第3日目その2 2000年8月19日(土) 晴れ 八王子−駒野木−小仏−小原−与瀬−吉野


底沢
道しるべ馬頭観世音碑 小仏峠から下ること約35分、ようやく舗装路に出た。標識には底沢バス停1.7km、相模湖駅3.7kmとある。標識に従い左手に下ると道が分かれる。ここでの標識(写真左)は、右へとなっている。甲州街道ウォークとして歩いたときは、多少疑いつつも右へ進んだ。(下地図の黄色部分。その後の調査によると江戸期の甲州道中は薄赤色部であるが、ほとんど通行不能である。) なお、「甲州道中独案内」には左へと書かれている。
 
 矢印に従い右に進むと、中央道を下をくぐり、途中、美女谷温泉への道と分かれ、道なりに左に進む。美女谷は「小栗判官と照手姫」の照手姫の出生地と伝わる。泉質は重曹泉。再び中央道をくぐり、少し進むと中央道の下に馬頭観世音碑(写真右:はっきり写ってませんが)がある。ここがかつての甲州道中と交わるところのようだ。本来の旧道は中央道を縫うように進んだらしいが、それらしい道は見当たらない。

甲州マップ13
中央道

中央道 中央道は何度もクルマで走ったことはあるが、支柱とその高さを見ると(写真左右)100キロ以上のスピードで走っては危険だなぁと思ってしまう。また、大地震が来たら大丈夫か非常に不安を感じる構造である。

 馬頭観世音から現在の道を進むと、JRのガード下をくぐり、道なりに右への道を行き、坂を下ると国道20号に合流し、底沢バス停がある。ここまで道は比較的分かりやすいが、美女谷の方に回る分、遠回りした感がある。

近道の分岐点 小仏から下ってきて、多くの人は標識に逆らって左への道を進むようだ。ただ、こちらの道は左の写真の分岐点がポイントになる。ここにも標識があり、左に曲がるように書かれている。だが、左折すると最後の国道に合流する部分が遠回りとなる。この分岐点を直進すると未舗装路があるが、上記のJRのガード下をくぐったところに出るので、そのまま直進すれば近道で底沢バス停に出ることができる。

 底沢バス停から相模湖駅までは2キロであるが、山登りのハイカーは何故かバスを待っているのである。舗装路を歩くのは苦手なのだろうか?


小原宿
小原宿本陣 小原宿は、宿内2町半、本陣・脇本陣各1軒、旅籠7軒で、西方与瀬宿を通り吉野宿へ継ぐ片継宿場であった。飲料水を水道のように各戸へ導水し管理されていたことは、他の宿場には見られないことと言われている。

 底沢バス停から歩いて5分ほどで、小原宿に入る。この辺りでかつての甲州道中と合流するようだ。コンビニの前に神奈川県内で唯一現存する本陣(写真左:神奈川県指定重要文化財)があり、無料で見学できる。街道歩きを始めて間もなかったので、非常に興味深く拝見させていただいた。なお、この辺りの旧甲州道中の地図情報はここで得たものである。

ひらの旅館えんどう坂 小原宿本陣を出て、しばらく国道を西へ進む。右手に南無阿弥陀仏碑がある辺りから本来の旧道は一旦、小手沢川を渡るために南に向かう。現在では左手のグランドを横切るれば良いと思われるが、ただの回り道である。中央道の相模湖東出口付近の右手にある「ひらの旅館」(写真左)脇の道が旧道である。登って行き、中央道の北側には行かない道を進む(道なりに歩けばよい)。

 地蔵尊が立ち並ぶ分岐点(写真右)で、右折してしてしまったが、これは間違い。旧道は、ここは直進し、JRのトンネルを越えたところで右折(階段だったと思う)。えんどう坂を下り国道に合流すると与瀬宿である。


