「ちょっと寄り道」
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東海道集会 at 蒲原宿

 2003年1月26日(日)、東海道蒲原宿の食事処「よし川」で東海道集会が開催された。参加者は32名であり、そのうち5人は発起人というか幹事であり、私はそのうちの一人である。ここでは、集会に至った過程なども含め、当日の私の行動、並びにその後の反省会について紹介する。


開催経緯
 
 今回の話が出るずっと前に構想はあった。しかし、それは自分が幹事というよりも誰かやってくれないかなぁというものであった。私が東海道を踏破して1ヶ月くらい経過した2001年の年末、私のところの掲示板(街道驛舎)に浮浪雲(はぐれぐも)さんがカキコしてくれたので、「踏破者集会やりませんか?」 と呼びかけたのである(この少し前に浮浪雲さんのページに踏破者名簿が登場していた)。 すると当時はまだ東海道を踏破していない服部さんと横田さんから春まで待ってくれというカキコがあった。服部さんは奥さん(サイさん)がそう言っていると言い訳していたが・・・。結局、服部夫妻は翌年のゴールデンウィーク前半に踏破されたが、横田さんはそれから1年以上かけてのゴールとなった。

 2002年GWに服部夫妻が東海道五十三次踏破、私は京街道を歩き東海道五十七次踏破となったので、東海道BBSに「踏破者集会やりませんか?」と呼びかけた。浮浪雲さんからは「東海道踏破者の会でも作りますか!」という返答があったが、その後そのような会は作られたのだろうか。 とりあえず、川崎の東海道茶屋(小土呂橋の近くに実在します:写真右)で服部夫妻のゴールを祝う会を実施した。おかもとさんも参加予定であったが、急遽仕事が入ったとのことで不参加となった。「永遠の美少年」のナゾは深まるばかりである。

 時は流れ、2002年10月、横田さんが川崎−藤沢を予告なく2日間で歩かれたときには何故か大磯でお会いした。別に偶然という訳ではないが(大磯宿場まつりが開催されていた:写真左)、うちの近くの鶴見ではなく大磯なのである。

 翌11月には横田さんが藤沢−二宮を歩くということで、今回の幹事のメンバーが川崎に集合することになった。ここでも歩いている近くの平塚とかではなく川崎なのである。全員集合だが正確には、おかもとさんと横田さんの間で会うことになっていたところに私と服部夫妻が誘われたようだ。ここで私はおかもとさんとはじめてお会いした。服部さんが密かにおかもとさんの写真を公開していたので、顔は知っていたが実際にお会いするのははじめてであった。そしてこの会合の席で「東海道集会」の話が浮上した。

 場所としては、東海道ど真ん中の袋井や、まずは東京でという意見もあったが、おかもとさんが新蒲原の「よし川」さんで開催する構想を既に考えているようであったので、それほど揉めることもなく場所は決まった。南関東、愛知の人が多いことは、日頃の投稿などから大体検討はついていた。関西の人には遠くなって申し訳ないと思いつつも・・・。

 その後、おかもとさんが「よし川」さんと連絡を取り、方向性が見えてきた。11月下旬には京都の電脳浮世絵師岡本辰春さんが東京ビッグサイトのイベントに出展するということで、豊橋の横田さん以外のメンバーが集合し、東海道集会について色々と話しあった。

 開催日については、その後もメールで色々やり取りがあった。意見はけっこうバラバラであった。ひとつは土曜がいいのか日曜がいいのか? 次の日が休みだと遅くなってもいいとか、蒲原や由比、富士や静岡に宿泊できるという考えと、土曜は休みではない人も多いのではということである。そこで成人の日の関係で土日月の三連休となる1月12日実施案が一時有力となった。裏話になるが、実は1月26日は候補に上がっていなかった日なのである。幹事とそれ以外の数人の中で都合が悪い人がいない日だったことが決め手になったようだ。私としては、青春18きっぷの使える時期や桜えび漁が行われる時期、また昼食時の開催でも良いのではと思っていたのであった。

 メールで最後の詰めの確認を行い、各自告知用のページを作成し、12月3日に告知を開始した。代表幹事は言い出しっぺの法則により「おかもとさん」となった。

 受付開始後5日目ですでに5人の方から参加申し込みがあったようだ。その流れを受け(?)、横浜で幹事の忘年会を開催することになった。横田さんも二宮−小田原を歩くついでに参加である。かつての横浜駅である桜木町に集合。ここでも何故横浜なんだ!? まずはランドマークタワーの展望台に昇った。地元の観光地は意外と訪れないもので、私もここの展望台ははじめてである。昔の新聞のコピーが取り出せるコーナーがあり、自分の誕生日や歴史的に大きな出来事のあった翌日のものを取り出して盛り上がった。その後、ドッグヤードガーデンのレストランで会食。ここでも東海道集会についてちょっぴり話し合った。その後、X’masムードのある街を少し歩き、解散。

 その1週間後には、横田さんがメンバー限定のチャットルームなるものを立ち上げた。話し合うのには良いのだが、夜更かしの人が多く、寝不足になりやすい。また、チャットは頭が活性化するので、なかなか寝付けないという弊害もあった。今では慣れたのですぐに寝付ける。また、最近は何故かひとりチャットがブームである。「ひとり上手」の歌の影響だろうか? 

