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四国お遍路の旅 阿波・徳島編


四国マップ1第1日目:2006年9月11日(月) 天気:雨のち曇りときどき晴れ

朝から雷雨
 いよいよお遍路へ出発だ。旅立ちを祝うような秋晴れを期待したが、5時に起きると激しい雷雨。う~む、こんな朝方から雷とは珍しい。感心している場合ではない。占い付きの電子日めくりを実行すると・・・「凶」・・・月に1回出るか出ないかのものが出てしまった。9.11に飛行機に乗ること自体怖いのに・・・。飛行機のチケットは自分で申し込んだ早割り。旅行会社に頼むより安かったが、このチケットは他の便に変更できない。電車が遅れたら・・・その飛行機が飛ばなかったら・・・不安がつのる。こういうときは神頼み。神棚の水・米・塩を換え(普段は1日と15日だけ)、無事に出発できることを祈る。神頼みが功を奏したのか、お大師さまのご加護か、家を出る頃には雨も止み、電車も通常運行、無事に羽田空港に到着した。

9.11のフライト
 搭乗する便も予定通り運行。「凶」が出た割には順調だ。でも9.11、何かあるかも。機内で放映されたNHKニュース、6時のものの録画だが、しっかりと5年前のツインタワーに突っ込むシーンを映し出していた。乗客を不安がらせてどうする。録画なんだから少し気を利かせてもらいたい。
 ネット予約の際、左側の翼を避けた窓際を予約した。羽田から西へ向う飛行機は、自宅が見えるコースを飛ぶことが多い。幸い離陸する頃には雲が切れ陽も差してきた。東戸塚を見つけるには、戸塚カントリーのゴルフ場を見つけ、鉄道、4つのタワーマンション、環状2号と見つけると自宅が分かる。富士山はあいにく雲に隠れていたが、上空を通過するとき、山頂が確認できた。木曽路の中山道らしきものも見えた(今度知り合いの機長に確認してみよっと)。

搭乗するJAL機 上空から見る東戸塚 富士山頂 中山道?


 関西以西は曇っていたが、雲を抜けると滑走路(以前千歳に降りる時経験しました)というほどでもなく、揺れも少なく、無事に高松空港に降り立った。高松空港は香川県である。お遍路の1番札所である霊山寺は徳島県なので、徳島空港の方が近いが、飛行機の便数などの関係で高松の方が運賃は安いようだ。
 空港のロビーでは、これから11日間お世話になるタクシー運転手の出口さんが「歓迎 八十八ケ寺巡りの旅」と書かれた紙を掲げて待ち受けていた。お遍路さん、四国では当たり前の風景なのだろうが、慣れないとちょっと恥ずかしい。
 高松空港からは自分を含めてツアー参加者は3人。早速、ジャンボタクシーに乗り込み、高速道路を利用し、1番札所のある徳島へ向う。

比較的若い同行者
 高速を降りると間もなく巡礼グッズを取り扱っている「発心堂」に入った。ここで高松駅や他のルートで来た2人の参加者と合流。同行するツアー参加者は合計5人となる。3日目からもう一人増えるとのこと。参加前、ツアーで同行する人はどのような人たちなのだろうかとちょっと気になっていた。11日間も一緒に過ごすのだから。ある雑誌に書かれていたお遍路ツアー参加者の平均年齢は65歳とあった。歩くペースとか会話とか合うのだろうか? 実際に同行することになったツアー参加者の年代は30代前半が1人、40歳前後が自分を含め2人、50歳前後が2人(見た目はもっと若そう)、定年を迎えた方が1人という比較的若い構成であった(3日目からの参加者含む)。日頃、街道歩きで知り合って交流がある世代とほぼ同じなので違和感は無い。ネットで申し込むツアーだから若いのかとも思ったが、そういう訳ではなく偶然らしい。これも「必然」とか「ご縁」というやつなのだろうか?

お遍路の衣装へ
 遍路グッズを取り扱う店は色々あるようだ。1番札所の霊山寺や88番札所の大窪寺などでも扱っている。「発心堂」は高速を降りてすぐということもあるが、旅行会社との契約なのだろう。ここで事前に予約していた遍路グッズを受け取り、白装束に着替える。ズボンは持参した白っぽいものにはき替え、白いTシャツの上に白衣(びゃくえ・はくえ・はくい:読み方はいろいろ)を羽織り、輪袈裟(わげさ)を首に掛ける。金剛杖は手で持つ部分に布製のカバーが掛けられているが、このカバーの違いで誰のものか見分けるようで(マジックで名前も書きます)様々な色のものがあり自分で選ぶ。納経帳は名前を書いた後、運転手さんに預ける。ツアーの場合、御朱印を自分で頂きに行くことはない。札入れ巡礼パックには、一日分の線香やロウソクは予め入っていた。


第1番札所 霊山寺(りょうぜんじ) 山号/竺和山(じくわざん) 院号/一乗院(いちじょういん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/釈迦如来  真言/のうまく さんまんだ ばだなん ばく

