第2日目その2 2001年2月3日(土) 晴れ 戸塚−藤沢−平塚−大磯−小田原


平塚宿
広重画−平塚 平塚といえば七夕まつりが有名だが、始まったのは昭和26年からである。

 相模川を渡ると平塚宿である。国道は平塚八幡宮の方に曲がるが、旧東海道は直進。駅前に近づくと人通りも多くなるアーケード街。戸塚から歩き始め、4時間20分経過。この商店街の「魚忠」で昼食にした。かつての平塚の宿場はこれよりも先になるが、現在は駅に近いほうが開けている。江戸口見附跡

 平塚市民センターを過ぎると立派な見付跡(写真右)。しかし、これは本来の場所ではなく、実際には150メートルほど江戸よりにあったそうで、2001年10月には本来の場所に見附が再現されるようである(再現された江戸見附)。現在、本宿という地名はないようだが、郵便局の名は平塚本宿郵便局(写真下左)。
本宿郵便局問屋場跡 西組問屋場跡(写真左)のところで、旧東海道は右側の道(写真では左方向)に入る。 この写真で奥の方へ向かうと平塚の塚などがある。
 国道1号に合流したら左へ。平塚宿の碑 古花水橋の交差点そばに平塚宿の碑(写真右:2001年6月撮影)。京方見附の説明板もある。
平成の一里塚高麗山 
 花水川手前の交差点には、「平成の一里塚」(写真左端)と称したものがある。江戸時代の一里塚は、相模川を越えて平塚宿に入る手前にあったようだが、未発見である。花水橋の正面には広重画にも出てくる高麗山(こまやま:写真左)がそびえている。


大磯宿〜国府津
広重画−大磯 平塚宿から大磯宿までは3キロ弱しかない。これは宿駅制度の定まる前から宿場としての歴史を持っていたからとも言われている。明治期には日本一の避暑地とも言われたそうである。
車屋
 花水川を渡り、700mほどで国道が左寄りに曲がるところで右の直進する道が旧道。化粧(けわい)坂に入ると右手に水車のある蕎麦屋(写真右)。左手には化粧井戸。松並木が続き、途中、一里塚を思わせるようなところもあります(大磯八景碑「化粧坂の夜雨」だけだが、その後の調査でその手前に江戸から16番目(看板には壱拾七里とあるが・・・)の化粧坂一里塚跡があった:さらにその後一里塚跡の立て札が設置された)。東海道本線の線路とぶつかる所はガード下をくぐり道なりに。松並木があり、街道らしい道である。国道に合流してからが大磯宿。

湘南発祥の地 大磯駅入口の交差点を過ぎると右手に2件の本陣跡の石碑。その少し先に大磯プール入口という交差点がありますが、大磯ロングビーチではなく、町営照ヶ崎プールのことです。この交差点から左(国道が右に曲がるので直進)の道が旧東海道のようである。すぐに国道に合流。左手に湘南発祥の地の石碑(写真左)。その少し先の右手には「パンの蔵」という店がある。松並木がしばらく続き、途切れる近く、左側の歩道に「東海道の歴史を物語る松の年輪」がある。しばらく進むと、旧道は城山公園前の交差点を右折。せっかくなので、県立大磯城山公園に立ち寄る。富士山は雲がかかっていてイマイチ。海もよく見えるのですが、ちょうど太陽の反射で光って写真には向いていませんでした。30キロ近く歩いてきてこの公園の階段をガンガンと昇り降りしたため、左ひざに痛みが…。以降のペースがガクンと落ちました。旧道はこの城山公園前を西に向かう。道路の車線は右に曲がるのですが、旧道は直進します。中丸と呼ばれる辺りに一里塚があったようだが、未確認(2002年に跡地から200メートル西に立て札が設置された)