 結局、年内に参加申込者は10人になった。すなわち幹事を含め参加者は15人になった。年が明けて、1月5日には幹事を含め18人、16日には25人、最終的には32名の参加となった。

 1月12日の横田さんが日本橋にゴールすることを祝した(?)襲撃(祝・激励)についての詳細は服部さんのビデオやホームページで紹介されているので、ここでは省略する。

 こうして東海道集会の日を迎えるのであった。


開催日の行動

由比宿へ
 8時半の少し前に自宅を出発。旧東海道を歩きJR鶴見駅へ。蒲原(新蒲原ではない)までの乗車券(2,210円)を購入し、京浜東北線に乗車。横浜駅8:50発の東海道線熱海行きに乗り換え、途中うつらうつらと居眠り。熱海で島田行きに乗り換える。三島から富士山は見える気配すらない。その後も富士は見えない状態のまま、列車は進み11:30蒲原着。東海道を西へ歩き出し、由比宿へと入った。由比の一里塚跡であるが江戸から歩いてきて左側の写真を撮っていなかったので、撮った(写真左)。一里塚に拘るようになったのは服部さんの影響かもしれない。

撮影:2001年3月 撮影:2003年1月


玉鉾にて昼食
 12時を過ぎると食事処は混むかもしれないという事で、まずは昼食をとることにした。由比橋手前の井筒屋さんは、この日は休業であった。以前は工事中であった橋も完成していた(写真右)。昼食は橋を渡ってすぐのところにある玉鉾さんに入った。ここは、東海道ウォークとして歩いたときに泊まった所である。右の写真は2001年に写したものである。これから団体客が来るようで、半数以上の席はその準備がされた状態で埋まっていた。夜の集会で桜えびが出ることは分かっていたが、桜えび定食を注文した。

撮影:2001年3月

広重美術館
 由比橋を戻り東海道広重美術館へ向かった。10名程度の団体客が入りそうなので躊躇したが、ここも今後そう訪れる機会もないだろうから入ることにした。セゾンカードを見せると入場料が100円割引になる。ちょうどチケットを購入しているとき(12:27)、携帯宛に服部さんからメールが入った。川崎駅で電車を待っているところで、他の人の状況を知りたかったようである。さっそく、由比の広重美術館にいる旨のメールを打った。ついでに富士山が見えないことも。そんなことをしている間に30人くらいの団体が押しかけて来た。う〜む、入らなければ良かったと思ったが、入場券を買った後なので、混雑している中、鑑賞することにした。

 以前からあったのか覚えていないが、摺り絵の体験コーナーがあったので、やってみたがそこに示してある見本のようにはうまくできなかった。紙を置く位置がどうしても少しずれてしまう。売店では東海道五十三次(保永堂版)の絵葉書55枚セットが安かったので(900円)、由比街道という本などと共に購入した。

さった峠
 広重美術館で予定より時間を喰ってしまった。天気も悪いので、さった峠に登るか否か思案するところではあったが、とりあえず由比駅の方に向かって歩くことにした。この辺りの町並みはお気に入りなのである。特に古い感じという訳でもないが、生活感のある中に懐かしさを感じるという印象がある。

 東に向かって歩いている人は、東海道集会の会場に向かって歩いているのだろうかと思いつつ、由比駅を通過し、倉沢に向かった。

 左の写真では分かりにくいが、さった峠からは富士山の山頂は確認できた。神奈川から見る富士山はたっぷり雪をかぶっているように見えるのだが、さった峠から見る富士の雪は少ないように感じられた。こちら側は暖かいということなのか? 峠道には、まだ1月なのに梅も咲いていた。

 途中路上販売の100円の青島みかんを購入し、興津方面へ下山した。由比から登るのに比べて、興津へ降りるときの高低差の方が何故か少なく感じられる。身延道の基点を通過し、興津駅より新蒲原へ向かった。

新蒲原へ
 新蒲原には15時16分に到着した。駅前には幹事の一人である服部さんがいるではないか。横浜と川崎在住なのに神奈川県以外でお会いすることが多い気がする。他にも二人の参加者と初対面した。服部夫妻はそのまま会場に向かわれたが、私は野暮用があったので旧東海道を東に向かった。理由は、東木戸にある蒲原宿のスタンプを用意してきた色紙に押したかったのである。


「よし川」にて

 急いで東木戸から戻り、15時42分、本日の会場である食事処「よし川」に到着した。私は過去に2度利用したことがあるので、場所や雰囲気は知っていた。入口には「東海道集会ご一行様」の立て札まで用意されていた。この日にたまたま蒲原宿を歩いていた人で、飛び込みで集会に参加したかった人もいたのではないだろうか?