仁王門 本堂 大師堂

 11時20分、最初の拝礼となる1番札所の霊山寺に到着。この霊山寺は「一番さん」とも呼ばれる。何故ここが一番目なのかというと、密教の祭壇を作るときの壇線は東北の角から右回りに引くので、四国を祭壇と見立てるとここが一番となるようだ。実際に番号が付けられたのは江戸初期で関西から淡路島経由で徳島に入る人が多かったからというのが、本当の理由のようだが・・・。最初の10番までほぼ平地で寺間の距離も近いので、お遍路の入門編としてもちょうど良い。

 お寺の入口となるところで運転手さんが希望する人に対し各自のカメラで写真を写してくれる。1番札所だから特別なのかと思ったが、すべてのお寺で写してくれる。余裕のないツアーだとこうはいかない。参加者が比較的若かったから時間的余裕もあったようだ。

 ちなみに遍路中は写真を「撮る」と言ってはいけない。お遍路としての一般論なのかは分からないが、今回同行の運転手の出口さんによると、「盗る」と同じ音だからいけないそうだ。これは十善戒の不偸盗(盗んではならない)から来ている。不殺生(殺してはならない)はよく聞く言葉だろうが、初秋に屋外で読経しているときに蚊とか寄って来るとちょっと困るのである。ちなみに他の戒は、不邪淫、不妄語(偽りを言わない)、不悪口、不両舌(二枚舌を使わない)、不綺語(虚飾の言葉を言わない)、不慳貪(ふけんどん:むさぼらない)、不瞋恚(ふしんに:怒らない)、不邪見(不正な考えを起こさない)である。本来、この十善戒は、この霊山寺でお遍路巡拝にあたっての心構えとして授戒し、10の誓いをお大師様と約束するものらしいが、それは省略された。

 参拝の手順どおりに水屋(手水舎)で手を洗い、口をすすぐ。鐘楼で鐘をごく軽く打つ。本堂でロウソクを立て、線香を3本立て、予め名前と住所(個人情報なので詳細な番地までは書かなくてよい)を書いた納め札を納札入に入れ、お賽銭をし、お参りをする。そして、先達の出口さんに従い、読経する。この読経にあたっては、旅行会社の旅ネット四国から頂いた「巡拝の手引き」が携帯するに便利なサイズであり、常にお世話になった。もっとも読経はソラで唱えられるようになっても見ながら読むのが基本らしい。

 大師堂でも同様にロウソク、線香、納め札、お賽銭、お参り、そして読経を行う。大師堂では本尊真言は唱えない。 大師堂の前の池には、鯉がたくさん泳いでいる。それ以上に参拝者も平日だというのに非常に多い。バスのツアーとかち合ってしまうとお参りも大変である。

 ここの本尊はお大師様が刻んだとされる秘仏の釈迦如来であるが、十三仏の像がある。十三仏は初七日から三十三回忌まで13回の追善供養仏事に配した仏と菩薩(不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観世音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩)である。


第2番札所 極楽寺(ごくらくじ) 山号/日照山(にっしょうざん) 院号/無量寿院(むりょうじゅいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/阿弥陀如来  真言/おん あみりた ていぜい からうん

仁王門 長命杉 庭園 抱き地蔵

 1番さんから2番札所の極楽寺へは距離にして1.4キロ、クルマだとあっという間だ。ここでも仁王門の前で写真撮影。全寺で写すと88枚。デジカメとはいえ、メモリーの予備を準備しておいた方が良さそうだ。もっとも最近は1GBとか2GBのメモリーもあるので、最高画質でなければ、千枚・二千枚は楽に保存できてしまう。

 長命杉は、お大師様が自らお手植えされたと云われる樹齢約1200年の巨木であり、台風や火災などの困難に耐え抜いた大杉なので、幹に触れれば長寿に、その手で自分の悪いところをさするとたちまち平癒すると云われる。本堂前には仏足石もある。釈迦の足形を石面に刻んだもので、足腰の健康に御利益があるそうだ。
 抱き地蔵はかわいらしかったので何となくカメラに収めたが、後で知ったこととして、この地蔵を手にして、軽く感じたら願いが叶い、重いと感じたら悩みが長引くと云われるもののようだ。
 2番目が終わり、時刻はすでに12時半となっていた。


昼食 「こんせん」

 昼食は運転手の出口さんのお勧めのところに行くことになる。基本的にはうどん屋に入る。今では讃岐うどんの店が関東でも数多くあるが、本場では初体験である。各自で好きなものを注文し、支払いも各自で行う。

 食事をするときとトイレに行くとき、輪袈裟は外さなければならない。

 初日の昼食は3番札所の金泉寺に近い県道12号沿いの「手打ちうどん こんせん」というお店で、わかめうどんの大盛り(500円)を食べた。讃岐うどんの店でよく見かけるサイドメニューとしていなりなどもあったが、この日はうどんだけにした。お遍路に行って太って帰るのも変なので自重した(笑)。


第3番札所 金泉寺(こんせんじ) 山号/亀光山(きこうざん) 院号/釈迦院(しゃかいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/釈迦如来  真言/のうまく さんまんだ ばだなん ばく

仁王門 大師堂 黄金の井戸 弁慶の力石

 13時7分、3番札所の金泉寺に到着。建立当時は金光明寺と言われていたが、水不足で悩む地元住民の声を聞き、お大師様が井戸を掘ったところ、霊水が湧き出たことから金泉寺となったそうだ。その井戸は今でも湧き出ていて、この井戸を覗き込み、自分の影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えがある。各自、こわごわと覗き込む。井戸の後方にある北向き地蔵は首から上の病気に霊験があるそうだ。
 弁慶の力石は、源氏と平家の戦いを前に源義経の一行が戦勝祈願に立ち寄った際、士気を高めるため、人並み外れた力持ちの武蔵坊弁慶が持ち上げたと云われる石である。


