第5日目その1  2000年10月7日(土) 晴れ    中初狩−白野−阿弥陀海道−黒野田−笹子峠−駒飼−鶴瀬−勝沼−栗原−石和

 甲州街道5日目は、甲州街道の最難関・笹子峠を越えなくてはならない。どのような道が待ち受けているのかはっきりとしていなかったが、本などで紹介されている写真を見ると、こんなところを何時間も歩くのは大変そうという印象を持っていた。有名な矢立の杉辺りも舗装路ではない。よって今回はトレッキングシューズを履き、街歩き用の靴も持参。携帯電話も圏外になりそうなので、万一に備え、ハンディタイプのGPSとモバイルパソコンも持参。さらに電源アダプタや着替え、それに加え初狩駅から国道に出たところのコンビニでおにぎりと飲茶楼を購入し、荷の負担が・・・。


中初狩宿
 下初狩から数百メートルで中初狩宿となる。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒の宿場であった。





中初狩本陣跡 午前10時過ぎに初狩駅から国道20号に出て、国道沿いに西へ進む。すぐの宮川橋は、そこから南西方向を見ると山間に富士山の頭が見えるポイントとして知られる。山が近い土地柄のため、「宮川橋の一目富士」と旅人に評判だったそうである。
天神峠
 国道沿いをしばらく進むと、右手に明治天皇御小休遺跡(写真左)があるが、ここが本陣跡。その後もしばらく国道を進む。

 国道が左手に大きくカーブして中央本線の下を通る辺り(写真右)、本来の甲州街道は右手の山(天神山)を登り、天神峠を越えて、滝子沢を渡り白野宿に入ったそうであるが、現在、道が現存するかは定かではない(高速道の下を潜るまでは道があるがその先は・・・)。国道沿いに行くしかないと思うが、しばらく歩道がないので注意が必要である。


白野宿
 白野・阿弥陀海道・黒野田は、もとは3つで1郷であり、上初狩の地であった。白野宿は、国道の裏通りとして道筋が残っている。水害により引込んだとも言われる。東から下宿・中宿・上宿と続く。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠4軒の宿場であった。

白野宿の町並み白野宿入口 天神峠を迂回してきた道は、国道の右手に入って行く道(写真左の右の道)が旧道であり、この旧道の区間が白野宿である。

 バス停も白野下宿、白野中宿、白野上宿と3つあるが、500メートル程度の区間である。旧道の雰囲気はあるが、特に古い家並みが続くというものではない(写真右)。

 白野宿の中間辺りに一里塚跡もあったようであるが、見つけることはできなかった。

原の家並み原入口 国道に合流して百メートルほどの原入口のバス停のところから、再び右の道に入る(左写真)。JRのガード下に「伝説立石坂の立石」とあるが、古い本に既に失われているとあるので、怪しいものである。

 ガードを潜ると左折し、線路沿いに登っていく。素朴な田舎町といった雰囲気のあるところである(写真右)。途中右手にある稲村神社には、根元から3つに分かれている木と、怪しげな形の道祖神があり、説明板によると男根女陰を現したものらしい(下写真)。

 甲州街道はJRにより遮断されているので、その手前のところ(下写真中央)で左に曲がり笹子駅に向かう。JRのガードをくぐると葦池の碑があり、国道に合流して西へ進む。

稲村神社の三又の木 道祖神 迂回路 遮断された甲州街道 葦池の碑



阿弥陀海道宿
 阿弥陀堂があったので、宿名が阿弥陀海道になったと云われる。現在の地名は阿弥陀海と書いて、「あみだかいどう」と読ませている。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠4軒の宿場であった。

 


笹子川橋笹一酒造 国道は笹子川を渡るため不自然にカーブしているが(写真左)、まっすぐ行くと小学校の校庭に出てしまう。資料には、現在は通行不能である旧笹子川の辺りを渡るのが旧甲州街道とある。

 橋を渡ってすぐのところにある笹一酒造(写真右)は、駐車場があり、酒造の見学コースや売店もあり、酒やワイン以外のお土産品も販売されている。「御前水」という明治天皇も飲まれたと云う笹子峠の湧き水も飲んだり汲んだりできるようだ。汲んで持ち帰る場合は箱にお金も入れよう。

 笹子酒造から笹子駅は300メートルほどであり、駅近くには笹子名物の笹子餅を売る店がある。笹子駅は無人の場合もあリ、切符を販売していないときは、乗車証明発行機により券を受け取り中央本線に乗車する。車内で車掌が切符を拝見しに来るので、そのときに精算しよう。


黒野田宿
 阿弥陀海道宿から300メートルほどで黒野田宿となる。上初狩が分かれた三宿は問屋業務も三分していたが、黒野田宿が1日から15日、阿弥陀海道宿が16日から22日、白野宿が23日から30日を勤めていたそうである。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒の宿であった。

