「乗車旅日記」
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 クルマによる、みちのく一人旅 2003年5月1日(木)〜3日(土)

東北旅行地図
 3月のクルマによる東海道の旅に続き、今回は日光・奥州道中の旅に出た。 と言っても別に元々街道にこだわったわけではない。結果的にはそうなったと言う感じなのである。もともと東北方面へクルマで行ってみたいという気持ちはあった。北東北なら桜も見れるかも知れない。4月にパシフィコ横浜で開催された旅フェアでも東北方面のパンフを色々貰ってきていたが、具体的に今回の旅のコースを検討し出したのは出発の3日前であった。

 一里塚について調べると、現存しているものが何箇所かあるようだ。国の文化財に指定されている一里塚は、栃木県に2つ、福島県に1つある。他にそれぞれの県で指定を受けている一里塚も数多くあるようなので、できるだけ多く見てみたいという気にもなった。

 他に街道関連では、白河の関、七ヶ宿に寄ってみることにした。観光としては、中尊寺や秋田の角館、奥入瀬、龍飛崎に訪れてみようと計画し、宿泊先を仙台と十和田に決めたのは4月29日の深夜であった。


1日目:横浜−仙台

自宅〜古河

 朝4時半に起床。クルマを拭いたりして、出発は午前6時15分となった。前回、東海道の旅では鶴見の自宅からそのまま西へ向かったため、日本橋は通っていないので、何か歯がゆいものがあった。今回は日本橋を通ることとした。この時間ならまだ道は空いているが、回数券が余っているので首都高を利用した。神奈川線の汐入から入り、日本橋手前の京橋で出た。

日本橋 自宅を出発してからわずか30分で日本橋(写真左)を通過。国道4号線かつ日光街道・奥州街道のスタートである。

 日光街道について、まだ旧道の調べはしていないので、ひたすら国道4号を進んだ。東京と埼玉の境は荒川などの大きな川という印象を持っていたが、国道4号は草加バイパスに向かうところの小さな川で埼玉入りとなった。時刻はまだ7時16分、国道1号の旅では神奈川県を抜けるのに5時間を要したが、今回は順調に進んでいる。

 越谷の蒲生には県指定の一里塚もあるようだが、今回はパス。数ヵ月後には歩く予定なので、バイパスの方の道で先を急いだ。越谷・春日部バイパスの辺りでは事故渋滞が多少あった。

 春日部・古河バイパスを北上していると「関宿」なる標識が出てきた。埼玉県と茨城県に挟まれた千葉県に関宿町なるところがあるようだ。かつて宿場だったのだろうか? 

 バイパスではない方の国道4号は利根川が埼玉県と茨城県の境だが、バイパスの方は利根川の手前ですでに茨城県となっていた。時刻は8時15分くらいであった。バイパスが利根川を渡る新利根川橋は、以前は有料(普通車200円)だったが、現在は無料になっていた。

 そのままバイパスを進んだ方が早いのだろうが、古河はかつての宿場ということを知っていたことと、その先の小金井一里塚が、バイパスではない方の国道4号沿いにあることから、新利根川橋を渡るとすぐに左折し、古河市街へと入っていった。 国道沿いの古河駅前には、本陣跡(写真右)や高札場跡の碑もあるが、国道沿いを走っているだけでは宿場という感じはしない。古河を抜けると茨城県となる。時刻は8時45分くらいであった。


小金井・壬生一里塚

 
小金井一里塚 小金井一里塚 壬生一里塚


 街道ウォーカーの宿命か、何故か一里塚に惹かれてしまうものがある。9時25分に国指定の一里塚である小金井一里塚に到着した。

 この一里塚は国道4号沿いだが、国道の両側にあるのではなく国道の片側に2つ並んでいる。日光街道で江戸から22番目の一里塚である。

 ここから数キロの壬生(みぶ)通りにも国指定の一里塚があるので訪れた。こちらは日光街道ではなく、小山から例幣使街道の楡木(にれぎ)宿に向かう通りである。道の片側だけに塚が残されていた。説明板には江戸から23里と書かれていた。そして、後で気付いたのだが、その一里手前の飯塚一里塚も地図に載っているので、碑などがあるのだろう。

