第4日目その1 2001年3月18日(日) 雨のち晴れ 三島−沼津−原−吉原蒲原−由比


 今回は三島からである。だんだん往復の時間と交通費もバカにならなくなってくるので1泊しながら進む。まだ宿泊費より交通費の方が安いが・・・。この三島では3月18日から20日まで「大宿場まつり」が開催される。はじめに立ち寄る手もあるが、一泊することもあり、帰りに寄ることにした。2日目の歩く距離を短くしたいのと、さった峠を富士山の見える確率が高そうな朝のうちに登りたく、また由比に泊まってみたい民宿もあったからである。富士山といえば、今回のコースは富士山を見ることがポイントではないだろうか? ガイドブックにしても他のHPを見ても富士山以外にあまり見所はなさそうだ。天気予報は雨のち晴れで、雨は朝に内に止むとのこと。雨上がりは澄んでいて富士山が見やすいのではと思って出発したが・・・。


三島三島一里塚右
三島一里塚左 JR東海のウォーキングきっぷ2で三島へ向かう。晴れてくる予報だが、どうも雲行きが怪しい。小田原辺りから雨が降り出した。三島では本格的な雨だ。今日は歩行距離が長いので、とりあえず伊豆箱根鉄道を利用し、一駅先の三島広小路に行く。雨は止む気配がない。富士山はおろか愛鷹山(あしたかやま)も見えない。午前8時20分、東海道ウォーク4日目は三島広小路駅から左側の道を歩き始める。

 しばらく進むと千貫樋(せんがいどい)と西見附跡がある。更に進むと道の両側に江戸から29里目の伏見一里塚がある。左手は宝池寺(ほうちじ)の敷地内(写真左上)にあり、いかにも最近作ったものという感じである。右手の玉井寺(ぎょくせいじ)脇のもの(写真右上)は原形をとどめているらしい。

柿田川公園湧水 東海道から少し逸れるが、宝池寺の裏へ回る道を行き、柿田川公園(写真左)に立ち寄った。ここは富士山に降った雨や雪が地下に染み込んだものが、三島溶岩流の間を通り数ヶ月〜数十年かけ、ここに湧水していて、その量は1日100万トンにも及んでいるそうだ。公園内には勇水群(写真右)がいくつもあり、実際に湧き出している様子を見ていると自然の力を感じる。柿田川はこの湧水から成る川で、駿河湾に流れ出ている。

 この公園を発つ頃、雨が止んできた。時刻は9時10分である。旧東海道は、先ほどの一里塚から道なりに伸びる道で、国道1号を横断する。


沼津宿
広重画-沼津 古くから港町として栄え、遊興の場も開けていた。江戸期の狩野川には橋がなく、往来は渡船であった。左の広重画は満月のもと、狩野川の先に宿場が見えている。

 黄瀬川を渡ると沼津市に入る。潮音寺(ちょうおんじ)には鶴亀姫の碑があり、その先、右手の一般の駐車場の中に沼津藩の領域の入り口を示す榜示杭(写真下左端)がある。国道に合流すると右手に江戸期の沼津の歴史マップなどがあり、その先、国道が右にカーブするところ(写真下左から2番目)で斜め左に入る道が旧道である。途中、江戸から30里目の沼津一里塚跡(写真下左から3番目)や玉砥石(たまといし:写真下右端)は右手にあるが、その手前左手に一里塚と間違う立派に木があった。
従是西沼津領旧道分岐沼津一里塚跡玉砥石

