第4日目その1  2000年9月15日(金) 曇り   

関野−上野原−鶴川−野田尻−犬目−鳥沢−猿橋−駒橋−大月−花咲−初狩


藤野駅〜
緑のラブレター ※藤野駅から関野宿間の地図は、前回の第3日目その2を参照して下さい。

 甲州街道ウォーク4日目は、神奈川県の北西端の中央本線藤野駅からである。実際に甲州街道ウォークで歩いたときは気づかなかったが、2001年に訪れたときには、藤野駅から左の写真のように山がラブレターをもらっている(抱えている)光景が印象的である。何年も前からあったようで、藤野町の「芸術村構想」の一貫として、名倉地区の所々に展示されている野外彫刻作品のひとつで「緑のラブレター」というタイトルらしい。町職員の名刺にも刷り込んである町のシンボルだそうだ。

 旧道の調査が不十分な状態で歩いたため、上野原までの道はけっこう間違えてしまった。まず、藤野駅を出ていきなり間違えてしまったようだ。国道は駅を過ぎたところでやや右に曲がるのだが、まっすぐの道が旧道っぽいと思い、国道の左側の道を下っていった。その後もほぼまっすぐの道を進むと、畑の横の狭い道を通ることになった。おそらくそこの住民しか使わない道であるので、不審者に思われたかもしれない。やがて国道に出たあたりがかつての関野宿であった。藤野駅から関野宿の実際の旧道は国道沿いで良さそうである。中央道の下に歩道が作られている区間もある。


関野宿
本陣跡 往時、この近辺は奥三保とも桂里とも呼ばれていた。諏訪番所の手前の宿ということもあり、重要視されていたが、本陣1、脇本陣1、旅籠3軒の小さな宿場であった。

 関野宿は、現在も国道20号の甲州街道が通っているが、国道沿いにある宿としては(クルマの往来は多いが)最もひっそりした宿ではないだろうか? 国道沿いを進むと、進行方向右側の民家の庭先に本陣跡の説明板がある(写真左)。

 さらに進むと久々の信号に出会う(写真右)。桂川(相模川)を渡り名倉方面に行く道との分岐である。私が甲州街道ウォークとして歩いたときは、まっすぐ国道で上野原に向かってしまったが、甲州街道はここを左に入り下って行く。かつての旧道は、この交差点より手前を左に入り下ったようだが、道は現存しない。かつては両岸に茶屋や旅籠があり栄えていたそうである。下ったところに流れる境川は相模(神奈川県)と甲斐(山梨県)の境になっている。いい感じのである。


上野原宿諏訪関所跡
 本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠20軒の宿場で、文化年間(1804〜1818)には250軒もの商家が軒を並べていた。

 石碑旧道は境川を渡ると桂川(神奈川に入ると相模川)にかかる境川橋は渡らずに山梨県側に上って行く。途中に諏訪番所跡(写真左)がある。境川口留番所ともいう。関所の反対側には江戸時代から有名な夜泣き桜があるそうだが未確認である。

 県道を北西に進むと甲州で最初の集落「諏訪」に入る。諏訪は上野原宿の馬宿であった。諏訪神社を過ぎたところに、旧甲州街道と書かれた石碑(写真右)がある。

塚場一里塚跡 中央道の上を諏訪橋で渡ると「塚場」の集落で、間の宿の性格を有していた。疱瘡神社のところが塚場一里塚跡である(写真左)。甲州に入って最初の一里塚である。上野原町には4箇所の一里塚(跡)があり、すべてに説明板が立っているが、この塚場は日本橋から18里、17番目と書いてあり、他も距離と数がひとつずれるようだ。

 最初に歩いたときは、国道20号を進んで上野原宿に入ったので、上記は後日歩き直したものである。国道が上野原で旧道に合流する手前の県道佐野川上野原線は、旧案下街道であり、案下峠を越えて八王子へ通ずる甲州街道の裏街道として古くから発達していたそうである。


