私の「活動日記」です!
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      (2005年8月分)


8月31日 (水曜日) ―――――――――――――――――

      今日、東京体育館で 「戦争体験を聞く会」が 開かれます。

  先日、平和憲法を生かす新宿の会で「戦争体験を聞く会」を開きましたが、この案内のために
高田馬場駅で配ったチラシを見たという早稲田大学の学生サークルの方から、きのう、私のとこ
ろに電話がありました。今日、東京体育館で「戦争体験を話すことが出来る人」を何人か派遣し
て欲しいという要請でした。実に急な話でしたが、何人かに電話をして、とりあえず3人につい
てはメドがついたので、参加することにしました。私は、用事あるので参加できませんが、若い
人たちが、戦争や平和について関心を持つことは、本当に大事なことです。


  ドイツの大統領は、最近、次のような演説をしています。過去の歴史を直視しない日本の政治
家の陳腐な発言と比べて、実に味わい深いものがあります。

   あの戦争に関与しない若い人たちに、戦争の責任はない。
    しかし、若い人たちにも、あの戦争の実相を知り、それを伝えていく責任はある。
    ドイツの青年は、この使命を深く自覚している。


      今日で8月も終わりです。下のニ葉の鷺草(サギソウ)は、八戸市の実兄宅のものです。
       


8月30日 (火曜日) ―――――――――――――――――

     総選挙スタート、今までの「小泉改革」って何だったのか。

    小泉首相や公明党は、「改革の流れを止めるな」 と言うけれども、
     そもそも、国民のためになる 「まともな改革の流れ」はあったのか。


  総選挙がスタートしました。小泉首相は、盛んに「郵政民営化に賛成か反対かを問う選挙」と
か「改革の大きな流れをつくる選挙」だとか言っていますが、そもそも小泉改革って何だったの
か、ということです。「自民党をぶっ壊す」とかいう威勢のいいことは散々聞かされてきました
が、国民にとって大切なことは、「自民党が壊れるか壊れないか」ということではなく、平和な
社会で安心して暮らすこと出来るか否かということです。

  小泉首相になってから、生活はますます厳しくなっていますが、最も大事な「このこと」が選
挙で問われなければなりません。私たちが政治に求め、期待しているのは、キンキン声をしたワ
ン・フレーズの威勢のいい言葉ではなく、着実な実績です。小泉政権は、何かというと改革、改
革と叫んでいますが、この四年間余、国民から評価された改革はあったでしょうか。
  自民党も公明党も「改革の流れを止めてはならない」といったりしていますが、もともと改革
の流れなど小泉政権にあったようには思われません。

  政治の課題は山積しています。年金・医療などの社会保障、憲法と教育基本法の改悪問題、ア
スベストなどの環境問題、イラクへの自衛隊派兵の是非、地方分権問題、雇用や税金問題などな
どいっぱいです。郵政民営化も沢山の問題の中の一つかもしれませんが〜。
  この選挙、日本の将来を見据えて、悔いのない的確な選択をしたいものです。


8月29日 (月曜日) ―――――――――――――――――

  ふるさとの同級生が、十三湖特産の「しじみ」 を送ってくれました。

  津軽半島中ほどに「十三湖」がありますが、この湖がある市浦村というところが私の生まれ故
郷です。現在は市町村合併で五所川原市になっていますが、もともとは人口3000人ほどの小
さな自治体です。いまでもここに同級生が6人ほど住んでいますが、その中のひとりから十三湖
名産の「しじみ」を送ってもらいました。実に大きく立派なしじみで、黒光りしているような感
じです。
  東京でも「十三湖産のしじみ」としてスーパーなどで時々売られていますが、その多くは栄養
失調のような小さな貝で、とてもわがふるさとの名産とは思われません。私は、あれは十三湖産
を僭称(せんしょう)しているニセモノだと思っていますが、だからと言って確証があるわけで
もありませんから、私の思いもまったく怪しいものです。
  早速、砂抜きをして食べました。十三湖の水が流れ出る日本海のかすかな潮の香りがして、と
ても美味でした。

