第4日目その2  2000年9月15日(金) 曇り   

関野−上野原−鶴川−野田尻−犬目−鳥沢−猿橋−駒橋−大月−花咲−初狩


このページで使用した写真は、実際の甲州ウォークとは別の日に撮ったものが大半です。

下鳥沢宿

下鳥沢の町並み一里塚跡付近 下鳥沢と上鳥沢は合宿(あいしゅく)で、問屋業など半月づつ交替で行われていた。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠11件の宿であった。

 犬目宿を出た後、君恋、山谷、中野の集落を下った道は国道20号に合流する。国道沿いではあるが、昔の雰囲気のある家が数軒見られる(写真左)。鳥沢小学校の辺り(写真右)に一里塚があったようだが、碑などは立てられていない。(写真の木の処に大月市指定文化財コノテガシワの説明板あり)





上鳥沢宿
本陣跡 下鳥沢とはわずか5町(約550m)しか離れていない。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13件の宿であった。

 JR鳥沢駅辺りからが上鳥沢。バス停の名称でかつての地名が判る事が多い。西に300メートルほどのところにある明治天皇御小休所の石碑のあるところ(写真左)がかつての本陣跡。横吹への道

 国道が右に曲がり少し下りだしたところで旧道は右の道へ入る(写真右)。横吹の集落を通り、団地入口のバス停で国道に合流する。

 猿橋に向けて国道に歩道はあるが、民家の車の出入用に段差が数多くあるので、藤野や上野原から歩きつづけている人には足に堪える。鳥沢から歩き始めた人にもボディブローといったところか?

旧甲州街道へ タバコ屋の前田商店のところで旧道は右の道に入る。最初の甲州ウォークでは、調査していなかったので、国道を歩いたが、後に調べたところではこの小向の集落は「昔時の風情を残して見事である」で書かれていたので、訪れてみた。しかし、現在は特にそういう感じでもない。国道から分岐し、すぐに左への道が旧道であるが、数十メートルで行き止まりとなる。旧道は左写真の民家の脇を下って国道を横断し、桂川の川岸まで下る。この道が現存しているかは確認していない。資料によると、その先は桂川にそそぐ宮谷川を渡って精進場(富士登山の行者が精進潔斎をした場所という)を右に見ながら上り道となり、国道20号に出ると書かれている。明治期の甲州街道

 一方、この行き止まりの地点から右に未舗装の道(右写真)がある。これは明治期に藤村紫朗が改修した甲州街道である。宮谷川を渡るまでは順調に道があるが、その後はちょっと怪しい。かつては川を渡った後、左に曲がり国道のところに出たようだが、現在は、人が歩いた形跡のある道を進むと高速道の方に近づき、最近作られたような道に出る。その道を下ると国道に出ることができる。

 小菅へ向かう道の標識があるところ(下水道工事現場)で右へ入るのが旧道で、猿橋に出る。

 


猿橋宿
猿橋 「甲斐の猿橋」は日本三奇橋のひとつ。あとの二つは「岩国の錦帯橋」と「木曽の桟(かけはし)」。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠10軒の宿場であった。

 日本三奇橋として観光名所である猿橋(写真左)は、甲州街道の通り道でもある。(2002年1月30日から3月31日まで保守補修工事のため通行できません) 男性用の公衆トイレは猿兼用(?)なのか普通のものとはちょっと違った形をしている。国定忠治も立ち寄ったといわれる猿橋前の大黒屋で遅めの昼食(忠治そば)を食べた。
猿橋遊歩道
 旧道は県道を通って新猿橋西の交差点で国道20号に合流し西へ向かう。しかし、この辺りの国道は独立した歩道がなく、危険なので猿橋を下から見上げるところから郷土資料館へ向かう遊歩道を歩いた方が良いだろう。ただし、冬季は雪が積もっていることがある(写真右)。途中、6千年前の富士山の溶岩流の末端の溶岩のあるところや公園を通る。

