「ちょっと寄り道」
目次へ戻る

 街道てくてく旅 テッシー追っかけ記

 NHKで放送された街道てくてく旅の中山道編と甲州街道編は、テッシーこと勅使川原郁恵さんが歩かれました。番組のコンセプトは「歩くことで見えてくる“にっぽん”」。街道ウォーカーとしても気になる番組です。旅人のテッシーは、中山道が通る岐阜市出身、スケートのショートトラックで世界選手権11回、オリンピック3回出場という経歴の持ち主。五輪ではメダルこそ取れませんでしたが、全日本選手権では五連覇を果たすなどの第一人者だったのです。

 平日の放送なので、そうそう追っかけなどできるものではないのですが、3回ほど見に行きましたので、その様子をご紹介します。


中山道ゴール(2006年12月1日)

 中山道編は2006年9月16日(土)に京都・三条大橋を出発。最初の放送は、その2日後の18日(月)に東海道と分かれる草津宿から生中継。11週間をかけ、ゴールは日本橋。しかも中山道の場合は、最終日の生放送中にゴールするという設定。

 2006年10月から通勤で日本橋を通るようになり(実際には新日本橋−三越前での乗り換え)、出勤前に立ち寄りました。私はいつもより早い7時50分に日本橋到着。人だかりは出来ていましたが、思ったよりは少ないという印象。8時に生放送開始。オープニングで数分後にテッシーが歩いてくる方向にカメラが向いたので、私も映ってしまったようです。

日本橋道路元標前 テッシーがここを通ります 最後の交差点


 前日の様子をVTRで紹介している間は、巨大モニターとかはないのでよく分かりません。8時9分くらいに生中継に戻り、三越前の最後の交差点をテッシーが横断。ある意味いい位置にいたので、直前になってTVカメラが前に割り込まれてしまいました。それでも、ついに目の前を通過。このときの写真は大きくブレてしまいました。う〜む、走るSLより難しい。


頭上でシャッターを押す 肉眼でも見えるように だいぶ近づき 親子のツーショット


 日本橋のプレートにタッチしてゴール。テッシーが号泣してしまったときは、人垣の後ろの方から、カメラを持った手を上に挙げ、適当にシャッターを切りました。出勤の合間に立ち寄っている人が多いのか、放送中にも徐々に人が減り、けっこう至近距離へ接近。といっても5メートルはあったかな。ここで紹介している写真の多くはトリミングしています。



 それにしても、テッシーはかわゆい。はっきり言ってこんなに可愛いとは思っていなかった(笑)。ダイジェスト版しか録画していなかったのが悔やまれる。放送終了後は、握手なども出来たようだが、私は急いで出勤の途へ。携帯でも写真(上右端)を撮ったので、テッシーファンの街道仲間にもメールしようとしたが、高画質で撮ったため、軽くする設定がよくわからず、昼休みになってからようやく送信。「羨ましい〜」などの反響が。



甲州街道スタート(2007年4月23日)

 甲州街道編は2007年4月23日(月)から5月25日(金)までの5週間。旅人はまたもテッシー。しかもスタートが日本橋とあれば、これは行くしかない(笑)。この日は午前だけ年休を取り、街道歩きの追っかけも実行しました。

 この日は不本意ながら放送開始の8時を少々過ぎてから日本橋に到着。今回は橋の南側の袂。放送中はほんんど見えず。放送終了間際の出発で目の前を通過。多くの出勤途中のサラリーマンに見送られ、日本橋を後にしました。放送終了後の恒例らしいファンとのふれあいというのは特に無く甲州街道を歩きます。一緒について歩くと撮影の様子も良く分かるもの。横断歩道を渡ったかと思えば引き返したり、青信号でも渡らずにスタッフと打ち合わせをしたり。



 甲州街道として永代通りを通り大手町の交差点に出るルートを紹介しているものも多いですが、実際には今の東京駅の北自由通路辺りを通っていたらしい。ということで、テッシー一行も東京駅を通るわけですが、通勤時間帯ということもあってか、撮影の許可は10時から11時の間とのこと。8時40分前でロケ班一行は地下駐車場へ。追っかけのファンに向ってスタッフから「10時にここから出発します」とのこと。1時間以上あるが適当に時間を潰して待つことにしました。