押切坂一里塚二宮分岐 二宮は大磯と小田原の間の宿であった。現代の道標には小田原まで14キロとあるが、本当にそんな距離があるのか少し疑問である。実際には12キロくらいである。駅前にはガラスのうさぎを抱いた少女の像がある。
 二宮駅を過ぎ、吾妻神社入口の交差点から斜め右手に入る旧道(写真左)に。吾妻神社に行くには標高136メートルの吾妻山を登らなくてはなりません。頂上は神社だけではなく、散策道や小動物園、展望台などがある公園になっているようです。旧道は500mほどで国道に合流。さらに500mほどで斜め左に入るのが旧道。その入口に江戸から十八里目の一里塚跡(写真右)。途中、民家の庭先に本陣跡の木杭。押切坂を下ると国道に合流。約2.5キロで国府津駅前。時刻は15時20分。時折痛くなる左ひざのことも考えると国府津から北に3キロほどのところにある曽我梅林に寄るか否か。


曽我梅林
曽我梅林曽我梅林 全国的にも有名な梅の産地(神奈川県民の私は今まで知らなかったが・・・)。中河原、別所、原梅林の総称で、約3万5千本あるそうだ。

 街道歩きのきっかけになったのが、府中の梅まつりであったこともあり、まだ2月の頭ではあるが咲き始めたとの情報を得ていたので向かうことする。また、ホームページを作るにあたり、他の人とは変わったこともしてみたいという変な気持ちもあった。
 岡入口という交差点から右に曲がればよかったのだが、通り過ぎ、森戸川の親木橋まで行ってしまいそこから北へ向かった。約40分歩き、曽我梅林へ。入口ははっきりしなかったが、それらしいところから入る。入場は無料。約30分ゆっくりと散策。2分咲程度か。富士山は少しかすんでいた。


国府津〜小田原宿
広重画−小田原 小田原は江戸時代以前から、関東随一の城下町として発展していた。東海道最大の難所箱根峠越えを前後に多くの旅人が宿泊した。現在も箱根方面への観光拠点である。
バス停一里塚
 17時5分、親木橋に戻り、東海道ウォークを再開。ファミレスが2件並ぶところを過ぎ、バス停の名だけが残る一里塚(写真右:このときは右側の歩道を歩いていたが、東海道さんさくマップに左側に一里塚が載っていたので後日「小八幡の一里塚」説明板を見に行った)。酒匂川を渡るときはすでに日没の時刻。富士山もはっきりとしませんでした。川を渡ると旧道は右手のトヨタカローラ店の裏の道を行き、城東高校前の交差点で現在の国道1号を横切り、常剱寺入口の交差点で国道に合流するが、疲れてきているので国道を直進した。

小田原江戸方見附跡 山王橋を渡り、300メートルほどで小田原宿の江戸口見附跡(写真左:すっかり暗くなってこのときは気づかなかったが、歩道橋で渡った反対側の歩道に江戸口見付並一里塚跡あり)。この少し先の浜町の交差点を右に曲がり道なりに進むと小田原駅への近道。旧道は新宿の交差点を左折。次に右に曲がれるところで右折。古清水旅館はかつての脇本陣跡。
ういろう本舗
 直進すると再び国道1号になる。しばらくすると右手にひときわ目をひく建物が(写真右)。日本最古の薬屋「ういろう本舗」である。本日の東海道ウォークは箱根口の交差点までとし、小田原駅に向かった。ここからだと1キロくらいある。途中、城内の広場に、クリスマスツリーのような巨大な電飾があった(写真左)。
城内のオブジェ
 18時30分、小田原駅に到着。1日で7万5千歩は、測定した中では新記録。時間的にもおそらく最長である。距離的には写真を撮ったり寄り道しているので、50キロはいってないと思う。
 電車の中は暖かかったので、横浜駅で京浜東北線に乗り換えるときすごく寒かった。20時13分に自宅に到着。途中、左ひざが時折痛くなったものの、予定通り、東海道ウォーク2日目で小田原に到着したのであった。

 次の日、左ひざは何の問題もなく、5キロくらい歩きました。


2日目その1
戸塚宿〜茅ヶ崎へ
東海道トップへ
3日目その1
小田原宿〜箱根東坂へ