「乗車旅日記」
目次へ戻る

 クルマによる、上信越一人旅 2003年5月24日(土)〜25日(日)

マップ
 13年間愛用したクルマの廃車まで1ヶ月となった。最近は、クルマの旅にこだわっている。今回は国道17号・18号を利用した上信越の旅に出た。

 上信越とは昔でいう上野(こうずけ)・信濃・越後であり、現在の県でいうと群馬・長野・新潟(佐渡は除く)を指す。街道でいうと日本橋から中山道を北上、碓氷峠を越え、追分宿の分去れ(わかされ)からは北国(ほっこく)街道で北上し、善光寺で参拝し、上越・長岡の方を廻り、三国街道で南下するというルートである。

 今回、観光としては善光寺御開帳の参拝がメインである。碓氷峠のめがね橋と追分宿だけは立ち寄る予定を立てた。当初の予定ではもう少し一般道を走りたかったのだが・・・。


自宅〜都内

 前回の東北への旅では1日で横浜から仙台に行ったが、それに比べると長野までの距離は短い。起床は午前5時前であったが、色々と雑用をしていて、出発は午前7時となった。

日本橋 前回と同様に日本橋を通りたかったので、羽田から首都高を利用し、日本橋手前の京橋で出た。

 日本橋(写真左)通過は7時46分であった。国道17号線かつ中山道のスタートである。

 秋葉原までは、何度か通ったルートであるが、それ以降の本郷通りは、東大などに縁がないので初めて通る道であった。東大の赤門も実際に見たのは初めてである。

 東大を過ぎてから千石までは、都内の国道とは思えない雰囲気の道であった。


志村一里塚

 

 中山道で日本橋から3番目にあたる志村一里塚は東京23区内にある。しかも、国指定の一里塚ということで、国道からそれた道にクルマを停め写真を撮った。時刻は8時26分であった。

 道の両側にあり、現存しているものと云われるが、片側2車線づつある国道17号に歩道もある・・・昔から道幅はこんなに広かったのだろうか? 

 また、この道は以前に歩いている。1日での歩きの自己最長距離とも言える川崎−大宮を歩いたとき、山手通り経由で国道17号を歩いたのであるが、この一里塚は覚えがない。一里塚にこだわるようになったのは街道ウォークを始めてからなので、そんなものかも知れない。


国道17号〜18号

 8時40分、荒川に掛かる戸田橋を渡り埼玉県に入った。アゴヒゲアザラシのタマちゃんはこの付近にいるのだろうか? 渋滞というほどではないがあまり進まない。 9時17分に大宮駅近くを通過した。上尾、桶川と通過したが、中山道ウォークのときは日本橋から1日目でどこまで歩こうか考えながら運転していた。

 ところどころに旧中山道へ誘導する標識があるが、そのまま国道17号を走り続けた。鴻巣、熊谷、深谷を過ぎ、トイレに行きたくなったこともあり、国道17号のバイパスの方にある道の駅おかべに入った。時刻は11時ちょうどである。いつもより朝が早いこともあり、ここで昼食をとることにした。もりそばとネギトロ丼のセットを食べることにした。待つ間に携帯電話のメールで中間報告(←誰とやり取りしているかは、ヒ・ミ・ツ!)。タバコは吸わないので空いた時間の利用にもに携帯は便利である。

 11時35分に道の駅を出発。12時ちょうどくらいに神流川橋を渡り群馬県に入った。高崎市の城南野球場ではイースタンリーグの西武−巨人戦が行われようとしていた。

 12時22分、並榎ICで国道17号から18号に入り(写真左)、君が代橋を渡り、西へ向かった。途中、国道から離れていないところに一里塚やかつての中山道の宿場もあるが、そのまま国道を進んだ。 想像していたほど田舎ではない(←って、どんな想像してたんだ!)。 これなら中山道ウォークとして歩くときにそれほど困らないと感じた。