甲州マップ15


 上野原宿は今でも宿場の雰囲気を感じさせてくれる。現在も町の中心であり、JR上野原駅周辺の方がひっそりしている。本陣や脇本陣もあるらしいが、気づかなかった。この辺りはクルマで奥多摩に行った帰りに何度か通ったことがある。奥多摩からは県道上野原あきる野線を南下してきて上野原に入るのであるが、この道と国道が合流する歩道橋がある三叉路(写真下左端)で、旧甲州街道は国道の左の道に入る。

 上の地図では直線で示したが、実際には少しずつ曲がった道を西へ進む。道が二手に分かれるところ(写真下中)で右の道へ入る。左が旧道とする本もあるが、右の方が近道である。道なりに下って行くと国道を渡る歩道橋に出る(写真下左端)。

 歩道橋を渡り、国道と垂直の道(県道30号大月上野原線)を下って行く。道の左側にある歩道はS字状の車道に対してショートカットで下ることができる。1回目のショートカット後、横断歩道を渡ったところにも歩行者用ショートカットの道がある。

上野原分岐点旧道分岐鶴川入口歩道橋


鶴川宿
鶴川宿 本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠8軒の宿であった。鶴川は甲州街道で唯一、人足による川越しの場所であったが、その評判は悪かったようである。

 鶴川の渡しは、現在の鶴川橋のやや下流辺りと言われている。かつての鶴川宿には古い雰囲気の家並みがある(写真左)。宿内にあるヤマザキショップには自販機も有るが、この後、野田尻までの約1時間、自販機はないので、特に夏場は飲み物を補給した方が良いであろう。
道しるべ
 ほぼ直線の宿内を抜けると旧道は左に大きく曲がり(写真右の案内板があるところ)鶴川野田尻線の道を進む。

大椚一里塚跡 中央道につき当たったところを本来は斜めに横断したようだが、今は橋を渡るしかない。以前の地図だとつき当たってすぐに橋を渡り、その後、中央道と平行に進んでから左折して大椚に向かったようであるが、現在は鶴川側で中央道と平行に進んだ後の橋を渡り、そのまま道なりに進んで大椚に入る。
 
 しばらく進むと日本橋から19里の大椚一里塚跡がある。ここの説明板は風雨で大変読みづらくなっている。道は登りが続く。吾妻神社を過ぎた辺りで登りは終り、中央道沿いの道を進むが、ここで大きな間違いをしてしまった。中央道沿いになった後、中央道を横断し、野田尻に向かうということで、途中の中央道をくぐる道へ曲がってしまったのである。その後の道がくねくねしていたので、どっちに進んでいるのかよく分からなかったのだが(曇っていたので太陽による方角も分からなかった)、思わぬところに中央道が現れた。橋を渡り進むと見覚えのある風景が・・・。鶴川から大椚に向かう道に戻ってしまったのである。約40分のロスタイム。野田尻に向かうには中央道を上を渡るのである。標識も出ている。ただし、本当の旧道はもう少し先から中央道を渡り野田尻に向かうとする文献もある。
長峰砦跡
 そもそも甲州街道は中央道沿いのため、本当の旧道は失われている個所が多い。長峰の砦跡の碑(写真左)がある場所も以前と変わっている。ここにある説明板の中に旧甲州街道が発掘された地図も示されているが、高速道路に分断されていることが分かる。

 この後、少し登ると南に現代的な住宅の町並みが見える。四方津(しおつ)あたりであろう。


野田尻宿
野田尻宿 本陣・脇本陣各1軒、旅籠9軒の宿場。垈尻とも書くらしい。

 中央道を横断し、道なりに坂を下ると野田尻の集落となる。交通標識には部落の文字も。かつて宿場であった辺りは広々とした直線の道が続く(左写真)。久々の自動販売機にも出会う。明治天皇御小休所跡の碑が立つところが、本陣跡のようだ。

