「我借給他一本书」「我借了他一本书」 さて、本を借りたのは、どっち?
たとえば「彼は私に花束をプレゼントした」は中国語で、他送我一束花 (ta song wo yishu hua)。
普通は、他给我送一束花 とは言いません。
このように人の動作によってモノゴトが移動することを表現する(つまり彼という人によって花束というモノが、私という処にプレゼントという動作で移動する)場合の【主語】+【述語】の文では、
送(song)=プレゼントするという動詞が、我(私)という移動する処(この場合、人であることが一般的)、一束花(花束)という移動するモノという、二つの目的語をとることが可能です。
このような構文を、便宜的にムリヤリ(?)文法解釈する中国語語法研究者たちは【二重目的語】を持つ動詞構造と呼んでいます。
つまり、他 送 我 一束花
主語+動詞+人(間接目的語)+モノ(直接目的語)
動詞の後の順番は、必ず前に人が来て、後がモノであること!
ポイントは、【主語】+【動詞】+【人】+【モノ】の順番が基本だと覚えておきましょう、
他に例を挙げてみると
记者 问了 我 许多问题。(jizhe wen wo xuduo wenti)=記者は私にたくさんの質問をした。
因为我不小心把他的电脑弄坏了, 昨天赔了 他 一台新的。(yinwei wo buxiaoxin ba ta de diannao nonghuai le, zuotian pei le ta yi
tai xin de)=私は不注意にも彼のパソコンを壊してしまったので、昨日新しいのを弁償した。etc.
ところが、中国語の動詞の中には、モノを移動する動作が“目的語の人間に向かって行われる”ことと“主語の人間に向かって行われる”こと、一つの動詞単語自身に、日本語の概念で育った私たちからすると、二通りの意味を持ったように思えるものがあります。たとえば、
借(jie)=借りる、貸す
分(fen)=分ける、分け当てられる
租(zu)=賃貸する、賃借りする etc.
さて、そこで表題の二つの文です。
この二つは、まったく逆の意味であることを頭の隅に置いておきましょう。
「我借給他一本书 」(私は彼に本を貸した)
「我借了他一本书」(私は彼の(から)本を借りた)
中国語の“借”は、“貸し借りの行為をする”という動詞。ここが日本語の漢字“借”の意味と異なります。“借りる”の他に、日本語の概念では“貸す”に相当する意味を内包しているのです。したがって普通に
「我借了他一本书」と言ったのでは、果たして「本を借りたのか、貸したのか」わからない。そこで中国の先人たちは動詞“借”の後ろに動詞の方向性を表す介詞“給”を加えることで意思を明確にしようと考えました。
借りる場合はそのまま、 「我借了他一本书」ですが
反対に貸す場合は、介詞“給”を加えて 「我借給他一本书 」
同様に
共产党分给他一亩土地=共産党は彼に1ムーの土地を分配した。
共产党分了 地主老财 土地房屋=共産党は大地主の土地屋敷を分配した。
他租给朋友一间屋子=彼は友人に部屋を貸している(“借”との違って金銭関係が伴う貸し借りです)。
他租了朋友一间屋子=彼は友人から部屋を賃貸している。
宋老師いわく
「二重目的語をとる動詞は、理屈から言えばすべて動詞の後ろに介詞“給”をつけても構いません。でも、“送”(贈る)や“告诉”(伝える)などの普通の動詞は、その意味に二方向性がないので、“給”は省略しても誤解されない。5千年の中国語の歴史の中で徐々に簡略化されたと考えられなくもないですね。」
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