第5日目その2  2000年10月7日(土) 晴れ    中初狩−白野−阿弥陀海道−黒野田−笹子峠−駒飼鶴瀬−勝沼−栗原−石和

 このコースを歩かれる方は、JRの甲斐大和駅[以前は初鹿野(はじかの)という名だったが1993年に駅名変更]を利用される方も多いことだろう。駅から歩いても10分足らずで甲州街道に出るが、駅前からは村営バスも運行されている。天目行き(景徳院、竜門滝、日川渓谷方面)というのもあるが、旧甲州街道方面へは共和行きの方であり、1日に五本程度運行されている。
 (なお、このページの写真は全て2000年の甲州ウォークとして歩いたときのものではありません)


鶴瀬宿
 問屋業務は駒飼宿と交代で行う合宿であり、人馬継合は毎月1日から20日までを担当したようだ。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠4軒の宿場であった。

凡例


鶴瀬宿鶴瀬関所跡 旧道は駒飼宿方面から国道20号に出たところのガソリンスタンドの裏手へ回るようだが、現在は道は無さそうである。そして、ここに一里塚があったとされる(碑などは無いと思われる)。国道20号を西へ進むと、立会橋のところで国道左側の歩道は旧道へ入る。国道に合流する手前に鶴瀬関所跡を示す柱が建っている(写真左)。山や川に挟まれた地形的な要衝であったため、関所が設けられたようだ。

 旧道は国道を縫うように進むが、この辺りがかつての鶴瀬宿(写真右)であった。中央高速道が近づき、国道が右カーブする手前で本来の旧道は右側への道を登っていくようだが、現在、再び国道に出られるかは確認していない。

 この辺りの中央本線は2003年で開業100周年のようだが、長い歴史の中でトンネルも数箇所替わっているようで、以前のトンネル跡なども見受けられる。

 しばらく進むと洞門の手前から旧道は右手の山側を登るようだが、道が良く分からない。登ると京都の清水から移したと伝えられる観音堂があるそうだ。現在では、洞門の中(途中で外に出る)の歩道を通った方が良いと思うが、洞門を抜けたところで数十メートルほど歩道が無いのでクルマには十分注意が必要である。

共和の旧甲州街道つり橋 洞門を出て最初の信号を渡り、右まわりにループになっている道を下ると旧甲州街道に出る。ここでようやく靴を街歩き用に履き替えた。かなり軽く感じられる。笹子峠もほとんど舗装路を歩いてきたので、トレッキングシューズは必要なかったかもしれない。

 日川を渡るつり橋(写真左)は見たときは通行止めであった。甲斐大和駅からの村営バスはここまでのようだ。旧道という感じのする道と家並みが少し続く(写真右)。国道に合流した辺りに一里塚があったようだが、確認できていない。

 甲府盆地が見えてきたが、日没までに石和に辿り着けるかはかなり怪しくなってきた。時刻はまもなく4時というところであった。


勝沼宿
 勝沼は昔からぶどうの名産地として知られていた。また東西約1300メートルと長い宿場でもあった。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠23軒の宿場であった。

甲州マップ26




交差点表示にも勝沼宿


近藤勇像
 大和村から勝沼町に入ってすぐの深沢川を橋で渡る手前に近藤勇の像(写真下)がある。慶応4年(1868年)、この付近で近藤勇を隊長とする新撰組と、板垣退助を参謀とする官軍が戦ったとされる。旧道は現在の柏尾橋の右手上流で渡り(今は渡れない)、国道に合流するルートのようだ。

大善寺山門 ぶどう寺としても知られる大善寺の薬師堂(国宝)に向かう裏道(裏参道:墓地の前を通り入場料なしで薬師堂の前に出る)に入るところに山梨県内で最古とされる芭蕉翁甲斐塚がある。

 実際の甲州ウォークの時は入場料を支払い薬師堂にも立ち寄り説明も受けたが、何故か写真を撮っていなかった。現在は改修工事中のようである(平成15年度まで)。左の写真は甲州街道沿いから見える大善寺の山門である。

 時刻は4時半になろうとしている。ここから先の道も栗原にかけて緩やかな下りが続く。ピッチを上げて歩くこととした。

 現在の国道20号は左に曲がり、勝沼大橋を渡り勝沼バイパスとなる。旧甲州街道は右手の道を進む。旧道は右にかぎの手に曲がったそうだが、今はそのような道は無い。勝沼ぶどう郷駅に向かう道の手前に勝沼氏館跡がある。西行きだと見つけにくいだろう。勝沼宿の案内板がある駐車場まで行ってしまったら行き過ぎている。勝沼氏とは武田信虎の弟、勝沼五郎信朝のことで、信玄によって滅ぼされた。館は日川の断崖を利用して造られ、発掘調査の結果、南北2つの屋敷跡や内堀・外堀、太鼓櫓などが明らかになった。

 勝沼宿だったところには、脇本陣跡や本陣槍掛けの松、街道筋らしい感じの家並みが若干残る。街道筋には夏から秋にかけてぶどうのもぎ取りができる果樹園が多い。

勝沼氏館跡 本陣槍掛けの松 勝沼宿の町並み 旧甲州街道



 勝沼町のホームページの観光案内に等々力寺町というところが「300m余の間に9つもの浄土真宗の寺が甍を並べる、甲斐の中でも独特な風情をもつ町並です」と紹介されていたので、甲州ウォークとは別の日に訪れてみた(下写真左)。場所は等々力交差点の手前、甲州街道のやや北のところにある。メジャーでないお寺にはあまり興味が無いので、正直言って風情のある町並みという感じはあまりしなかった。

 等々力四ツ角には高札場もあったようである。その等々力交差点から700メートルほど北上したところには「ハーブ庭園旅日記」がある。これも甲州ウォークとは別の日に訪れてみた。入場無料で世界各地のハーブや他の花々が多数ある。訪れたときはシクラメンなどが展示されていた(下写真中央)。オリジナルのお土産品も多数扱っている。

 甲州街道は国道411号を西へ進む。途中、延命地蔵尊には常夜灯と道祖神らしきものがあった(下写真右)。

 

等々力寺町 ハーブ庭園旅日記
等々力寺町 ハーブ庭園旅日記 延命地蔵尊と常夜灯 道祖神?