千本街道追分 東海道は再び国道に合流、三枚橋町の歩道橋を越え、少し進んだところで斜め左への道を入る。途中、沼津城本丸址があり、道は沼津駅前の大通りに出たら左折。左手に御成橋がある通りに出たら、そこを右折、次の角を左折し、左手に永代橋がある通りを右折し、北西に向かう。
 東海道はそのまま直進するのだが、お寺とかに興味がなければ、つまらない一本道が続くので、東海道を歩いている人でも、ここは海岸沿いを歩く人が多いようだ。先ほどの右折からすぐに千本浜に向かえば、若山牧水などの歌碑があるようだが、私は最短ルートで海岸沿いに出るため、千本街道への道標がある交差点(写真右)まで行き、左折し千本街道を進み、松原が延々と広がるところに来たら、松原を越え海岸沿いへ出た。時刻は10時30分、まだ雲は取れない。ちなみに、この交差点から旧東海道を少し進んだところに沼津藩領榜示杭の西側があるようだ。


原宿
広重画-原 原という地名は、この地に接した浮島沼がつくり出した浮島ヶ原に由来する。

 しばらく海の見える堤防を歩くことにした。吉原まで10キロは続く。11時になり、南の方(写真下左)は明るくなってきたが、富士山の方(写真下中)は相変わらずどんよりした雲が掛かっている。松林の中(写真下右)も歩くことはできる。だだし、曲がりくねっているのでずっと歩いていると時間は掛かるだろう。千本松原という名称だが、万本でもきかないくらいの数が植わっている。
千本松原雲に隠れた富士千本松原からの海


原宿 





 途中、原付近で一旦東海道に戻り、松蔭寺(しょういんじ)に立ち寄った。お彼岸ということもあり参拝者が多く、しかも納骨にきた遺族の団体もおり、リュックを背負った私は場違いな感じでもあった。この松蔭寺は、臨済宗の名僧としてその名は天下に知られたという白陰禅師(はくいんぜんじ)ゆかりの寺で、摺鉢松(台風で裂けた松の雨よけのために、備前岡山の池田氏から贈られた備前焼の擂鉢をのせ、松がそのまま育ち、擂鉢がのったままになっている)が有名らしいが、見つけることができなかった。現在は京焼の鉢がのせられているそうで、備前焼のものは、年2回、4月29日と12月の第2日曜に蔵から出され見ることができるそうだ。

 原宿周辺は上の写真左のように真っ直ぐな道が続いている。一里塚跡とかも持っている本には記載されていないので(沼津と原の間の片浜駅から1キロ弱沼津よりに31里目の一里塚跡があるようだが戻る気にはならなかった)、再び海岸沿いを歩くことにした。時刻はまもなく正午になる。


吉原宿
広重画-吉原 JR吉原駅付近が、元の吉原宿であったが、津波などの被害にあい、中吉原宿、新吉原宿へと宿が移転した。江戸時代より駿河半紙の生産地であり、明治期からは近代製紙業の町となった。
沼田新田一里塚跡
 12時半を過ぎ、ようやく富士山頂が顔を覗かせるようになった。海も良いが、せっかく富士の近くなのだから、富士を見れないと物足りない。昭和放水路の辺りから東海道(旧国道1号)に戻った。(加筆:昭和放水路を過ぎてすぐ左手に沼田新田一里塚跡の石碑が平成13年5月に設置された:写真右) 

 旧道は吉原駅や毘沙門天妙法寺がある方へ直進して進む。 

 田子の浦が近づいてきた。この辺は大きな工場が多い。しかも臭い。京浜工業地帯である川崎に勤めているが、川崎の方がマシのような・・・。他人事ながら環境ISOをクリアできるのだろうかと思ってしまう。風向きによっては旧道にこだわらず工場の煙突の煙のたなびく方向を避けて歩くもの良いだろう。百人一首に「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」という句があるが、今も富士は雄大だが煙突の煙ばかりが気になる。

左富士の説明板左富士の標柱 旧東海道は吉原駅手前のコンビニや酒屋のあるところを右折し踏み切りを渡り、左折し道なりに進む。吉原駅近くの河合橋を渡り程なく旧道は左に曲がるがここを真直ぐ(やや右)の道を行けば左富士になる。江戸から京に向けて歩き、富士が左に見えるポイントは少ないかもしれないが、この付近なら建物の隙間からちょくちょく見えているのだから右も左もどうでもいい気もする。茅ヶ崎の左富士は突然左に現れるので、こちらの方が見えたときの感動がある。

