「乗車旅日記」
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 クルマによる、日本縦断&飛騨一人旅 2003年6月14日(土)〜15日(日)


 この3ヶ月にわたり行ってきたクルマでの旅の完結編に当たる旅に出た。当初は、甲州街道にあたる国道20号の旅をして、翌日は安曇野周辺をドライブという計画を立てていたが、国道20号の相模湖〜塩尻間は以前(2000年7月)に走ったことと、この旅の一週間前に石和〜上野原の国道20号を走ったので(6月8日に箱根の十国峠や山中湖・河口湖を走り御坂みちで石和に出ました)、今回は国道52号の身延道を北上し、佐久甲州街道も走ろうということにした。

 最近の一連の旅では、図書館で事前に地図を借りている。ご存知のようにカーナビは無い。今回は、昭文社の県別マップル道路地図岐阜県とスーパーマップル長野県道路地図を借りた。パソコンも持参しているが、本の地図の方が情報は新しい。


自宅〜興津

 今回も5時くらいに起床したが、昨夜寝たのが1時を過ぎていたので、クルマでの一人旅はけっこうつらい旅になりそうだ。土曜日に比較的いい天気というのが久しぶりということもあってか、近くのガソリンスタンドは早朝から混んでいた。店員が少ないことも影響しているようだが・・・。それでもこのクルマにとって最後の旅という思いもありキレイな状態で走りたいということで千円の水洗い洗車(タイヤもきれいにしてくれる)もやってもらい、出発は6時50分となった。

 今回は日本橋を通らない。国道15号・1号で西に向かった。途中、東戸塚にもちょっと立ち寄り、保土ヶ谷バイパスで横浜町田インターに向かった。

 7時50分、横浜町田インターから東名道に入り、サービスエリアに立ち寄ることなく、沼津インターでおりた。晴れてはいるが富士山は見えない。3月のクルマによる東海道の旅では、バイパス的な国道1号を走ったので、今回は東海道ウォークで唯一実際に歩いていない区間(海岸沿いを歩いたので千本松原街道との交差点から大諏訪の区間は未知であった)を走行した。
興津からの太平洋
 吉原の富士東インターから国道1号の富士由比バイパスに入り、新蒲原の高浜インターでおり、旧国道1号などで蒲原・由比の町中を通過し、興津に向かった。このあたりは地図を見なくとも走れる。この3年で何度訪れていることであろうか。

 時折、海も見える。右の写真は、非常に分かりにくいがバイパスの興津インターから国道52号に向かう側道から見た海である。駿河湾内ではあるがれっきとした太平洋である。時刻は10時ちょうど。 翌日の10時に日本海を見ることになるとは、この時点では全く思っていなかった。


身延道
国道52号始点
 興津から北上する道が国道52号であり、大筋は身延道ということになる。左写真の標識は、国道1号のバイパスからおりたところのものである。身延道は、身延山久遠寺への参詣の道であり、甲府に通じるので甲州往還とも呼ばれる。また、かつては富士川沿いで塩を運んだので塩の道とも呼ばれる。

 そこそこのカーブはあるが単調な一本道が続くと、だんだんと睡魔が・・・。山梨県に入ってすぐの道の駅「とみさわ」で休憩することとした。時刻は10時40分であった。約20分休憩した。

 身延山の久遠寺にも立ち寄る価値はあるのだろうが、どういうところか下調べをしていなかったので、そちらには向かわず、そのまま国道52号を北上した。

 富士川沿いに北上する道からの景色の写真は撮っていないのだが、クルマを停めてでも撮った方が良かったところも何箇所かあった。後になって悔やまれるものである。

 南巨摩郡の鰍沢町・増穂町を過ぎると、南アルプス市である。これは中巨摩郡西部の6つの町や村が合併し、2003年4月より南アルプス市となったものである。市に昇格しただけあり、なかなかの街で、ちょっと渋滞気味でもあった。ところで南アルプスとはどの辺りを指すかご存知だろうか? 右に示すのように標高が分かる地図で見ると比較的分かりやすい。 南アルプスとは長野・山梨・静岡の県境に位置する標高3000メートル前後の山々が南北150キロに渡り連なる赤石山脈の通称で、北は鋸岳から南は光岳までを指す。ちなみに中央アルプスはJR飯田線と中央本線に挟まれた木曽山脈の通称で、木曽駒ケ岳を中心とした標高3000メートル弱の山々が南北65キロ連なる。 北アルプスは飛騨山脈の通称で、長野・富山・岐阜の県境付近に標高3000メートル前後の山々が連なる。一列に連なるだけでなく、いくつか並列に分かれている。
 よって「南アルプスの天然水」で安曇野方面を思い浮かべてしまうのは間違いということになる。

