私の 「活動日記」 です!
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     (2007年11月分)


11月30日(金曜日)  ―――――――――――――――――――

  「もういい加減に解決を!」、国鉄闘争支援、大きな盛り上がり。


  国鉄が現在の民間会社のJRに変わったのは中曽根首相の時代であり、むかし以上前のことに
なりますが、この時、不当に差別され、結果的にクビをなった人は1049名にのぼります。所
属する組合によって差別されることはないという当たり前のことが守られませんでした。以来、
20年以上にわたって採用差別撤回の闘いが続けられてきました。東京地裁の裁判では、「採用
差別」があったことが認められ、15億円の賠償金が問う闘争団に支払われましたが、JRサイ
ドは高裁に控訴し、いよいよ、最終段階を迎えています。

  私たちは、全国の仲間と共に20年間にわたってこの闘争を支援してきましたが、今夜、日比
谷野外音楽堂で「闘争支援」の全国集会が開かれ、7300人の人たちが参加しました。私は、
区議会の本会議が6時半までかかったので、その後駆けつけましたが、非常に盛り上がった集ま
りでした。集会終了後は、日比谷から東京駅までデモ行進しました。来年早々、裁判所の判断が
示されますが、この気が遠くなるような長期闘争を労働者に強いるということ自体、それだけで
労働者に二重三重の首切りを宣告するようなものです。


11 月27日(火曜日)  ―――――――――――――――――――

         国労の新宿駅分会の定期大会に出席しました。


  国労新宿駅分会の定期大会が、駅から程近い民間の集会所で開かれました。招待を受けていた
ので、午前中に連帯の挨拶に伺いました。11月30日の夜、日比谷野外音楽堂で国労の採用差
別に反対し、早期解決を求める大集会が開かれますが、私からもこの集会への参加をよびかけま
した。
  新宿駅の乗降客は一日約150万人といわれています。世界一の「お客さん」が乗ったり降り
たりするのです。ここで働く人は何人か知りませんが、国労の組合員は98人です。この一年間
でついに100人を割りました。新宿駅のような大規模な職場で、国労の組合組織が次第次第に
少なくなることを他人事のように思ってはなりません。現在の不安定な雇用は、そもそもは組織
労働者の弱体化によってもたらされたものだからです。国労には、なんとしても頑張ってもらい
たいと思っています。

  午後からは新宿区役所内の議員控室で本会議質問の原稿書きをしました。区内のそれぞれの地
域にある文化的・歴史的な資源を掘り起こし、街づくりに活用することについての対策強化を訴
える質問をします。


 11月25日(日曜日) ―――――――――――――――――――

   トルコの初代大統領の評伝、『アタチュルク』 を読みました。


  きのうから腰痛気味でしたが、昨夜も夜遅くまで動き回っていたので悪化したようです。今朝
はほとんど動けないような状態になってしまいました。以前から、時々このような症状になりま
す。今日はすべての予定を変更して家で寝ていることにしました。実際、そうするしか選択の余
地はありません。

  前から探していた本が、一昨日、郵送されてきたので、一日中、それを寝ながら読みました。
三浦伸昭さんの『アタチュク』です。人の名前です。おそらく大半の人は知らないと思います。
私もつい最近までは知りませんでした。
  アタチュルクはトルコ共和国の初代の大統領です。よくヒトラー、ムソリーニ、スターリンな
どと共に「独裁者」と言われたりしますが、評価はもちろんこれらの3人とは全く違います。第
一次世界大戦時代の軍人ですが、この戦争で勝利をおさめた列強諸国からトルコが亡国的な不平
等条約を強いられた時代に、今でも語り継がれている輝かしい軍歴をあげて侵略者を駆逐し、国
民の大変な支持を集めました。

  その後、政治の場に押し上げられたアタチュルクは、果敢な決断とトルコ再生の理念に燃え、
「民主主義的な独裁者」としてトルコの民主化に命をかけた取り組みをしました。そして、信じ
がたいような短期間の間にトルコの近代化・民主化を推進しました。その功績は全分野にわたり
ますが、例えばそのひとつは「婦人参政権」です。まだ多くの先進的なヨーロッパ諸国でも婦人
参政権が認められていない時代に、アジアの西の国の後進国・トルコでアタチュルクはそれを保
障したのでした。

