第6日目その2 2001年5月2日(水) 曇りのち雨 府中−鞠子−宇津ノ谷峠−岡部−藤枝−島田
岡部宿
宇津ノ谷峠を越える街道は、中世以後に発達したもので、古代、奈良時代は海よりの日本坂や焼津を通っていた。建久5年(1194年)源頼朝が鎌倉と京都を結ぶ鎌倉街道を整備し、岡部宿が設立した。山峡の小規模な宿場であった。
宇津ノ谷峠を越え、つたの細道公園から国道1号に合流した道は、岡部町側の道の駅を過ぎたところの信号を横断し、そのまま国道の一本右側の道に入る。道なりに西へ進むと、左からの道(旧国道1号)と合流する。
少し進むと、左手に「ここから岡部宿」の看板(19KB)がある。実際の東海道ウォークのときは気づかなかった(無かった?)が、その手前に岡部一里塚の1/2サイズのものが復元されている(写真右:2002年夏現在、撤去されて岡部宿の案内板に替わっている)。ここの左手に岡部川が流れるが、往時の東海道は川の左側にあったようだ。
この一里塚の向かいには、十石坂観音堂(写真左)がある。この先、道は左にカーブするが、旧道は一旦右の道に入り、左にカーブして岡部川を渡り、すぐに県道に合流する。
平成12年11月にオープンした大旅籠柏屋(かしばや)は歴史資料館(大人300円:午前9時〜午後5時)になっている。一人で訪れてもかなり詳しい説明をしてもらえた(今日はGW期間中であったが、通常の平日は案内人が少ないようだ)。
江戸時代の旅衣装体験コーナー(写真左)もある。また、物産館やレストラン、こんにゃく作りなどの体験工房も併設している。ここに30分以上立ち寄ったため、時刻はすでに2時半。しかも雨が降り始めてしまった。傘を差しながらだとデジカメの扱いにも時間がかかる。
岡部宿本陣跡 | 松並木 | 岡部宿京口 |
柏屋から少し進んだところに本陣跡(右写真左端)。県道をしばらく進むと、左に入る旧道があり、落ち着いた町並みが続く(ここを歩いているときは雨が強かったので残念ながら写真が無い)。
再び県道に合流した辺りが現在の岡部町の中心地らしい。右側に松並木もある(写真中)。藤枝バイパスの高架下手前が岡部宿の出口となる(右端の写真は江戸側を振り返って撮ったもの)。
横内・鬼島
藤枝バイパスの高架下で旧道は右への道を入り、横内に。江戸期、岡部宿に近い横内村は、助郷として岡部宿へ人馬を提供した。400年祭事業として家々には屋号札が掲げてあり、往時の仕事を示しているそうである。左の写真の「仕事師」とはいかなる仕事であったのだろう。朝比奈川に掛かる横内橋は、長さ32間、幅3間の板橋だったそうである。
国道1号を横断し、斜め左への道を行く。一旦国道に合流しかけるが、そのまま左の道を進む。鬼島一里塚跡(写真右)は川沿いのそれらしい木々を想像すると見逃しそうである。
八幡橋を渡ったところが御成街道との追分で東海道の道標らしきものがある。東海道は右へ曲がる。
水守(みずもり)に入って、右手の須賀神社のクスの木(写真左)は、根回りが15.2メートルもある巨木であり、静岡県の天然記念物に指定されている。道は国道と交わるところを横断し、国道の右の道へ入ると藤枝宿である。
藤枝宿
藤枝宿は、田中藩の城下町でもあり、田沼街道や高根街道、瀬戸谷街道などの交通の要衝としても栄えた。他の宿場のように、1つの町や村が宿場になったものではなく、二つの群の町で作られた独特の形の宿場で、長さは約2キロにおよぶ。
JRの駅から離れているが、賑やかな商店街(写真右)が続く。この辺りは、大慶寺の久遠の松と正定寺の本願の松が有名である(下写真)。藤枝宿は、東海道であったことに力を入れているようである。付近図の案内板(約140KB)もあった。
ここの名物として、十辺舎一九の東海道中膝栗毛にも登場する「瀬戸の染飯(そめいい)」がある。これは、くちなしで黄色に染めたおこわ(強飯=染飯)である。くちなしは疲労回復の漢方薬として用いられており、この染飯は、足腰を強くすると旅人の評判になり、名物になったそうである。本によると、駅前の喜久屋(きくや)で買えるとある。
東海道藤枝宿 | 歩道のタイル | 久遠の松 | 本願の松 | 八百屋? |
瀬戸川を渡る勝草橋は、現在(2001年)工事中のようで歩行者は右側しか渡れないが、渡ってすぐ左側に江戸から50里目の志太一里塚跡がある。説明板(約27KB)もあった。しかし、2001年の後半にはその石柱と説明板は取り除かれてしまったようだ。橋の工事が終了された後、復元されることを願う(2003年7月に橋が完成し、石碑は日本橋から見て右側に設置された。以前見たものと同一のもののようだ)。この少し先に本陣という名の大きい八百屋さんのような店(上写真右端)がある(2003年10月には店は無かったような・・・)。
’01年5月撮影 | ’01年12月撮影 | 一里塚付近江戸側より | 一里塚付近京側より |
’03年10月撮影 | ’03年10月撮影 | 碑の後ろに塚 | 岡野歯科院付近 |
青島〜
国道1号と交わる青木の交差点を横断し、国道の左への道を行く。この辺りがJR藤枝駅に近いところであり、もう一本左の道が駅に通じる。
時刻はすでに午後5時になり、スーパー西友にあったマックで小休止。しばらく進むと東海道追分(写真左)があった。瀬戸山を越える中世の古東海道と旧東海道の追分である。
さらに進むと松並木になっていて、道路左側に上青島一里塚跡(写真右)がある。石には南約十米道路東円形にて約百二十平米とある。一里山というバス停を経て、国道に合流する。
JR六合駅手前で旧道は右への道(写真左の右側)を行く。再び、国道に合流した道は、御仮屋(おかりや)の交差点で左の道へ進む。
時刻は午後6時を過ぎている。当初の予定では、今日の内に島田駅より東側に位置する蓬來橋に寄りたかったが、薄暗くなってきたので、島田宿へ急ぐ。
島田泊
島田の商店街には島田一里塚跡(写真左)、芭蕉の句碑などがある。
本日の宿は、インターネットの「旅の窓口」で予約しておいた「島田ホテル」である(写真右)。シングルルームだが、床で腕立て伏せができるくらいのスペースがある。1泊5600円(税別サ込)、朝食は和食か洋食を選択でき、700円。前金であった。
雨が降っていたので、ここで夕食を取りたかったが、水曜・日曜は定休のようで、しかもラーメンだけのようである。外に出て、島田駅でウォーキングスタンプの5番目を押印。目ぼしい食べ物屋もなく、しばらく徘徊する。街道沿いにホテルルートイン島田があり、そこのレストランは営業していた。結局、街道沿いの定食屋でヒレカツ定食を食す。明日の天気予報も極めて悪い。JR東海のウォーキングきっぷが余るコース(12月の姫街道ウォークで使用)なので、日帰りという選択もあったかと思った。
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