 国道52号の韮崎に向かう標識に従って進んだ。国道52号は、国道20号と合流したところで終わるようだ(甲府の駅前通りに通じる道も国道52号ではあるが・・・)。


佐久甲州街道

 国道20号を横断し、下宿の交差点から旧甲州街道に入った。500メートルほど進み、韮崎駅に向かう道に入った。時刻は12時30分。ここからが佐久甲州街道と呼ばれる道である。佐久甲州街道は韮崎で下諏訪に向かう甲州街道と分かれ、中山道と交わる岩村田、または北国街道と交わる小諸に至る道であり、かつては善光寺参りや富士講や伊勢講の旅人が行きかう道、また、茶や塩などの食材や物資を運ぶ道であった。

 韮崎駅近くのJRのカード下をくぐり、道なりに進むと国道141号となる。清里から数キロ南に位置する道の駅「南きよさと」で休憩&昼食をとることにした。ここは南八ヶ岳花の森公園内に併設して造られた道の駅で、駐車場の周りやリフトで山に登ったところも含めたフラワーパークであるが、この辺りから雨が降り出してきたので、昼食を食べるだけとした。ここはまだ山梨県ということもあり「ほうとう」を食べた。

13時31分、道の駅を出発し、佐久甲州街道を北上する。清里は初めて通るが男一人で訪れるところでもなさそうなので通過した。夜になって、清里のアイスが美味しいとのメールが届いた。

 
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 ほどなくして長野県に入り、すぐのところにJR鉄道最高地点(左写真)があるので立ち寄った。JR小海線の清里と野辺山の間である。標高は1375メートル。地図を見ながらわき道からその地点に出たが、国道からも駐車場付きで入ることができた。

 左の写真を撮り終えたあたりから雨が強くなってきた。その先の野辺山駅は、JRの駅としての最高地点(1345メートル)であるが、通過してしまった。

 雨は降っているが高原のドライブを楽しみつつ、快調に進んだ。佐久市付近で道が分かりにくくなるが、141号の標識を頼りに運転をする。岩村田は中山道の宿場である。いづれ歩くことになる地であろう。しかし、地図を見ると中山道と名の付く道が妙に多い。住吉町の交差点で左折し、長土呂東は直進し、加増東で左折し国道18号(北国街道)に入った。三週間前に通ったときに比べ渋滞気味であった。

 


海野宿(うんのじゅく:重要伝統的建造物群保存地区/日本の道百選)

 北国街道を13キロほど西北西に進むと海野宿である。前回は通過したが、古い町並みがあるようなので今回は訪れることを目的としていた。国道18号はしなの鉄道(旧JR信越線)の北側を通るが、海野宿はしなの鉄道の南側に位置する。到着は15時30分。駐車場は有料(300円)であった。バスで訪れる団体も多いようだ。かつては北国街道の宿場として賑わったが、明治時代になると宿場の機能は失われた。しかし、宿場時代の広い部屋を利用し、養蚕業の村へと生まれ変わり、その養蚕最盛期の明治・大正時代に建てられた堅牢な蚕室造りの建物と、江戸時代の旅籠造りの建物が、良く調和しその町並みを今に残している。

 海野宿歴史民族資料館の開館は16時までなので、まずは資料館に立ち寄った。入館料は200円。建物は寛政年間(1790年頃)に建てられた旅籠屋造りのようだが、裏庭の養蚕小屋の方が印象に残っている。旅に関連したものでは個人的にはあまり惹かれるものはなかった。16時を過ぎるとバスで来ている団体がいなくなったので、ひっそりしていい雰囲気の家並みの中をしばし歩いた。建造物の特徴として、防火壁の役割を果たした「うだつ」や長短二本ずつ交互に組み込まれた「海野格子」、蚕の飼育に室内で火を焚くので煙出し用の「気抜き窓」などがある。