 大月市郷土資料館は入場料100円で常設展示の中に甲州街道に関するものもある。私が訪れたときは特別展示として大月市内の山々から見た富士山の写真展が開催されていた。ここから国道20号に出ると歩道の道幅が広くて歩き易い。

通称桂川 JRの猿橋駅はさらに西にある。宮下橋のところに書かれてた川の名称で「桂川」は通称であることを知る(写真左)。正式には相模川のようだ。しかし、一般的に山梨県内では「桂川」である。

 猿橋駅の南側には桂台の住宅街へ行き来するシャトルバスがあるのだが、故障してよく運休になるようだ。次回の運転再開は2002年の9月になるとのこと。桂台は中央線の車内広告や周辺の駅に広告が置かれているので知っているが、新宿まで約90分、庶民にも一戸建てが購入できそうな価格には惹かれるものがある。(余談であるが東海道線東戸塚駅から旧東海道や近隣の住宅街へはエスカレーターを乗り継いで登ることができる。これの方が故障は少ないだろう。)

 


駒橋宿
駒橋への旧道 本陣・脇本陣ともなく、旅籠4軒の極めて小さな宿場。しかし、次の大月宿は駒橋から分かれてできた宿である。
水道管
 猿橋の駅前を過ぎ、左に大きくカーブした後、中央本線の上を渡る手前(写真左:国道90キロポスト付近)で、旧道は右手の道を下る。最初の甲州ウォークでは国道を進んでしまった。旧道は大月駒橋郵便局辺りから発電所にかけては、中央本線と発電所によってかつての旧道は失われているそうだ。東京電力の巨大な水道管(写真右)を過ぎたところでその脇の道を上り、線路(第五甲州街道踏切)を渡り国道に一旦出る。
駒橋宿へ
 すぐに旧道は右手の道に入る(写真左)。ここがかつての駒橋宿である。古めの本には甲州街道の旧観が残っていると書かれていたのだが、現在はごく普通の町並みになっていた。JRの駅に歩いていける範囲なので仕方ないことであろう。むしろ国道沿いの方が古い感じの家が残っていたりする。

 現在、この駒橋から大月インターまでの区間、国道の南側にバイパスが建設されている。

 今井金吾さんの今昔三道中独案内によると国道に合流した後、また右に入る旧道があったようだが、現在はない。少し先に斜めに入る道があるので、この道を歩くと良いだろう。岩殿山の方に向かう道はJR線を越えるため高架になっているのでその下を通り、商店街を通り大月駅に向かう。





ちょっと寄り道:岩殿山
 岩殿山は富士山がよく見えるところなので、立ち寄る価値はあるのだが、見るからに絶壁の岩山であるので甲州ウォークとは別の日にするか、歩くのが大月までの予定の場合にした方が良いだろう。「膝が笑う」というのを体験したい人にもお勧めである。富士山が見えるか否かは、富士の方向さえ分かっていれば甲州街道を歩いていても分からなくはない。岩殿山に向かう道のJRの陸橋からも確認することができる。頂上まで登るのは大変だが、県道から登山道に入って2分くらいのところからでも充分富士を堪能できる。下の写真は中腹にある資料館とそこの広場から見た富士山である。山頂まで登るのは体力が要る。富士は多少裾野が広がって見える(下写真右端)。

岩殿山資料館岩殿山中腹からの富士岩殿山山頂からの富士


大月宿
商店街 駒橋から分かれた宿で、大月駅よりやや西寄りが宿場であった。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠2軒の宿場。

 駅前の旧道は商店街になっている(写真左)。大月駅を右に見て、旧道は道なりに直進する。大月市役所の近くで国道20号に合流。ここからが宿場であったようだ。大月橋の手前が追分で、左は都留方面に向かう国道139号、直進が国道20号であるが、かつての甲州街道は右に向かい桂川を渡った(追分道標)。しかし、現在は右に向かう道はない。

