四谷地域の主な動き
           四谷地域の特徴的な出来事・行事 などについてお伝えします。

                      ――――――( ○月○日 更新 )――――――


    
   (現在、更新を中断中です)






















    
          「 新宿を支える企業の歴史 」

      
* 新宿歴史博物館、10月27日から共同企画展 *

   新宿歴史博物館は、創立50周年を迎えた東京商工会議所新宿支部と共同企画で「新宿を支え
 る企業の歴史」展を開きます。4000社を超える会員企業のうち、各分科会の会長・副会長企
 業を中心に計15社の貴重な所蔵資料を紹介するものです。創業当時からの各企業の歴史を感じ
 させるゆかりの品々を中心に、写真・チラシ・道具類など約80点を展示します。
  是非、歴史博物館に足を運んでください。

          ● 日時・10月27日(土)〜12月24日(月)午前9時半から午後5時半。 
     ● 会場・新宿歴史博物館・地下一階企画展示室。
     ● 入場・一般は300円、高校生以下は無料、団体(20人以上)150円。



                       
新 宿 歴 史 博 物 館 に つ い て

   三栄町にある「新宿歴史博物館」は、1989年1月29日に開館されました。私が議員にな
 ったのは1971年5月ですが、区議になってから随分長い間、新宿区の歴史的資料や文化的な
 財産を内外に紹介する施設を作ろう、と議会で主張していました。当時の新宿区長は山本克忠さ
 んでした。山本区長は特別区の制度改革に大変熱心で、区長会の会長として23区を纏めあげて
 いく指導力がありました。文化的・芸術的な行政にも大変理解がある区長でした。私の主張にも
 理解を示してくれて「新宿歴史博物館」の建設を決断しました。

   その後、建設場所を現在地にするか三栄公園にするかなどでさまざまな意見があり、紆余曲折
 の経緯をたどって開館されたのが現在の「新宿歴史博物館」です。

   私にとっては、記念すべき施設だったので、オープンの時には、まだ小さかった私の長男と次
 男も一緒に連れて行き、開館時間のずっと前から並びました。もちろん、私たち親子が先頭でし
 たが、第一号の入館者に長男がなるか、次男がなるかを決めることになり、確かジャンケンをし
 たと思います。しかし、親子で協議した結果、子ども二人で腕を組み、扉が開いたら同時に第一
 歩をしるすことにし、そのようにしました。従って、「新宿歴史博物館」の一番最初の入館者は
 山田啓史と山田耕史の二人ということになっています。私たち夫婦は三番目と四番目の入館者と
 いうことになります。その時の「記念入館証」は、今でも保管しており、家の中を探せばどこか
 らか出てくる筈です。
   早いものであれから足掛け20年になりました。(2009年1月5日)


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        「四谷地区の施設再編成計画・地域説明会」
   三栄町生涯学習館と東清掃センターを合築。
     * 完成後は、「四谷保健センター」 もこの施設に移転*

  今、四谷地区にある区有施設の再配備計画が進められています。地元に対する何回もの説明会
 も終わり、新施設の建設に向け、具体的な工事に着手しています。

  現在、三栄町生涯学習館と東清掃センターの二つの隣接する施設は、統合して4階建てにし、
 引き続き両施設の利用に供すると共に、四谷保健センターが移ることになっています。解体と新
 築で3年ぐらいの期間が必要ですが、その間、東清掃センターは市谷仲之町の防災センターに仮
 移転することになります。また、現在、四谷保健センターがある四谷四丁目の建物は、すべて四
 谷保育園関係の施設になります。現行の両施設は廃止され、先日から解体工事に入っています。


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      玉川上水の面影を偲ぶ水辺
     内藤新宿分水路の360mで通水


  玉川上水は四谷大木戸が終点ですが、この歴史的な水路の終点部分は、現在、暗渠のままです。
 これを復元しようとする動きは以前からありましたが、実現しませんでした。

  そこで新宿区・東京都・国(環境省)では、玉川上水復元の「代役」として、一昨年から新宿
 御苑北側の散策道に三ヵ年計画で「内藤新宿分水路」を建設していました。全体では540メー
 トルですが、3年計画で水路権つ瀬の工事が行われてます。中心部の240メートル(初年度)
 と四谷大木戸寄りの120メートル(2年度)は既に完成しました。今年度は新宿門寄りの18
 0メートルで水路が建設されます


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      ―――― 伝統の長い歴史を重ねて61回目  ――――
   今年も「四谷花まつり」を盛大に開催へ。
          着飾ったお稚児さんが太宗寺から笹寺まで行進 *  