歩道 車道 うだつ 歴史民族資料館


 出発は16時17分。海野宿の少し西にあるしなの鉄道大屋駅前を通る国道152号で南南西へ。松本方面への標識に従って幾度か曲がると国道254号に出た。国道254号と言えば埼玉の川越街道という印象があったが松本へ続いているとは知らなかった。その道を西へ進むと、三才山トンネルへの有料道路(500円)となる。 洞(ほら)の交差点から女鳥羽川沿いに南下して松本市街に向かった。 ちなみに国道254号は松本トンネルを出て国道19号を越え平瀬橋までのようである。


松本

 


 今回の宿泊は松本城から歩いて5分くらいの女鳥羽川に面したホテル池田屋に宿泊した。到着は17時40分。今回も事前に旅の窓口で予約を入れていた。料金は1泊5500円(サ込税別)で、駐車場代は300円である。ここに決めた理由として無料でネットが使えることもあった。フロントでLANケーブルを借りれば、パソコンと繋ぐだけで利用できた。夜は知り合いとチャットをして観光情報を得たりした。
松本城
 まだ、日没まで時間があったが、雨が降ったり止んだりでちょっと薄暗い。松本城(写真右)は3年前にも訪れているが、その周りを散策し、夕食は馬肉料理で知られる三河屋で馬刺し定食を食べた。

大わらじ 風呂は部屋のユニットバス以外に家族風呂タイプの大きさのラドン温泉がある。24時間利用できるようだが、家族が使用中は入れなかったりするため、入るタイミングを逸してしまった。結局、室内のユニットバスを利用した。

 この松本に滞在している時点では、翌日の予定は未定であった。上高地や乗鞍、または黒部ダムなど山の方に、また白川郷や高山にも行きたいと思っていた。天気により決めることにした。

 翌日は6時に起きた。もう少し早く起きれれば温泉に浸かったのだが・・・。朝食は、昨晩コンビニで買ったパンを食べた。天気はイマイチである。雨は降っていないようだが、山の方はどんよりした雲が覆っている。

 今朝の出発は7時10分。まず、松本城近くの大安楽寺に大わらじ(写真左)があるということなので、立ち寄った。


千国街道(糸魚川付近は日本の道百選)

 篠ノ井線北松本駅の下をくぐり、国道19号に入り、1キロ北上し、新橋交差点を左折、国道147号で豊科・穂高方面に向かった。安曇野と呼ばれる地域のひとつである。この辺りを走ると自然にスピッツの「空も飛べるはず」を口ずさんでしまう♪。 5月に青森を訪れたときは「津軽海峡冬景色」を口ずさんでいた。単純な性格である。

 以前、穂高を訪れたときはレンタルの自転車を借り、道祖神やわさび田などを見学した。今回はひとまず通り過ぎることにした(また立ち寄るつもりだったが・・・ここには戻ってこなかった)。 さらに北に向かったところの大町にある「塩の道博物館」も街道歩きに興ずる者として訪れてみたかった。8時14分に到着したが、開館は午前8時半からである。とりあえず国道148号をもう少し北上することにした。青木湖は以前(10年以上前)スキーで来たことがある。この辺りの景色も非常に良いのだが、車を止めるタイミングを失い、カメラに収めていない。ここから北は初走行である。

 道の駅「白馬」に立ち寄ったが、店はまだ開いていない。トイレの隣に「飯田十三佛堂」なるものがあった。不動明王から虚空蔵菩薩までの十三体立仏像の御堂である。死者を供養するためのもののようだが、旅の安全を祈願した。白馬からさらに北上した栂池高原の辺りが千国宿である。日本海まで50キロなどという標識を目にしてしまうと、何か惹かれるものがある。穂高の散策や塩の道博物館も訪れたいが、電車でいつでも来れるという思いに変わって行った。新潟の地図は持ち合わせていなかったが、そのまま北上することとした。 

 国道148号は糸魚川の日本海に面したところで終わり、海岸沿いの国道8号で左右に分かれる。


北陸道・親不知(おやしらず:日本の道百選)