 壬生一里塚を見学した後は、新4号バイパスの方に出て、宇都宮を通過した。鬼怒川を渡り、氏家からは国道4号を離れ、喜連川方面に向かった。奥州街道的にはこちら方面に向かうのが正しいのである。

 昨年の夏にも訪れた喜連川の道の駅(写真右)でちょっと休憩(11:10〜11:25)したが、今回は温泉には入らなかった。ここからは奥州街道とは異なるが、国道293、294号を利用し、奥の細道で芭蕉がもっとも長く滞在した黒羽を通り、伊王野からは県道に入り、白河の関に向かった。


白河の関

 12時半くらいに福島県に入り、2キロほどで白河関の森公園に到着した。ここに車を停め、白河の関跡とこの公園を散策し、昼食として白河ラーメンを食べた。この辺り、auの携帯は圏外であった。白河関は奥州三古関の一つと云われ、五世紀頃に蝦夷の南下を防ぐ砦として設けられたそうである。奥州街道を歩いたとしても、ここは通らないようで、歩くにはかなり離れているので、今回クルマでの旅で訪れた。

白河関跡 関の森公園 江戸期の関所再現 ふるさとの家


 13時半頃、白河関を出発し、白河の街に向かった。南湖(なんこ)周辺は、桜がけっこう残っていた。八重桜などは今が見頃という感じであったが、立ち寄らず車窓から眺めるだけとした。残念ながら写真は撮っていない。結果から言うと、今回の旅では、ここが一番桜が咲いていたと言える。宮城、岩手、青森の市街よりも、白河周辺の方が標高が高いため、桜が遅いようである。


須賀川一里塚

 
南側より 西側より 北側より


 福島県内の国指定の一里塚である須賀川一里塚は、江戸から59番目の一里塚で、国道4号が須賀川市に入ってすぐの立体交差で下り、東側に少し進み、白河方面の国道4号に合流する方向に向かう道の両側にある(国道118号から一里坦の立体交差で国道4号に合流するための道の1本東側の道を上る)。

 2つ並んでいるが、その道路からでは2つ並んでいるように写真を撮るのは難しかった。

 時刻は14時半を過ぎた。この後、北上したところにも一里塚跡を示す碑が何箇所かあるようなので、向かおうとしたが、クルマが通れない道などがあったので、回り道は断念し、国道4号に戻り北上を続けた。郡山・福島を通過し、七ヶ宿街道に向かうため、国見インターに向かう道に入り、17時少し前に宮城県に入った。


七ヶ宿街道

 七ヶ宿街道は、桑折宿で奥州街道から分かれ、小坂峠を越え仙台領に入り、七つの宿場を経て金山峠を越え、羽州街道の楢下宿に至る街道であり、山形方面との重要なルートであった。明治32年に奥羽本線が開通してからは、交通量が急速に減少し、宿駅の役目を終えた。現在では、国道113号を宮城おとぎ街道・みちのくおとぎ街道として観光にも力を入れているようだ。

 七ヶ宿湖はダムになっており、かつての渡瀬宿はダムの底に沈み跡形もないそうだ。七ヶ宿湖沿いに道の駅があるので立ち寄った。左下の写真は、道の駅から西へ4キロほど進んだ湖の西外れの辺りから撮ったものである。街道をさらに西へ少し進んだところが関宿で町の中心地らしい。さらに西へ進んだ滑津宿には安藤家本陣(実際に住んでいるので内部は非公開)がある。その前に立つ吉野屋は牛丼屋ではなく旅人宿・そば屋のようだ。そこから数百メートル西に今回ここに立ち寄った最大の目的である滑津大滝がある。高さ10メートル、幅30メートルの二段滝である。

七ヶ宿湖 吉野屋 安藤家本陣 滑津大滝 滑津大滝


 時刻はすでに18時が近づいていたので、滑津大滝公園農林産物直売所で扱っている乙女ゆりソフトクリームは閉店間際で食べることができなかった。国道113号を東へ戻るように進み、白石から国道4号により今夜の宿泊地仙台へ向かった。


