第6日目その1 2001年5月2日(水) 曇りのち 府中−鞠子−宇津ノ谷峠−岡部−藤枝−島田


 2001年のGWは9連休であった。しかし、4月28日は大学のOB会、5月1日も用事があり、3日になると電車が込むということで、今回のウォークは2日からとした。しかし、天気予報は悪くなる一方であった。
 JR東海のウォーキングきっぷ(2001年のみの企画きっぷ)、今回は4番目の静岡往復を利用。この切符が安倍川駅まで利用できることは、買うまで知らなかった。


府中宿
広重画−府中宿 現在は、静岡という地名だが、駿河国の国府が置かれたところから「駿府」または「府中」と呼ばれ、府中宿は城下町であった。静岡駅の北側には、伝馬町、紺屋町、呉服町、両替町、七間町、駿府町、城内町などの地名が残る。
家康公像
 午前8時1分、静岡駅に到着。まずは東御門から駿府公園に立ち寄った。取り立てて見所があるというものではないが、公園内に日本庭園と茶室が2001年の8月(10月に延期)に開園するようだ。家康公像(写真右)を見て、大手御門から出て、静岡県庁の右を回り、伊勢丹の前にある札の辻跡から旧東海道ウォーク再開。その近くには「里程元標址」もあるようだが、見逃してしまった。

 江尻の方から東海道を歩いてきて駿府公園に立ち寄らない場合は、江川町の五差路の交差点で静岡駅からの道のもう1本右の道を進む。呉服町の交差点で右折、伊勢丹のところで左折する。

府中一里塚跡 旧道は400メートルほどで右に曲がるのであるが、場所(本にはスポーツ用品店の角を右折し、カメラ店で左折とある)がよく判らなかったので商店街をまっすぐ進んでしまった。突き当たってから旧道に向かっても、交番前の安倍川川会所跡や由井正雪の墓跡の前は通れる。
安倍川橋
 府中一里塚跡(写真左)は旧道ではなく、県道沿いの本通9丁目付近にある。

 安倍川を渡る手前左側に安倍川餅の店が数件ある。中でも石部屋(せきべや)が有名で、創業300年以上の歴史があるそうだ。安倍川は、昔は徒歩渡であったそうだが、安倍川橋(写真右)は長い橋である。歩行者と自転車は車道とは分離しているところを通行する。


鞠子宿広重画−鞠子
 鞠子(丸子)は「まりこ」と読む。規模は小さいが、歴史は古く、鎌倉時代から宿駅として認められていた。
丸子市街
 安倍川を渡り、県道を進み、国道1号と交わるところで歩道橋を渡り国道の左側の歩道を行く。次の歩道橋にある道路標識で左が丸子市街とある。丸子というと左の版画のように丁子屋(ちょうじや)のイメージしかなかったが、安倍川駅が近いこともあり、上り坂になるまでは、それなりの街である(写真右)。

 丸子一里塚跡、本陣跡は石柱のみ。丁子屋には9時47分に到着。開店は11時なので、東海道からそれること1キロほどの駿府匠宿(開館9時から)の東海道歴史体験ホール(別館2F:入館料150円)に立ち寄る。別館1Fは産業展示ホールなどがある。さらに奥の吐月峰紫屋寺(とげっぽうさいおくじ)に行き、国の名勝史跡に指定されている庭園を観賞した。

丸子一里塚跡 丸子宿本陣跡 開店前の丁子屋 吐月峰紫屋寺


 後で聞いた話だが、私が訪れた前日、丁子屋は休みだったそうである。定休日は木曜と月末の水木連休ということだが、GWのため、ずらしたのであろう。1日の火曜に訪れた人はお気の毒さま。会社の同僚がこの不運に見舞われていたのである。

