいことです。
恐らく、ずっと毎月積み立てをして、厳しい仕事の息抜きにボーリングに興じる事を楽しみに
していたであろうことは容易に想像できますが、事態がそのようなことを許すような状況ではな
い事は、ちょっと考えれば誰にでも分かることです。それが分からないというのは、この会社の
職場状況はまさしく深刻だと言わざるを得ません。
JR西日本の職員は、人間として物を考え、一人の責任のある働き手として仕事をすることを
保障されていたのだろうかとさえ思います。
それに、この会社の労働組合は、一体、今まで何をしてきたのでしょうか。また、未曾有の事
故を引き起こして、これから何をしようとしているのでしょうか。組合の姿が、全然見えないの
は、働く者にとって、実に悲しい事です。
今日は、午前中、明日開く予定の新社会党新宿総支部定期大会の準備をしました。午後から、
「あごら」の斉藤千代さんなど市民の方々が5月27日(金)午後6時半から四谷区民センターで
開く「憲法9条を生きる基盤に!」という集会のポスターを貼りに出かけましたが、あいにく雨
が降り出したので、途中で中止しました。
● 5月4日 (水曜日)
どこかに消えてしまったHPの 「去年の活動日記」 。
家族はみんなそれぞれ別々に前から計画を作って連休中に出かけていますが、私は、メーデー
や憲法集会に参加する以外は、今年は特別な「予定はなし」です。
今日は、前から頼まれていた原稿書きをした後、ホームページを開いて書き込んだり、直した
りしていたら、この「活動日記」の去年の分がどこかに消えて無くなってしまいました。どこに
いったのか全然解りません。困りましたが、私の技術では探し当てることが出来ません。
夜は、サッカーの練習からひょっこり帰ってきた次男と一緒に食事をしました。
● 5月3日 (火曜日)
第58回目の憲法記念日、5000人が参加し記念集会。
1947年5月3日、当時、まだ焼け野原だらけだった廃墟のような日本に平和憲法が施行さ
れて以来、今日は第58回目の「憲法記念日」に当たります。
例年のように午後1時から、私たちが所属する「憲法を生かす会」など護憲8団体が主催する
「憲法9条を守ろう!5・3集会」が日比谷公会堂で開かれました。会場周辺は、始まる2時間
も前から集会への参加者が集まりだし、隣接の日比谷公園で「先頭」や「最後尾」のプラカード
に従いながら列を作って開会を待っているという状態でした。
私は、「憲法を生かす新宿の会」のメンバーや新社会党の人たちと一緒に「憲法を守ろう」と
訴えたチラシを配りましたが、驚くほどいっぱい配付することが出来ました。
集会には、5000人も集まったので、会場には入れなかった人たちと一緒に、公会堂脇に設
けられた大型の中継車の放映を見て集会に「参加」しました。
集会終了後は、日比谷→銀座→有楽町→東京駅のルートでデモ行進をしました。偶然にこの集
会に参加していた知り合いの元公立小学校の校長先生と久し振りに会ったので、時々談笑しなが
ら最後まで一緒に歩きました。先生は、日に日に歴史を逆行させるような状態になっていくこと
に、いてもたってもいられないでこの集会に参加したということでした。「日の丸・君が代」を
強制することを「強制」されている校長先生の中にも、恐らく今日一緒だった知り合いのような
教員は沢山いるのだと思います。
● 5月2日 (月曜日)
弘前城公園など、津軽地方は、いま桜が満開。
この連休は特別な予定は組んでいません。久し振りに本でも読もうかなあ〜と思っていました
が、何だかんだと雑用があり、結局、まとまった事が出来ないまま休みが終わってしまうという
のがこれまでの実態です。
今日も朝から地域や区役所で新聞の配達し、議会の控え室で頼まれていた事を何件か処理した
後、憲法集会のチラシを一枚つくり、事務所に帰ってそれを印刷をしたら、もう夕方になってし
まいました。夜は、四谷一丁目の事務所で新社会党東京都本部の執行委員会。終わったあとみん
なで食事をし、帰宅したら夜の10時半、という具合です。
いつも思うのは、「今日一日、何をしたのかなあ〜」ということです。毎日毎日、記憶に残ら
ない時間が、あっという間に過ぎていくような気がしています。
ふるさとの津軽は今が桜の満開です。インターネットで地元の新聞を見ると、桜の名所・弘前
城公園もこの連休は全国からの観光客で大賑わいのようです。弘前は、私の出身地のすぐ近くで
すが、私自身は桜が咲く時期に弘前を訪れた事はありません。そのうちにと思っている間に、今
になってしまいました。是非、行ってみたいものだと思っています。
● 5月1日 (日曜日)
「
働く者の祭典 」、 第76回 メーデー開催。
今日はメーデーです。晴天に恵まれ、しかも日曜日とあって、全国各地で行われた労働者の祭
典は、例年になく大きな盛り上がりを見せたようです。
私は、全労協などが主催する「日比谷メーデー」に参加しました。朝8時半に会場近くに行き、
新社会党東京都本部の宣伝カーから江原党東京都委員長や富山副委員長などと共に参加者に訴え、
その後、集会に参加しました。会場の日比谷野外音楽堂は、さまざまな組合の旗が林立し、座る
場所がないくらいの状態でした。大組合の旗もありましたが、小さな組織体が多い「○○ユニオ
ン」といった旗が目立っていました。
集会後は、新社会党の隊列を組んで、久し振りに日比谷から銀座や有楽町を通って東京駅の鍛
冶橋までデモ行進をしました。
日本の場合、多くの労働者が結集する「連合」は、数年前から連休前の4月末にメーデーを実
施していますが、歴史的な世界の労働者の統一行動日ですから、メーデーぐらいは5月1日にす
べての労働者が一緒になり、統一の要求を掲げてこの日を共に祝いたいものです。。