  今日の午前中、区役所の担当課長から、四谷第四小学校が廃校になったあとの同校の利用方法
と四谷小売市場の廃止に伴う対応について説明を受けました。四谷第四小学校跡地は、住民の地
域活動のセンターとして活用され、また、四谷小売市場は、四ッ谷駅に隣接しているという好立
地の場所なので、民間に貸し出しをする予定です。関係条例と予算が9月議会に提出されます。


8月28日 (日曜日) ―――――――――――――――――

      長女がヘルシンキ大学に一年間留学、今日出発しました。

      
             ロンドン経由でヘルシンキに。  出発直前、成田空港で。

  長女の潤子が早稲田大学の交換留学生の一人として、フィンランドのヘルシンキ大学に留学す
るために、今日、出発しました。妻と成田空港まで見送りに行きました。9月から来年7月まで
のほぼ一年間です。ムーミンのふるさとのフィンランドで生活し、勉強することは小さい頃から
ずっと抱き続けていた「夢」でした。
  交換留学制度なので、授業料などはかからず、負担は随分少なくてすみます。向こうでの生活
に必要な費用は大学に入ってからずっとアルバイトをして自分で準備していました。苦学してよ
うやく学校を卒業した私の学生時代を考えると昔日の感がします。


  夕方6時から、昨夜に引き続き「大京町納涼おどり」が大京公園で開かれました。私は「生ビ
ール」の担当でしたが、大繁盛でした。二日間で10万円以上の売り上げがありました。このよ
うなイベントに参加していると、普段はご無沙汰続きの多くの人たちと会うことが出来ます。


8月26日 (金曜日) ―――――――――――――――――

    平和憲法新宿の会主催で 「私の戦争体験」を語る集会開催。

  夜6時半から四谷区民センターで「私の戦争体験を語るつどい」が開かれました。私が共同代
表になっている「平和憲法を生かす新宿の会」が主催したもので、講師は佃島の近くで幼少年時
代を過ごし、ここで東京大空襲を体験した阿部昭雄さん(73歳)です。
  1945年3月10日の大空襲は、10万人の死者が出たと言われているすさまじいものでし
たが、累々とした死者は8月になっても隅田川を流れていたということです。当時は、そんな想
像を絶する情景を見ても無感覚になっていて、特別な感情は沸かなかったということでした。

  有名な報道写真家のロバート・キャパは、「戦争は、人間が決して失ってはならない全てのも
のを失う」と述べていますが、その通りだと思います。キャパは、「しかし、私たちは平和によ
って失うものは何一つない」と続けていますが、戦後60周年の今年、戦争と平和について考え
てみることの意義は極めて重要です。


8月24日 (水曜日) ―――――――――――――――――

   八戸の実兄宅で母親の 「100歳のお祝い会」 を開きました。

  私の母親は「山田きぬ」と言います。八戸市の実兄宅のすぐ近くにある瑞光園という特別養護
老人ホームに入所しています。今日、100歳になりました。午前10時から、近くの幼稚園の
子どもたちも30人ほど参加し、瑞光園あげての「お祝いの会」が開かれました。
  その後、母親は車椅子で実兄宅に移動し、ここで近親の人たちが集まり、内輪で「100歳の
お祝い会」を行いました。

  母親は、腰が曲がり半身不随の状態で、また、耳が聞こえないために日常の会話は不自由な筆
記でしかできませんが、歳の割には記憶力もまだそれなりにあって、お祝いの会に出席している
人の顔も分かっています。瑞光園では、母より高齢の人がつい先日亡くなったので、最高齢者に
なりました。園には年齢順に番付表を作っていますが、遂に「東横綱」になりました。若い時か
ら随分苦労したので、私たちは、母がこんなに長生きするとは思ってもいませんでしたが、たい
したものです。9月6日には、八戸市長がお祝いに来てくれることになっています。