 近くに海を眺められるところはないかと国道から外れた道に入ったが良く分からない。国道8号に戻り西へ進んだ。親不知には道の駅「親不知ピアパーク」があった。到着は10時3分。昨日、太平洋を見てから24時間後に日本海をこの目で見ることができた。クルマにとっても同様また日本海を見ることができた(下写真右端)。

 道の駅から海岸に出ることもできる。親不知のシンボル的な岩をカメラに収めたり周囲を散策した。北陸自動車道の一部は、日本海沿いというより日本海の上を走っている。GPSで表示される地名も「日本海」であった。親不知は翡翠(ヒスイ)でも有名であり、翡翠ふるさと館が併設されている。入館は無料であった。一通り見学を終え、時刻は11時ちょうどくらいであったが、今朝は6時くらいにパンを食べただけだったので、たら汁定食(1050円)を食べた。新鮮と思われる魚介類の販売所もあったが、まだ寄り道するので見るだけとした。



 親不知インターから北陸自動車道に入った。向かう先は合掌造りで知られる白川郷である。交通量はそれほどなく快適に走れる。小矢部砺波(おやべとなみ)ジャンクションから東海北陸自動車道で南下する。1998年にクルマで白川郷を通り金沢に行ったときは、まだ福光までしか開通していなかったが、2002年11月に白川郷まで開通した。2005年には一宮まで全線開通するようだ。2005年といえば、愛知万博の開催、中部国際空港の開港と名古屋方面は盛り上がることであろう。

 途中、城端(じょうはな)SAに立ち寄った。サービスエリアであるがトイレ以外は特にこれといったものは無い。いや、少し離れたところに桜ヶ池クワガーデンというものがあるようだ。滞在型温泉保養施設らしいが、高速道路から行けるところに滞在してもいいのだろうか? レストランなども併設されているようだ。高速道路としてはガソリンスタンドも欲しいところだ。

 五箇山(ごかやま)を過ぎると岐阜県に入る。ちなみに五箇山の合掌造り集落も白川郷と同様に世界遺産に登録されている。


白川郷(世界文化遺産白川郷合掌造り集落、重要伝統的建造物群保存地区)

 白川郷インターで高速をおりた(もっとも現在はここが終点である)。親不知からここまで3500円であった。料金所に白川郷IC周辺イラストマップが置いてある。高速道は山の中腹に造られているので、一般道に出るまでに多少距離がある。標識に従って進み、せせらぎ公園の小呂駐車場にクルマを停めた。時刻は12時45分。料金は後払いで時間に関係なく500円のようだ。

 特に事前に下調べをしていなかったが、とりあえず であい橋を渡り、荻町合掌造り集落の方へ行き散策した。展望台への標識に従い進み、城山城(荻町城)跡の展望台へ登っていった。 展望台という標識がある方より、天守閣という名の店の前から眺める人が多い。天守閣の方が邪魔になる木が少なく記念写真など撮るのに良いだろう。 画像比較(←クリックすると比較の写真が表示されます)

 国指定重要文化財の和田家、県指定重要文化財の明善寺も訪れた。


 出発は14時52分。南への高速道は未開通なので国道156号を南下する。白川郷からすぐのところに鳩谷ダム(左写真)がある。白川に着いたとき、少し南に日本最大級のロックフィルダムがあるとのメールをもらっていたので、これかと思ったが違ったようだ。

 そのロックフィルダムとは、さらに10キロほど南下したところに位置する御母衣(みぼろ)湖(右写真)のことである。写真では分かりにくいが、ダムの部分が石と粘土だけでできている。これで荘川(しょうかわ)の流れを堰き止めて造られた人造湖である。

 湖の見学用に駐車所のようなものもあるが、この辺りは道が狭いので大型車とすれ違うのは、ちょっとイヤである。また、そろそろガソリンのランプが点灯し出したので給油をしたかったが、日曜日なのでガソリンスタンドは休みのところが多い。白川郷のところで入れとけば良かったのだが・・・。高山までは十分もつだろうが、ちょっと不安である。荘川インターに向かうため、国道156号から国道158号の方へ入ったところにガソリンスタンドがあったので給油した。レギュラーでリッター107円。山の中なのでしょうがないところか。まぁ、これで安心して走れると思えば安いものである。