第4番札所 大日寺(だいにちじ) 山号/黒巌山(こくがんざん) 院号/遍照院(へんじょういん) 宗派/東寺真言宗
 本尊/大日如来  真言/おん あびらうんけん ばざら だどばん

鐘楼門 睡蓮 本堂への参道 賓頭盧尊者

 金泉寺から約7キロ。町中から少し離れたところにある。朱塗りの山門の上部に鐘楼がある。参道のある大きな植木鉢のようなものに水が張られ、睡蓮が花を咲かせていた。写真の色はイマイチだが実際には紫のきれいな色をしていた。大師堂には賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)の像がある。除病の撫仏で、右手と左手で三回ずつやさしく頭をなでると無病が約束されるという。赤身は酒を飲み過ぎたからとも云われるが、これは俗説で、本当の意味は生命が充満して生気の血がみなぎっているさまをいい、それは修行が最高に高まった状態をいうようだ。


第5番札所 地蔵寺(じぞうじ) 山号/無尽山(むじんざん) 院号/荘厳院(しょうごんいん) 宗派/真言宗御室派
 本尊/勝軍地蔵菩薩  真言/おん かかかび さんまえい そわか

仁王門 鐘楼と大師像 大師堂と大銀杏 奥ノ院・五百羅漢

 最初は先達の運転手である出口さんと一緒にお参りをしていたが、少し慣れてくると自分達だけでお経を唱えることも含めたお参りをすることになる(自分達だけでというのがこの寺からかは確かではないが)。団体とかち合うと納経帳に御朱印を頂くのに時間が掛かるのでこういう形にしないと時間が足りないのだろう。
 本尊はお大師様が刻んだと云われる勝軍(しょうぐん)地蔵菩薩は、高さ一寸八分(約5.5cm)で、甲冑(かっちゅう)を身に付け馬にまたがった仏様であり、延命地蔵菩薩の胎内に安置されている。大銀杏は樹齢約800年。

 本堂・大師堂での参拝を済ませたが、まだ出口さんが戻ってこない。本堂の裏手の坂を登ると奥ノ院があり、五百羅漢があることは知っていた。勝手に行動することは憚れたが、ツアー参加者5名で五百羅漢の見物に出かけた。羅漢巡りは有料(200円)であった。五百羅漢という名だが、ここに収められている像は約二百体のようだ。サッと見学を見ませ外に出る。多少、高台なので町並みを見下ろすことができる。勝手に見学して怒られはしなかったが(不瞋恚だからか?)、この日の最後の参拝、受付時間ぎりぎりとなった。


第6番札所 安楽寺(あんらくじ) 山号/温泉山(おんせんざん) 院号/瑠璃光院(るりこういん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/薬師如来  真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

駐車場からの参道 思案之大師 庭園・多宝塔・本堂 駐車場からの風景

 地蔵寺からは約5キロ、時刻は間もなく15時というところ。安楽寺も山門があるが、何故か写真がない。二階に梵鐘がある鐘楼門なのだが・・・。山門に面した道幅が狭く正面から全景が写せなかったからか、人が多かったからは覚えていない。思案之大師は駐車場のところにある。都会からはかなり離れたなぁと感じる景色が広がる。昼食をとるなら5番までに済ませた方がいいと書いてある本もあった。宿坊は6番7番にあるようだ。

 以前は現在の場所から1~2キロほど北の山間部にあり、山号が温泉山というように昔は万病に効く温泉が湧き出ていたそうだ。八十八寺の中で本尊が薬師如来なのは24寺あるが、一番からスタートし順番どおりに巡ると最初に出会う寺である。
 写真に収めていない(見ているか否かも覚えていない)が、「さかさ松」「願い棒修行」「トイレ」も見所のようだ。トイレは茅葺き屋根だが平成10年に造られセンサー内臓の最新式で清潔感があるそうだ。日本トイレ協会のモデルトイレに指定されているそうだ。先達である運転手の出口さんはトイレ情報にも詳しく、女性には有難い事だろう。


第7番札所 十楽寺(じゅうくらくじ) 山号/光明山(こうみょうざん) 院号/蓮華院(れんげいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/阿弥陀如来  真言/おん あみりた ていぜい からうん

遍照殿(中門) 十三不動明王 本堂

 工事中の遍照殿の写真はあるが、6番と似ているという鐘楼門の写真は手元にない。初日は門にはあまり関心が無かったのかも知れない。ここの十三不動明王は、太平洋戦争時の第十三期海軍予備学生戦没者慰霊碑と平和を願って建立された石像である。時代にもよるそうだが天地眼(右眼で天、左眼で地を睨む)、牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に出す)が不動明王の特徴のようだ。

 光明山十楽寺という名前は、人間が持つ苦しみを阿弥陀如来の慈悲により光明に輝く十の楽しみが得られるようにとの願いが込められているそうである。地蔵尊は眼病に霊験があると云われている。
 当日は特に目立ったものは見られなかったが、十楽寺は花の寺としても知られているとのこと。中門付近は桜も多い。