『アタチュルク』には、次のような一節があります。
「ケマル・パジャ(アタチュルクの本名)の本当の偉大さは、彼の優れた才能によるものではな
い。彼は、いかなる時でも、民衆の幸せを忘れることのない人物だった。すなわち、彼は民衆の
ためにあらゆる(個人的な)夢想を否定した。ケマルが、21世紀の今日まで偉人とよばれ、た
たえられている理由は、まさにその点にあるのだと思う」

 アタチュクが亡くなったのは1938年11月10日午前9時5分です。亡くなって69年に
なります。69年目の今年もトルコでは、この日のこの時間に全国でほとんどすべての国民が一
分間の黙祷をささげたといいます。
  アタチュルクという名前は、国民が敬意を込めて彼に与えた名前です。「国の父」という意味
を持つということです。本当の名前は「ムスタファ」です。国民の多くがそうであったように彼
にも姓はありませんでしたが、全国民に姓を名乗らせたのもアタチュルクです。
  
今でも国民から圧倒的な支持を受け、文字通り「トルコの父」と慕われている「民主的な独裁
者」、それがアタチュルクなのでした。
  歴史の評価に耐えうるすばらしい政治家です。残念ながら今の日本にはたったの一人もこのよ
うな人はいません。


11月23日(金曜日) ―――――――――――――――――――
 
    「開かれた議会をめざす会」の勉強会に出席しました。


  開かれた議会をめざす会主催の「議会基本条例を考える講演会・意見交換会」が池袋で開かれ
たので出席しました。新宿区議会の那須議員がこの会のメンバーになっていますが、今日の会合
の情報も彼からいただきました。各地から30人ぐらいの方が参加していました。

  日本で初めて議会基本条例を作ったのは栗山町議会(北海道)で、今から一年半前の昨年5月
のことです。以来、三重県議会、湯河原町議会、伊賀市議会名とが続き、現在は、多くの議会で
制定に向けての論議や具体的な準備が進められています。あと2、3年もすると全国的には一挙
にこの種の条例が作られる筈です。

  議会の基本的なルールを決める制度ですが、二元代表制の一翼を担う議員の役割を明確にし、
説明責任や政策提案などを中心にした質の高い議会を創造していくためには、この制度構築が不
可欠です。今日の会合のパネラーとして、伊賀市議会の安本美栄子議員が出席していましたが、
なぜこのような条例が必要か、条例制定によってどのような成果がもたらされたか、などについ
て大変解りやすい説明がありました。

  新宿区議会でも、改選後の各派代表者会議で私が強く主張し、議会基本条例を調査する特別委
員会(議会・行政改革特別委員会)を作りました。いま、精力的に検討に入っていますが、新宿
区議会でもいいものを作りたいものだと思っています。

  今日の午前中は新しく買った印刷機で「区政報告」の12月号を1万部ほど印刷しました。今
日は表面、明日は裏面を印刷します。印刷した後は、これも事務所においてある「折り機」で二
つに折り、何人かの人に協力してもらって配って歩いたり、郵送したりします。


11月21日 (水曜日) ―――――――――――――――――――

       議員倫理条例の検討会終了、改正条例提案へ。


  10時から「新宿区議会議員倫理条例検討会」が開催されました。この検討会はこれまで8回
にわたって開かれてきましたが、今日の会議で終了しました。この条例は、新宿区議会議員の倫
理や任務を条文化した画期的な制度ですが、もともと、議員は「あれをしてはだめだ」とか「こ
れをしてはだめだ」ということを網羅した「禁止条例」ではなく、制定時に私も強く主張しまし
たが「禁止事項」の羅列ではなく、それは当たり前のこととして、基本的には議員のあるべき姿
や任務を述べた「理念条例」のような部分が中心になっています。従って、これを悪用しようと
するといろいろな抜け道のようなものがあります。

  先に行われた区議会議員選挙では、選挙を有利に運ぼうとしたある候補者によって、この条例
の本質を曲解する署名などが行われましたが、今回の検討会ではこのような対応を相当厳しく制
限しました。私たちが9回にわたって検討して纏め上げた今回の成果は、もうすぐ始まる第四定
例会に改正条例案として提案されることになっています。