仙台泊

 
ユニバース仙台 ユニバース仙台 ネット接続キット

 20時を過ぎ、ようやく到着した。仙台はかなり都会的な街である。今夜の宿泊は、ホテルユニバース仙台である。旅の窓口で予約を入れてあり、シングル1泊5200円(サ込税別)、朝食はバイキングで税込み840円であった。このホテル自体はアーケードの商店街に面していて専用駐車場は持っていないが、近くに提携駐車場が何箇所かあり利用するシステムになっている。事前にネットで調べていなかったら、かなり戸惑ったかも知れない。料金は1泊1000円であった。

 部屋はそれほど広いわけではないが、LANケーブルを繋げるパソコンを持っていれば、各部屋で電話線を抜いてモデムを介しインターネットに接続できるキットを無料で貸し出してくれる。クルマによる移動なので、日頃ADSLを利用しているパソコンを持参していたので、ケーブルを接続すると何の設定もいらずネットに接続できた。

 夕食は近くの一福というところで、味噌漬け牛たん定食(牛たんの量が1.5倍のを選択)を食べた。厚切りの牛たんなど日頃食べる機会がないが、薄切りでレモン汁に付けるやつの方が、個人的には軟らかくていいような・・・。


2日目:仙台−十和田

 旅に出るとたいてい早起きするものだが、今日は6時30分に目覚ましで起こされた。朝食前にコンビニに立ち寄った。デジカメの電池が消耗してしまっているのであった。かなり前にフル充電したと思って持ってきていたやつがあまりよくなかった。ソニーのデジカメ用を4本購入した。これはかなり持ちがよく、フラッシュの頻度にも寄るが100枚以上は撮影できる。前夜のうちに、仙台駅近くのヨドバシカメラに立ち寄ればもう少し安く買えたかもしれない。

 バイキングだとつい多く食べてしまう。値段の割には満足できるものであった。出発は8時15分くらいになってしまった。旧国道4号を北上し、一関・平泉方面に向かった。窓を開けてドライブするのに最適の気候である。観光地というわけではないが、所々に咲いている桜がいい風情を醸し出している。


中尊寺

 岩手県に入ったところが一関市で、その北が中尊寺や毛越寺などがある平泉町である。町営の中尊寺第1駐車場にクルマを入れた。1回400円であった。時刻は10時半になる。月見坂を登る途中に様々な御堂があり、各御堂にそれぞれお守りを販売するところがある。途中、積善院で奥の細道展をやっていたので立ち寄った。奥の細道足跡各地写真などもあったが、昨日立ち寄った白河の関と東海道沿いの義仲寺くらいしか分からなかった。

 金色堂に立ち入るには拝観券(800円)が必要。写真は撮影禁止になっている。旧覆堂の中にかつては金色堂が入っていたわけだが、木造なので移動の際はバラバラにしたのだろうか? 能楽堂より奥に位置するかんざん亭というところでは、ハイビジョンで中尊寺の紹介が放映されているが、私は以前このディスクの作製に係わっているのである。予定より長居をしてしまった。すでに12時を過ぎている。

月見坂 本堂 旧覆堂 能楽堂



成田・江曽一里塚

 花巻付近には状態の良い一里塚が現存するということで訪れることにした。東北本線の村崎野駅と花巻駅の間の成田一里塚は、道の両側に塚が残っている。現在の国道4号からは離れているので、成田という地名を頼りに探す。いかんせん手持ちの10万分の1の地図では分かりづらい。一里塚は一里塚というバス停のところにあるので、詳細な地図を見れば特定しやすいだろう。街道ウォークに慣れてくると、けっこう感で見つけられるものであり、突如、目の前に現れたのである。これだけ立派なものが、何故、県指定だけで国指定ではないのだろうか? 成田一里塚は日本橋から129里であり、ここから1里南の二子(塚腰)一里塚も道の両側に原形のまま残っているようであるが、今回は見に行っていない。デジカメで写真を撮るとつい説明板を読まずに過ごしてしまうので、後で気が付いた。