 宿を抜けると、道なりに左に曲がり、すぐの分岐点では直進し、中央道とぶつかるところで道なりに右に曲がる。いわゆる鍵の手型の道になっている。


甲州マップ16


 西光寺手前にお玉ヶ井戸の石碑(写真下左端)。お玉ヶ井にまつわる伝説は、旅籠の女中「お玉」が恋が実ったお礼に水不足で悩む野田尻の一角に澄んだ水を湧き出させたというもので、お玉の正体は竜であり、結ばれた相手は長嶺の池の主「竜神」だそうな。

 車道は西光寺前で左折し、中央道の下をくぐり右折し平和中学校前を通る県道大月上野原線を進む。立て看板(写真下左から2番目)にあるように旧道は西光寺の右側から裏に廻り、中央道の上を渡り、未舗装路(写真下左から3番目)を約100メートルほど進み、県道に出る。右側に進み、左にカーブした先に日本橋から20里の荻野一里塚跡がある(写真下右端)。

旧道


犬目宿
矢坪旧道入口 正徳2年(1712年)、現在の集落より約600メートル下方の斜面(元土橋)にあった部落が、急遽そのまま現在のところに移住し、その翌年宿場となった。本陣2軒、旅籠15軒の宿であった。

 旧道は中央道上を横断し、矢坪の集落に向かうが、橋を渡らずに100メートルほど直進すると中央道の上り車線用の談合坂サービスエリアがある。小さな丘になっている公園から歩行者も中に入ることができ、トイレやレストラン等サービスエリアの施設が利用できる。
座頭転がし
 旧道は、左写真の地点で右側の道を登って行く。入口には矢坪坂古戦場跡の説明板があり、その中に旧道の案内図もある。私が甲州街道ウォークとして歩いたときは、この入口を登ったが、数分で県道に出てしまった。分岐点に気づかなかったのである。旧道はさらに山の中に向かって入っていく。座頭転がし(写真右)は、柵があるので崖を転がり落ちる危険はないが、山側が崩れてきたら×××。

 ハイキングコースのような道を進むと、やがて新田(しんでん)の集落に出て、しばらく進むと県道に合流する。安達野の集落を過ぎると犬目宿に入る。


甲州マップ17

犬目宿
 犬目宿も直線の道路が続く(写真左)。宿内には天保郡内一揆の首謀者のひとりである犬目兵助の生家と墓がある。公民館には公衆トイレがあり、ウォーカーにはありがたい。上野原町の西端のバス停もあるが本数は少ない(時刻表)。

 宿を出ると道は右に大きくカーブし、次に左へカーブを繰り返す。白馬不動尊の赤鳥居を過ぎて少し進んだところで、旧道は右に登っていく道を行くようだが、ほとんど使われていないような道なのでためらってしまう。この道は君恋温泉への道でもあるが、県道をもう少し進んでから、君恋温泉の看板があるところの道から入っていく方が道は良い。
恋塚一里塚
 この君恋温泉からの富士の眺めは素晴らしいようなのだが、私はまだ見ていない。君恋温泉脇を登って行く道は扇山への登山道のひとつでもある。甲州街道の旧道は君恋温泉前を通って右に進んだようだが、現在は歩く人はいないような道になっている(歩けなくはないが・・・)ので、県道を進んだ方が良いだろう。

 カーブを繰り返したところに日本橋から21里の恋塚一里塚(写真右)がある。かつての塚が現存しているようにも見えるのだが、そのように書かれた文献は今のところ見ていないし、跡と書かれた文献もある。

旧道入口旧道石畳 県道をしばらく進んだ恋塚集落のところで旧道は右手の道へ入る(写真左)。恋塚の馬宿とも呼ばれていたようだ。この旧道の先は石畳になっている(写真右)。最近では、旧甲州街道の石畳への案内板も出ている。

 石畳が終ると県道に合流し、少し進むと大月市に入るが、ここからはひたすら下って行く。山谷にはバス停もあるが、大月に向かうバスは1日に1本程度である(時刻表)。車道は大きく蛇行するが、歩行者は通学路と書かれたところを進んだ方が近道である。

 道なりに下って行き、中央道をくぐると2〜3分で国道20号に合流する。


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