       
           特別養護老人ホーム・瑞光園と実兄宅で行われた「100歳の誕生日を祝う会」の様子
              


8月22日(月)から25日(木)まで ―――――――

     母親の100歳の誕生祝いのために、八戸市に帰郷します。


  
私の母親は、1905年(明治38年)8月24日生まれです。あと二日で100歳になりま
す。八戸市にいる兄のすぐ近くにある特別養護老人ホームに入所しています。苦労しながら私た
ち子どもを育て上げ、いまでは身体も小さくなり腰も曲がり、耳も全然聞こえなく、車椅子の移
動で随分不自由な生活をしていますが、100歳という歳のわりにはとても元気です。
  今日から、母の100歳の誕生祝いのために、久し振りに帰郷します。


8月21日 (日曜日) ―――――――――――――――――

   内藤町の「防災講演会」に出席した後、中央執行委員会に〜。

  内藤町の町会や高齢者クラブの主催で、「防災問題」の講演会がありました。招待されていた
ので出席しました。なかなか実務的な話で参考になりました。

  午後、新社会党の中央本部で緊急の執行委員会が開かれました。総選挙対策を協議しましたが、
兵庫や京都などの幾つかの選挙区で候補者擁立の話が進んでいるという報告がありました。東京
における護憲統一候補擁立の協議は、残念ながら難行して見通しが立たない状態です。


8月20日 (土曜日) ―――――――――――――――――

     靖国神社に行って、戦争讃美の「遊就館」を観てきました。

  靖国神社は、当時の日本人の精神的な拠り所として、先の太平洋戦争の遂行に極めて重要な役
割を果たしました。私は、これまで幾度となく神社の脇は通りましたが、中に入ったことはあり
ません。機会があったら、神社の中を見学したいと思っていましたが、今日、「靖国神社フィー
ルドワーク」という企画があったので参加しました。

  平和遺族会の西川重則さんの話を聞きながら、靖国神社を観て回りました。広大な敷地の中に
は天を突くような大鳥居や下から見上げても顔が良く見えない大村益次郎像などが点在していま
すが、一番の見学スポットは何といっても有名な「遊就館」という戦争讃美の展示場です。先の
戦争を「自衛自尊」の「大東亜共栄圏」を構築するための戦いと位置づけ、徹底的に戦争の正当
性を主張しています。

  この「遊就館」という小宇宙には、300万人にも及ぶ日本人とアジア各国で2000万人以
上の累々とした犠牲者を出したあの侵略戦争に対する反省はひとかけらもありません。あの戦争
に対してこんな皮相な見方があり、ここに小泉首相が執念を燃やして参拝し続けているのだとい
うことが改めてよく分かりました。ちょうど館内では「日露戦争百年展」という企画展が開かれ
ていました。一方的な考え方に基づいていましたが、非常に見やすく工夫された展示場で、その
技術はなかなかのものでした。その点では立派な「企画展」でした。

        
       靖国神社の正面。多くの人で賑わっていた。       「遊就館」の入口に展示されている大砲。
                              ここ以外は写真撮影禁止。入場料800円。



 ● 8月17日 (水曜日)から19日 (金曜日)まで。

   夏休みを取って、久し振りにちょっとした小旅行に行ってきました。雨にたたられました。


8月16日 (火曜日) ―――――――――――――――――

     金子みつさん逝去、党副委員長を務めた人格者でした。

  かつて、日本社会党の副委員長を務めた金子みつさんが亡くなりました。今日、葬送式が世田
谷の教会で行われました。金子さんは、厚生省の出身で福祉政策に大変明るい方でした。成田知
己委員長に口どかれて官僚から政治家に転身し、旧東京四区から6回連続して当選を果たしまし
た。この間、社会党の副委員長も務めましたが、村山首相の時に政策転換をしたこの党に見切り
をつけて、私たちと一緒に新社会党を結成し、高齢にもかかわらず、さまざまなつどいに参加し
てくれてみんなから慕れていました。私も随分励まされました。91歳、敬虔なクリスチャンで、
人格者でした。

  つい先日は、同じく社会党の副委員長を務めていた山本政弘さんが亡くなったばかりでした。
金子さんと山本さんは、最終的には少しだけ別の道を歩むことになりましたが、いずれにしても
旧日本社会党の指導者が相次いで他界したことになりました。さびしい限りです。

