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変わりゆく東海道焼餅坂
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2001年4月撮影(北から南方向) | 2007年6月撮影(南から北方向) |
旧東海道を日本橋から進んで来て、保土ヶ谷宿を過ぎ、権太坂を登りきり、境木立場(境木地蔵尊)を過ぎてからの下り坂が焼餅坂です。往時、境木立場では焼いた餅や牡丹餅などを売っていたので、この名が付いたようです。
平成の時代になり、いや昭和の後半から道の両側が森林というのは、東海道を日本橋から進んできて初めての地点でもありました。21世紀を迎えても当初は昔の風情が残る道だったのですが、近年は開発が進み、森林の割合が大幅に減りつつあります。
現在(2007年7月)、googleマップの航空写真などを見ると工事前の様子が見れます。この数ヶ月で半分近くの木が伐採されたと推測されます。2003年暮れにこの近くに住むようになったこともあり、身近な街道情報のひとつとして変化の様子をお伝えします。
両側が森林という状態のときに少なくとも4回は歩いていると思うのですが、自分の撮った写真は右上の1枚だけ。東海道ウォークとして2001年元旦に歩いていますが、そのときは写真を撮っていませんでした。2001年からデジカメを使い始めましたが、あまり撮る習慣はなかったようで。当時、地蔵尊前で東戸塚駅に向うクルマやバスはほぼ180度カーブする道を通っていましたが、その写真も撮っていません。今では想像も出来ないくらいに変わってしまいました。
西側が公団住宅に
2002年10月、突然マンション購入を思い立ち、歩いていて気に入っていた東戸塚を訪れ(こういうことを必然というのだろうか?)、そのついでに焼餅坂を訪れると、西側の木々はすっかりなくなり、土地の整備も終了し、共同住宅の建設が始まろうとしていた。今で言うUR都市機構(以前は住宅・都市整備公団)による7階建ての賃貸住宅「コーポレート東戸塚」の建設である。宅地開発事業計画の概要を見ると事業者はここの地主のようでした。
2002年 10月 |
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2003年8月、自分が購入したマンションの建設具合を見に訪れた際、焼餅坂にも立ち寄ってみると、こちらの建設も建物自体の工事は終了した様子。この時点では歩道に関して特に街道を意識したような配慮はまだ見られません。
焼餅坂の入口に当る場所、境木地蔵寄りの東側には当時すでに1棟のマンションがありましたが、その周辺はこのマンションが出来てから約10年間、目立った開発は進んでいないようでした。
2003年 8月 |
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2003年10月には、この公団住宅の見学会のようなものがあり、興味本位で訪れました。焼餅坂の見える部屋、品濃一里塚の木が見える部屋などあり、眺望もよく、内装も分譲マンションと比べて遜色ないものでした。
2003年 10月 |
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「コーポレート東戸塚」の住居内からの眺望 |
2003年12月、この公団住宅の入居が始まった頃には、焼餅坂の入口に当るところの歩道脇に焼餅坂と旧東海道の説明板が設置され、公団と歩道の境は街道を意識したような石垣が築かれました。この少し後、私自身も東戸塚に引っ越してきました。
2004年7月に見に行ったときには、入口には、「左旧東海道」「右環状二号線」と彫られた道標がありました。先の焼餅坂の説明板には穴があけられていました(2007年には修復されました)。この後、歩道には松が植えられ、旧東海道としての面影を意識したものになっています。なお、このときは、まだ両側に木立という箇所もわずかに存在していました。今はありません。
2003年 12月 |
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2004年 7月 |
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東側も掘削開始
しばらく変化の無かった焼餅坂だが、2006年には、境木地蔵尊寄りの東側に焼餅坂を一部切り開き3戸の住宅が建設された。それほど大規模ではなかったので、風景自体はそれほど大きな変化はないかも知れない。公団前の歩道の松と石垣で旧街道らしさは保たれている。
2006年 戸建住宅 建設 撮影は 2007年 |
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品濃一里塚に向けて焼餅坂を下ったところに、2006年10月に何やら立て看板が・・・。「開発事業のお知らせ」として用途は戸建住宅及び共同住宅とある。このときは、写真に写っている電柱の右側だけかと思っていたのだが・・・。そして、この立て看板を見てから半年くらい特に変化はなかったが・・・。
2006年 10月 |
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2007年4月に訪れると木はバッサリと栽培されていた。それからは急ピッチで工事が進む。
2007年 4月 |
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地形が変わるくらい土砂も思い切って掘削され、平戸の町並みが見渡せるように・・・。大雨が降った時の水の流れがちょっと心配です。