第8番札所 熊谷寺(くまたにじ) 山号/普明山(ふみょうざん) 院号/真光院(しんこういん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/千手観世音菩薩  真言/おん ばざら たらま きりく

中門 本堂 多宝塔 仁王門

 往きは仁王門は通らずに、ジャンボタクシーは駐車場へ。そこから少し階段を登ると中門に至る。本堂へはさらに階段を登る。本堂から大師堂へも階段を登る。登った甲斐もあり(クルマ移動で横着しているが)、吉野川流域の町並みを見ることができる。多宝塔は高さ20.7mで、多宝塔としては四国地方で最大最古(修復工事は行われている)のもの。

 参拝後、クルマで約300m南下し、仁王門の中をクルマで通り(これにはビックリ!)、一旦下車し、カメラに収める。この仁王門は貞享4年(1687年)に建造され、木造山門としては四国霊場で最大で高さは13.2m、県指定の重要文化財になっている。ちなみに中央の幅は3.85mあるそうだが、金属製のポールがあるため大型車は通れないようだ。
 この時点で時刻は16時20分を過ぎている。17時までにあと2寺廻れるのだろうか?


第9番札所 法輪寺(ほうりんじ) 山号/正覚山(しょうかくざん) 院号/菩提院(ぼだいいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/涅槃釈迦如来  真言/のうまく さんまんだ ばだなん ばく

山門 本堂・大師堂 水子地蔵尊 駐車場からの風景

 ここは平地にある。山門には長さ80cm程度の大わらじがある(以前は1m以上のものが掲げられていたようだが)。足腰の悪い人に霊験があるようだ。本堂と大師堂が並んでいる。本尊が涅槃釈迦如来なのは、八十八寺の中でここだけ。真言は釈迦如来と共通のようだ。お大師様作の寝姿の仏像で、北枕に顔は西向き、右脇を下に横に寝ている姿は、安静を保つのに最良の形だそうだ。御開帳は5年に1度。
 出発は16時45分。次の切幡寺まで約5キロ。


第10番札所 切幡寺(きりはたじ) 山号/得度山(とくどざん) 院号/潅頂院(かんじょういん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/千手観世音菩薩  真言/おん ばさら たらま きりく

本堂 はたきり観音 大塔 大塔付近からの眺望


 納経帳への御朱印の締め切りである17時まであと3分というぎりぎりの時間に到着した。切幡山の中腹、標高155mにあり、山門から境内までは坂道と333段の階段があるということだが、我々クルマ組は境内のすぐ近くに乗り入れできるのである。切幡寺の由来についてここでは省略するが、即身成仏した娘の観音菩薩も本尊としているという。即身成仏と即身仏は違うと思うのだが・・・、解釈が難しいところである。
 大塔は国指定の重要文化財である。元は大阪の住吉大社神宮寺に豊臣秀頼が慶長12年(1607年)に東西2基の塔を建立したものの西塔。明治初期に神仏判然令で神宮寺が廃寺となったときに、ここの寺が買い入れ移築された。現存する唯一の二重方形塔婆という構造。


阿波観光ホテル ホテルのホームページへ

 1日目の宿泊は、徳島駅前にある阿波観光ホテル。10番の切幡寺からはかなり戻る位置である。距離にすると30キロ近いものがあり、約1時間かけての移動である。10番まで終えた歩き遍路への参考には全くならない。シングル希望の団体を扱うため、旅行会社もホテル側と提携する必要があるのだろう。

 駅前のホテルだけに、四国と言えどもクルマから白装束の集団が降り立つと何か違和感がある。まだ人目を気にしてしまう。宿というかホテルに着くと金剛杖の先を洗う。この辺りはホテル側も心得ているので手はずは良い。そしてロビーで御朱印の代金を集金。高野山を含め全89箇所分ということで、1箇所300円の御朱印も26,700円となる。七福神巡りとは桁が違う。大人のスタンプラリーと揶揄されて言われるが・・・。

液晶テレビ・LANあり シングルルーム 夕食の一部 朝食バイキング

 夕食はレストランの個室が用意されていた。運転手の出口さんは一緒ではない。ここに宿泊しているのかも分からない。ツアー参加の5名で一緒に食事となる。それぞれ個人参加で、まだ慣れていないので何かぎこちない。事前に読んだ本にお遍路への参加理由を訊いてはいけないと書いてあった。明るく振舞っている人でも深い悩みを持っている人もいるからだとか。たわいない話が中心だったろうか。そのとき、室戸岬と足摺岬、先に通るのはどっちだっけという話になり、お店の人に尋ねたが、即答はできなかった。神奈川県民が静岡の石廊崎と御前崎の位置を正確に答えられる人がどの程度いるかと似たようなものか。

 部屋ではLANによるネットが使える。歩き旅ではないので、パソコンを持参している。早速、一番札所での写真をトップページへアップし、掲示板への書き込みも行った。あと、翌日のお参りに備えて、納め札に名前と住所を書かなくてはならない。これが毎晩の日課となる。