 横川を過ぎると道は二つに分かれる。碓氷バイパスを利用した方がカーブ少ないようだが、立ち寄りたいところがあったので、バイパスではない方の道を進んだ。


碓氷峠

 立ち寄りたかった目的地は、旧信越本線の碓氷第三橋梁、通称めがね橋である。国の重要文化財にも指定されている。35番目のカーブのところに駐車スペースがあったのでクルマを停め、見学した。時刻は13時7分である。レンガ造りのアーチ橋でレンガは200万個も使われているそうだ。現代ならともかく、明治26年(1893年)に造ったとは大した技術である。

 新線開通で昭和38年に鉄道としての使用は廃止されたが(その新線も1997年に新幹線が通ってから廃止された)、現在は遊歩道として歩くことができる。西側へは進めないが、東へは進むことができ、トンネルの中も歩くことができて、碓氷湖に出る。さらに続いているようだが、何処まで行けるのだろうか?

碓氷湖ダム


 碓氷湖の散策は予定していなかったが、遊歩道を歩いてきたら出てきてしまったので、その周りも一周した。新緑の中、よい森林浴となった。案内板の地図にはめがね橋の方に抜ける道があるように描いてあったが、通行止めになっていたのできっちり一周してしまった。

 この湖は坂本ダムにもなっている。黒部ダムの放流ほど豪快ではないが、水が流れ落ち(写真右)、碓氷川を流れて行く。

 当初はめがね橋を下から眺めるだけの、一寸立ち寄る予定だったが、結局1時間の寄り道となった。クルマで碓氷峠をいくつものカーブを経て登っていく。カーブの数を示す標識は峠まで続く。本には184箇所と書かれているが、実際に行くつ目まであったか覚えていない。


追分宿

 峠を越えると軽井沢である。10年前(1993年)に初めて野球部の合宿を行った想い出の地でもある。そのときは、野球部なのだが野球ではなく体力増強と称してテニスをやったのであった。

 中軽井沢、借宿を通り過ぎ、追分宿に立ち寄った。郷土館の駐車場にクルマを止めたのが、14時44分であった。宿場の東方には江戸から39里の追分一里塚がある。西方には中山道と北国街道の分去れが今も残る。追分宿郷土館は入場料400円で、それなりに楽しめた。

追分一里塚北側 追分一里塚南側 高札場 分去れ



 ここにも1時間の滞在となった。中山道とは分かれ、北国街道を進んだ。小諸宿、海野宿、上田宿なども往時の面影を残す街並みとして知られ、特に海野宿は国の重要伝統的建物群保存地区に指定されており、日本の道百選にも選ばれているようだ。しかし、立ち寄らずにそのまま国道を走った。

 気持ち良く、ドライブを楽しんできたが、だんだんと睡魔が襲ってくる。17時15分、屋代まできたのであんずの里の方へクルマを向けた。まだあんず狩りには早いので、観光客はほとんどいない。長野県立歴史観では、この時期「おらが善光寺さん−秘仏の寺ものがたり−」という企画展をやっていたのだが、開館時間中に到着できなかった。ここの駐車場でしばし仮眠を取った。17時50分に再び運転を再開した。


長野泊

 長野市街地をクルマで走るのは初めてなので、通常よりクルマが多いのかはよくわからないが、横浜と比べるとこの時間帯にしてはかなり空いている。18時26分宿泊先に到着した。今夜の宿泊は「ホテルニューやま」である。善光寺まで歩いて10分かからない権堂通りのアーケード街の近くに位置する。事前にネットの旅の窓口で予約を入れていた。1泊4000円(税別サ込)、朝食はバイキングで800円(税込)、駐車場代は500円(税込)であった。

 値段の割にはベッドは広い。繁華街に近いが騒音も気にならない。ホテル内の音は聞こえやすい気もしたが・・・。ユニットバスが古くて狭い感はあるが、お湯もちゃんと出るし、匂いもなかったので値段の割には良い。

 写真では分かりにくいが、テレビの横にはアダルトビデオと再生機がある。1000円を入れると見れるようだ。でも私は見てません。好みのタイプの女優さんのがあったら・・・。