与瀬宿
らーめん関所 小原宿とは反対に、与瀬宿は東方小原宿を通り小仏宿へ継ぐ片継宿場であった。本陣1軒、旅籠6軒で鮎が評判の宿であった。

 相模湖駅前の国道周辺がかつての与瀬宿である。観光客で多少の賑わいがある。私が甲州ウォークとして歩いた際は、相模湖駅の裏を通ってしまった。更なる失敗は、旧道と入れ違いに国道を進んでしまったのである。旧道は現在の生活道でもあるので、通常歩く人がいない国道沿いはガードレールもなく危険である。通り抜けるトラックにひかれないように注意して歩き、「らーめん関所」(写真左)に出た。「日本一まずい手打らーめん」の看板を掲げているが、地獄らーめんでは麺の味などよく分からないのではないだろうか? 普通の味噌らーめんを食べたことがあるが、特にまずくはない。
一里塚跡付近
 実際の旧甲州街道は、相模湖駅前の国道をしばらく進み、左手にセブンイレブン、右手に明治天皇御小休所碑があるところで右折し、坂を少し登る。与瀬神社は中央道を越えたところにある。この先行止まりと看板があるが、歩行者は通れる。中央道とぶつかるところで階段を下り、中央道の下を通ると「らーめん関所」にでる。本来の甲州道中は、このらーめん関所の裏手から登るようだが、道があるか不明。再び中央道の下をくぐったところで、右手の坂を上る。この道は国道の渋滞時の迂回路でもあるようだ。みたび中央道の下をくぐり道なりに進むと右手後方からの道と合流する。この道が旧道らしいので、戻る方向に進んでみた。舗装路が途切れた辺り(写真右)に江戸から16里目の一里塚があったようなので探したが見つからなかった。(現在はこの場所に跡を示す木柱が設置されている)

 旧道は西に向け、道なりに進んでいくが、かつては桂川を渡るルートもあった。相模湖は人造湖であるので、ダムが造られるまでは桂川を2度渡る方が近道であった。現在は湖底となってしまったが勝瀬という集落を通り、与瀬に出るので二瀬越えと呼ばれた。


吉野宿
 かつての二瀬越えで2度目の川渡しでたどり着いたところが吉野宿である。本陣・脇本陣各1軒、旅籠3軒の宿場であった。


甲州マップ14


分岐点近道 中央道の北側を通る旧道は、途中、左の写真のところで左の道に入り、下って行く。甲州ウォークとして歩いたときは、道なりに進んでしまい、相模湖インターを通り過ぎていたことで間違いに気づいた。旧道を進んでいくと右の写真のように左にカーブするところで、右の畑の脇を下る。舗装路沿いに進んだ場合は、観福寺を回りこむ道を行く。その後、右折すると吉野小学校へ行く道があるが、道なりに相模湖側の道を下って行く。

郷土資料館本陣土蔵 国道に合流したら右折。藤野町郷土資料館は、明治30年に建てられた旅籠「ふじや」の建物を使用している。常設展は無料で見学できる。生活の道具などの郷土資料が中心(写真左)で、吉野宿の模型や旧道を示す地図もあった。

 資料館前には本陣の土蔵(写真右)がある。本陣は明治29年の大火で焼失してしまったが、江戸時代には珍しい5階建てであった。

 西に進み、沢井川を渡るところは少し迂回して橋を渡ったようだが、現在は国道の橋を渡る。その後、旧道は藤野中学校の前を通る道のようだが、未確認である。町役場の手前左手に江戸から17里目の一里塚があるようだが、これも未確認である。3日目は上野原まで行く予定であったが、西日が眩しく暑いので、藤野駅までとした。時刻は午後3時半くらいであったと思う。

 このページで紹介したコースは、最初の甲州ウォークで旧道を間違えていた個所が多かったので、再度歩き直したときの情報が多く含まれている。


3日目その1
八王子〜小仏峠へ
甲州街道トップへ
4日目その1
藤野駅〜鳥沢へ