店内にある模型 丁子屋は開店時に入店。外観からするとそれほど大きくないと思われたが、店内はいくつも部屋がある。かなりの集客能力がありそうだが、休日は待たされることもあるそうだ。定食で一番安い丸子定食でも1300円するが、麦入りご飯にとろろ汁、味噌汁とお新香のみでちょっと物足りない。丸子という名でないものは丸子に付け合せが増えるものである。一人客でもお櫃でご飯が運ばれ、三杯分ほどある。とろろが苦手な人(そういう人は来ない方がよいと思うが)は、一品料理で刺身と卵焼きくらいか。店内に展示品コーナー(写真左)もあり、丸子紅茶も販売していた。店の横には十返舎一九膝栗毛の碑もある。
赤目ヶ谷の町並み
 11時30分、丁子屋前の丸子橋を渡り、東海道を進む。国道と合流し、橋を渡った後、左に分岐する道が旧道である。旧道の雰囲気のある道で(写真右)、途中、丸子紅茶の看板がある。再び国道に合流した後、歩道橋を渡り、右に入る道が旧道。次はガソリンスタンド手前を右の道へ。

 国道の逆川の交差点を越えた辺り(交通安全の碑がある付近)に江戸から47里目の一里塚があったそうである。


宇津ノ谷峠
宇津ノ谷トンネル 宇津ノ谷(うつのや)トンネルの手前の国道沿いに道の駅があるが、右側(上り線側)には売店はない。というよりも、ここの道の駅は上下線で異なる位置にあると言った方が正しい。上り線用は、新宇津ノ谷トンネルを貫けたところ(クルマ利用者からみればともにトンネルの手前)にある。この道の駅から見るに(写真左)、峠といってもそれほど大変そうな感じはしない。道の駅にある宇津ノ谷峠付近の地図を見て道を確認。

 旧東海道は国道のトンネル手前の道を右折。ここも古い家並みが建ち並ぶ。道なりに進むとY字路があり、東海道は左に入る。十団子(とうだんご)と延命地蔵で知られる慶龍寺に行くには、Y字路を右に進む。

宇津ノ谷家並みお羽織屋 雑誌でよく見かける家並み(写真左)が続き、途中、御羽織(おはおり)屋がある。民家であるが200円で、豊臣秀吉公拝領のお羽織(写真右)や徳川家康・慶喜公拝領の茶碗を目の前におばあさんの話を聞くことができる。
 十団子の販売もしている。ただし、数珠型の本来の十団子ではなく、静岡のデパートでも販売されている十色のカラフルな方である。私は今晩、島田に宿泊予定のため、団子はあきらめた。

宇津ノ谷峠明治のトンネル 階段を登ると舗装されていない宇津ノ谷峠への道である。最近、整備が行われたようで歩き易い道(写真左)になっていた。未舗装区間はほんの数分である。下りの途中、明治のトンネルへ行く道と分岐するので、ちょっと寄ってみた(写真右)。クルマは入れないようになっているが電気が点いていない部分が多く、進入は諦めた。旧道に戻り、下り続けると蔦の細道公園の入口に。蔦の細道も見てみたくなり、その入口(出口)まで行く。いきなり登りが続くのでこれも登るのはまたの機会(下記参照)ということにした。

 蔦の細道公園からすぐに国道に合流する。雲行きがかなり怪しくなってきた。時刻は午後1時30分。丁子屋の開店待ちもあったが、スタートから5時間半経過し、まだ目的の半分も歩いていない。


ちょっと寄り道:蔦の細道 (2001年12月)

 蔦の細道は、宇津ノ谷峠の古道で、天正18年(1590年)、秀吉が拓いた近世東海道ができるまでは峠越えの主要な道であった。東海道の宇津ノ谷峠ほどの遊歩道化はされていないが、決して危険な道ではない。

 2001年12月29日、見逃した東海道を求めての一環として、蔦の細道により峠越えを行った。東側の入口は国道下り線の道の駅になっているところにある。木立の中を歩くが道に迷うことはない。所々に頂上まであと○○mと書かれたものが立てられている。入口から約15分ほどで峠に到着。ベンチなども置かれている。

東側出入口 東からの登り 峠からの眺望 蔦の細道峠


 西へ向けての下りは、比較的開けたところを通る。最近作られたような石畳や人工的とは思えない歩きにくい石畳もある。下りも15分程度で西側の出入り口に到着する。ここから東海道に合流する地点まで500m以上歩くが、つたの細道公園内をのんびり歩くのもよいものだ。

西への下り 茶畑を下る 石畳を下る 西側出入口



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