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中国の農暦8月15日は、もうすっかり秋色。
仲秋の名月の円(yuan)=○は、家族団らんの象徴です。



月饼的典故

相传元朝时,中原广大人民不甘受蒙古人的残酷统治,纷纷起义抗元。朱元璋欲联合反抗力量,但元官兵搜查严密,苦于无从传递消息。所以刘伯温便想出一计策,命王昭光制造饼子,将写有“八月十五夜起义”的纸条藏入饼子里面。再使人分头传送到各地起义军中,通知他们在八月十五日晚上起义响应。因而一举推翻元朝,为了纪念这一功绩,因而中秋吃月饼的习俗也就传了下来。不论月饼源于何代,以月之圆兆人之团圆,以饼之圆兆人之常生,用月饼寄托思念故乡,思念亲人之情,祈盼丰收、幸福,皆成天下人们的心愿。

(一家団欒の象徴ともいえる月餅の由来の一つをご紹介しましょう。
時代を遡ること元朝の頃、中原<中国の中央地域:古代,中国の中心地とされていた黄河中流から下流にかけての地>の人民は、元王朝蒙古の冷酷無比な統治に耐え切れず、幾度となく一揆を起こしていました。後に明朝の創始者となる朱元璋は、これらの抵抗勢力を連合。でも元軍の眼は厳しく、なかなか情報の伝達手段が見つかりません。そんな時、軍師劉伯温が妙案を思いつきます。部下の義士王昭光に饅頭を作らせ餡の中に(中秋節の夜に決起)と反乱軍決起の日時を書いた伝言文を入れて、各地の仲間に配らせました。結果、元朝打倒が叶ったので記念して、8月15日の中秋節に月餅を食べる風習が根付いたといわれています。
ともかくも、満月の<円≒○>は円卓を囲む一家団欒の象徴であり、月餅の<○>もこれを連想させるもので、故郷、肉親を思いやり、さらには豊作、幸せ、さまざまな人々の願いを込めたものでした。)

農暦8月15日は、中秋節(月齢を基本とした暦で、いわゆる中国の旧暦ですが、日本のひと月遅れの現在の旧暦とは異なります)。「中秋」とは、秋3カ月の真ん中に当たる月という意味です。
8月15日の月は、仲秋の名月ともいわれ、1年でもっとも大きく明るく美しいといわれ、愛でられています。

まん丸のお月様にちなみ、中秋節の前の晩には家族団らん円卓に集い、「人も月も丸い」という意味から“
团圆节(tuan yuan jie)”とも呼ばれ、中国では春節に次ぐ大切な伝統的国民の祝日になっています。
ちなみに2011年の中秋節は9月12日です!

現在の中国ビジネス社会では、各企業が中秋節の前に、顧客や取引先に月餅その他のプレゼントを贈り、相手への尊敬の気持ちを込めて、事業協力に対する感謝の意を表わしているそうです。


“嫦蛾奔月”の神話から、人工衛星の名前に。
中秋節の起源については、左記のコラムの明朝創始者、朱元璋にまつわる話など多々ありますが、以下紹介するのは、「嫦娥奔月(chang e ben yue)嫦娥月へ昇る」という中国で広く知られた中秋節の神話です。

昔々のある時、天に太陽が10個も出現し、そのため地上は焼けつくように暑く、挙句は畑を焼け焦がし海水を枯らし、作物も育たず飲み水もなく、民衆は今にも死にそうになったそうです。
これに仰天した弓の名手、后羿(hou yi)は昆仑山に登り、天に向けて思い切り矢を放ち、見事9つの太陽を射落とし、民百姓を救います。彼は英雄となり、周囲には彼を慕い学びたいと志のある者たちが集まって来ました。でも中には悪賢い男、蓬蒙が紛れ込んでいたのです。

まもなく后羿は心根の優しく美しいしい妻、嫦娥を娶り、美男美女の夫婦は仲むつまじく幸せな日々を送ります。
そんなある日のこと、后羿昆仑山に友人を訪ねる道すがら西王母(中国古代神話の仙女)に出会い、幸運にも不老長寿の薬を貰い受けることとなりました。この薬を飲むと、ただちに天に昇り仙人になれるのだそうです。
でも后羿はすぐには薬を飲みませんでした。愛する妻、嫦娥を残しては天上になんて昇れないからです。帰宅すると嫦娥に、その薬を隠しておくよう言いつけました。

3日後、后羿はいつものように仲間たちを引き連れて狩りに出かけました。この時、例の蓬蒙は不老長寿の薬のことを嗅ぎつけ、仮病を使って途中から引き返してきました。刀剣をかざして嫦娥に薬を手渡すよう迫ります。力ではとても敵わないと悟った嫦娥は、とっさにその薬を飲み込んでしまいました…。
とたん嫦娥の身体はフワッと軽くなり、窓を抜けて天高く舞い上がって行ってしまいました。

夕方戻った后羿は事の次第を知って悲しみに暮れます。空を見上げ、妻の名前を呼び叫びました。この日の月はいつもに況して、大きく明るくかがやいていました。そして、真ん中で嫦娥に酷似した影がゆらりゆらりと動いているようです。

彼女は夫を深く慕っていたゆえに、この世に一番近い天、月の仙女になったのでした。后羿は月からよく見える裏庭に、嫦娥の好物の果物や菓子を飾って香を焚き、彼女の自分への思いに応えました。
民衆たちも嫦娥の消息を聞くと、后羿に倣って嫦娥を祭るようになったそうです。

現在では、嫦娥の名前は中国の周回人工衛星の名前としても有名になりました。


甘くない、肉餡入り月餅もあるよ!
毎年中秋節が近づいてくると、「月饼上市(yue bing shang shi)月餅売り出し」の広告があちらこちらで見られるようになります。月を祭るには、月餅や果物、とにかく丸いものが不可欠です。月餅はいつごろ生まれたのか諸説がありますが、の『武林旧事』(宋代・杭州の繁盛記、周密著、10巻)には、すでに「月餅」という表記があります。代(1368~1644年)になると、団欒の意味を表す月餅は、中秋節の供え物や民間の贈答品として欠かせなくなりました。

菓子屋の月餅は、多くが嫦娥広寒宮玉兎など神話をデザインしたり、「中秋快乐(ハッピー 中秋節)」などの縁起のよい言葉を刻んだ表面に刻印し焼きあげています。地方によって使う餡や風味が異なり、その種類は何と200種以上あるとか

たとえば、江蘇省の月餅は皮が幾重にもなっていて、パイのようにサクサクとしています。北京のものはあっさりとした餡や油で人気が高いとか。そして広東省のものは皮が薄く餡が多い。南方特産のココナッツの実(白い果肉)や蓮の実のすりつぶしたものを使う他、卵黄、ハム、チャーシューを餡に加えるものもあります。ここ数年、人々はあっさり味を好む傾向があるようで、果物を餡にして油や砂糖を控えた月餅が受けているそうです。

月餅を食べる時にも、ルールがあるようです。
一般には、月を祭り、それから月餅を食べながらお月見をします。そして一家団欒を象徴している月餅は、家族の人数によって均等に切り分けます。
でも、武威市の慣わしで、月餅はその夜食べてはいけません。夜空の満月と世の中の団欒を象徴する月餅は、中秋節の夜に絶対切り分けてはならないのです。翌日、月が欠け始めてから、ようやく切り分けて食べることができるのだそうです。


最近の都市部では、中国の経済状況が好調なこともあるのでしょうね、何万円相当もする月餅の贈答品も売り出されているようですよ。