 通常は提携レストランのサービス券500円分をもらい、夕食が取れるのだが、この日は予約客が多いため、利用できないとのことであった。旅先なので夕食は郷土料理でも食べれば良いのだが、頻繁に旅行していることと一人なので、善光寺参拝後にイトーヨーカ堂のレストランで卵とじのヒレカツ丼を食べた。


善光寺

ライトアップされた山門 午後7時の本堂前

 ホテルに荷物を置き、善光寺へ出向いた。御開帳は午後5時までのようだが、午後7時でも大勢の人で賑わっていた。

 善光寺の御開帳は7年に1度(56日間)と言われるが、実際には6年に1度と言った方が的を得ている。十二支で言う、丑年と未年が御開帳年である。御開帳でお姿を拝むことができるのは、御本尊の御身代わりとして造られた前立(まえだち)本尊であり、その中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は、本堂前の回向柱(えこうばしら)に通じている。その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じで、ここにありがたい結縁が生まれ、その功徳ははかりしれないと云われている。

 翌朝は5時前に起床し、髭を剃り、朝シャンをして善光寺に訪れた。朝早くから大勢の老若男女が回向柱に触れ、良き御縁をいただきに訪れている。今年は600万人を越える人々が各地から集まったそうだ。御開帳期間は、回向柱に触れたり、前立本尊を間近で拝めるだけでなく、御印文(ごいんもん:御本尊の功徳がこめられた三つの御判を頭に触れてもらう)を頂戴でき、輪蔵を回すことができる(回すことで仏教経典の全てを読んだのと同じ功徳が得られる)。もちろん通常のお戒壇めぐりもできる。

お数珠頂戴を待つ人々 午前6時前の本堂前 回向柱 屋台巡行 屋台巡行



 家庭用回向柱などを買い、9時前にホテルに戻った。朝食は簡易バイキングである。それほど種類があるわけではないが、それなりに満足できるものであった。25日は屋台巡行が行われる日である。そのスタートの部分を見ることができた。この日は御開帳最後の日曜ということで34万人が訪れたそうである。

 9時45分、長野を出発し、国道18号でさらに北へと向かった。


野尻湖

 野尻湖は国道18号のすぐ近くなので立ち寄ることにした。10時35分に到着。観光客はそれほど多くない。遊覧船で琵琶島の宇賀神社に参拝に行けるようだが、一人で遊覧船という気分でもなかったので、辺りを少し歩いた程度にした。ここはナウマン像の化石が発掘されたことでも知られるようだ。  10時58分に出発した。
 



関川関所

 野尻湖を出て3キロほどのところで、「関川の関所」の案内板が目に留まった。全く予定していなかったが、立ち寄ることにした。駐車場は長野県側だが関川を橋で渡り、関所は新潟県側にある。通行料(入場料)は500円であった。北国街道についてほとんど下調べをしていなかったので、よい勉強になった。数分のビデオも一人で2本見た。北国街道観てある記マップなるものがあり、一里塚についても書かれていたが、クルマの旅ではなく、歩きの旅のときに訪れたいと思った。

 ここも1時間ほど滞在した。11時58分に出発。今度はクルマで国道18号で新潟県に入った。後で調べると関所の近くの道は旧国道18号のようであった。

関川 関所入口 関所 女改め



北国街道〜三国街道

下源入 北国街道の旧道には一里塚も残るようだが、ほとんどバイパスと化している国道18号を北上した。北陸自動車道の上越ICを過ぎ、国道18号の終点となる直江津近くの下源入交差点(写真左)を通過したのは12時37分であった。

 国道8号により新潟に向かった。新潟はその国道8号と国道17号の終点であり、先日、青森を訪れたときに通った国道4号と道続きになっていた国道7号の起点でもある。

 国道8号から国道116号で新潟に向かいたかったが、時間が押して来たので柏崎ICから北陸自動車道を利用した。北陸自動車道は以前、金沢や能登半島を旅したときに利用している。この5年ほど前の旅が本格的な一人旅の始まりとも言える。