 と言いながらも本来の左富士のポイントで富士を写真を収めたい。しかし、富士山は雲に隠れていた。(加筆:後日晴天時に撮影した左富士) 写真左は左富士の説明が書かれているところであり、交差点手前からこの松を見ると左側に富士があるようである。写真右は、ほんの少し先に進んだ地点にあるものだが、左富士なのでこの写真の方角に富士があるはずはない。この左富士のポイントに向かう手前、旧道は国道139号と高架の国道1号バイパス・新幹線とクロスして進むが、旧道は高架ではない国道の1本右の道である。

平家越えの碑吉原宿静岡銀行 和田川を渡るところに平家越えの碑と東海道道標(写真左)がある。この辺りからが新吉原宿で、岳南鉄道の踏切を渡った辺りから賑わった商店街が続く。東海道は静岡銀行のところに標識(写真右:京都まで90里とある)があり左折、2つ目の交差点(T字路を含めると4つ目)を右折する。私は静岡銀行のところを曲がらずに真っ直ぐ少し行ったところにあるあさひ銀行に立ち寄ろうとしたが休みであった。通帳に利用支店名が記載されるので、その地を訪れた記念に各地でお金の出し入れをしているからである。時刻はすでに14時6分、まだ昼食も取っていないが予定より歩くペースが遅れている。

本市場一里塚跡分断された東海道 東海道は小さな川を渡り、国道に合流し左折。大きな交差店を横断し、国道の1本右の道が旧道。五差路の交差点では西へ向かう。そして橋の手前で右に入った道で潤井川を富安橋(三度橋)で渡り、道なりに進む。途中、袂の塞神(たもとのさえがみ)と呼ばれる道祖神鶴芝の碑がある。ここに本市場一里塚跡がこの先にあると書かれているが見つけられなかった。(加筆:東海道四〇〇年祭の景観づくり事業の関連で、2001年5月一里塚跡の石碑が設置された、写真左)

 旧東海道は中央分離帯のある道路(写真右)にさえぎられている。迂回してこの先の道に出たが、ここも東海道ルネッサンスの事業として何とかしてもらいたいものである。次に県道に出たら横断し、県道の斜め左の道を行く。(加筆:本市場一里塚跡はこの後にある)

 時刻が15時に近づき、かなり疲れてきた。歩く前の予定では2時頃富士川を渡るはずであったが、大きく遅れている。途中、ミニストップでサンドイッチと飲み物(熟茶:初飲)を購入し、店内で食した。今回のコースは富士が見えないと面白みのないコースである。東海道を順に歩くことに拘らなければ、富士が見えぬ日は沼津から東海道線富士駅まで飛ばしても良いのではなどと考えながら歩く。なお、富士駅は東海道から若干離れている。身延線の柚木(ゆのき)駅が旧道沿いだが、列車の本数が少ないので、時刻表で確認しておかないとお勧めできない。

道標と秋葉常夜燈富士川からの富士 柚木駅を越え、しばらく進むと左手に「左東海道」と彫られた道標と秋葉常夜燈(写真左)がある。左東海道なのだが、県道から見ると右の道が旧道である。
 県道と合流すると、500メートルほどで富士川橋である。若干雲が掛かるものの、今日ここまで歩いてきて、やっとまともに富士山を見ることができた(写真右)。富士川を渡るときが東海道中で最も富士が大きく見えるところと書かれている本もある。距離的には吉原本町付近が一番近いはずであるが、富士川橋からは遮るものがないのでより一層雄大に見えるのは確かである。時刻は15時34分である。


3日目その3
箱根西坂〜三島宿へ
東海道トップへ
4日目その2
岩淵〜由比宿へ