テッシーとのツーショット サインも気軽に 東京駅自由通路 東京駅丸の内北口


 10時まで待った気の長い取り巻きは3人に。しかし、10時になったが出てこない。体よく撒かれたか? 3人のうちの一人が丸の内側へ偵察に向いました。その直後、テッシー一行が地下駐車場より登場。天下のNHK、嘘は付かないようです(笑)。その場にいない一人には悪いが、ここに残った二人はスタッフによりツーショットを写してもらったり、サインをもらったり。その一人が戻ってきた時は、ウォーク&撮影の再開。10時半にようやく丸の内側の東京駅から出ました。ここでツーショット&サイン組の一人は追っかけ終了。

 皇居のお堀では、いい画が撮れそうだからかかなり時間を掛けて撮影が行われ、直線の道を映すシーンでは、こちらも協力して隠れたり。100メートル近く離れたり追いついたりを繰り返し、日本橋から1里を過ぎ、半蔵門に到着したときはすでに11時半。新宿通りに入り、麹町のコンビニ前で休憩というか、スタッフだけで打ち合わせをしているところで、テッシーとちょっと会話。私のこのホームページも知っているようでした。再び握手をしてエールを送り、この日の追っかけは終了。もう一人のおじさんは、新宿御苑まで追っかけをされたとか。


甲州街道最終日(2007年5月25日)

 どうせならゴールも祝福したい。ファン心理のようなものが私を下諏訪へいざないます。甲州街道編は、放送最終日の前日にゴール。ゴール地点は、甲州道中・中山道合流之地の碑がある問屋場跡(綿の湯前)。この木曜のゴールの瞬間はさすがに参加できませんでしたが、最終放送日には何とかという思いの元、24日(木)の就業後、新宿からスーパーあずさで上諏訪へ。ゴール当日にも現地に参上していた東京で知り合った追っかけ仲間から、25日の放送は下諏訪のハーモ美術館前から行われるという情報を得て、25日(金)の朝、ホテルの部屋でカップ麺とパンを食べ、下諏訪の中継地点に向いました。


 天気はあいにくの雨。しかも湖畔は寒い。当時の気温は13度だったようで・・・。この日はカメラや携帯の規制も厳しく、天候の影響もあり、あまり写真は撮れませんでした。カメラに映るところにいると傘もさせないので濡れてしまう・・・。まぁ、テッシーを祝福することが目的だから、頭数の一人になれただけでも充分。と言いつつ、ちゃっかりテレビに映るは、握手するは、再びサインをもらったり。

 何はともあれ、テッシー、お疲れ様です。そして、中山道・甲州街道 踏破 おめでとうございます。 今後のスポーツキャスターとしての活躍を期待しています。 また、放送に関係なくても街道歩きを続けて下さいね。


東京・日本橋 甲州街道ゴール地点 京都・三条大橋


 前日の出発前に、街道ウォーカーの聖地である東京・日本橋に立ち寄り、甲州街道沿いの中央本線で下諏訪に来た私にはもう一つの目的が。テッシーと別れた後、諏訪大社の下社秋宮で参拝し、下諏訪から東京方面ではなく、松本方面へ向う列車に乗り、塩尻から「特急しなの」で木曽路を南下。名古屋から新幹線で米原に行き、東海道線で近江八幡へ、近江鉄道で武佐駅へ。そこから雨が降りしきる中、中山道を歩き、守山宿へ。翌日の26日(土)には草津宿・大津宿を経て、京都・三条大橋に到着。中山道の踏破。そして日本橋を基点とする五街道の踏破を達成しました。テッシーに刺激されたのか、GW期間を含む最後の1ヶ月で200キロ進みました。帰りは東海道新幹線で新横浜へ。2000年に始めた街道歩きを色々と思い出す旅でもありました。

 テッシーが日本中の多くの人に街道歩きの魅力を伝えたように、私も遅れている旅日記をアップすることで、後に続くウォーカーやこれから興味を持たれる人へ少しでも助けになればと思います。


ホームへ
ホームへ戻る