 


 二階に上がるとすでに半数くらいの人が集合していた。ひとりのキャンセルもなく、申し込みのあった32名全員参加となった。参加者の出身(現住所)地別にみると、東京都9名、神奈川県9名、愛知県6名、大阪府3名、埼玉県2名、千葉県・静岡県・京都府各1名であった。開催場所からして東京・神奈川・愛知が多いのは分かるが、静岡県民が一人というのはちょっと意外であった。東海道22宿を抱える割に歩く人は少ないのだろうか? また、厳密に調べたわけではないが街道沿いに住んでいる人が多いというのも興味深いデータである。


参加者の皆様からの寄せ書き

 席は自由席(ただ事前に何も決めていなかっただけ)であり、開催前に名刺交換や営業(?)する人、ご自慢のグッズを披露する人もいて、すでに和気あいあいとした雰囲気であった。

 開催時刻の16時も過ぎた。代表幹事のおかもとさんは受付・会計作業に追われていたからか、服部さんがいきなり会の開催を仕切り出した(これについても何も決めていなかったが誰かが仕切らねばならない)。食前酒に相当するのか「にごり酒」が各人の前にあったが、ビールやウーロン茶も出揃ったところで乾杯となった。

 しばし歓談の後、誰が誰だかよく分からないので自己紹介を行うことになった。まずは幹事からかと思ったが、幹事は最後にということであった。日頃の投稿などからなんとなくイメージ的に一致する人もいれば、ちょっと想像と違う人など様々であった。そのときは名前を覚えたつもりではあっても、初対面の人が20人以上いるのだから、時間が経つとまた名前がはっきりしなくなる。自己紹介後に分からないのはちょっとマズイ。名札を用意するというのもひとつの手段ではあっただろう。

 自己紹介の〆は代表幹事のはずだが目出し帽をかぶった怪しい人物が最後に登場した。いや、最後は「よし川」の女将さんに挨拶をして頂いた。


 その後、服部さん制作のビデオ「プロジェクトY」(横田さんの東海道踏破となる日本橋ゴールの日の様子をドキュメント番組風に編集したもの)の上映が始まった。それに関わった人意外分からない箇所が多々あるはずだが、参加者はみな楽しんで観ていた。あれだけのものを作成するのには相当のご尽力が必要なはず。連日、夜遅くまでの編集作業、ご苦労様でした。

 会合の終了予定時刻の19時も近づき、帰宅の時間的都合から帰路につく人もでてきた。ここが新蒲原であることを忘れてはいけない。宴もたけなわというところではあったが、おひらきとなった。相当に酔っている方も若干いたようだが・・・。


東海道線で東へ

 クルマで来た人がいるかは定かではないが、ほぼ全員東海道線で東へ西へ帰っていったはずである。東京方面組の多くは新蒲原19:32の電車に乗った。幹事組はぎりぎりでの乗車だったので、すぐには気づかなかったが同じ車両に同胞が沢山いるではないか。途中乗換えで新幹線や小田急線利用の方もいたようだが、東海道線での帰路の列車はあたかも2次会会場のようであった。

 それぞれが徐々に下車していき、私は横浜で乗り換えても良かったのだが、川崎まで服部ご夫妻と同行した。


その後

 東海道集会終了後、東海道BBSをはじめ、幹事の掲示板やメールで多くの感想が寄せられた。満足していただけた方が多いようで何よりである。三週間ほど経過し、集会の話題が出なくなった頃、思い出させるかのように、集会当日に「よし川」さんでアンケートに住所を記入された方には、「よし川」さんからハガキが届いたのではないだろうか?

 また、2月15日(土)には南関東の幹事は反省会を行った。場所は府中宿(甲州街道の方)である。府中付近では江戸初期の甲州街道は現在より南よりを通っていたこともあり、一里塚なども旧甲州街道と云われているところより南にある。本宿一里塚(写真左)は現在のNEC府中事業場内にあるということで、こぞって見に行った。事前にNEC総務に届出が必要なので一人では行きにくい。

 その後、旧甲州街道を歩き、かつての本陣門が残る家や義経伝説を伝える弁慶使用の井戸が残るという高安寺を見学し、札の辻だった場所にある全国の地酒を扱う中久本店でショッピング。東海道で御馴染みの初亀や正雪などもある。大国魂神社で参拝し、けやき並木通りにある某居酒屋で反省会となった。いや、反省会とは名ばかりである。しゃぶしゃぶ食べ放題をつつきながら、本日は不参加(誘っていない?)の三河地区の幹事である横田さんをまたも襲撃したのである。携帯メールを利用してのものであるが、詳細はここでは割愛する。反省会と言いながらも楽しいひと時をすごしたのである。


最後に

 何はともあれ、無事終了した。いくつかの反省点もあるが、同じ趣味を持つ同胞が集まるのは楽しいものである。ネットを通じて知り合った仲間であるが、職業なども多岐に亘っており、年齢層も幅が広い。今後もこのような集会を開催できたら良いと思う。東海道全部だと集まるもの大変だが、南関東、愛知、関西など地区ごとに集まりを持つのも良いだろう。

 東海道に限らず、全国の色々な街道筋でこのような集会は行われていることと思います。情報等ありましたら掲示板やメールでお寄せいただければ幸いです。

 東海道集会に参加していただいた方、会場の「よし川」さん、ありがとうございました。幹事仲間のみなさんも含めまして、これからもよろしくお願い致します。


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