 江曽一里塚は日本橋から132番目の一里塚で、現在の国道4号沿いにある。かつての奥州街道は、その西1キロのところを南北に通っていたが、明暦4年(1658年)頃に現在の位置が新街道となり、一里塚もその当時に造られたと推定されている。現在の道路幅から見ても片側しか残っていないのは仕方ないだろう。その片側とは東側であり、国道4号を北上をして来て、見つけられたがクルマを停車するタイミングを失い、2キロほど先の道の駅石鳥谷に行き、ついでに昼食としてそばを食べてから、江曽一里塚に向かった。

成田一里塚 南側より 成田一里塚 北側より 江曽一里塚 南側より 江曽一里塚 北側より



角館

 江曽一里塚を見た後は、桜の開花というか散り状態からみても秋田県の角館に立ち寄るかは思案したが、そう訪れる機会もないし、武家屋敷などの町並みもあるようなので向かうことにした。花巻インターから東北自動車道に入り少し南下し、北上ジャンクションから秋田自動車道に入り、大曲インターで下り、国道105号で角館に向かった。花巻から大曲まで91キロ、大曲から角館まで28キロほどある。下調べが十分ではなかったので、思ったより遠い。10万分の1の地図では距離感も分かりにくい。というより北の方は地図の縮尺が違うのではないかとも思った。メルカトル図法の地図を参照していたわけではないのだが・・・(よく考えるとメルカトルだと北が大きくなるので反対だ)。途中でガソリンの補給。主に下道を走ってきたがリッター14キロ以上と好調である。

 桧木内川の桜と武家屋敷などの間にある駐車場にクルマを止めた(1回500円:駐車場代は武家屋敷保存のために利用されるそうだ)。時刻は16時になっていた。堤防沿いの桜は葉桜となっていた。7分散りと言ったところか? それでも観光案内などでよく見かける構図から写真を撮った(左下写真)。みちのくの小京都と言われる町並みはなかなか良い。ここも日本の道100選になっているところである。17時15分、角館を出発した。

桧木内川堤 桧木内川堤 武家屋敷通り 町並み 枡形



十和田泊

秋田新幹線こまち 国道46号(国道341号と重複あり)である角館街道(秋田街道)で盛岡へ向かった。約60キロほどの距離があるが、信号はあまりないので一般道であってもけっこう進むものである。途中、秋田新幹線こまちと併走した(写真左)。

 当初の予定では、この後は盛岡に出る途中で小岩井農場に立ち寄りたかったのだが、そんな時間はない。せめて国道4号を北上したかったが、十和田まではかなり距離がありそうだ。五戸町付近には奥州街道の散策コースがあるようだが、この時間では日没に間に合わないので断念して、盛岡から東北自動車道を利用して北上した。

 安代ジャンクションからは八戸自動車道に入った。盛岡から95キロの折爪SAでラーメンを食べた。時刻は19時を過ぎている。

 八戸ジャンクションからは第二みちのく道路に入り、下田百石インターで下りた。盛岡からの料金は3450円であった。花巻から大曲が2500円かかっている。そのときは角館に寄らずに国道4号を北上した方が良かった気もしたが、結果的には角館に寄って良かったと思う。

 高速から下りても国道45号を18キロほど走らなければならない。宿泊先は国道4号を越えてすぐのところだったのだが、国道4号が2本あることに気付かず、かなり迷ってしまった。コンビニで現在地を訪ね事なきを得た。

 十和田周辺は仙台とは大違いの町並みであり、20時を過ぎた時点ではひっそりしていた。宿泊は十和田和幸ホテル。ここも事前に旅の窓口で予約を入れていた。1泊6000円(サ込税別)。朝食はコンビニのパンで済ませたが、ホテルで朝食を頼むと和食・洋食を選択し1000円のようだ。昨日の仙台では朝食バイキングとネット接続無料で同じ料金だ。ただし、駐車代は無料、また、ここは温泉浴場がある。露天風呂もある。温泉に浸かるのも旅の楽しみの一つということで、料金は、まぁ、良しとしよう。

 ダイヤルアップでネットに接続しようとしたが、うまくいかなかった。しかもケーブルのジャックの爪が短いので、取り外しは苦労する。自販機で売り切れが多いのも多少気になった。