  今夜、国立競技場でサッカーのオリンピック最終予選が行われました。日本対サウジアラビア
の試合です。これに勝った方が「Cブロック」のオリンピック代表になります。日本は引き分け
でも代表の切符を獲得します。私はずっとテレビで観戦しましたが、白熱した接戦で勝負がつか
ず引き分けに終わりました。好試合でした。これで日本チームの北京出場が決定しました。
  私が住んでいるマンションからは、国立競技場のライトがよく見え、風向きによってはサポー
ターの応援の声が聞こえてきますが、この試合が終了した時に窓を開けたら、テレビの画面より
は心持ち遅れて大歓声が聞こえてきました。強豪のサウジアラビアと競い合ってのオリンピック
出場です。北京でも大いに活躍してもらいたいものです。


11月18日(日曜日) ―――――――――――――――――――

    当たり前の事だが、国連決議があっても海外派兵は憲法違反。

  今朝のテレビの「日曜討論」で各党・各界の人たちが、大連立に踏み込もうとした小沢一郎党
首の構想に対してさまざまな評価や批判をしていました。

  先日報道された朝日新聞による「小沢党首インタビュー」では、福田首相からは「憲法解釈を
全面的に変えてもいい」という提案があったということです。小沢党首は、この提案を積極的に
受けとめて党内に図ったということです。実に驚くべきことです。
  福田首相と小沢党首が意気投合した「憲法解釈の全面的な変更」とは何かということです。
  これまでの経緯からすると、「国連決議あれば自衛隊の海外派兵は憲法上認められる」という
ことに帰着します。もし、これを民主党が容認することにでもなったら、とんでもない事態にな
ったと言わざるを得ません。このようなことを前提にして大連立が組まれたのでは、日本は一挙
に「戦争する国」になってしまいます。

  大半の国民は、先の選挙で、このようなことを民主党にしたもらいたいために支持したのでは
ない筈です。小沢党首自身、こんなことはわかりきっていることなのに、それでもなおあのよう
な大連立という暴挙に走るというのは、国民をまったく軽視しているからに他なりません。
  私たちも、随分、馬鹿にされたものです。

  寄せ集めの「大政党・民主党」は、政党としてはまったく芯がないようなところがあります。
自公政治に比べれば、それでも大分ましと言えるのかも知れませんが、ただ、今後の動きについ
ては今後も充分に注意していかなければなりません。


11月16日(金曜日) ―――――――――――――――――――
 
    伊那市議会を初訪問、市内の施設などを見てきました。


  新宿区は、高遠藩の中屋敷があった内藤新宿(現在の新宿御苑を中心にした一帯)の関係で長
野県高遠町と友好都市の提携をしていましたが、これを記念して議会サイドとしては、四年に一
回区議会議員全員が高遠町議会を訪問し、交流を重ねてきました。一昨年、平成の大合併によっ
て高遠町が伊那市と合併したために、昨年、改めて伊那市の「友好関係」を樹立しました。

  昨日と今日、従来の関係を引き継いだ新しい伊那市議会との交流のために35人の議員(3人
は風邪などで欠席)が借り上げバスに乗って伊那市議会に行ってきました。
  私たちが伊那市を訪問するのは初めてですが、まず、市役所を訪ねて市議会議長など向こうの
議員と弁当を食べながら懇談しました。その後、市議会の副議長の案内で市民のキャンプ場にな
っている市郊外の鹿嶺高原や高遠町自慢の城址公園などに行ってきました。

  夜は、伊那市営の羽広荘という宿泊施設で伊那市議会議員26人全員と名刺交換をしながら交
流しました。私の両脇に座っていた議員は、旧長谷村出身の中山議員と旧伊那市出身の平岩議員、
その隣は旧高遠町出身の伊藤議員、前の席は旧伊那市出身の春日議員でした。中山議員は、私と
同年輩ですが、昨年の選挙で初当選したということです。中山議員は、私が10期目だというこ
とは知っていて、若い頃から議員をやっていることに驚いていましたが、私も同年代の方が「初
めてこのトシで選挙に打って出る」ことにびっくりしました。彼は長谷村の出身ですが、杉並に
住んでいる私の知り合いがここの生まれで、東京の同郷組織の責任者しており、以前から長谷村
のことについてはいろいろ聞いていたので、随分、懐かしい思いがしました。
  新宿区などはぜんぜん違う地方自治体の厳しい現実や都市部にはない地方都市の持つさまざま
な魅力など、特に限られた財政の中で住民と共に街づくりを進める楽しみなどについて、話し合
いをする機会がありました。