  この頃、私が住んでいる大京町でも訃報が続いています。高齢者には、この暑さはこたえるこ
となのかもしれません。


8月15日 (月曜日) ―――――――――――――――――

   終戦60周年。新社会党は新宿駅西口で 「平和のアピール」。

  今日は8月15日です。日本で、そしてアジア各国で累々とした犠牲者を出したあの戦争が終
わって60年目です。人間なら還暦ということですが、歴史の悠遠な流れからすると60年前の
出来事は「ついこの間」のことになります。しかし、ついこの間のことを、多くの政治家は「過
去のこと」にしがちです。そうしてはなりません。新宿区役所では、毎年、この日の正午に来庁
者、区職員、区民が一緒になって一分間の「黙祷」をしています。

  今日、新社会党東京都本部は、午後8時前まで一日の乗降客が150万人の新宿駅西口で「平
和の訴え」「護憲の訴え」をしました。

  政府主催の「全国戦没者追悼式」には、今年初めて戦没者の両親の出席はなかったということ
です。時間の流れを感じさせます。
  時間の流れは、物事を忘れさせますが、この世の中には忘れてはならないことがあります。
  20年前、西ドイツのワイツゼッカー大統領は次のように演説をしました。

         
われわれは、全員が過去を引き受けねばならない。 
               過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目になる。
                 非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、
                  また、そうした危険を犯すことになりやすいのだ。



8月13日 (土曜日) ―――――――――――――――――

      沖縄国際大学に、米軍ヘリが墜落して今日で一年。
            市ヶ谷の防衛庁前で抗議集会、新宿駅では宣伝活動。

  一年前の8月13日。この日、沖縄国際大学の校舎に米軍の超大型ヘリコプターが墜落しまし
た。奇跡的にも人命が奪われることはありませんでしたが、大惨事になりかねない事故でした。
更に驚くべきことは、墜落現場が米軍によって完全に封鎖され、日本側の捜査は出来ず、立ち入
りさえ拒まれるという状態になりました。「ここは日本か?」と言われたものでした。
  一年後の今日、市ヶ谷の防衛庁前で抗議集会が行われ、普天間基地の撤去と辺野古への基地移
転反対の申し入れを防衛庁長官に提出しました。随分多くの人たちが集まりました。

  その後、新宿駅西口に移動し、みんなでチラシ配付などの「宣伝行動」を実施しました。
  私も「平和憲法を生かす新宿の会」の代表として、マイクで訴えました。ただ、終わり頃にな
り、ちょうど私が話している時に、激しい夕立に見舞われました。みんなでしばらく雨の晴れる
のを待っていましたが、なかなかあがらないので、そのまま中止にせざるを得ませんでした。

  9月4日の午後3時半からは、ジュゴンが住む辺野古の海に基地を作らせない運動をしている
人たちが中心になって、防衛庁を「人間の鎖」で包囲する抗議行動を行うことにしています。

           
                   市ヶ谷の防衛庁正門で行われた「抗議集会」


8月12日 (金曜日) ―――――――――――――――――

       私が日常的に街頭に張っている 「手づくりポスター」 です。

  私は、主とし四谷地域に「新社会党のポスター」や手作りの「議会報告ポスター」などを何種
類も張っています。絶えず作り変え、張り替えています。今日午前から午後にかけて、ちょっと
時間があったので、ポスターの点検をしました。最近は、ビニールに入れたものを張っているの
で、随分長持ちするようになりました。現在、手作りポスターで街頭に張ってあるものは、

  「無料法律相談ポスター」      「消費税率引き上げ反対ポスター」
   「サラリーマン大増税反対ポスター」 「生活なんでも相談ポスター」
   「四谷小学校建設ポスター」     「短期入所施設建設ポスター」

など、10種類ぐらいになるはずです。10年前とか20年前と違って、新築の家や立派な塀が
ほとんどなので、ポスターもなかなか貼りにくくなりました。なるべく小まめに見回って、綺麗
に掲示されているかどうか常に心がけています。
  いま、下の写真のように掲示してあるポスターは大体500枚ぐらいになると思います。

    


           操作ミスによって、8月1日から11日の記録を消してしまいました。
           まだ、回復していません。