 日本海沿いの米山SAには入りそびれてしまった。日本海を見ながら食事がしたかったのだが、この先は海岸からは離れてしまう。長岡、三条燕を通過し、黒埼PAで昼食とした。時刻は13時50分になっていた。普通は新潟西で下りるようだが、次の新潟中央まで行ってしまった。

 地図的に国道の境に近いと思われるところの駐車場にクルマを停めた。時刻は14時38分であった。本町通の交差点に国道7号の起点を示すものがあった。この近くに道路元標もあったようだが、見つけられず、市役所の方までさまよってしまった。これは大幅な時間ロスであった。

 出発は15時35分となったが、せっかくなので日本海を見に海岸に向け移動した。日本海夕日ラインという名の道である。思わずこのまま走り続けたくなるような・・・。クルマを停め、しばらく日本海を眺めるが、佐渡島は見えなかった。

 16時10分、新潟西ICより北陸自動車道に入った。しかし、高速道に入る前、どういうルートを辿ろうか悩んだのである。検討対象は出雲崎や寺泊の方へ立ち寄るかである。北国街道や三国街道の終点(起点)と云われる宿場である。出雲崎は国土交通省から歴史国道にも指定されている。また、寺泊の東側、信濃川から分かれた大河津分水路を渡ったところは蒲原郡である。そう、広重が東海道の蒲原宿を描いた「夜の雪」の風景は、新潟の蒲原だとも云われているその地であり、訪れてみたいとも思った。時間的なことなどから今回は断念した。JR越後線からも近いので、いつの時か訪れる機会もあるだろう。

 中之島見附ICで北陸自動車道下り、国道8号で南下した。国道17号でもあるはずだが、17号と呼ばれるのは、長岡の川崎ICから南である。その地点(写真右)を走りたかっただけである。なんか変なこだわりだ。時刻は16時41分であった。

 国道17号で南下を続ける。順調に進んでいるが、だんだん眠くなってきた。国道17号からは1キロちょっと離れているところにある道の駅ゆのたにで休憩することにした。また、ここは北魚沼郡である。魚沼と言えば「こしひかり」である。横浜で買うより安いとは思えなかったが、家用に魚沼産を3キロほど買った。(地図を見ると湯沢も南魚沼郡だ。今まで知らなかった。) 少し仮眠し、17時55分に出発し、国道17号で南下を続けた。

 途中でガソリンを入れた。今回はリッター13.5キロくらいであった。六日町、塩沢石打、湯沢はスキーで御馴染みの地である。スキーはもう7年も遠ざかっているが、懐かしい感じがする。この辺り、窓を開けてのドライブは気持ちがいい。


岩原

 スキーはご無沙汰しているが、2年前まで野球部の合宿で岩原をよく利用していた。計4回、5月下旬の土日に1泊2日で行っていた。宿泊は毎回ホテル湯沢湯沢(でんきや)を利用していた。グランドは無料で貸し出してくれる。日頃利用しているグランドより広く、この時期は遠くに見える山に雪が残っていたりして、実に気持ちがいいのである。2年前は他のチームと合同合宿を行い、素人の練習としては、かなり満足いく内容になったが、これが最後の合宿になってしまった。(2001年度をもって解散。10年の歴史にピリオドが打たれた。現在は本社の野球部に在籍しているが合宿をやる気配は無い。) もう一度、合宿がやりたいという思いから立ち寄った。グランドの横には川も流れている。下写真の左3枚は、このとき撮ったものであるが、右端は2年前にホテル近くで撮影したものである。



関越道〜自宅

 三国峠を国道17号で越えたかったが、日没の時間を迎えたので断念し、19時8分、湯沢ICより関越自動車道に入った。11キロにおよぶ関越トンネルを越えると、すっかり日は暮れていた。途中、上里SAでとんこつラーメンを食べた。新座料金所の渋滞もほとんど解消されており、練馬から環8を南下し、自宅に到着したのは22時35分であった。今回は延べ840キロの旅であった。



ホームへ
ホームへ戻る