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“腊八节”から、いよいよ“春节”の始まりです!



“腊”到底是什么?


“腊”在古代原本是一种在岁终进行的祭祀的名称。东汉蔡邕《独断》一书中明确地说:“腊者,岁终大祭。”应劭《风俗通》一书中亦云:“《礼传》:腊者,猎也,言田猎取禽兽,以祭祀其祖也。或曰:腊者,接也,新故交接,故大祭以报功也。”

【臘(ろう)】は、もともと古代から年末の祭事を指していたようです。蔡邕の《独断》には「臘は年末の大祭である」、应劭の《風俗通》には「《礼書》曰く、臘とはもともと“猎(lie)”のことを指し、鳥獣を狩り祖先に捧げ祭る風習があった」、さらには「臘は、“接(jie)≒引き継ぐ”時であり、古きを祭り以前の功を報告し、新旧を引継ぐ」とも記されています。)
中国では農暦(月の満ち欠けを基準とした中国で古くから使われてきた旧暦。現在日本で言うところの一月遅れの旧暦とは少し違います)の12月を“臘月(la yue)”と呼んでいます。“臘八節(la ba jie)”とは、12月8日に催される祭事。一年で最も寒いこの時期、春節を前に最後の節目の行事になります。

臘八節は、祖先や土地の神を祭る他、厄除けの儀式です。農業が要だった古代、人々は豊作を願い、叶うごとに神の加護に感謝して、狩猟した生贄を奉げる謝恩祭「猟祭」を行ないました。そこでその後、新しく収穫したその年の穀物で粥を炊き、家族の健康と次の年の豊作を祈念したました。この祭事が12月8日に定まったのは5世紀頃からだそうです。

ちなみに今年2010年の臘八節は、新暦1月22日でした。さあ、いよいよ“过年”へ向けて幕開けです


臘八節には、なぜお粥を食べるの?
臘八節には臘八粥を食べます。臘八節が近づくとスーパーにも臘八専用コーナーもできます。何だか、日本の七草粥のようですね。
お粥の材料は、主に落花生、クコの実、なつめ、もち米、干し葡萄、蓮の実、百合、緑豆、インゲン豆に似た花芸豆、くるみ、黒米、タイ米、紅香米など…。自分の好みで選びますが、最近はスーパーが組み合わせた臘八米も売り出します。お粥の作り方も簡単。大豆や緑豆などの豆類を水に一晩漬けて柔らかくし、米といっしょに煮ます。八種類以上の材料を入れるのが臘八粥の特徴だそうです。


さて、この臘八節に臘八粥を食べる風習ですが、諸説いろいろ。中で最も広く知られているのが以下のような故事です。
昔、ある農村に働き者夫婦がいました。夫は畑を耕し、妻も裏庭に実のなる樹木を植えて丹精に育てていました。朝から晩までよく働いたお陰で、暮らしは徐々に豊かになりました。
夫婦には一人息子がいました。しかし、夫婦もいつしか老います。息子は豊かな暮らしの中で甘やかされて育ったため、怠けぐせがついて一向に野良仕事に精を出しません。親はとても心配で、「嫁でももらえば少しは働くだろう」と思っていましたが、どうしてどうして、似たもの同士の怠け者の嫁をもらってしまいます。

父親はいよいよ死を前にして彼らに「どうかこれからは勤勉に畑を耕しなさい」と言い残します。続いて母親も病に臥し、今際の際に若い二人に言い聞かせます「お願いだから、裏庭の果樹を大切に育てるように」と。両親はこうして亡くなりました。
でも彼らは、家の中を見回して思います。「今年はまだ穀物は蔵にたくさん残っているし、胡桃や棗もたっぷりだ。わざわざ野良に出なくても充分暮らしていける。」親のせっかく遺言も聞かず、仕事もしませんでした。

次第に家の食べ物も底をつき、暮れも押し迫ったそれは寒風吹きすさぶ12月8日、米も薪もなくなりました。仕方がなく、怠け者の夫婦は床の隙間の中から落ちていた米や豆などを拾い集めました。かろうじて拾ったものをお粥にして飢えを凌ごうとしたのです。ところが、怠け尽くして家の修繕もしなかったため、家が倒壊してしまいました。
翌日、近隣の者が倒壊した家の下から二人の遺体を見つけました。近くに、まだ食べられずにいた粥があったそうです。

この故事から、毎年12月8日になると、戒めを込めて穀物の混ざった粥を食べるようになりました。


腊八節には、“腊八”を冠した食習慣があります。

臘八粥以外にも、北京では臘八醋(臘八の酢)をつけたり、臘八蒜(臘八のニンニク)を食べたりする習慣があります。作り方は、これも簡単。お酢の中にニンニクを漬ければいいだけですが、出来上がりまでは20日間ほどかかります。というわけで、臘八蒜と臘八醋は必ず旧暦12月8日に作ります。農暦の大晦日の夜、つまり过年ですが、このとき、一家団欒、臘八醋で餃子を食べて、臘八蒜は漬物として一緒に食べます。

また、米があまり実らない北方地方では、臘八面という麺類を12月8日の朝に食べる風習も残っているそうです。