第2日目:9月12日(火) 天気:曇り

 白衣は着ず、Tシャツ姿で朝食会場へ行く。時間は7時。普通のホテルに宿泊しているので、特に早いということはない。ホテルのバイキング、つい普段より多く食べてしまう。食後、コーヒーを飲んでから部屋に戻り、歯磨き、トイレ、着替えをして7時40分くらいの出発となる。
 クルマの中で、「観音礼拝」という朝の挨拶がある(このツアーに参加したら必ずあるというわけではない)。まず、東に向いてお父さん、お母さんに笑顔で感謝を込めておはようございますと言い、南に向いて憎い人、会いたくない人、敵対している人にも笑顔で挨拶を、西を向いて家族と兄弟や親戚の皆様に、北を向いて昨日まで会った方々、今日会う方、明日より死ぬまで会う方々に対しておはようございますと言うものである。仏道にはこういう心掛けが大事なのだろう。 
 10番から11番、徒歩だと約10キロだが、徳島駅前に戻っているので移動距離は長い。また、歩きの場合、お遍路を表す風景画としてもよく使われる吉野川の川島橋(潜水橋)を渡るが、そこを通れなかったのはちょっと残念。


第11番札所 藤井寺(ふじいでら) 山号/金剛山(こんごうざん) 院号/一乗院(いちじょういん) 宗派/臨済宗妙心寺派
 本尊/薬師如来  真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

山門 本堂・大師堂 天井画の雲龍 総檜造りの大師堂

 8時30分に2日目最初の札所に到着。1日目は寺間の移動距離は短かったが、2日目は短いところもあるが、クルマルートだと40キロ以上離れたところもある。歩き遍路ならクルマの通れないところを歩くことになる。少しでも時間を短縮するためにか、山門前の記念写真は効率よく廻すように数人まとめて並ぶようになる。それでも各人のカメラで写してもらえる。
 本堂は昭和52年(1977年)に全面改修され、そのときに天井に雲龍が描かれた。地元鴨島町出身の林雲渓の作。本堂の右手前にある大師堂は平成8年(1996年)に新築された総檜造り。

 この11番から12番へは、車道だとかなり回り道となるようだが、歩く遍路道は「遍路ころがし」といわれる難所のようだ。路傍には江戸時代末期から明治時代にかけて作られた道標や墓標類がたくさん残されているとのこと。徳島の難所を表すのに「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」という言葉があり、比較的、平坦な道だったこれまでから一変するのである。


第12番札所 焼山寺(しょうさんじ) 山号/摩廬山(まろざん) 院号/性寿院(しょうじゅいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/虚空蔵菩薩  真言/のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまり ぼり そわか

眼下に雲が 山門 杉の巨木 参道

 11番の藤井寺から地図上での直線距離は8~9キロ程度。しかし、12番の焼山寺は標高800mにあり八十八寺中2番目に高い。クルマでの移動も1時間ほど要す。駐車場から歩く距離はこれまでよりはあるが、それほどでもない。山門に到着したのは午前10時ちょうどであった。
 標高が高く修行に適した地なのか、修験道の祖、役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が開基したと云われ、お大師様も修行に訪れた。

 我々は立ち寄らなかったが、ここから1.8キロほど東に下ると、番外霊場の杖杉庵(じょうしんあん)がある。四国遍路の元祖とも云われる衛門三郎(えもんさぶろう)が行き倒れ、臨終の時にお大師様と再開できた地であり、墓所でもある。


衛門三郎

 
第七十七番札所 道隆寺
弘法大師の前に膝まづく衛門三郎
 
   

 ここでお遍路本などに必ず登場する衛門三郎について紹介する。各種の本に微妙に表現を変えて書かれているが、ここでは参加した旅ネット四国のパンフからそのまま抜粋する。

 四国を巡礼中の弘法大師が、ある日、愛媛県松山市の郊外の大きな屋敷に托鉢に訪れた。そこの主人の衛門三郎は強欲で、何度も訪れる乞食僧(大師)を追い払い、最後には大師が持っていた鉄鉢を八っつに割ってしまった。その後、大師は衛門三郎の屋敷を訪れることは無かったが、三郎の子供八人が次々と亡くなった。そこで、三郎は托鉢に訪れた人が弘法大師と気づき、今までの自分の行いを悔い、大師を求めて遍路の旅に出ました。
 しかし、簡単には会えない。二十数回目に、順番に回るのをやめ、逆に回り始めた。心身とも疲れ果て、十二番の焼山寺で倒れてしまう。意識が遠のいていくときに、大師が現れ、罪を許してもらった。最後の望みとして、「今度、生まれ変わるときは、領主になりたい」と願った。そこで大師から衛門三郎と書いた小石を授けられ、それを握ったまま死んでしまいました。
 その後、伊予の領主に男の子が生まれました。ところが、その子の手はしっかり握ったまま開かない。困り果て、安養寺(今の石手寺)に連れて行き、祈念をした。そうすると、手から衛門三郎と書いた小石がでてきた。人々は衛門三郎の生まれ変わりと思い、弘法大師の偉大さを真に受け止めたというお話が、語り継がれています。

