第6日目  2000年10月8日(日) 曇り    石和−甲府柳町−韮崎

 今日は比較的短い距離である(それでも20キロはあるが・・・)。1泊して2日連続ということもあるが、宿場の位置関係によるところが大きい。甲州街道はここまで宿場間の距離が短いことが多かったが、甲府から先は宿場間の距離が長くなる。甲府〜韮崎が14キロ、韮崎〜台ヶ原が17キロほどある。台ヶ原辺りはJR線とも大きく離れることから、今回は韮崎までとした。また、韮崎で「武田の里まつり」が行われることは事前に知っていた。


石和宿 その2

 地図は前回の甲州街道5日目その2を参照

 ホテルを出発し、旧甲州街道である国道411号に出るとほどなくして遠妙寺にでる。読み方はおんみょうじであるが、陰陽師ではない。その数十メートル西の左手の細い道が小田原・沼津道のようだ。さらに西へ数十メートル進むと右手の駐車場が石和本陣跡である。この辺りの道路は拡幅が予定されているようだ。ウォーカーとしては歩道だけ広げてくれれば良いのだが・・・。甲州街道とJR石和温泉駅は約800メートルほど離れている。

鵜飼山遠妙寺 石和本陣跡 石和の道 拡幅中



甲州マップ29
道標

 甲運橋を渡ったところに道標(写真右)がある。万延元年(1860年)のものだそうだ。下部は文字の部分も一部埋まっているが、左は甲府・身延という文字が並んで縦書きになっており、その中央に甲運橋道と彫られている。右は富士山・大山という文字が並んでおり、その下に東京道と彫られている。かつては江戸道と彫られていたがその上に追刻されたそうだ。

 この後、しばらく単調な道が続く。

 十郎川を渡り、右からの道と合流する三叉路があるが、この道が大菩薩峠方面を経由する青梅街道である。また、この付近は刑場跡でもあった。国道をさらに西へ進むと酒折駅の手前に箱根駅伝などで有名になった山梨学院大学がある。近くにの石彫屋にはキティちゃんやミッキーなどキャラクターものの作品が並んでいる。山梨学院の学生専用の駐車場もあった。


甲州マップ30



 甲府付近は都市部のため、地図の中で道はかなり間引いています。


 酒折宮はJR酒折駅の北西側にある。古事記や日本書紀にも登場する歴史あるお宮である。酒折は坂折とも書き、古代には甲州の中心であった。善光寺へ通じる道との交差点付近に板垣一里塚があったそうだが、碑などはないようだ。

 甲斐善光寺は甲州街道から約700メートル北に位置する。この甲斐善光寺は、武田信玄公が川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558年)に御本尊善光寺如来像など諸仏寺宝類を奉遷したことが始まりである。その後、御本尊は慶長3年(1598年)に信濃に帰座なされ、甲府には新たに前立仏を御本尊と定め現在に至っている。

 善光寺への参拝は、この甲州街道ウォークが始めてであった。そして、「燈籠佛(とうろうぶつ)」の御開扉(ごかいひ)が約130年ぶりに行われるという時期にも巡り合った。しかも中日大法要の日でもあった。時間が早い(午前8時半くらい)せいか意外と人は少ない。燈籠佛に関する謂れを記すと長くなるので省略するが、吉凶を占うことに使われたようだ。参拝と暗闇の中のお戒壇めぐりも体験した。

山梨学院大学 石屋 板垣一里塚跡付近 甲斐善光寺



甲府柳町宿

 単に甲府宿と呼ぶ場合もあるが、正式名称は「甲府柳町」である。宿場の中程にある柳町に問屋場などがの機能が集約されていたことによる。江戸時代には、この宿を下府中といい、武田時代の甲府駅北部を上府中、あるいは古府中と呼んだ。江戸期は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒の宿であった。

