京街道(東海道五十七次)概略版
大阪高麗橋〜山科追分 2002年5月1〜3日
東海道ウォークの続きとして、東海道五十七次にあたる高麗橋(大阪府)−髭茶屋追分(京都府と滋賀県の境)間を歩いたとき、およびその周辺を観光したときの様子を紹介します。
東海道五十三次に関する本は多数出版されていますが、東海道五十七次にあたる京街道についてはあまり見かけません。ちょうど今年(2002年)の3月に向陽書房から「京街道」という本が出版されたので参考にしました。
大阪・高麗橋
東海道五十三次の踏破として京都まで歩いたので、その続きで大阪に向かうという考え方もあるが、京から大阪は淀川の川下りが一般的であった。陸路を歩く私は大阪から京に向けて京街道を歩くことを選択した。
大阪城公園に降り立つと、メーデーの群集に迎えられた。高麗橋は2001年暮れに改修工事が行われた。東京の日本橋と同じく頭上に高速道が走っている。
大阪のメーデー | 大阪城 | 里程元標跡 | 高麗橋 | 高麗橋 |
京橋〜
大阪市内は「歴史の散歩道・京街道」として「つたい石」が施されて箇所がある。これを目印に歩けばよいのだが、まだ完全ではない。所々に道標もある。雨は降ったり止んだりである。
つたい石 | 京橋より | 文政道標 | 京橋商店街入口 | 平成道標 | 平成道標 |
守口宿
東海道五十七次目にあたる守口宿は秀吉が築いた文禄堤が残る場所である。宿を出ると一里塚跡の碑もある。
文禄堤 | 巨大看板 | 道標 | 一里塚跡 |
淀川堤
守口宿を出るとしばらく淀川の堤防沿いを歩くことになる。バイクなど進入できないよう工夫されている。時折、雨が降ったりする天候のため、歩きのペースがいつもより遅い。1キロ13分もかかっている。途中、佐太天神宮や来迎寺に立ち寄った。
アートな石 | 自転車のみ通行可 | 淀川堤防 | 堤防の下道 | 茨田堤 |
枚方宿
枚方宿は、宿場であったことを観光用にかなり力を入れているようだ。枚方橋には現在、川は流れていない。1日目は、枚方市駅の次の駅である御殿山までとした。
水面廻廊 | 鍵屋資料館 | 桝形道 | 平成道標 | 宗左の辻 | 枚方橋 |
宿泊は伏見
今回は、1日目で枚方宿の少し先まで歩けるだろうということで、枚方周辺で宿を探したが、適当なところが見つからなかったので、歩きの途中ではなく、電車利用になってしまうが、伏見(深草)のアーバンホテル京都に二泊することとした。禁煙シングルルーム1泊5000円(税別サ込)。朝食は和食か洋食を選択し、別途700円。廊下に広重画が飾ってあるところが、街道ウォーカーには嬉しい。
廊下に広重画 | シングルルーム | シングルルーム |
樟葉・橋本
駅名は樟葉という字を使うがが、町名は楠葉である。淀川の河原は、ゴルフコースになっているが、右を見ると41階建ての高層マンションが建設中であった。街道らしい町並みもあり、特に橋本は古い家並みが見られる。
樟葉付近 | 高層ビル建設中 | 楠葉の町並み | 橋本の町並み |
淀宿〜
淀宿は、東海道五十七次の宿場として、これといったものはない。今では、京都競馬場のある町として有名である。淀宿を出て、しばらくすると宇治川の堤防を歩くが、途中、国道1号の横断は京街道における最大の難所である。信号のない(はるか遠くにあるが)片側二車線の国道を渡るのは、一苦労である。
町並み | 淀城址 | 神心石 | 難所(国道1号横断) |
伏見宿
伏見宿は、京都、奈良、大阪、大津への水陸交通の要所として栄えた宿であった。坂本竜馬が定宿とした寺田屋は現在も宿泊できる。ここの町並みは、古い感じのものもあれば、新しいビルなども建ち並び、新旧がうまく調和していて良い。また、酒造りの町としても有名である。十石船は年中運航しているわけではない。
寺田屋外観 | 1階展示室 | 1階和室 | 2階客間 | 2階展示 |
商店街 | 新旧交じる町並み | 月桂冠 | 黄桜 | 十石船 |
山科の追分へ
伏見宿から山科の追分に向かうのにいくつかルートがあるようだが、枚方の鍵屋資料館で示されている墨染、藤森、勧修寺経由で奈良街道に合流する道を進んだ。大阪の高麗橋から約9万歩で、山科の髭茶屋追分に到着した。写真の走り井餅は、京都駅で購入した。
藤森神社 | 奈良街道 | 道標 | 道標 | 髭茶屋追分 | 走り井餅 |
六地蔵・醍醐ルート
伏見から山科へのもうひとつのルート(観月橋、六地蔵、醍醐経由)も3日目に歩いてみた。観月橋近くの月見館からは、三十石船で大阪へ下れるようだ。醍醐寺は拝観時間が終了していたため、仁王門から奥へは入れなかった。2日目のルートと合流する小野駅まで歩いた。
月見館 | 立場・高札場跡 | 醍醐寺沿いの街道 | 醍醐寺仁王門 |
一里塚
江戸から何里目にあたるのかはよく分からないが、東海道五十七次の区間にも一里塚はあったようだ。大阪からみると、まず守口には碑もある。淀川の堤防に出て、点野の辺りにあったようだ。淀川から枚方宿に向け、堤防を下りた辺りの用水路近くにもあったようだ。次は、枚方宿を出て天の川を渡った直後、そして、牧野から樟葉へ向かう途中の船橋川の手前にあったようだ。距離的には次は橋本の渡し辺りであろうか? その辺りからはよく分からない。山科に向かう奈良街道が名神高速道をくぐってすぐの所に大宅の一里塚があるようなのだが見逃してしまった。
守口 | 点野 | 出口 | 天の川 | 船橋川 |
京都観光
2日目、山科追分まで歩いたその足で東海道を三条大橋に向かって歩き、少し廻り道して、南禅寺や平安神宮に立ち寄った。そして、前回見逃した、三条大橋の少し先にある三条小橋の写真を撮ってきた。
3日目は、宿泊先から歩いていける伏見神社に寄り、京阪電車で四条に行き、八坂神社や清水寺などに立ち寄った。
南禅寺三門 | 平安神宮大鳥居 | 三条小橋 | 伏見神社 | 八坂神社 |
ねねの道 | 産寧坂 | 清水寺 | 地主神社 | 花見小路通 |
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