高山(重要伝統的建造物群保存地区)

 荘川インターから東海北陸自動車道に入った。時間的には、ここから南下して名神高速道路の一宮ジャンクションに出ることも考えたが、やはり高山に向かうこととし、飛騨清見インターに向かった。距離は約19キロ(650円)なので一般国道で行っても時間はそれほど変わらないだろうが、結果として走ってよかった。道は非常に空いている。途中、高速道路最高地点(松ノ木峠)を通った。これは全く予期していなかったので、その標識の写真を撮ることはできなかったが、ここが現在のトップのようで、標高は1085メートル。クルマでの旅としてある意味いい記念となった。かつての最高地点は中央道の富士見峠付近の1015メートルであった。

 飛騨清見インターでおり(というより現在の終点だが:白川郷インターと繋がるのは平成17年の予定、また東側へは中部縦貫自動車道の建設も計画されており、松本まで伸びるようだ)、国道158号を西へ20キロの高山へ向かった。清見村といえば、一時、白装束集団で話題になったが、今は静かになったようだ。 
 
 高山に到着したのは16時27分であった。市営空町駐車場にクルマを停め散策を開始した。小京都と呼ばれる町並みは主に高山駅の東側で、中でも三町筋は、出格子の町家が軒を連なる。下写真左端の高山陣屋は時間の関係もあり、中には入らなかった。

飛騨の恋物語
 お土産屋で「飛騨路を独り歩き」というサブタイトルの付いたお菓子を見つけた(右写真)。白川郷で大体お土産は買っていたのだが、つい買ってしまった。

 国道沿いの現代的な商店街に匠館(たくみかん)がある。東京にも店舗がある家具屋であるが、飛騨高山の家具である。高級なものでとても庶民が買えるものではないが、和室に似合う家具を探してしまう今日この頃である。


高山〜安房峠〜松本〜八王子〜鶴見

 高山を17時23分に出発。国道158号を東に向かう。平湯峠は平湯トンネルを利用し、安房峠は有料(750円)の安房峠道路を利用した。安房峠が岐阜と長野の県堺である。 上高地からの流れる桂川沿いの158号を進み、野麦峠からの道と合流すると野麦街道(飛騨街道)と呼ばれる道になる。 松本インターから長野自動車道に入った。時刻は18時55分。岡谷ジャンクションからは中央道となる。

諏訪湖SAより 19時13分、諏訪湖サービスエリアに入り、休憩&夕食をとることにした。 ここからの眺望(写真左)は高速道路のサービスエリアやパーキングエリアからの眺望として上位にランクされるものであろう。ここには温泉施設もあるが利用したことはない。

 次に談合坂SAに入ろうとも思っていたが、通過してしまった。トンネル出てすぐだったっけ? 後で調べると今年(2003年)の3月16日から上り線のルートが変わっているのである。中野トンネルの渋滞を解消するために登りの傾斜角度を1/3に減らしたようだ。新たな高速道は必要ないが、このような工事は良いのではないだろうか。

 中央道を使った場合、たいてい高井戸まで行き、環八を利用するルートを使うのだが(今までの経験上、八王子や調布で降りるよりも高井戸廻りの方が早い)、八王子の先が事故渋滞のようだ。八王子〜高井戸で所要時間が70分と出ているので、八王子で高速道を降りた。松本からの料金は4350円。時刻は21時22分。有料の八王子バイパスを通り、国道16号を南東に向かった。この時間だと渋滞していない。快調に進み、保土ヶ谷バイパスを利用し、鶴見の自宅に到着したのは、22時46分であった。

 今回は走行距離1076キロの旅であった。今回の旅をGPSで記録したデータを地図で示すと下のようになる。往きと帰りで韮崎の所は交差しているが、松本は交差ではなく近寄っただけである。何時に何処に居たかも詳細に分かるので、旅の様子を思い起こすのに便利である。




 マイカーによる長距離の旅、そして初めて走る道を通るドライブは一応これで無事終了した。この旅が終了した時点で、クルマの廃車まであと1週間となった。


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