 身延線のカード下をくぐると道はかぎの手に曲がる(左写真の左側)。城下町に入ってきたという感じがする。高倉川を渡ると町屋造りの典型であった「ぬりごめ造り」の家がある(左の右側の写真がそうだと思われるが定かではない)。

 一キロ弱直進すると、再びかぎの手に曲がる。旧道は150メートルほど南にいったところを右折する国道のルートのようだが、自分は善光寺付近のかぎの手の道と同じような距離で曲がる手前の道の方を進んだ。こちらの方が旧道っぽい感じがすると思うのだが・・・。その道を進み、途中で右に曲がり、舞鶴城公園に立ち寄った。この公園は、江戸時代に甲斐府中城と呼ばれた城跡を明治37年に県立公園として一般公開したことに始まる。平成の時代になってから石垣の修復、門や櫓の復元、堀の浄化、緑地や広場園路のリフレッシュなど大規模な工事を行っている。天守台という展望台にも登ったが、何故か自分で撮った写真がない。

 旧道のルートは、国道411号をNTT西の交差点で左折。300メートル弱のところの問屋街入口の交差点で右折、次の角を左折し、桜町南の交差点を右折する。そのまま進むと国道52号となる。

 舞鶴公園の後は甲府の県立図書館に立ち寄り、旧甲州街道について調べた。山梨県内の旧道の地図も載っていたが、中央道が勝沼までしかなく、現在の国道のバイパスもない年代のものであった。しかし参考になる。その後も何度か訪れコピーを取って活用している。図書館の前の道をそのまま南下した。現在は、昭和通という名のようだが、この道の国道52号以南は身延道なのである。


甲州マップ31


 国道52号に出てからは、この道が甲州街道である。荒川を越えると行先の道路標識に諏訪の文字が現れた(正規のルートを歩いていれば、もう少し早くお目にかかる)。しばらく歩くと芸術の森公園があり、公園の中に県立の文学館と美術館などがある。韮崎で行われる「武田の里まつり」の時間もあるので、ここは立ち寄らず通り過ぎた。


竜王




赤坂台地からの富士 中央自動車道をくぐった辺りから竜王町となる。駅前へ向かう道を通過し、次の竜王新町交差点を甲州街道は右折する。JR線の踏切を渡り、しばらく進むと坂道となる。初めて歩くときは道が間違っていないか不安であったが、登っていった。この坂が赤坂台地である。実際の甲州ウォークのときには見ることができなかったが、ここからの富士山の眺めは良い(左写真、街道も写っている写真はこちら)。坂の上は最近になって開発が進んでいる。竜王町と双葉町の境辺りはかつては三軒茶屋と呼ばれる茶屋があったそうだ。

南から見て最初の追分 2つ目の追分


 開発のせいで、ここの道をはじめて通る人にとってはどれが旧道か分かりにくい。しかも比較的新しい市販の地図とも違う道になっているように思える。双葉町に入ってすぐに分岐する道がある(右写真左側)。道路としての道なりは右にカーブしているが、ここは左というか直進する道を進む。次にもう一度分岐する道がある(右写真右側)。ここも道なりは右カーブだがやや斜め左に下って行く道が旧道である。ここ2〜3年は訪れるたびに変化しているようなので注意してください。

 実際の甲州ウォークのときは、2つ目の分かれ道を間違えて進んでしまった。ちゃんと旧道を歩けば、かぎの手に曲がる道、道祖神や道標、昔ながらの家並みなどを見ることができる。下の写真は歩き直したときに撮ったものである。道標でもある庚申塔には、右市川駿河、左甲府江戸を刻まれている。

 実際の甲州ウォークのとき私はショッピングセンターのところ(竜地交差点)を左に曲がり、JR線の手前で旧道に合流した。当時は建設中であった中部横断自動車道は、2002年に双葉−白根間が開通した。中央線のガードを潜ったら線路沿いの道で韮崎へ向かう。