 実話か否か定かではないが、色々と思うところである。これについての意味合いを解説しているものはあまり見かけない。大名行列の前を横切ると切り捨てられる時代もあったくらいだから、時代により考え方も違うかもしれないが、今は托鉢に米やお金をあげる人は少ないだろう。むしろ現代なら頼みもしないのにお経を唱えられ、金品を要求するなんて悪徳商法ではないか。鉢を割るという行為は悪いが、それが子供8人が殺されることなのか。改心しただけではダメで直接詫びを入れないと許してくれないというのは器が小さいのでは??? 伝説として語り継がれて行くうちに、印象に残るところだけが伝達されているのだう。この伝説には真の意味が隠れているに違いない。


第13番札所 大日寺(だいにちじ) 山号/大栗山(おおぐりざん) 院号/花蔵院(けぞういん) 宗派/真言宗大覚寺派
 本尊/十一面観世音菩薩  真言/おん まか きゃろにきゃ そわか

山門 しあわせ観音 本堂 阿波一宮神社

 11時19分、ようやく本日3番目の札所に到着した。12番の焼山寺とは打って変わって平地であり県道沿いにある。そして以外にも徳島市内に入って最初の札所である。第4番札所と同じ名前であり、28番も大日寺という。
 県道を挟んだ向かいには、阿波一宮神社がある。もっとも以前は一宮神社の別当寺が大日寺であり、大日寺の本尊である十一面観世音菩薩は明治時代の神仏分離令により神社から移されたもの。お遍路の途中ではあるが、個人的にはお寺より神社の方が好きなので数人で参拝に行った。道路一本挟んだ位置だが気が違うように感じる。読経よりも二礼二拍手一礼の参拝の方が神仏とコンタクトできるような・・・。慣れによるものか?


第14番札所 常楽寺(じょうらくじ) 山号/盛寿山(せいじゅざん) 院号/延命院(えんめいいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/弥勒菩薩  真言/おん まい たれいや そわか

駐車場脇の溜池 境内入口 流水岩の庭 木の股に大師像

 13番大日寺からは3キロほど。駐車場の脇には大きな池がある。境内の入口には、「人生即遍路」と書かれた句碑。人生は遍路そのものということだろうか? 現地では特にこれといった思いはなかったが、後になると重みのある言葉に感じる。
 境内の「流水岩の庭」は、天然の岩盤だが、風雨による侵食で今のような形状になっている。砂岩ということで、今でも変化しているので、天然記念物には指定されないとか。弥勒菩薩を本尊としているのは、八十八ヶ所でここだけ。上の写真には写っていないが大師像の横に無縁塔がある。「まつり人のない霊さまをおがんであげてください」とあるが、優しくして霊が付いてきてしまったらどうしようと思うのは修行が足りないからだろうか。「あららぎの霊木」の幹が分かれている部分に木彫りの大師像が置かれていて「あららぎ大師」と呼ばれている。


昼食 「日愛うどん」


 常楽寺を出発した時点で12時10分を過ぎていた。二日目の昼食も運転手さんご推薦のうどん屋さんである。「日愛うどん」というところで「ざるうどん定食」(924円)を食べた。ざるというより舟盛りという方が相応しい。

 昼食前が14番、そして15番までは約1キロほどなのだが、この昼食場所となった日愛うどんは17番札所井戸寺の近くということで、食後の参拝はその井戸寺となった。出発は12時49分であった。


第17番札所 井戸寺(いどじ) 山号/瑠璃山(るりざん) 院号/真福院(しんぷくいん) 宗派/真言宗善通寺派
 本尊/七仏薬師如来  真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

大門 本堂 大師堂 日限大師堂

 今回のツアーで初めて札所の順番どおりではない参拝となった。先ほどの昼食場所との兼ね合いからだが、14~17番は順番通り廻るのが通常だろう。街道歩きで途切れなく順番に歩いているので気になるところではあるが、クルマで巡っているツアー、後から思えば別に気にするほどの事はない。順番など全く覚えていないものである(笑)。

 大門で写真を写したのが12時53分。武家造りの大門は、阿波十代藩主蜂須賀重喜大谷別邸の長屋門を寄進されたものであり、現在のものは再現して作られた二代目。四国最大級の仁王像もあるので仁王門と呼んでも良さそうなものだ。説明板によると本尊の七佛薬師如来七躯は全国唯一で、七難即滅、七福即生、開運厄除難病平癒の霊験あらたかとか。大師堂とは別に日限大師堂がある。この中に寺号の由来となる井戸がある。お大師様が濁り水に困っていた村民にために錫杖で一夜で掘った井戸から清水が湧き出しというものだ。この井戸は「面影の井戸」とも呼ばれ、お大師様が井戸に映った自分の姿を石に彫られた御尊像が日限大師として祀られている。何故、日を限ってお参りするのが良いのか明確には書かれていない。


第16番札所 観音寺(かんおんじ) 山号/光耀山(こうようざん) 院号/千手院(せんじゅいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/千手観世音菩薩  真言/おん ばざら たらま きりく

鐘楼門 本堂 仏足石

 昨日宿泊した徳島駅前のホテルから7~8キロのところである。道路に面したところは「金五拾円」(大正時代)などの寄付金と寄付した人の名が彫られた石柱で境内と区切られている。町中にあるせいか境内は狭い。鐘楼門をくぐるとすぐに真新しい本堂がある。仏足跡も新しいものだが、型としては最も古い仏足跡だそうだ。このお釈迦様の仏足跡を合唱し、礼拝した手で身体の悪い箇所を撫でると罰障を滅し、諸願を成就できるそうだ。
 本堂には、炎に包まれた女性が描かれた額がある。見たかどうかは覚えていないが・・・。明治時代にあった実話として伝えられているもので、雨に濡れた白衣をこの寺で焚き火で乾かしていたところ、一人の女性の白衣に火が燃え移ったが一命はとりとめた。この女性は姑との仲が悪く、薪の燃え残りで叩いていじめたことがあったそうで、その戒めを受けたと反省し、この絵を奉納したという。遍路の旅に出ているだけでは罪は許されないようだ。