 大月駅の方向に150メートルほど戻ったところで中央本線の上を渡る道がある。中央本線を越えたら、左折し線路と平行に下る。かつて桂川を渡ったのは、笹子川と合流する付近だったようだ。川底にかつての橋脚が見えるらしいのだが、新大月橋から見えるものは、何故か新しそうな橋脚なのである。しかし、その西側に続く道が旧甲州街道のようだ。国道20号に合流して少し進むと下花咲宿である。


下花咲宿
花咲一里塚跡 下花咲と上花咲も合宿であった。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠22件の宿場である。
下花咲本陣
 国道の左手に江戸から24番目の下花咲一里塚跡(写真左)がある。庚申塔や芭蕉句碑などもある。

 しばらく進むと右手に大きく本陣と書かれた星野家住宅がある(写真右)。見学も可能だが昼休みの時間帯がある(12時〜13時半)。本陣には駐車場はないようだが、両隣には駐車場付きのファミレスがある。


上花咲宿
甘三夜 下花咲宿を出て、約400mで上花咲へ入る。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13件の宿場である。

 大月インターの出入口を過ぎ、笹子川に掛かる橋のあるところが本陣跡。ここから川沿いの道があるが、旧道ではないようだ。大月ジャンクションの奥に独特な外観の山梨NECが見える。旧道はもう少し進んだ辺り(左写真付近)で、国道から北側に鍵の手に曲がって回り道をして国道に戻るようだが、河口湖方面に向かう中央道によって道はなくなっている。石垣用ガードレール

 国道を進むと右側の歩道が無くなる。右の写真の部分であるが、どう見ても人は通れない。石垣を保護するためのガードレールのようだ。

 大月警察署を過ぎると100メートルほど歩道がなくなる。この辺りからかつての旧道は中央本線の左側を進んだようであるが、現在道があるかは確認していない。中央本線の下をくぐる道があるので、もしかしたら行けるのかもしれないが、道が続いている保証はない。





下初狩宿
源氏橋 下初狩と中初狩も合宿であった。本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠12件の宿場である。

 国道の99キロポスト付近の源氏橋(写真左)を渡ると旧道らしき道に出る。もっともこの橋は甲州砕石場に行き交うトラックのためにあるような橋である。旧道

 橋を渡って左の大月側は道はあるが、あまり人が利用するような道ではなさそうだ。右手の初狩へ向かう道は散歩するのに良さそうな道である(写真右)。甲州砕石の事務所を通り過ぎた辺りに丸山一里塚というのがあったようだが、不明である。

山本周五郎生誕之地 第七甲州街道踏切を渡ったところに歌碑がある。駒橋で第5踏切であったが、第六はどこだったのだろう? 第一から第四も探したくなってきた。踏切を渡り旧道は左の道を行く。右の道で国道20号に出たところが国道での日本橋から100キロ地点である。

 旧道を進んでもほどなく国道に合流する。古い家並みも何軒か残されている。右手に山本周五郎生誕之地と書かれた石碑がある(写真左)。

 次回の笹子峠越えに備えて笹子駅まで進みたかったが、時刻は午後5時となり、日没まで1時間をきってしまった。すでに太陽は山に隠れようとしている。町から離れると街灯とかも無さそうなので4日目は初狩駅までとした。

リニアモーター実験線
 ちょっと寄り道
 初狩駅の南側にリニアモーターカーの実験線が通っていることは地図を見て知っていた。この実験線はほとんどが山の中のトンネルであるが、初狩駅の近くと河口湖へ向かう中央道付近は地上を通っているようなので見てみたかったのである。しかし、左の写真のようにシールドされたものがあるだけであった。ちなみに中央道と交わる付近には見学センターなるものがあるようだ。


4日目その1
藤野〜鳥沢へ
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5日目その1
初狩〜駒飼宿へ