 笹子駅を過ぎるとすぐに黒野田という地名になるようだ。古い本には、旅籠も兼ねていた本陣が残っているとのことであるが、どれがそれなのかよく分からなかった。黒野田橋で笹子川を渡るが、奥の橋が旧道っぽい感じはする。2000年には無かったと思うのだが、今では橋を渡った右側の普明院という寺に一里塚跡というか「江戸日本橋ヨリ二十五里」と記した石柱がある。道の勾配はさらにきつくなってくるが、かつての旧道は蛇行して坂を登っていたようである。

黒野田宿付近 一里塚跡? 勾配8度の道



 途中に食堂が数件あるが、営業しているのか否かよく分からない雰囲気である。国道と旧道の追分には大規模駐車場を持つコンビニがある。甲州街道の最難関と言われる笹子峠越えは、少なくとも3時間は要するであろう。飲食物の購入、トイレは最後のチャンスである。時刻は11時30分であった。


笹子峠 


 現在の国道20号では、3キロに及ぶ新笹子トンネルを歩くことはできない。県道笹子・日影線(旧国道)で山道を登って峠を越える。また、国道から分かれた付近でも県道とは異なる旧道があったようだが、現在は県道を進む。新田のところからは途中で右に入り山道を登っていくルートが現存しているようだが、確認はしていない。

追分から新田へ 新田を過ぎた県道


 途中、矢立の杉に向かう遊歩道がある。一応、旧甲州街道のようだが、実際には度重なる水害で不明になっている箇所が多いそうである。遊歩道はそれなりに整備されているので、初心者でも十分歩ける。途中には、遊歩道入口の地図にもあるように、三軒茶屋(中の茶屋)跡や明治天皇御野立所跡などがあり、遊歩道の最後の方には矢立の杉にたどり着く。

 かつては、軍に出る兵がこの杉に矢を立てたそうであるが、根元辺りは人が入れるくらいの穴が開いており、内部も空洞化している。矢立の杉を過ぎるとすぐに国道に合流した。旧道はどれなのかよく分からなかったので峠のトンネル前まで県道の舗装路を進んだ。

遊歩道入口 矢立の杉 矢立の杉下部 内部から天空を見上げる



 追分から1時間半ほどで、笹子トンネル(下写真、右側の写真は後日撮影)に到着。出口の明かりが見える距離で、峠もそれほどの高さではなさそうなので右側の登山道から峠越えを行った。頂上と言っても景色が見渡せるというところではない。天神宮などが祀られている。頂上で道が分かれるが、県道の方へ下りて行く(建て看板の矢印がイマイチ解り難い)。


 

 県道に出たところの反対側(上写真)に甲州街道の矢印が下向きにある。ガードレールを越えて下って行けというものであろうか? 標識に従い下ったが、最近人が歩いたという形跡はあまりない。道らしきところを進むと県道にぶつかった。地図で確かめるとショートカットコースのようだ。また、ここが甘酒茶屋跡である。
旧甲州街道
 そこから清水橋へ向かう旧道もあるようだが、どう見ても一般人が歩けるような感じではないので舗装路で下山。途中、橋の近くから登って行く道(写真右)があったが、「旧甲州街道は不備のため通行できません」の貼紙あり。山に慣れていない人は、遠回りでも舗装路が良いと思われる。 桃の木茶屋跡は見つけられたが、一里塚跡は見つけられなかった。

 笹子側の追分から約3時間半、ようやく人家が見えてきた。峠越えの間、歩いている人に出会ったのは二人だけであった。クルマやバイクは時折走っている。


駒飼宿
 かつては馬を放牧していたことから駒飼という名がついたそうだ。笹子峠頂上近くを駒止めといい、牧場の外れを示すものである。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠6軒の宿場であった。

 駒飼宿は、現在は日影という地名であるが、ホントに田舎といった感じのところである。駒飼宿の案内図が建てられているところが、本陣跡のようだ。そこから少し進んだところで、左手に入るのが旧道であるが、その先は実際の旧道の道筋はなくなっているようである。

 ようやく国道20号に合流できた。時刻は3時20分である。ガソリンスタンドでトイレを拝借。トイレのことを考えると、この峠越えは女性にとっては大変だろうし、スポーツドリンクはお腹が緩くなるものもあるので、気をつけよう。私、個人的にはアクエリアスはダメである。みなさんも自分に適したドリンクを見つけてから峠越えに望もう。

 ここからJR甲斐大和駅は10分程度の距離である。また、国道20号で新笹子トンネルを越えてすぐのところに道の駅甲斐大和がある。ここの軽食コーナー(レストランではない)のもつ煮定食は私のお気に入りである。


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