第1日目その3 2001年1月1日(月) 晴れ 日本橋−品川−川崎−神奈川−保土ヶ谷−戸塚


保土ヶ谷宿
広重画−保土ヶ谷 江戸を出た旅人が最初の難所といわれる権太坂の手前の宿で、休息や最初の宿泊をする人も多かった。初期の東海道はJRの北側に位置したがルートの変更があった。

保土ヶ谷宿本陣跡 国道16号を横断すると右手に江戸方見附跡がある。天王町の手前から保土ヶ谷宿とは知らなかった。相鉄線の天王町駅を越えた駅前に旧帷子橋跡。直進の細い道が旧道っぽいが、左側の交通量の多い道を示している本が多い。保土ヶ谷駅前で直進する旧道は道幅が細くなり、途中、高札場跡金沢横町道標四基がある。JRの踏切を横断し、国道1号に合流した地点に本陣跡(写真右)。通用門が当時のものらしい。国道を進むと脇本陣跡。川向こうにある外川神社入口のところが上方見付跡と一里塚跡であるが、以前掛かっていた看板も今はない。
 保土ヶ谷二丁目の交差点から旧道は左側の道へ入る。突き当りを横断し左折、100mほど進み、右に入る道が旧道の権太坂である。


権太坂
境木地蔵尊権太坂 お正月の箱根駅伝などで権太坂は全国的に有名ですが、駅伝は国道1号。旧東海道の権太坂(写真左)は国道の西側の道になります。少し登ったところで保土ヶ谷バイパスの狩場出口を利用している人には見慣れた景色が。現在の坂はそれほどきつくはありません。ほぼ頂上に近い地点の美容院と理髪店が並ぶ脇の駐車場からは富士山が見える。
 東海道は大きなバス停のあるT字路を右折。しばらく道幅の割に交通量が多い危ない道になる。武蔵と相模の境に位置する境木地蔵尊(写真右)でもお参り。元旦なので延命地蔵尊と書かれた奉拝を受け取りました。東海道は、ここまで来た道からすると道なりに左折します。地蔵尊から見れば正面の道を行きます。


品濃一里塚
焼餅坂品濃一里塚 
 境木地蔵尊前の焼餅坂(写真上左)は実に旧街道らしい道である。いったん下って少し登ったところが品濃一里塚(写真中は右側の塚)。ほぼ完全な形で残っている神奈川県内唯一の一里塚である。現在は西側にビルが建ち並んでいるが、数年前まではさぞ富士山がきれいに見えたことでしょう。今でも畑の脇を少し行けば富士が見れます。左側の塚に行くには、旧東海道を前進し、左折し、もう一度左折すれば、一里塚公園(写真右)にでれます。昔は桜の一里塚ってあったのでしょうか? 


東戸塚〜戸塚
 旧東海道に戻り、しばらく歩くと右手にスーパーへの歩道橋がある。何か食べたり、トイレを利用したり、ちょっと休憩するのにちょうどいいところである。屋上からは富士山も見えます。この辺り、以前は旧道が判りにくかったのですが、2001年の春には新たに案内板が設置されています。一応、下記の写真で説明。左端の写真のところは案内板に従って右折。環状2号に掛かる歩道橋手前には銅板の案内板あり。歩道橋を降りたらすぐ右へ入る道へ(写真左から2番目)。次はすぐに左に(写真左から3番目)。後は道なりに進みます。品濃口の川上川沿いもサクラがきれいなところです(写真右端)。


江戸方見付跡 国道1号を横断し、旧道は国道の左手を進みます。一旦合流しそうになりますが、そのまま左の道を行きます。次に合流したところからしばらく国道沿いを歩き、複雑に分岐する不動坂の交差点手前右側に益田家のモチの木。旧道は一番左の道へ。ここは旧街道の雰囲気のある道です。途中「史跡への小径」という案内があり、首洗井戸などがあります。旧道はT字路を右へ。本来は直進する道だったようです。国道にぶつかったら道なりに左へ行くと戸塚です。ダイエーを過ぎ、フォルクス前に江戸見附跡の碑(写真左)。しばらく進むと左手に妙秀寺への案内板あり。吉田大橋手前左側の歩道に日本橋から10番目の一里塚跡。吉田大橋には欄干に広重画が。橋を渡ってすぐ右に広重そばという店があります。午後4時15分、日没前にJR戸塚駅に到着。東口から入り、帰路に。鶴見に着いてから鶴見神社で参拝。長かった東海道ウォークの第1日目が終了。


寄り道 鎌倉へ
左かまくらみち道標材木座海岸 元旦に戸塚まで歩き、次回は小田原へ向かうが、戸塚はちょうど鎌倉への分岐点のひとつである。1月4日には戸塚まで電車で行き、広重画の戸塚に描かれている「左りかまくら道」の道標(写真左)が保存されている妙秀寺に寄り、いざ鎌倉へ。鶴見の自宅から鎌倉に歩いたことは何回かあったのですが、戸塚からのコースは初めて。途中、道標も見つけました。鎌倉八幡宮で参拝し、由比ヶ浜、材木座海岸(写真右)を経て逗子まで歩きました。ここから歩いて戸塚に戻ったりはしません。次回の東海道ウォークは戸塚から開始です。


1日目その2
川崎宿〜天王町へ
東海道トップへ
2日目その1
戸塚宿〜茅ヶ崎へ