上海:包子不敢叫包子……上海、この街では餃子は餃子と呼びません。
今回の講読は、中国のネットから「中国最让人“不爽”的九个大城市(中国のもっとも不快な九つの大都市 )」(http://travel.sina.com.cn 2008年10月22日16:02中国网)の中の、上海の“悪口”を述べた件です。
上海出身の宋老師は、ちょっと嫌そうな顔をしていました(笑)。正真正銘、中国人が書いてるんですけどネッ。
そりゃ、身内の悪口は人からは言われたくないですよね。
コレって、嫁が旦那の家の批判めいたことを言うようなものに似てるかも? 特に異なる国の人とのコミュニケーションでは互いの気遣いが大切になります。でも、どうして人間って、悪口が好きなのでしょう?
ということで、以下おさらいです。
不讲上海话的都是乡下人,说上海话的未必是有钱人。所以这两年上海滩的娱乐就有点两难,在衡山路酒吧街那边还是说上海话说广东话的港些,在“红蕃”里说普通话,搭理你的速度都要慢点。不过要是在外滩那几个高档会所,或者新天地,耍的很多就是外地人,票子拍得哗哗的,你说上海话还不是服务生?
上海是有钱人的天堂,挤公共汽车的人是不敢轻易出来耍的,别看在外面光生,本地上海人活得其实挺累,即使在浦西石库门里有两间旧房的,还担心拆迁价格低了买不起新房。精于算计的阿拉们轻易不敢出去花钱,就算有两个钱也要精打细算,房子贵得买不起,开车子要买牌照,排量低了还不能上高架桥。
所以上海很多玩耍的人都是外面来花钱的,本地普通人说起外地人都是乡下苦孩子,自己却小心地生活,晚上不敢玩,早上要早起,不然公交车挤不上要迟到的。在上海,生煎包子不敢叫包子,叫“生煎馒头”,里面的肉都不会露出馅儿来。
(この街で上海語を話さない人は地方から出て来た田舎者だが、かといって上海語を話す人たちが必ずしも金持ちとも言えない。そこで、この二三年、上海滩の遊興にジレンマが生じている。どういうことかというと、衡山路(上海の昔からある盛り場の通りだそうです。東京だったら、銀座か新宿?)あたりでは、上海語や広東語を話すジモラーが相変わらずハマッぽく羽振りを利かせている。たとえば“红蕃”(比較的高級な部類の飲み屋の名前のようです)で標準語を使うと、あなたに対するサービスがいい加減になってきますよ…。でも、外滩の高級会員制倶楽部とか新天地(どちらも新興の盛り場だそうです。六本木ヒルズやミッドタウンですね)へ行くとバサバサ札びらを切っているのは、逆にみんな外地の人間。そんな中で、もしあなたが上海語でもしゃべれば「おや、ボーイかい?」と思われる…。
上海の街は金持ちには天国。でも毎日満員バスで通勤しているような庶民はとてもお手軽に遊び行けるような場所ではない。上海のジモラーたちは外ではピシッと格好よく決めてるものの、その実、生活に汲々としているのだ。浦西石庫門(旧市街地の中心地ですが、現在開発が進んで高層ビル群に建て替えが進行中の地域だそうです)に狭い古い家を持っていたとしても、立ち退き料が低ければ新しい家なんて買えないかもしれないし…、気掛かりで仕方ない。こんな気掛かりを抱えた上海人たちがそうそう安易にお金を使うなんてできないでしょう?
たとえわずかな金でも実にしっかりやりくりする。でも家なんて高くて到底買えません。だからといってクルマを乗り回すには、ナンバープレートを買わなければならないし、排気量の小さなクルマじゃ自動車専用道路は走れない…。
だから、上海で外で遊び呆けて金を使っているのは、みんな外地の人間。土地の庶民は外地の人間を“貧乏人”って言ってるけど、本当は自分たちこそコセコセ暮らしているのだ。夜になったって遊びになんて行かない。だって翌朝早起きしないと、通勤バスに乗り遅れて遅刻しちゃうじゃないですか。
上海じゃあ、生煎包子(蒸さずに直接焼く、小さな餃子だそうです。おいしいそうですよ!)のことを、餃子(中には当然、肉など餡が入っています)とは呼ばずに生煎馒头(中国の饅頭は、中に餡が入っていないものを指します)と言ってます。その心は“中の肉が見えるはずがない”のだから…。つまりは、上海人ってカッコだけで中身がない?)
ついでに上記に登場した成語を一つ覚えておきましょう。
【精打细算】
辞書には、【(人や物を使う場合に)綿密に計画する,細かくそろばんをはじく.】とありますが、会話では【しっかり割合セコく何か取り仕切る】時に下記のように使います。
我家老婆掌握着经济大权, 而且她家务料理得精打细算, 私房钱也不可随我的意。
(wo jia laopo zhangwo zhe jingji daquan, erqie ta jiawu liaoli de jingdaxisuan,
sifangqian ye buke sui wode yi)
=うちじゃあ、女房が財布を握っててね、しかも彼女ったらしっかり者でさ、だからヘソクリさえ儘ならないんだよ)
※中国語で“料理(liaoli)”は、“処理する”“切り盛りする”の意。日本語の“料理”“調理”の意味はありません。
中国のネット上では、こうした自嘲的な意見も多く見受けられます。北京オリンピックの開催、そして現在の世界的経済危機の中でも成長をキープし続ける“大国
中国”。小さな島国の隣国、日本の一市民としては、彼らが魯迅の后代たちであることを期待します。
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