第15番札所 国分寺(こくぶんじ) 山号/薬王山(やくおうざん) 院号/金色院(こんじきいん) 宗派/曹洞宗
 本尊/薬師如来  真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

山門 鐘楼 本堂 大師堂

 聖武天皇が天下泰平を祈願して全国に建立した国分寺の一つ。以前は鎮護国家の祈願所として七重塔を備えた大寺院。当初は法相宗であり、真言宗を経て、曹洞宗に改宗したとのこと。一般公開はしていないが(事前に予約すれば見れるらしい)、本堂の横に安土桃山時代の様式を受け継ぐ池泉鑑賞式の大庭園があるそうだ。
 14時ちょうどくらいに出発。次の恩山寺までは20キロほどある。


第18番札所 恩山寺(おんざんじ) 山号/母養山(ぼようざん) 院号/宝樹院(ほうじゅいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/薬師如来  真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

駐車場付近の入口 大師像と本堂への階段 水子地蔵尊 御母公堂

 歩き遍路だと山門から坂道を登るようだが、クルマだと本堂のすぐ近くまで行けてしまう。後で知ったことだが、ここの山門はかなり古いいい感じのものであるだけにカメラに収めたかった・・・脇を通ったか否かも定かではないが。
 御母公堂には、お大師様の母親である玉依(たまより)御前が剃髪して出家された際の髪の毛が納められているという。そもそもこの地は女人禁制であったが、はるばる讃岐から息子を訪ねてきた母君を向い入れるために、一週間修行し、女人解禁の秘法を修め、母君を向い入れ、孝行を尽くしたとか。修行すれば、思い通りになるということか???


第19番札所 立江寺(たつえじ) 山号/橋池山(きょうちざん) 院号/摩尼院(まにいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/延命地蔵菩薩  真言/おん かかかび さんまえい そわか

仁王門 本堂 多宝塔と大師像 黒髪堂

 15時15分に到着。立江寺は阿波の関所寺とも言われ、罪深い人や邪悪な心を持つ人は罰が下るとか、改心しないと通れないと云われる。黒髪堂には、罪を犯したお京さん(浮気相手とともに夫を殺害)の髪が頭皮ごと地蔵尊の鐘の緒に巻き上げられたものが納められているという。罪人は四国巡礼するだけでは許してくれないのである。
 本堂と観音堂にある絵天井は見応えがあるようだが、見ていないようで・・・。


第21番札所 太龍寺(たいりゅうじ) 山号/舎心山(しゃしんざん) 院号/常住院(じょうじゅいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/虚空蔵菩薩  真言/のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまり ぼり そわか

101人乗りロープウェイ ロープウェイからの眺望 山越え 野生ではないようで・・・

 2日目の最後の札所は第21番の太龍寺。宿泊場所は第20番札所の先なのだが、時間配分的にこちらが先になったようだ。この太龍寺へはロープウェイで行く。その名はズバリ「太龍寺ロープウェイ」。往復2400円の乗車券代はツアー料金に含まれている。ちょっと一山登るのかと思ったが、山を越え次の山の山頂を目掛けて行く。伊達に西日本最大長(約2.7キロ)ではない。ロープウェイで来たルートは歩くルートとは違うようだが、これで徳島で3番目の難所となると、歩き遍路は発心の道場といわれる徳島ですでにそうとうの修行を積むことになりそうだ。途中、那賀川沿いの町並み、そして舎心ケ嶽にはお大師様の座像や犬(狼?)の像を見ることができる。16時半に太龍寺に着く。下りの最終ロープウェイは17時。あまり余裕は無い。

 
入口? 本堂  
     
 
仁王門 龍天井  

 本堂・大師堂と参拝を済ました後に通ったところに「いのちのいずみ」という石碑があり、そこに書かれいる文章(下記に一部示す)に見入った。

あなたは お大師様に手を合わす資格があるか
  エー資格とはなんですか 
目に見えぬお大師様に手を合わすには
目に見える家庭を愛し大地に生きる全てを愛してこそ
目に見えぬお大師様に手を合わす資格が得られるのだ
資格が無ければ形の合掌は出来ても
お大師様に通じる心の合掌は出来ない

その資格を得るため
一、小善を積んでお大師様に近づくのだ
 感情に溺れる人生を歩むな 心の窓を開き笑顔と優しい言葉を施せ
一、向かい合う人をお大師様と思え
 貧しさにも難病にも苦しむな「原因があるが故に結果がある」
 生かされている現在に感謝を込めいのちに光をあたえよ
一、苦悩を背負う時こそ 背筋を伸ばせ