   四谷に本格的な春を告げる四谷仏教会・四谷花まつり奉賛会主催の恒例の「第61回四谷花ま
 つり」が4月2日正午から今年も盛大に開催されます。
   今年は、新宿二丁目の太宗寺を出発し、新宿通りを通って四谷四丁目の笹寺までのコースをパ
 レードします。参加する「お稚児さん」は50人前後と見られています。例年、それぞれ綺麗に
 着飾ってしゃなりしゃなりとオシャレに練り歩きます。お母さん方は、子どもの晴れ姿を写真に
 おさめようと写真を撮り続けるのが恒例になっています。

   「花まつり」は、お釈迦様の誕生日に行われる行事で、花御堂に花を飾り、誕生佛に甘茶をか
 けてご誕生をお祝いするものです。本来は誕生日の4月8日に実施されますが、四谷仏教会では
 子どもたちの学校の春休みの関係で早めに行っています。 (3月28日・記入)


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   沖田総司の終焉の地(大京町)に記念碑を!
    全国から署名を集め、新宿区議会に「陳情書」を提出

  新撰組の沖田総司は、鳥羽伏見の戦いの後、結核に倒れ、現在の大京町28番地にあった「植
 木屋平五郎」宅で療養していましたが、その甲斐なくたったの27歳で波乱の生涯を終えました。

  私は、以前から沖田総司終焉の地に「記念碑」のようなものを作ろうと各方面に提案していま
 すが、この度、ある歴史研究家の呼びかけで全国から300人弱の署名が集まったということこ
 とで、先日、以下のような「陳情書」が新宿区議会に提出されました。大変うれしいと感じまし
 た。

  私は、早速、発起人のあさくらゆうさんと連絡を取り合い、陳情提出の意図を確認し、採択の
 ために努力することを約束しました。以下に紹介するのは「署名の呼びかけ」ですが、区議会に
 提出された文書は、以下のものを「陳情書」の様式にしたもので、内容は、ほとんど同一です。


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     ●「沖田総司逝去の地碑」建立計画に関する署名運動のお願い
 
                        発起人  歴史企画研究  あさくら ゆう

                         東京都荒川区町屋6−22−2−103
                         電話090−8511−0849

  幕末動乱のなか、新選組の人気は周知の通りです。このなかで、特に有名なのが沖田総司です。
 沖田の人気は平成の現在に至っても定着した人気を持ち、港区にある専称寺には同人を偲び、年
 に1回参拝ができる日に常時百名以上が参拝に訪れています。逝去した場所は、現在の新宿区大
 京町28番地です。そのため沖田総司を偲ぶファンの多くはこの地域に訪れ、生前の沖田総司を
 偲んでいます。そのため、来訪者のために標題の碑の建立を願うため、署名運動を行います。

 1、 建立場所を新宿区大京町とする(当時大番町柴田平五郎所有地内)。
 2、 建立趣意は下記の通りとする。

  ○ 沖田総司は白河藩士沖田勝次郎の子として天保13年(1842)〜慶応4年(1868)
 旧暦5月30日まで存命した実在の人物である。沖田総司は文久3年(1863)より京都で佐
 幕側にあって市中取締りを行っていた新選組の副長助勤筆頭を担った人物で、慶応4年まで隊に
 在籍していた。そして植木屋平五郎宅(現新宿区大京町)で逝去している。

  ○ 沖田総司の人気は昭和初期から始まる。作家子母沢寛による「新選組始末記」が刊行される
 と新選組の人気が飛躍的に向上し、そのなかで沖田総司は特化された人気を有するようになった。
 早くも映画では昭和4年(1929)に「剣士沖田総司」が上映されている。その後、新選組を
 取り扱う作品に沖田総司はキャスティングにかかせない人物となっており、戦後も多くの新選組
 映画が上映され、昭和50年(1965)まで実に28作も作られている。特に昭和49年(1
 974)に東宝で封切られた草刈正雄主演「沖田総司」では草刈正雄の出世作として知られ、多
 くの観客動員数を確保している。

  ○ TVでも昭和30年代から新選組を題材にした作品は作られている。特に有名なのは昭和4
 0年(1965)よりNET(現テレビ朝日)で放映された「新選組血風録」で、沖田総司役を
 演じた島田順司は次回作となった「燃えよ剣」でも出演して人気を博している。この2作品には
 「千駄ヶ谷」という回が存在し、沖田総司の最期を放映している。この後、沖田総司を題材とし
 たTV作品は多く放映され、平成16年(2004)にはNHKで「新選組!」が放映され、藤
 原竜也演じる沖田総司が人気を博し、この年に新宿区で建立された「試衛館跡」碑には多くのフ
 ァンが来訪し、市谷柳町試衛館主催の「試衛館まつり」では「沖田総司の終焉の碑」を求める声
 が多い。