3日目:十和田−龍飛崎−横浜

駒街道
十和田市役所前 
 今朝は、目覚ましが鳴る前に起きることができた。朝食は前日の晩にコンビニで買っておいたパンなので、午前7時前に出発することができた。ここに来るまでに自宅から1000キロ以上走ってきたが、今日はさらに北上して龍飛岬まで行き、横浜に帰らなければならない(必ず帰らなければという訳でもなかったが・・・)。

 市役所などがある官庁街通りは駒街道とも呼ばれ、日本の道100選および新日本百景にもなっている。長さ1100メートルにわたり桜と松並木がある。前日ホテルに着いてから外出したときに葉桜に近い状態なのは確認済みであったが、観光案内などでは散った桜が路面を一面埋め尽くす様子が綺麗だったので、早朝に期待したが、そのような景色には出会えなかった。


奥入瀬・十和田湖

 前日訪れることができなかった五戸の奥州道中の方を訪れようか迷ったが、せっかく十和田まで来たので観光として十和田湖や奥入瀬(おいらせ)渓谷に向かった。国道102号を西へ向かうこと35キロくらいあるが、道は空いているので30分程度で渓谷の入口までやってきた。まだ7時半くらいなので、名所のポイントごとに路駐も可能であった。十和田湖畔に何箇所かある展望台のひとつである瞰湖台までクルマで登った。遠くの山々を見ても意外と雪が少ないという感じがした。次は七戸の方へ向かうが、十和田から道をそのまま戻り、十和田から旧国道4号を北上した。

阿修羅の流れ 銚子大滝 白糸の滝 瞰湖台より



蒼前平一里塚

 青森県には県指定の一里塚が10箇所もあり、他に未指定のものもあるそうだが、今回の旅では場所の調べが十分にできていない。最も美しいといわれる蒼前平一里塚だけはなんとしても見たかった。道の駅しちのへで尋ねたところ、地図をコピーしてくれた。東北電力上北制御所の近くである。

 日本橋から176番目の一里塚である。柵に囲まれているのであまり近づくことはできない。一応かつての道の両側を思わせるものであるが、実際に間を通れないのは残念だ。

 後で調べたのだが、十和田から七戸の向かう途中の国道4号沿いに、日本橋から173番目の真登地一里塚、174番目の池ノ平一里塚があったようだ。 


青森市

青森市長島 昨日は高速道なども利用したので、もはや国道4号には特にこだわりはない。しかし、終点の場所だけは確認したかったので、回り道の4号ではなく、ショートカットできるみちのく有料道路(830円)で青森市街へ向かった。
国道の碑
 4号の終点地も事前に十分な調べをしていなかったので、地図から判断して青森県庁辺りだろうということで、柳町通りの地下にある柳町駐車場にクルマを止めた。時刻は11時30分であった。左写真は、青い森公園の東端から西側を撮ったものである。長島というところが境のようだ。

 国道4号から7号にかけて歩いてみたが、県庁前には「東日本縦断駅伝競走大会スタートの地」のプレートだけしかなかった。戻ってくるときに青い森公園の入口の前に「国道の碑」(写真右)があるのを見つけた。石のプレートに書かれている「道路標石」とは、どれを指すのか良く分からなかったが、後で調べると碑から3メートルほどのところの歩道にあるマンホールのようなものがそれだと分かった。そのときは気付かなかったので写真は撮っていない。また、これも後で知ったことだが、この国道の碑があるところから約250メートルほど北の善知鳥神社の前に「青森市道路元標」と「奥州街道終点記念の碑」があるそうだ。せっかくここまで行って見逃したのは悔しいが、歩いて辿り着いた方が感動は大きいだろう・・・・って、歩く? そんな日は訪れるのだろうか?