この教えを心の糧として太成構は明日の光を求めています
苦しみの涙で蒔いた種は喜びの涙で花開き実を結ぶ時を知る 合掌

 冒頭の「お大師様に手を合わす資格があるか」というのは、ある意味、物見遊山で参加している自分などには、後ろめたい思いが・・・。
 持仏堂の龍天井はガラス越しで写すのが難しい。本堂の裏手には求聞持法(ぐもんじほう:虚空蔵菩薩の真言を一日二万回、五十日唱えることで、全ての経典を暗記できるという秘法)を修行する求聞持堂もあるようだ。


月ヶ谷温泉 月の宿 宿ホームページ

 この日も最後の札所から1時間ほど掛けてホテルへ。移動中、参加者は寝てればいいのでけっこう楽である。いや、そこそこカーブの続く山道なのでボッ~としていると酔いやすいから寝ている方がいいと思う。今日は和室。街道歩きで何度か和室も宿泊しているが、好きな場所でごろ寝できるのでいいものである。室内は禁煙のようだ。まだ2日目であるが、洗濯機を借りて洗濯する人も何人かいた。風呂は温泉。泉質は単純硫黄冷鉱泉。しかも弘法大師ゆかりの湯とある。この後も何回か温泉に入るが、非常に贅沢な旅をしている気分。夕食は食堂のようなところでみんなで頂く。

10畳部屋を一人で利用 部屋の眼下に勝浦川 夕食 朝食

 眼下に川が流れているようなところだと朝の散歩に出かけることが多いが、特に早起きすることもなく、朝食会場へ。部屋にあるアメニティグッズを使わずに翌日フロントに戻すとゴミ削減協力ということで、オリジナルのオリーブ石鹸がもらえる。


第3日目:9月13日(水) 天気:曇り

 この日も天気はイマイチ。今日は途中から同行者が一人増える。以前に徳島県内を巡ったことがあり、今回はその続きを一気に巡るそうだ。
 3日目ともなると慣れてきた反面、疲れも出てくる。いや、クルマで巡っている分際で疲れたと言ってはバチが当るか。徳島の霊場を歩いて巡り、高知との県境まで歩くと、日頃から街道歩きに興じている自分でも6泊7日は掛かると思われる。


第20番札所 鶴林寺(かくりんじ) 山号/霊鷲山(りょうじゅざん) 院号/宝珠院(ほうじゅいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/地蔵菩薩  真言/おん かかかび さんまえい そわか

仁王門 本堂前の左右に鶴の像 三重塔

 午前8時にはこの日最初の札所に到着した。標高は570m。クルマだと実感がないが、「二にお鶴」と云われるので、歩き遍路の場合はロープウェイを利用した太龍寺よりも難所ということか。三重塔は文政6年(1823年)に建てられた江戸末期における代表的建築物らしい。鶴の像は本堂前だけでなく仁王門にもある。希望者は頭蛇袋(または白衣)に鶴の御朱印を押してもらう(200円)。第39番札所の延光寺で亀の御朱印も頂くと鶴亀となる。


第22番札所 平等寺(びょうどうじ) 山号/白水山(はくすいざん) 院号/医王院(いおういん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/薬師如来  真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

仁王門 男坂を登り本堂へ 天井画 女坂

 トイレに行きたいという人がいたので、昨日のロープウェイ乗り場を経由して行くことになった。道の駅になっているのである。

 平等寺へは9時18分到着。本堂や大師堂へは階段を登るが、境内全体としては標高は低いところにある。ここは万病、特に健脚に霊験あらたかなようで、足が治ってお役御免となったいざり車(足の不自由な人を乗せるもののよう)などが奉納されている。地元の人ならともかく、鶴林寺や太龍寺を廻ってここまで歩けたら十分に健脚だろうし、いざり車を押した人はさぞ大変だったろう。男坂・女坂は「厄除け坂」でもあり1段ごとに1円や5円が置かれている。


第23番札所 薬王寺(やくおうじ) 山号/医王山(いおうざん) 院号/無量寿院(むりょうじゅいん) 宗派/高野山真言宗
 本尊/薬師如来  真言/おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 

山門 御神木 厄坂 瑜祇塔

 徳島県での最後の札所、薬王寺へは30分ほどで到着。ここの厄坂は33段の女厄坂、42段の男厄坂、61段の還暦厄坂と厄年の年数と段数が揃えてある。1段ごとに厄落としとして賽銭を置いて上がっていくとのことだが、そんなに賽銭を用意していないので、5円や1円、数枚にとどめる。厄払いは氏神の神社で祈祷してもらっているし、本厄の年には川崎大師、西新井大師、佐野厄除大師といった関東三大師に参拝しているので、厄は払われているのでは・・・。今まで意識していなかったが、川崎大師って本尊が弘法大師なんですね。お参りで「南無大師遍照金剛」と唱えたことなど一度もないけど・・・。
 瑜祇塔は真言宗の経典である瑜祇経の教理を形にあらわしたもので高さ29mあり、地下では戒壇めぐりができ、2階の展望台からは、ウミガメの産卵で有名な大浜海岸が見えるそうだ。

 次の札所まで約75キロある。土佐(高知県)は修行の道場と呼ばれるだけあって、歩き遍路なら少なくとも2日は掛かる。しかもほとんど国道。クルマ遍路の場合は海岸沿いを気持ちよくドライブという感覚である。これで修行になるのだろうか??? いや、修行に来たわけでは・・・。


序章

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