第4日目その2 2001年3月18日(日) 雨のち晴れ 三島沼津吉原蒲原−由比


岩淵
 富士川橋を渡ると進む方向と反対の右に曲がるのが旧道である。これはかつての渡船場と橋の位置が違うからに他ならない。右折後、旧道は左手の坂道を登っていく。川沿いの道を直進すると、渡船の上がり場跡の常夜燈や角倉了以の碑、船型の植樹桝などがあるようだ。私が実際に歩いたときは、時間的なこともあり、橋を渡った後、上方に見える道が旧道と察しをつけ、左折しすぐに右手に登っていく道を行ったのであった。これによって脇本陣跡は見逃したようだ。ある程度大きい道が交差するところを左折し、旧道に入った。

岩淵一里塚岩淵一里塚と富士 次の曲がり角には道の両側に残る江戸から37番目の一里塚(写真左・右)である。葉がないとイマイチであるが、振り向くと塚の間に富士山が見え、なかなか良い景色である(ちょっと写真では分かりづらいが・・・)。

 道なりに右へ左へと曲がり、途中の信号のない交差点を右折する。いけばな教室と小永井紙工所があるところらしいが、私は雰囲気で曲がったので良く覚えていない。郵便局の前を通ったら行き過ぎのようである。曲がらずに直進するとJR富士川駅に出るようだ。

東名道と富士 旧道は、道なりに進み東名高速道のガードをくぐり、左折。この辺りの地名は岩淵ではなく、中之郷であるが古い家並みが残っているところである。何故か写真は撮っていない。一般の民家は人がいると撮りにくいのであるが、是非紹介したいところではある。新幹線のガードをくぐり、道なりに進む。左手に東名高速道が現れ、新坂橋跨道橋で渡る。左の写真はこの橋から見た富士山である。東名道を東へ向け走っていているときに見る光景でもある。

 東名道を横断すると、今度は一転して海を見ながら坂を下る。つきあたりを右折すると蒲原宿に入る。時刻は16時30分。由比の広重美術館の開館時間内には間に合いそうにない。


蒲原宿
広重画-蒲原 蒲原と言えば、広重の描いた「夜之雪」(左画)が有名であるが、温暖なこの地に雪が降ることは稀である。富士川により甲州方面との物資の流通で栄えたが、川の氾濫にも悩まされた。現在でも旧街道の面影を残した町並みが残っている。JRの最寄駅は蒲原ではなく、一つ三島よりの新蒲原である。

蒲原一里塚跡 坂を下って右折した後、左手に江戸から38番目の一里塚跡(写真右)がある。少し進むと蒲原宿東木戸があり、蒲原の観光マップなどが置いてあった。

 東木戸から少し西に進んだところの左側の通りから少し入ったところにかつて問屋職を務めていた木屋(渡辺家)の三階建て土蔵があり、中には御用留や出役日記などの資料が保存されているそうだ。

夜之雪碑 さらに西に進むと、防火効果の高い・なまこ壁の塗り家造りの家が数件ある。

夜之雪構図地本陣跡 問屋場跡付近の十字路を南に入ったところに蒲原夜之雪の碑(写真左端)がある。この碑がある付近が広重が描いた構図と想定される場所(写真中)であるらしいが、何とも言えないところである。

 旧道に戻るとその先、本陣跡(写真右端)やかつての旅籠・和泉屋(現鈴木商店)、大正時代の洋風建築「旧五十嵐歯科医院」(国登録有形文化財)などがある。つき当たりを左折し、県道396号(旧国道1号)に出た所が西木戸跡である。県道により由比へ向かう。時刻は16時52分。

 この蒲原で2001年8月に東海道四〇〇年祭イベント「蒲原ゆめの宿場町」が行われた。その見学レポートはこちら


由比宿
広重画-由比 由比(ゆい)宿は鎌倉時代から湯居(ゆい)宿の名で知られた古い宿であるが、規模は小さく、由比川までの8町56間で、町並みは5町半。JR蒲原駅と由比駅の間、やや蒲原よりがかつての宿場である。由比港の桜えびの水揚げ高は日本一である。
由比一里塚跡
 蒲原宿の西木戸から県道を約3キロ西に進み、東名道の下を通り少し進んだところの県道に対して斜め左に向かう道が旧道である。右の写真は江戸から39番目の一里塚跡で、進行方向に対し道の右側のものだが、各種のマップには道の両側に跡があるようだ。

 江戸初期に倒幕を企てたとされる由井正雪(ゆいしょうせつ)の生家(下写真左端)には今でも「正雪紺屋」の暖簾がかかっている。紺屋(こうや)とは染物屋のことである。その向かいの門(写真中)は由比本陣公園の入口でその中に東海道広重美術館がある。時刻は17時28分。美術館の入館は16時30分までである。美術館は以前に入ったことがあるのだが、今回は本陣の離れを再現した「御幸亭」の茶室「結仁斎」でお茶をしたかったが、間に合わなかった。

正雪紺屋広重美術館おもしろ宿場館 その先の「おもしろ宿場館」も間に合わなかったと思ったが、ここは入館が17時30分までということで、見学することができた。受付でリュックもあずかって頂いた。館内は、かつての由比宿の町並みや本陣を再現(写真右端)したものが展示されている。結い地蔵なるところではお賽銭をした人は「御福銭」と書かれたお守りを貰える。中に5円が入っているので、ちゃんと賽銭をしてから頂きましょう。

 おもしろ宿場館は20分くらいで出てきて、旧東海道を少し戻り、本陣公園脇の道から石段を登り、午後6時まで営業の「ゆい桜えび館」に向かった。桜えびの本場ということで、ちょっとしたお土産を買いたかったのである。これから帰るのであれば、色々美味しそうなものはあったが、明日も歩くので佃煮を買った。

 由比川に掛かる由比橋は架け替え工事中で仮設の橋を渡って、今夜の宿泊地に到着した。時刻は18時15分。

玉鉾外観玉鉾客室 東海道ウォークは、これまで日帰りであったが、今夜は最初の宿泊である。東海道を歩いていての宿泊なので、宿泊先にもこだわりたい。由比では由比川橋を渡ってすぐのところにある、江戸期の茶屋と旅籠をイメージした外観(写真左)の「玉鉾(たまほこ)」に宿泊した。1泊2食付で7500円(税別)。浴衣は別途500円。休前日も同額。今回の歩くコースは富士山がポイントということで、天気によって歩く日を決めたかったので前日に電話予約を入れたが宿泊することができた。

 部屋は一人で宿泊しても広々とした和室(写真右)である。食事は1階の食堂でいただく。食事は宿泊客以外もすることができ、駅から離れているのに多くの客で賑わっていた。宿泊客はメニューの選択はないようだが、夕食は当然、桜えびが中心である。3月というのは時期的にも漁を行っているときでもあるので、美味しい。朝食も食堂で。宿泊客は自分以外にもう1組だけかと思っていたら、工事関係の人たちが離れに10人程度宿泊していたようであった。

 唯一、気になった点は近くに東海道線が通っていて、由比川の鉄橋があることから、列車が通るとけっこううるさいのである。貨物とかだと夜中も走っており、通過時間も長い。総合評価としては、お勧めできるところだと思う。

  料理茶屋・民宿「玉鉾」 静岡県庵原郡由比町由比450-1 TEL:0543(75)5357


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