  ○ 戦前の小説では、前述した「新選組始末記」にある「隊士絶命銘々録」に沖田総司と黒猫の
 話が描かれている。この逸話は現在もファンに熱く語られる内容であり、大京町へ訪れるファン
 来訪は実にこの影響によるものが多い。戦後になると「新選組血風録」を司馬遼太郎氏が執筆し
 ており、あまりにもリアルな描写のため、一部のファンには史実のように語る者が多く発生して
 いる。この作品中、「菊一文字」や「沖田総司の恋」という物語はTV作品には必ず採りあげら
 れる人気作品となっている。また、次回作の「燃えよ剣」では土方歳三を主題とした作品にも関
 わらず、沖田総司の最期が描写されている。
  以後、時代劇を書く作家(三好徹、笹沢佐保、浅田次郎、早乙女貢)にとって沖田総司を主題
 とした作品は多く書かれ、ほとんどの作品は千駄ヶ谷の死について述べている。

  ○ 上記で述べたように沖田総司が果たした役割は文学的に多くの有名作家(司馬遼太郎につい
 ては記念館が設立されている)が描いており、沖田総司と新宿区はきってもきれない関係である。
 また、多くのファンの切望があることは自明の理である。

  上記趣意によって2に述べた場所に建碑を強くお願いするため、趣旨に賛同を得た方の署名を
 お願いいたします。



              
          中央を走る道路は外苑西通り。カーブしている道路の先(左側の道路を走っている先
         頭の車のあたり)が沖田総司の終焉の地。ここには池尻橋という橋があった。この先の
         右側に「新宿御苑」の正門がある。
          この道路のもう少し先の右側が千駄ヶ谷駅でその左側に神宮外苑や国立競技場等がひ
         ろがっている。
(私が住んでいるマンションの屋上から撮ったものです)

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        内藤町に「鉛筆の碑」を建立。
         *  ; ここには渋谷川の水車が動力の工場がありました

   かつて、内藤町の街並みと新宿御苑の境を流れていた渋谷川には、当時としては全く珍しい鉛
 筆工場がありました。明治20年の造られた「真崎鉛筆」です。佐賀出身の真崎仁六さんが洋行
 の際に使用した鉛筆の利便性に魅せられた帰国後に設立したものです。現在の「三菱鉛筆」です。
 開設当初は、日本最初の鉛筆工場といわれていました。玉川上水の余り水を流していた渋谷川の
 水流を利用した水車が回っており、これが工場の動力でした。ただ、川の水流は一定ではありま
 せから、水車が回っている時と休んでいる時があったそうです。のどかな風景だったようです。
   先日、新宿区に対して三菱鉛筆から、創業の記念の地に「鉛筆の碑」を建てさせて欲しいとい
 う要請がありました。区は地元とも相談のうえ、現在は暗渠になっている渋谷川の脇にある内藤
 児童遊園地内に建立する事を了承しました。
   記念碑の「贈呈式」は、三菱鉛筆の関係者など、多数出席して10月24日に行われました。
 この「鉛筆の碑」は、この地域のかつての歴史を偲ぶことが出来る貴重な財産になります。
                                 (10月24日記入)

       
        かつての渋谷川の脇にある内藤町児童遊園地内に建立された「鉛筆の碑」と説明版。


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           ――――   「いま、平和について考える」 ――――
       平和憲法を生かす新宿の会」が講演会
                  *  どうぞ、お気軽にご参加ください 

   先の選挙で改憲を党是とする自民党が大勝し、また、民主党の党首に強硬な改憲論者が選出さ
 れたこともあって、「憲法改悪」の動きは急速に強まっています。
   今年は戦後00周年です。日本があの悲惨な戦争の結果得た最も大切なもの、それは平和憲法
 です。日本で300万人、アジアでは2000万人もの未曾有の数の犠牲者が、いま生きている
 私たちに残してくれた「最大の宝物」です。
   日本は、この憲法で軍隊と戦争を放棄し、永久の平和を宣言したのです。実に正しい選択です。
 この選択は、いまも世界各国、特にアジア諸国から強く支持されているのです。
   燦然と世界に輝く憲法を変える理由は何もありません。平和憲法を大切に思う私たちは、護憲
 への決意を込めて、下記の通り「いま、平和について考える 一 戦争体験者として憲法を語る」
 つどいを開きます。是非、ご参加ください。           (00月00日記入)

        ■ 日時・0000年00月0日(0) 午後6時半
       ■ 場所・四谷区民センター・会議室 (11階)
       ■ 内容・(1)「戦争体験者として憲法を語る」
                講師・糸 井 玲 子 さん
                        (平和を実現するキリスト者ネット)
                       (憲法を生かす会東京連絡会世話人)

                (2)ビデオ鑑賞と平和についての懇談会
       ■ 会費・300円 (会場費・資料代)
       ■ 主催・「平和憲法を生かす新宿の会」( 電話・3341−3074 )


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            古い情報は、ごく一部を除き消去しています。このコーナーは以上です。