 35分で駐車料金は210円であった。国道4号から国道7号に入り、国道280号の松前街道に入り最後の北上を開始した。時折、海が見え、その向こうにぼんやり島が見える。おおぉ〜北海道かぁ、と思ったが、地図を見ると青森県の下北半島のようだった。蟹田からは今別へのショートカットとなる県道12・14号を経由した。


龍飛崎

津軽海峡冬景色歌碑

 三厩(みんまや)辺りから道が狭い箇所が増えるが、ようやく龍飛崎に到着した。最初、東北電力のウインドパークや青函トンネル記念館の方にクルマを止めたが、もう少し奥まで行った方が良いと分かり、道の駅みんまやにクルマを止めた。時刻は14時になるところであった。

 石川さゆりさんが歌った津軽海峡冬景色は1977年(昭和52年)のヒット曲であるが、その歌碑のところにある赤いボタンを押すと歌が流れる。誰かしらが押すので常に流れていた。ここでひとつ確認したかったのは、歌詞である。ここは龍飛崎(たっぴざき)が正しいようだが、歌では、「ごらんあれが竜飛岬(たっぴみさき)北のはずれと〜♪」と唄っていたはずだと思っていた。その通りであった。

階段国道 階段国道


 駐車した近くの店で龍飛崎ラーメンを食べた。1000円でえび・いか・ほたて・つぶ貝が入っており、これはなかなか美味しかった。

 龍飛崎に来たら階段国道339号も重要な観光スポットのひとつである。国道で階段なのは日本でここだけである。昭和49年に国道になり階段となった。それ以前は急坂だったが、近くに学校などがあり、滑って危ないということで階段になったそうだ。計362段あるようだ。

風力発電 遊歩道


 階段国道を下りた先には太宰治の碑などがある。少し散策し、階段国道を登り、さらに灯台の方へ登っていった。北海道側には人が大勢いるが、日本海側はあまり人がいなかった。津軽海峡春景色を大いに満喫した。

 風力発電は北海道でも苫前の方でも見たことがある(遠くの方からだけだが)。青函トンネル記念館なども立ち寄りたかったが、日が沈む前に岩手山が見えるサービスエリアまで行きたかったので、断念し帰路につくことにした。


連続800キロの旅

津軽線 時刻は15時40分。まだ本州の最北(実際には下北半島の方が北だが)にいる。ここからクルマで約800キロを一気に帰るのである。こういう経験もあまりできるものではないので楽しみだ。五所川原の方を廻ろうかとも思ったが、来た道を戻ることにした。途中、道の駅いまべつに立ち寄った。津軽線(写真左)の津軽二股駅、津軽海峡線の津軽今別駅に隣接している。着いてすぐに津軽線の電車が出てしまった。惜しいシャッターチャンスを逃した感じがした。

岩手山
 往きは国道280号の海沿いに近い方の松前街道を利用したが、帰りは内真部バイパスを利用した。無料だがほぼ直線が続く快適な道であった。17時19分に東北自動車道の最北、青森インターに入った。快適に南下を続け、18時40分くらいに岩手山(写真右)が見える岩手山SAで少し休憩。このくらいの気候の中、良い景色を眺め休憩するのがお気に入りなのであった。

 次は前沢SAに入り、まずはガソリンを給油した。今回もリッター14キロ以上と好調である。満タンで800キロ以上走れる計算になる。時刻は20時半くらいである。前沢SAはまだ中尊寺より北である。何時に帰れるんだろうか?などとは心配せずに前沢牛ハンバーグ定食を食べた。

 今朝は5時半くらいに起きているのに何故か眠くならない。旅というかドライブそのものを楽しんでいるせいだろうか? 次は関東の佐野藤岡SAまで一気に南下した。途中、仙台の泉では検札もあった。 佐野ラーメンでも食べようと思ったが、それほどお腹も空いていないので、ペットボトルだけ購入し、運転を再開した。川口まで東北道を全線走り抜いた。料金は13,500円である。カードで払っているのであまりお金を使ったという感覚がない。危険だ。

 首都高を慣れた葛西廻りで横浜に向かった。途中、葛西からお台場辺りでは、那須の山間部よりも濃い霧が立ち込めていた。羽田インターで下り、鶴見の自宅に着いたのは、午前2時であった。3日間で延べ2051キロの旅が終わった。

 龍飛崎から10時間ちょっと。一般道の方が距離は長くなるが、決して歩けない距離ではなさそうだ。奥州街道の白河以北、いつの時か、片雲の風に誘われて歩いてみたいという気にもなってきた。奥の細道もいいが、ただ「旅に死せる」だけは真似しないように注意しよう。

 この後は、クルマによる国道20号、国道17号の旅が控えている。街道ウォーカーに復帰するのは、その後になる。


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