第5日目その1 2001年3月19日(月) 晴れ 由比−さった峠−興津−江尻−府中


 今朝は、さった峠越えである。ここで「さった峠」と平仮名を用いているが、本などにはちゃんと漢字で書かれている。「さった」の「さつ」は薩で、「さった」の「た」は土偏に垂であるが、ホームページ上では「た」が一般的に現せないのである。
 また、今日は三島で開催されている「大宿場まつり」にも寄りたいので、歩く距離は短めで府中宿(静岡駅)に2時くらいには着きたいところである。


由比〜倉沢
由比の町並み 旅館を午前8時20分に出発。懐かしい感じのする町並み(写真左)を由比駅の方へ歩く。駅の近くにはレンタル自転車もあるようだ。駅ではJR東海のウォーキングきっぷのスタンプを押す。東海道さんさくマップには、駅の手前で右側の県道に出るように書かれているが、駅前を通るように書いてある本も多い。富士山の頂上付近は今のところ見えている。

 由比駅前を通る道と県道が合流するところで、右側の細い方の道が旧道である。間の宿である寺尾・倉沢の町並みは、さらに時代を遡った感じになる。道幅はクルマがなんとかすれ違える程度である。途中、あかりの博物館やかつて名手の家であった小池邸(現在は無料休憩所)がある。今回のウォークでは、まだ午前9時前なので通過した。

 望嶽亭(写真下中)はさった峠に登り始める直前に位置する。その少し手前にパンフが並べられたところ(写真下左)があり、自由に持って行って良いようだ。坂の手前に江戸から40番目の西倉沢一里塚跡(写真下右)がある。時刻はちょうど午前9時である。

倉沢パンフ置き場西倉沢一里塚跡


さった峠
さった峠入口 本や雑誌で東海道を紹介するのに写真を使う場合、必ずと言っていいほどお目にかかるのが、さった峠から見た富士山である。さった峠は標高120mだが、眼下に駿河湾が広がり、富士山をはじめ、伊豆半島や清水・三保を一望できる景勝地である。

 左の写真は、上記の望嶽亭や一里塚跡の少し手前からさった峠に登っていく道を見たものである。舗装されているが、クルマはすれ違えない細い道だ。ところどころ広がっているところもあるにはある。一般車両も峠の駐車場まで乗り入れることができるが、地元民以外は通行禁止にしてしまった方が良いと思う。少なくともクルマの運転に不慣れな人はクルマで行くべきではない。

さった峠駐車場さった峠みかん畑 いきなりの急坂であったが、この角度で登り続けるわけではなく、みかん畑などの合間の道(写真左)をのんびり登っていく。途中、振り向くと富士山が雲で見えなくなっている。さった峠から富士山が見える好天の日を選んだつもりだったのに・・・。

 登りきったところで(峠の石標はもっと先にある)、 道は二手に分かれる。写真右の駐車場がある方へ行くのが一般的である。この先は、未舗装路となる。季節にも寄ると思うが、道端でみかんなどが販売されている。無人のものも多い。駐車場近くでは人がいる場合、甘いものを選んでくれたり、少しサービスしてくれたり、また、話し好きでもあるようだ。

 結局、雑誌等でよく紹介されているポイント(登り始めてから20分程度のところにある展望台)から富士山は見えず(写真下中)。天気は晴れなのに。東海道を歩いてここから富士を見ないことには・・・。そんなこともあろうと、予め天気の良かった日(箱根越えの前日、平日休んで来ちゃいました。このときに広重美術館も見学済み)にクルマで来て(平日なら大丈夫かなぁ。自分勝手な意見)、撮った写真(写真下右)も掲載する。(その下左の写真は駐車場の位置からのものである) さらに先に進んだところもビューポイントのようだ。

広重画-さった峠さった峠よりさった峠より2

さった峠より3
下りはじめ さった峠石標がある地点で、道は分かれる(写真右)。ここで休んでいた人は興津から左側の道を登ってきたというので、私は下っていく方を選択した。これがいわゆる中道というやつである。登っていくのは行き止まりらしい。上道は駐車場手前の坂を登っていく道のようだ。

 中道は途中、墓地を通り、工事が行われているところに出た。ここを下ったところを左折し(右に行くのが本来の東海道らしいが現在通行できるのか定かではない)、道なりに進み、踏切を渡ると国道1号に出る。時刻は9時50分。


興津宿
広重画−興津 興津(おきつ)宿は、興津川の川越しやさった峠の難所を控え、また、身延山への街道も分岐していて、旅人にとって重要な宿であった。鎌倉時代、更にそれ以前には関所もあった。

 国道に出た後、すぐに斜め右の道に入る。興津川橋を渡ってすぐの右手の階段を下り、右に曲がり道なりに進む。これは興津川を以前はJRの橋の辺りを渡っていたことによる。再び国道に合流して少し進むと、北に伸びる身延方面へ向かう国道52号との交差点がある。甲府まで88kmとあり、甲州街道が懐かしい。身延山道道標は、東海道をさらに進んだところにある。

興津一里塚跡宗像神社 東海道を進むと右手に宗像(むなかた)神社(写真左)(参道入口)がある。ここの境内の森は「女体の森」と呼ばれているらしい。女体盛り!? なんとも客引きなネーミングだ(それに釣られて入ってしまう方も・・・)。昔は沖合いからそのように見えたらしい。女体ではなく、「母なる森」として親しまれたとする本もある。今でも「お宮の森・お寺の森百選」に選ばれている。

 「女体の森」に気を取られたせいか、興津駅の手前にあるはずの一里塚跡は見逃してしまったようだ。(後日、蒲原ゆめの宿場町のイベントのときに興津に寄り興津一里塚跡の写真を撮った、写真右) 

清見寺 興津駅前を過ぎてから、東西の本陣跡などがあり、さらにしばらく進むと右手に清見寺(せいけんじ)(写真左)がある。山門には「東海名区」と書かれている。境内には、天明年間に彫像された五百羅漢(ごひゃくらかん:実際に見学の際、自分に似た顔があるかどうか時間のある人は探してみてください)、家康が植えた(接ぎ木)とされる臥龍梅(がりゅうばい)などがある。

 東海道は、バイパス下で波多打川を渡ると、左の道を行く(左折ではない)。道なりに進み、踏切を渡り、国道1号と合流したら左折。時刻は午前11時。江尻(清水)へと向かう。


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