栗原宿
 この辺りもぶどう園が多い。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠20軒の宿場であった。

甲州マップ27






 栗原の辺りは単調である。歩道から手を伸ばせば取れそうなところに葡萄が生っている(写真上)ぶどう園などは数件あるものの、特に宿場らしいものや碑などは無さそうだ。旧道にこだわる必要もあまりないと思われる。しかもJRの駅も離れているので、甲州街道として歩かれる方は通過するだけとなってしまうだろう。実際の甲州ウォークとして歩いたときは、上栗原交差点を過ぎてから2分くらいのところで、左斜めへの道(写真左)に入り堤防沿いを歩いた。

 往時の旧甲州街道の道筋であるが、西行きでは大翁寺の手前でかぎの手に右に曲がり300メートルほど直進、大宮五所神社の参道を過ぎて左へかぎの手に石橋を二つ渡ったところで右に曲がり直進したそうである。

大戸屋付近の甲州街道 看板 下栗原集会所付近

 現在では、左上の写真のところで、国道と堤防への道の間を直進してから右折し、国道に出たところで左へ進み、右の左側写真の大戸屋(看板には甲州街道栗原宿とも書かれている)付近で国道がかぎの手に曲がっているところを進み、右側写真の下栗原集会所のところで、国道はやや左に曲がるが旧道はやや右側への道だったようだ。

 その後、南下し国道を横切り、途中で西へ向かい、トヨタの営業所辺りで国道に合流するようだ。

 国道は左に曲がり日川橋を渡るが、旧道はその手前の一丁田中の交差点で南下し日川を渡ったようだ。

 日川橋を渡ると堤防沿いの道を進んでしまったが、旧道は橋を渡った後、数十メートル進んだところで右折し、道なりに進む。途中一里塚もあったそうだが跡を示すものなどは見ていない。


石和宿 その1
 以前からわずかの温泉は沸いていたようだが、果実温泉郷を目指しボーリングを行ったところ昭和36年1月に八田地区の畑から高温多量の温泉が噴出したことから温泉地として全国的にも有名になった。江戸期は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒の宿であった。

 


ホテルサンプラザ前の笛吹川




笛吹川沿い かつての笛吹川は、現在のJR石和温泉駅の近くを流れる近津用水・第二平等川のところを流れていた。よって、以前は川を渡らずに石和宿に入り、宿の西端の甲運橋のところの笛吹川を舟渡しで渡り、平等川を橋で渡ったそうだ。笛吹川の流路が現在のようになったのは、明治40年の大水害により笛吹川・重川・日川の合流点が決壊し、本流が金川の流れに付け替えられたことによる。

川中島 現在では、田中で国道411号に合流し歩道の無い道(写真左)を600メートルほど歩くことになる。実際の甲州ウォークとして歩いたときには、日没の時刻を迎えていたので、暗くなってきており、非常に長く感じられた。

 笛吹橋を渡り、突き当たりの交差点で横断歩道を渡り、左に進む。途中、右下に降りる道(写真右)を進んだ。旧道らしい感じの道だが、もう一本川によりに現れる道が旧道のようである。しかし、川中島は水害の被害が大きかったようなので実際にはよく分からない。

山作ホテルサンプラザ 甲州街道ウォークで日帰りではないのは今回が初めてである。宿泊先は甲州街道からそれほど離れていない鵜飼橋近くのホテルサンプラザ(写真左)である。到着は19時少し前であった。

 あらかじめ電話で予約を入れており、シングル一泊5000円(税抜き)で朝食は700円(税込み)であった(現在ネットで調べると更に安くなっているようだ)。 ビジネスホテルであるが温泉浴場があるのが嬉しい。

 夕食は、国道411号を少し戻ったところにある山作(写真右)でほうとうを食べた。ガイドブックなどにも載っていて有名なところで、美味しかったが、待ち時間が長かった。一人旅の場合、本など持参した方が良いかもしれない。


ちょっと寄り道

一ノ宮桃源郷桃の花 勝沼から石和にかけて、葡萄の産地でもあるが、春にはいたる所に桃の花が咲き乱れ、まさに桃源郷と呼ぶに相応しい景色が広がる。

 JR中央本線の車窓からも満喫することができるが、御坂町(みさかちょう)や一宮町(いちのみやちょう)などの桃の花まつりが開催される会場に足を運ぶのも良いだろう。会場へは桃の花見時期の土日のみ石和温泉駅から臨時バスが運行される。

 JRでも全席指定の「桃源郷パノラマ号」という純和風感覚のお座敷列車が運転され、桃の花が見えるところでは速度を落として運転される。これは普通乗車券の他に快速列車のグリーン指定券が必要である。桃の花の時期以外でも普通乗車券のみで乗車できる快速列車が運転されているときがある。これは2階建てのリクライニングシートの車両で、時間的にも「あずさ」とあまり遜色はないので、青春18きっぷ派にはお勧めである。

 JRより北側に位置する笛吹川フルーツ公園にはまだ訪れていない。


5日目その1
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6日目
石和〜韮崎宿へ