東京港区 中国語サークル 北京倶楽部

「我在厨房里反省了一小时」の1時間は長い? 短い?

中国語の文章を読んでいると、動作の表現に“一些”“一点”(少し)、“次”“次”(数回、でも数回って四五回 それとも五六回)等、数量に関する表記がよく伴っています。そうかと思えば“他的声望一落千丈”(彼の名声も地に落ちた、一挙に千丈も落ちた)のように、千丈と言いながら実際に千丈(1丈=3.3メートル)も落ちるわけもなく、中国語って大法螺吹きもいいとこです。まぁ、これだけ大仰だと数字を真に受ける人もいないでしょうけどね(笑)。
中国語の数字に込められた感情を読み解いてみるのも面白いかも。

今日みんなで講読した「父亲的检讨书」(父の自己批判書)という小品に下記のような文章がありました。

小兰:
遵照你的旨意, 我在厨房里反省了一小时, 给你熬了一锅红枣小米汤, 喝了两杯茶水, 没有抽烟, 更没有喝酒。以上事实准确无误, 请你检查, 并附上我的深刻检讨。
(小蘭へ。君の仰せ通り、僕は台所で小一時間も反省しながら君のために棗入りスープを作ったよ。その間、二三杯の白湯こそ口にしたけれど、タバコは吸わなかったし酒なんかもちろん飲んでない。これは紛れもなき事実です。調べてくれればわかる。それからね、僕の心底真剣な『自己批判書』を書き添えておきます。)

上記は、妻の機嫌を損ねた60過ぎの退職夫が妻=小蘭に宛てた手紙(一種の熟年ラブレターですね)の書き出し部分です・

一小时は一時間のことですが、おそらく作者は、夫にとっては「ずいぶん長い間」というつもりで加えた一小时でしょう。実際には一時間以上だったかもしれないし、あるいは30分くらいだったかもしれない。でも、反省しただけなら「反省了一下」で一小时は付けないでしょう。また同じ「反省了一小时」でも、場面や人がが変われば「わずか小一時間反省しただけ」とも取れます。

一锅红枣小米汤は、一鍋分のスープですが、きっと愛する妻のために鍋いっぱいスープを作ったのでしょうね。この場合は「」という数字より、スープの量詞に「锅」を使ったことの方に意味がありそうです。一锅红枣小米汤と「锅」という量詞を使ったことで、何だかホワホワ湯気立つ出来立てのスープの鍋が目の前に浮かんで来ません

两杯茶水は、白湯もしくは茶二杯ですが、この場合の两杯はきっちり二杯という意味でもありません。まぁ、ガブガブの飲んだわけではなくて、「多少は、二三杯は」というくらいの意味合いでしょう。この場合も、量詞の「杯」が利いています。

中国語って、具体的な動作表現を通して微妙な感情やニュアンスを伝えようとする言語のようです。ある意味、日本語よりも構造は単純明快かもしれません。これって、文化の違いもある