日光御成道 概略版
日本橋〜幸手宿 2005年11月23日,12月24日
これまでに日光道中、日光例幣使街道、その連絡道といえる壬生道を踏破してきた。今回は、日光に関するもうひとつのルートである日光御成道を歩いた。「おなりみち」と呼ぶ方が一般的だと思われるが、「おなりどう」とする文献もある。
江戸時代、家康を祀る日光東照宮へ徳川の将軍が参詣するのに使われた道である。社参の1回目は一周忌に二代将軍秀忠が行い、三代将軍家光は10回も行ったが、その後はお金も掛かるからか途切れがちになり、12代将軍家慶まで、計19回行われたようだ。ちなみに1回目と9回目は、御成道ではなく、日光道中を通ったようだ。
ルートとしては、日本橋から本郷追分までの1里は中山道と重なる。赤羽付近から北は、鎌倉街道の中道を原形とするもののようだ。国道4号に沿った日光道中は、都内・埼玉県内はアップダウンのほとんどない道だが、御成道は尾根道コースでもあるので、こちらの方が街道を歩いているという雰囲気は味わえる。
行程は50キロ程度、2日で歩いたが、まずは、概略版でお届けします。
一里塚
日光御成道にも江戸を基点とした一里塚がある。しかも意外と残っている。江戸からの順番で示す。
1里目は東京大学がある本郷通りで、中山道との追分地点。2里目の西ケ原一里塚は対で現存している。3里目の稲村は赤羽駅の少し南に位置し、以前は説明板もあったようだが、現在は道路拡幅中で説明板は見当たらない。4里目の川口は埼玉高速鉄道の川口元郷駅の少し北にあったようだが、それを示すものは無く、付近地を載せている。
5里目の鳩ヶ谷も示すものは何も無いが、吹上橋付近と云われている。6里目は東川口駅の南の戸塚という地名のところにポケットパークがある。7里目は大門付近だと思われるが、唯一正確な位置が分からない。ここでは大門宿付近を写したものを載せている。8里目の膝子一里塚は、東側だけ残っており大宮市内唯一の現存する一里塚である。
9里目は岩槻区役所のところに石碑がある。10里目の相野原は説明板はないが、杉並木の南側、会社の塀に食い込むように残っているところがそれらしい。11里目の下野田は対で現存している。12里目の下高野は、西側のものは道路拡幅により消滅したが東側は残っている。
1.本郷追分 | 2.西ヶ原 | 3.稲付 | 4.川口 |
5.鳩ヶ谷 | 6.戸塚 | 7.大門 | 8.膝子 |
9.岩槻 | 10.相野原 | 11.下野田(西側) | 11.下野田(東側) | 12.下高野 |
1日目:日本橋−岩淵−川口−鳩ヶ谷−東川口
五街道の位置づけではないが、スタートは日本橋から。最初の1里は中山道と同じルート。東京大学を通り過ぎるころの本郷追分で中山道は左方向へ向かうが、御成道は直進する。ここからしばらく東京地下鉄(東京メトロ)南北線が何故か御成道に沿っている。途中、六義園や旧古河庭園などで紅葉狩り。王子駅では路面電車と在来線と新幹線(写真には写っていないが)という組み合わせを見ることが出来る。赤羽付近は道路の拡幅が進められている。昭和の家並みが見れるのもあと少しか? 荒川の土手では桜の紅葉も楽しめた。荒川の埼玉側はスーパー堤防になっている。鳩ヶ谷宿の後、宿場ではないようだが新井宿という地を通り、戸塚という地名のところで日没となり、東川口から埼玉高速鉄道(南北線直通運転)で武蔵小杉経由で帰宅した。
東大赤門 | 六義園 | 旧古河庭園 | 旧古河庭園本館 |
飛鳥山公園 | 王子駅 | 名主の滝公園 | 中十条の町並み |
稲付村の力石 | 赤羽の町並み | 赤羽の町並み | 赤羽桜堤緑地 |
荒川 | 御成坂公園 | 真光寺(鳩ヶ谷宿本陣) | 鳩ヶ谷宿 |
2日目:東川口−大門−岩槻−幸手
東川口駅と御成道は300mも離れていない。尾根道が御成道である。今は懐かしい感じの風景が残るがこれからどんどんと宅地化が進んでいきそうである。大門宿を抜けると御成道は東北自動車道に遮断される。回り道をすると、何度か通った浦和料金所が見え、その奥にはまだ行ったことのない埼玉スタジアムが見える。サッカーの試合があるとき、東川口駅は非常に込み合う。ちなみにスタジアムの最寄り駅は浦和美園。都内で南北線に乗るとき、何処なんだろうと思っていたが、歩いて近くまで来ると身近に感じられる。
御成道では「砂場」という名のそば屋さんを良く見かけた。藪や更科に並んで有名らしいが身近に見かけないので、珍しいそば屋なのかと思ってしまった。
大門宿脇本陣 | 浦和料金所と埼玉スタジアム | さぎ山記念公園 | 人形の秀月 |
岩槻時の鐘 | 岩槻城城門 | そば宿 砂場 | 日光道中との合流点 |
道しるべ・その他
御成道に関したもので最初に目にするのは、神田から御茶ノ水へ向かうJR中央線のレンガ造りの壁際にある千代田区の説明板だ。そこに書かれているルートは日本橋からスタートしてなく、神田明神に向かわず中央通りを北に向かっているのがちょっと気になる。赤羽の宝幢院前にある道標は1740年に造立されたもので、「東
川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国冨士道 板橋道」「南 江戸道」とある。
岩槻宿の歩道にはカルタのようなものがあり、「杉並木 昔をしのぶ 一里塚」などがある。
秋葉原付近 | 本郷追分付近 | 赤羽宝幢院前 | 岩槻の南西付近 | 人形歴史館前 |
従是南岩槻領 | 岩槻宿の歩道 | 岩槻宿の歩道 | 岩槻の久保宿通り | 渋江交差点の北 |
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