  この集まりには小坂市長も駆けつけてくれましたが、「権兵衛トンネル」の開通を記念するユ
ニークな名詞をいただきました。

  今日は、朝9時に宿舎を出発し、市内の「漆原酒造」を訪ねました。ここは、まったく小さな
酒造業者で、驚くことに兄弟2人でやっているということです。ブランド名は「井の頭」で、新
宿の伊勢丹でも出荷されているようです。名実ともに手作りをの酒屋さんですが、今年のコンク
ールで「金賞」の栄に輝いたということです。兄弟で説明してくれましたが真摯で控え目な態度
には感心しました。伊那副議長の話では、「これが伊那の気質」ということでした。その後、伊
那地方名物の「寒天」を見事に商品化し、成功している「かんてんぱぱ」として有名な伊那食品
を訪問。寒天の効用について説明を受けました。この会社は、法人税関係の納税で市の財政には
随分寄与しているようです。会社の売店で、私もたくさんの商品の中から何点か購入しました。

  昼食は、これも名物の手作りそばを食べ、2時前には南アルプスと北アルプスに抱かれた風光
明媚な伊那市を離れて、5時には喧騒とした新宿に帰ってきました。
  これまでの議会の交流は、高遠町に限られていましたが、高遠町、長谷村を含めた新生・伊那
市との今回の交流は、今までにはなかったものを感じました。


● 11月13日(水曜日) ―――――――――――――――――――

    熟度の高い条例に制定に向けて、検討がはじまりました。


  今月2日から所用があって一週間ほど出かけていました。帰ってからは議会の対応やさまざま
な雑用まで、連日、多忙を極めたので「活動日記」の記載がずっと中断することになってしまい
ました。

  さて、今週から区議会ではさまざまな会議や検討会が行われています。特筆すべき会議は、私
が以前から強く主張していた「新宿自治基本条例」の制定に向けて、区長部局と区議会の双方が
6人ずつの委員を選出して「課題の整理」に入ったということです。当面、学識経験者委員(座
長)を含めた三部門の委員たちが地ならし的な協議をし、その成果をもとに「区民説明会」を行
い、それ以後は数人の区民選出委員を入れた四部門の委員たちで具体的な条例制定に向けての協
議をすることにしています。そして、再来年の2月から3月にかけて開かれるの議会において念
願の条例制定の議決する予定になっています。

  これまで「自治基本条例」は、北海道のニセコ町を嚆矢とし、全国の120前後の自治体で制
定されているので、基本的で標準的な「カタチ」はすでに形成されています。従って、これまで
の全国の先例的な条例に対して、自治に対する新宿区の理念的なものを含め、いかに新宿区の特
色のようなものを盛り込むことができるかというのが大きな課題になります。
  その作業がいよいよ始まりましたが、いずれにしても熟度の高い条例を作りたいものだと思っ
ています。


● 11 月 1 日 (木曜日) ――――――――――――――――――

   日本一のローカル線、津軽鉄道と五能線が上位に。


  朝日新聞の夕刊に「日本一のローカル線」というアンケート結果が載っていました。@江ノ島
電鉄、A大井川鉄道、Bわたらせ渓谷鉄道と有名な鉄道が続き、FとGには津軽鉄道と五能線が
ランクされていました。いずれも私のふるさとを通る鉄道です。

  津軽鉄道は、なんということはない津軽平野をとことこ走る鉄道ですが、冬になると「だるま
ストーブ」が燃やされ、そこでするめなど土地の産物が焼かれ、車内いっぱいに香ばしいにおい
が立ち込めることで有名になっています。新聞の報道によると、最近では、夏の時期には「鈴虫
電車」も走っているということです。

 五能線は、五所川原市と能代市の名前を冠した鉄道で、日本海の海べりを時々立ちとまりなが
ら走ります。後背地は白神山地の山々です。昔は、日本海に沈む夕日だけが売り物でした。日本
海を真っ赤に染める夕日は昔も今もきれいですが、私が子どものころは、全然人気のない鉄道で
した。いずれも倒産寸前だった津軽鉄道と五能線が全国のアンケートで上位を占めるなんて、信
じがたい気がしています。

  夜、四谷四丁目の創立60周年記念式典が明治記念館で行われました。会費は1万円。区長を
はじめとして来賓多数で表面上は実に盛大な集まりでした。ただ、町会の周年行事なのに、町会
員ではなく、お客さん中心の式典をこんなに盛大にやる必要があるのかという疑問を持ちました。
町会の積立金の取り崩しも随分多かったと聞いています。


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