姫街道ウォーク 概略版
安間〜御油 2001年12月22〜23日
東海道ウォークのおまけとして、浜名湖の北側を通る姫街道(約60キロ)を2日間で歩きました。
引佐(いなさ)峠と本坂峠を越えるわけですが、東海道からそこに至る道は数コースあります。
風の強い日に歩道のない天竜川を渡るのは危険なので、天竜川駅から2キロほどの安間一里塚跡のところからのコースを選びました。峠を越えた後は御油まで平坦な道が15キロほど続きます。完全踏破に拘らないのなら、和田辻からは豊橋行きのバスをお勧めします。
一里塚
途中に12箇所の一里塚があったとされている。私は9箇所しか見つけられなかった。最も豊川市内の2つは現在のところ碑など建てられていない。豊橋市内の長楽一里塚跡は竹林の中に碑があるらしいが見落としてしまったようだ。変わりに一里塚っぽいものを写真に収めた。東海道に合流してから少し豊橋側に戻ったところに、御油一里塚跡の碑が2001年に建てられた。
小池 | 追分 | 東大山 | 老ヶ谷 | 山田 |
大谷 | 三ケ日 | 本坂 | 本坂 | 嵩山 |
長楽 | 長楽付近 | 御油 |
様々な道標
姫街道では様々な標識があった。左上のは写真では分かりにくいが、見附からの池田道と合流する手前にあるもので「右 気賀へ」と彫られている。特に細江町は力を入れているようで、道には迷わないが案内板は統一されていない。静岡県内の東海道でお馴染みのものも何度か見かけた。嵩山を過ぎるとこのような道標は見かけなくなる。
引佐峠
気賀宿を過ぎると引佐峠。石畳になっているところが多いが、歩いたときは犬と思われる糞が多かった。足元を見ながら歩こう。所々景色の良いところがあった。特にきつい登りではないが、峠に着いたときはすでに午後4時。最寄駅まで約3キロ。日没まで約30分。照明などは持ち歩いていないので、ちょっとあせる。峠にはいきなり障害物が。回り道するには、落ち葉の吹き溜まりの大きな段差を通らなくてはならない。これは足を挫く恐れもあるので、木を乗り越えることを選択した。象鳴き坂では、ハイペースでは歩けず、ちょっとヤバイ。石を投げることで旅の無事を祈ったと言われる石投げ岩に石を投げている余裕はない。ほどなくして舗装路に出た。ここからはペースをあげ、都筑駅に向かった。日没時刻は過ぎたが、まだ明るさが残るうちに駅に着くことができた。午後4時50分。電車を待つ間、無人駅に併設されているパン屋でパンを食べた。
石畳 | 浜名湖と市街 | 障害物 | 像鳴き坂 | 石投げ岩 |
本坂峠
未舗装路を約90分歩くことになる。東海道の箱根や小夜の中山を越えてきた人なら、大したことはない。でも距離がある分、鈴鹿峠よりはきついかもしれない。今日は日没を気にしない時刻なので、ハイキング感覚で森林浴を楽しむ。
姫様&ここにも姫街道
左端は三方原(みかたはら)追分を過ぎ、松並木に入った辺り。気賀宿手前の中央配水場では、姫に気を奪われると一里塚跡を見逃す。
街の色々なところで姫街道に関するものを目にすると、歩きがいもある。嵩山から御油までは、姫街道踏切くらいか。
街の壁画 | 貯水タンク | 気賀ポケットパーク | 気賀本陣公園 |
バスターミナル | 骨董屋 | 豊川稲荷近くの踏切 |
浜松宿
今回は歩き着いた街道沿いではなく、電車で浜松まで戻り、浜松城近くのホテルコンコルド浜松に宿泊した。峠越えのため、日没後には歩けないので、どこまで行けるか分からなかったのと、天候により歩くか否かの決定を直前でする場合はホテルの方が都合がよい。しかも、ここは飛行機の早割りならぬ遅割りという制度があり、宿泊日間近に予約すると安く宿泊できるのである。私は1泊朝食付き5700円であった(税別サ込)。朝食バイキングなしだと4500円である。通常料金は8900円〜のようだ。
安いせいか、浜松城や海が見えない側の部屋であったが、翌朝、部屋から富士山が見えたのは収穫であった。浜松城を見学後、駅に向かった。昨晩、ホテルに向かうときに気づいていたが、浜松宿の○○跡の表示板が6月に歩いたときよりもバージョンアップしていた。
シングルルーム | 部屋から見えた富士山 | 浜松城 | 本陣跡 |
街並み
宿場の面影みたいなものは感じないが、思ったより田舎ではなかったというところか。三ケ日から本坂に向かう辺りは、今住んでみたいとまでは思わないが、こーゆうところが自分の故郷だったら毎年帰省してみたいという感じだろうか。
市野 | 旅館(熊谷館:市野) | 三ケ日 | 嵩山 |
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