2007年 5月 |
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その後も工事は着々と進行。状況は追記していきたいと思います。
2007年 6月 |
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2007年 7月1日 |
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2007年 7月8日 |
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2007年 7月22日 |
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2007年 8月12日 |
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2007年 12月2日 |
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2008年 1月3日 |
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共同住宅はほぼ完成。これから戸建の建設が始まる。建ってしまうと土砂を削ったことなどわからなくなってしまいますね。
2009年 2月8日 |
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さらに1年経過。戸建の方にも既に住人がいらっしゃいます。マンション奥の土砂が更にごっそり削られていますね。
その周辺では
旧東海道である焼餅坂は歩くことがあっても、その裏側は生活圏でなければ中々歩かないもの。ちょっと訪れてみると・・・。上記の開発の裏側自体はだいたい想像通り。驚いたのは、残っている焼餅坂の森林の裏側までもが、大規模な掘削が行われ、戸建住宅の建設が進行中だったこと。残っている部分は携帯電話のアンテナのお陰なのか、市が焼餅坂に多少なりの配慮をしているのか、単に地主が手放していないだけなのか?
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上記開発地の裏側 | 残っている焼餅坂の裏側も開発が進行中 |
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2009年2月追記 上の写真は2007年6月のもの 右の写真は2009年2月撮影 |
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この裏道を進むと東海道本などにもよく紹介されている萩原代官屋敷跡・道場跡がある。ここは今も木々に囲まれている。その付近から境木地蔵尊に通じる道は今も風情が残る。果たしてこの景色もいつまで楽しめるのか?
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萩原代官屋敷跡・道場跡 | 屋敷跡と境木地蔵尊を結ぶ道 |
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2009年2月追記 上の写真は2007年6月のもの 右の写真は2009年2月撮影 だいぶ変わっちゃいました・・・ |
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開発を全否定するつもりはない。古代より開発が続けられて今がある。各地を歩いていると寂しい通りなどには「チカンに注意」などの看板を見かける。そういうところよりは、子どもや女性が安心して歩ける道の方がいいと思う。住民が住みやすく、ある程度景観にも考慮がされ、安全な町を築いていければ良いのではないだろうか。
下の写真、左端は境木地蔵尊前である。歩道が広々していて、立場らしい雰囲気を醸し出す木も残されている。旧東海道としての境木のモニュメントもある。これだけのスペースが取れたら一部は駐車場にでもしてしまいがちだが、旧東海道で歩いてくる人が多いことを考慮したのだろう。参拝者も以前より多くなっていると思われる。また、品濃一里塚から続く丘が環状2号の歩道にせり出ていた部分は、歩道の幅が極端に狭くなっていたが、2007年に歩道の拡幅工事が行われた。人と自転車のすれ違いも危険性が減った。
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境木地蔵尊前 | 環2歩道の拡幅工事開始 | 広くなった歩道 |
保土ヶ谷区では2006年末から2007年1月に掛けて、「ヨコハマ市民まち普請事業」として助成金の五百万円をもとに国道1号線の外川神社付近に一里塚と松並木の復元が行われた。一里塚の芝も緑が濃くなってきたが、松並木の方は、歩道の整備が完了してなく、雑草に覆われ、クロマツは早くも何本か枯れ、やむなく切り倒されたものも出てきた。取り組みそのものは良かったが、行政の連携が不十分だったようだ。
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保土ケ谷一里塚 | 松並木の植樹時('07.2.12撮影) | 雑草に覆われる('07.5.19撮影) |
東戸塚に2003年暮れに引っ越してきた自分は数年前に掘削が行われたところに住んでいるわけである。東戸塚周辺、90年代はバブルがはじけて開発が停滞ぎみであったが、ここ数年はかなりの勢いでマンションや戸建住宅が増えた。1980年の東戸塚駅開業当時から住んでいる人にとっては、どう思っているのだろうか?