市川駿河道との追分 道標 昔ながらの家並み 昔ながらの家並み 下今井東交差点より



塩崎




 JR線沿いの道は、甲府敷島韮崎線という県道である。塩崎駅の手前、道の左側に大きな「泣石」がある。鉄道が開通する前はこの大きな石の中央から水が流れ出ていたそうである。塩崎駅前を通過し、少し進むと昔ながらの雰囲気のある家が数件ある。さらに進み、小学校を超えガソリンスタンドの手前辺りに志田の一里塚があったそうだ。今はそれらしい碑などはない。(追記:小学校手前の三界万霊塔の少し先が志田一里塚跡のようだ) 少し進むと芭蕉の句碑がある。

 実際の甲州ウォークのときは道を直進してしまったが、旧道は田畑の交差点から右の道に入るようだ。JRの線路脇の道よりひとつ手前で左折。道なりに進み、金剛寺の方には行かず、道を下り元の県道に出る。以前はここ(現在の塩川橋より約200メートル下流)で塩川を渡ったそうだが、これは明治期のルートであり、江戸期には現在の塩川橋に近い位置で渡っていたとする文献もある。塩川橋を渡ると韮崎市に入る。塩川と富士という構図もなかなか良いものがある。

泣石 志田一里塚跡付近 船形神社参道入口 塩川橋付近からの富士



韮崎宿その1

 南アルプスや八ヶ岳、茅ヶ岳、そして富士山をも望む地であり、「武田の里」として知られる。東海道へ至る身延道や佐久甲州街道の起点でもある。蔦木から約28キロに渡って続く七里岩はまさに七里の屏風とも云われる。その七里岩が韮の葉に似て細長く続き、その先端であるので韮崎という名が付いたとも云われる。江戸期は本陣1軒、旅籠17軒の宿であった。


 塩川橋を渡ると道が二手に分かれるが、JR沿いの左の道を行くのが旧道である。しばらく真っ直ぐな単調な道が続く。鰍沢道(身延道)との合流点である下宿交差点からは、この日は「武田の里まつり(武田勝頼公新府入城祭り)」で約1キロにわたり歩行者天国になっていた。商店街に本陣や風林火山の陣屋が設けられ、時代絵巻行列のパレードなど、街道歩きに似合う催しを見ることができた。


 駅前中央通も歩行者天国になっていた。甲州街道ウォーク6日目は韮崎駅から普通列車を乗り継いで帰路につくことにした。途中、勝沼ぶどう郷駅で下車し、お土産に葡萄でも買おうと思ったが、駅の近くには売ってなかった。雨も降ってきたので、葡萄はあきらめて次の列車で八王子に向かった。


ちょっと寄り道

武田神社入口 武田神社

 甲州街道から少し離れるが、有名な立ち寄りスポットが2つある。

 まずひとつは武田神社である。甲府駅北口から真っ直ぐ伸びる道を2キロ強ほど行ったところにある。武田信玄公を祭神として、武田家三代(信虎・信玄・勝頼)の住んだ館跡に大正8年(1919年)に建てられた。近くには多数の武田史跡があり、年間を通じ多くの人が訪れる。

 私は2001年2月に甲府で開催された「甲州夢街道2001甲府サミット」に参加したときに訪れた。

 もうひつとは信玄堤である。竜王駅から西へ2キロ弱の釜無川の東岸である。約450年前、武田信玄公が甲府盆地を釜無川・御勅使(みだい)川の洪水から守るために行った治水工事の堤の一部であり、特に御勅使川の洪水の流れのコントロールは、日本の土木技術史でも一級のものとされる。

 訪れるなら桜の季節が良さそうである。下の桜が写っている写真は2003年4月6日に撮影したものである。ここの桜を見ながら同時に富士山という構図は難しいようだが、信玄橋からは富士山がよく見える(下写真右端)。



5日目その2
勝沼宿〜石和へ
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7日目その1
韮崎〜台ヶ原宿へ